NKJへようこそ
「今夜は、我々の拠点へ来ませんか?」
ポリアンナの提案に、日御子は警戒するように目を細めた。
「出会ったばかりの組織の拠点へ来いというのは、少々怪しくありませんの?」
「もっともな意見です。ですが、刺客に居場所を知られている可能性のある宿で寝るよりは、安全だと思いますよ」
「寝床も用意できますし、遅くなりましたけど食事もあります」
咲夜姫が付け加えた。
「お世話になりますの」
食事があると聞いた途端、日御子は迷うことなく即断した。
「決断が早いですね」
ポリアンナに指摘され、日御子は少しだけ頬を赤らめると、誤魔化すように視線を逸らした。
「……安全を最優先しただけですの」
◇
一行は刺客が残っていないことを確認しながら宿へ戻り、日御子の荷物を回収してから、NKJの拠点へ向かった。
その道中、アイザックが日御子を横目で見た。
「お前、見るからに世間知らずだよな。箱入りだろ」
「箱入り?」
日御子はきょとんと首を傾げた。
「人生で箱に入ったことは、一度もありませんの」
数秒の沈黙が流れた。
アイザックは冗談を言っている様子のない日御子を見つめ、それから真顔で額を押さえた。
「……いや、そういう意味じゃねぇ」
「違いますの?」
少し離れた場所を歩いていたもりやんが、堪えきれずに吹き出す。ポリアンナも困ったように苦笑した。
「マジか……。思ってたより遥かに箱入りだったわ」
「ですから、箱には入っていませんの」
「もういい。お前はそのままでいてくれ」
話を打ち切られても、日御子だけは何がおかしかったのか分からず、最後まで首を傾げていた。
◇
街を外れ、森の中をしばらく歩くと、一軒の古びた館が見えてきた。
「着きました。ここが我々の拠点です」
ポリアンナが足を止め、館を示す。
解放軍NKJの拠点は、日御子が想像していたものより遥かに質素だった。巨大な要塞でも、地下に築かれた秘密基地でもない。外見だけなら、街外れに建てられた古い貴族の別荘にしか見えなかった。
「もっとこう……解放軍らしい場所を想像していましたの」
「解放軍らしい場所とは?」
「秘密基地ですの」
「ここが秘密基地です」
「まったく秘密基地には見えませんの」
「そう見えないから、秘密基地なんですよ」
日御子は納得しかけたが、どこか言いくるめられたような気もした。
「この館には、敵意を持つ者から見つかりにくくする認識阻害が施されています。絶対に見つからないわけではありませんが、普通に拠点を構えるよりは遥かに安全です」
ポリアンナの説明を聞きながら、日御子は館の窓や出入口へ目を走らせた。
正面玄関のほかに、左右へ抜けられる通路がある。背後には中庭があり、その先にも門らしきものが見えた。館を囲む塀はそれほど高くない。仮に襲撃を受けても、逃げ道はいくつか確保できそうだった。
命を救われたとはいえ、まだ会ったばかりの者たちだ。全てを信用するには早すぎると、日御子は自分へ言い聞かせた。
◇
ポリアンナに促されて館へ入ると、予想以上の人の多さに日御子は足を止めた。
広間を行き交っているのは、武装した兵士だけではない。荷物を運ぶ商人や道具を手入れする職人、分厚い本を抱えた学者らしき者、廊下を駆けていく子供までいる。
窓の向こうの中庭では、一人の青年が汗だくになりながら、黙々と木刀を振っていた。
解放軍の拠点というより、一つの共同体――あるいは、小さな村に近かった。
「思っていたより、生活感がありますの」
「ここで暮らしている人も大勢いますからね」
ポリアンナは慣れた様子で答えた。
「詳しい案内は明日にしましょう。今夜はもう遅いですし、まずは食事にしませんか?」
「賛成ですの」
今度も日御子は即答した。
◇
食堂へ入った途端、甘い香りが日御子の鼻をくすぐった。
部屋の中央では、小柄な女性が巨大なアップルパイを両手で抱え、切り分けることもなく豪快に齧っていた。
「…………」
日御子は思わず二度見した。
視線に気づいた女性が、口いっぱいにパイを頬張ったまま振り返る。
「にゃんのかコラー!」
「なんだか怖いですの……」
思わず本音が漏れた。
「こちらは、ふるーるさんです。NKJ創設メンバーの一人で、副盟主を務めています」
咲夜姫が何事もなかったかのように紹介する。
「……副盟主?」
「はい」
日御子は巨大なアップルパイを抱えた女性を、改めて見つめた。
「子供に見えますけど……」
「成人していますよ」
「若く見えるにも限度がありますの!?」
「今は食堂の調理も担当してくださっています」
「調理担当の方が、料理を丸ごと食べていますの……」
「よくあります」
「よくあってはいけませんの」
その隣では、一人の男性が帳簿と消えていくアップルパイを交互に見ながら、頭を抱えていた。
