革命の設計者
「革命の設計者」
眼帯の男が静かに告げた。
夜風が張り詰めた空気を縫うように通り過ぎる。ポリアンナは、淡く光る双眸を眼帯の男へ向けたまま、少し考えるように首を傾げた。
「そう呼ばれることもありますね」
その返答は、まるで他人事だった。
日御子は二人を見比べた。眼帯の男が見せた反応は、単に名前を知っているだけのものではない。先ほどまで余裕を崩さなかった眼帯の男が、ポリアンナの姿を見た瞬間、明らかな驚愕と警戒を露わにしていた。
「大丈夫ですか?」
声に振り向くと、いつの間にか咲夜姫が傍へ来ていた。周囲の刺客へ警戒を向けながら、日御子の腹部や腕の状態を確かめている。
「少し痛みますけど、まだ動けますの」
「無理はしないでください」
咲夜姫はそう言いながら、日御子を庇える位置へ立った。
◇
眼帯の男は、すでに落ち着きを取り戻していた。
「護衛も連れず、増援のつもりか?」
「そうなりますね」
ポリアンナは穏やかに頷いた。《王域》で捉えることさえできない眼帯の男を前にしても、その表情は少しも変わらない。
周囲の状況を一通り確認したところで、ポリアンナは小さく息を漏らした。
「ふむ。勝率は十八パーセントといったところでしょうか」
「勝率?」
日御子が目を瞬く。
「どうして、そんなものが分かりますの?」
「それは企業秘密です」
当然のように答えるポリアンナを、眼帯の男が鼻で笑った。
その時、屋根の上にいた刺客が弓を引き絞った。
放たれた矢が、ポリアンナへ向かって一直線に飛ぶ。
「危ないですの!」
日御子が叫んでも、ポリアンナは動かなかった。まるで避ける必要がないとでも思っているかのようだった。
次の瞬間、石畳が轟音とともに大きく盛り上がった。
地中から突き上げるように出現した巨大な土壁に、飛来した矢が突き刺さる。土壁のすぐ脇では、眠そうな女性が地面へ片手をついていた。
女性はゆっくり立ち上がると、欠伸を噛み殺しながらこちらへ歩いてくる。
「来たよ」
「もりやんさん、ご足労ありがとうございます」
ポリアンナが小さく頭を下げた。
「これで、勝率は二十九パーセントです」
「増えましたの?」
日御子が思わず尋ねると、ポリアンナは何でもないことのように答えた。
「増やしました」
その直後、炎弾が轟音とともに横合いから飛び込んできた。
空気を焼き裂く勢いで路地を駆け抜け、正面にいた帝国兵へ直撃する。炎が炸裂し、吹き飛ばされた帝国兵は木箱を巻き込みながら壁へ激突した。
砕けた木片と火の粉が宙を舞う。
「おーおー。いきなり呼び出されたと思ったら、随分な修羅場じゃねぇか」
気怠そうな声とともに、燃えるような赤い髪と紅い瞳を持つ男が歩いてきた。
男――アイザックは、炎の残る右手を軽く振り払う。
その姿を見て、ポリアンナが僅かに息を吐いた。
「これで四十一パーセントになりました」
仲間たちが現れることを、ポリアンナは最初から知っていたかのようだった。
鋭い風切り音に、アイザックが顔を上げる。屋根の上から三本の矢が、顔、胸、足元を同時に狙い、逃げ道を塞ぐように迫っていた。
「今度は上かよ」
アイザックが右腕を振るうと、炎が大きな弧を描いた。三本の矢は届く前に燃え上がり、灰となって夜の路地へ散っていく。
舞い散る火の粉の向こうで、別の屋根にいた帝国兵が次の矢をつがえようとしていた。
もりやんは背負っていた弓を素早く手に取り、流れるような動きで矢をつがえる。
弦が鳴った。
放たれた矢は夜の通りを斜めに駆け上がり、帝国兵の肩を射抜いた。帝国兵は短い声を上げ、屋根から転げ落ちる。