「なんでやねん……。また一人で食ってる……」
「彼は、ふぉろんたいごさんです。NKJの物資やお金を管理しています」
「とても大変そうですの」
「彼はいつも大変なんです」
咲夜姫は苦笑した。
「他人事みたいに言わないで、誰か止めてくれませんか……?」
ふぉろんたいごの訴えにも、ふるーるは一切手を止めなかった。
◇
「ただいま戻りました」
玄関の方から穏やかな声が聞こえた。
振り返ると、大きな荷物を背負った男性が食堂へ入ってくるところだった。荷物の中には、野菜や果物、薬草が隙間なく詰め込まれている。
「お帰りなさい、のぶおさん」
ポリアンナが手を振る。
「皆さんの分も、たくさん頂いてきましたよ」
のぶおが荷物を下ろした途端、食堂にいた子供たちが歓声を上げて駆け寄った。
「おかえり!」
「今日は何を持ってきたの?」
「慌てなくても、皆さんの分がありますよ」
のぶおは子供たちへ笑いかけ、一人ずつに果物を渡していく。
「近くの村に出没する巨大熊を退治して、そのお礼に食料を分けていただいたそうです」
咲夜姫の説明を聞き、日御子は目を瞬いた。
「巨大熊退治の報酬が、それだけですの?」
「報酬をもらうつもりはなかったので、充分ですよ」
のぶおは照れ臭そうに笑った。
「随分と商売下手ですの」
「よく言われます。でも、ここにはお腹を空かせた子供たちが待っていますから、食べ物があればそれで充分なんです」
子供たちに囲まれたのぶおは、反帝国組織に所属する戦士ではなく、家族のために食料を持ち帰った穏やかな父親にしか見えなかった。
◇
食事が始まると、アイザックともりやんも同じ卓についた。
ふぉろんたいごは食材の残量を確認しながら帳簿へ数字を書き込み、ふるーるは自分のアップルパイを守るように抱え込んでいる。子供たちはのぶおの周りへ集まり、今日あった出来事を競うように話していた。
誰かが笑えば、別の誰かが呆れ、また別の場所では明日の仕事について話している。
日御子は料理を口へ運びながら、革命軍にいた頃を思い出していた。
あの頃は、食事の最中でさえ戦いの話ばかりだった。次の作戦、王国軍の動き、失われた仲間の命。そして、父王への怒り。
誰もが国を変えることだけを考え、気を緩める者などいなかった。日御子自身も、それが戦う者たちの当然の姿なのだと思っていた。
だが、ここは違う。
同じように国を変えるために戦っているはずなのに、子供たちが笑い、大人たちはくだらないことで言い合いながら、同じ食卓を囲んでいる。
(どうして、こんなにも違いますの……?)
理由は分からなかった。
それでも、この場所に流れる温かな空気を、日御子は嫌いにはなれなかった。
「どうですか?」
向かいに座るポリアンナに尋ねられ、日御子は少し考えた。
「変な人しかいませんの」
率直に答えると、ポリアンナが吹き出した。
「否定はしません」
「でも、居心地は悪くありません」
それが日御子の本音だった。
食事を終えて席を立った時、日御子はふと気づいた。
館へ着いた時は、出入口や窓の位置ばかり確認していた。それなのに、いつの間にか逃げ道のことを考えなくなっている。
(少しの間なら、ここにいてもいいのかもしれませんの)
足元では、黒猫が満足そうに喉を鳴らしていた。
◇
日御子が客室へ案内された後、ポリアンナは廊下の窓から中庭を見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
隣へ来た咲夜姫が尋ねる。
「思っていたより元気そうで、安心しただけです」
「以前からのお知り合いですか?」
「いいえ。会ったのは今日が初めてですよ」
そう答えながらも、ポリアンナは考えていた。
ヒノモト革命を率い、自ら父王を討った王女。革命後に失踪したとされる王女と日御子の年格好は一致し、眼帯の男からは「王域の軍師」と呼ばれていた。
偶然で片づけるには、共通点が多すぎる。
「日御子さんが、気になりますか?」
「気にはなります。ですが、本人が話したくないことまで無理に聞くつもりはありません」
ポリアンナは中庭へ視線を戻した。
中庭では、客室から抜け出した黒猫を、日御子が困った様子で追いかけていた。捕まえかけたところで軽やかに身をかわされ、バランスを崩して派手に転んだ。
その姿は、革命を成し遂げた英雄にも、父親を討った王女にも見えなかった。ただ、相棒に振り回されている一人の少女にしか見えなかった。
「話したくなったら、その時に話してくれますよ」
ポリアンナはそれ以上追及しないと決め、静かに窓辺を離れようとした。
だが、革命の記録に残る王女と、今日出会った日御子の姿が、どうしても一人の人物として結びつかなかった。
【第八話 噛み合わない記録】へ続く