爆発で舞い上がった土煙が通りを覆い、巨大な土壁も視界を塞いでいる。すでに敵の姿は見えなくなっていた。
敵の位置を捉えるには、《王域》を再び使うしかない。発動すれば、治まりかけている頭痛がぶり返す。それでも、敵を見失ったまま戦う方が危険だった。
「《王域》」
緑色の光が、日御子を中心に波紋のように広がった。
発動と同時に、頭痛が蘇る。頭の内側を強く締め付けられるような痛みに顔を歪めながらも、日御子は歯を食いしばり、意識の中へ広がっていく像へ集中した。
土壁や煙の向こうまで立体地図となって浮かび上がり、敵の位置が明らかになる。
屋根の上に一人。そして左奥の瓦礫の陰では、地上に残っていたもう一人の帝国兵が、ポリアンナの背後へ回り込もうとしていた。
「ポリアンナさん! 左奥の瓦礫ですの!」
「瓦礫?」
「物陰を移動している者がいます。放置すれば、背後から挟撃されますの!」
ポリアンナが左奥へ視線を向ける。しかし、立ち込める土煙に遮られ、肉眼では敵の姿を確認できない。
日御子は、屋根の弓兵を警戒しながら次々と矢を焼き落としているアイザックへ向けて、声を張り上げた。
「左奥の瓦礫に敵が潜んでますの!」
だが、矢が燃え上がる音や爆発の余韻、逃げ惑う人々の喧騒に掻き消され、声は届かなかった。
ポリアンナの双眸に、再び淡い光が宿った。
《理想国家》――仲間たちの意識を繋ぎ、離れた場所でも情報や指示を瞬時に共有する異能だった。
『アイザックさん。左奥、瓦礫の陰へ炎をお願いします』
頭の中へ直接届いた指示に、アイザックは問い返すことなく身体を反転させた。直後に頭上へ迫った矢を身を沈めてやり過ごし、低い姿勢のまま右手を振り抜く。
放たれた炎弾が一直線に飛び、左奥の瓦礫へ着弾した。
轟音とともに瓦礫が吹き飛び、その奥に潜んでいた帝国兵が地面へ投げ出される。
「……本当にいやがった」
アイザックが目を丸くした。
ポリアンナは倒れた帝国兵を確認すると、ゆっくり日御子へ顔を向けた。
「驚きました。私よりも戦場が見えている方にお会いしたのは、初めてです」
「ただ、そこにいるのが見えていただけですの」
日御子が不思議そうに答えると、ポリアンナは小さく笑った。
「それが、戦場では何より重要なんです」
「おかげで勝率は、ほぼ互角になりました」
◇
眼帯の男が、短く息を吐いた。
「お前ら、やはり厄介だな。帝国が懸賞金をかける理由がよく分かった」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ポリアンナが苦笑する。
「別に褒めてねぇよ」
「それは残念です」
軽口を交わしながらも、互いに警戒は解かない。眼帯の男は周囲を見渡し、ポリアンナへ視線を戻した。
「なるほどな。お前はそうやって勝ってきたのか」
ポリアンナは答えなかった。淡く光る双眸で相手を捉えたまま、静かに立っている。
しばらく睨み合った後、眼帯の男が剣を下ろした。
「今日はここまでだ」
「待ちなさい!」
日御子は追おうと一歩踏み出したが、腹部に鋭い痛みが走り、思わず足を止めた。ポリアンナは眼帯の男へ視線を向けたまま、片手を上げる。
「追わなくて結構です」
「ですが――」
「こちらも、ようやく互角に持ち込んだだけです。日御子さんは負傷していますし、ここは街中です。相手の目的はすでに失敗しています。追う必要はありません」
数秒の沈黙の後、眼帯の男が愉快そうに笑った。
「確かにな」
眼帯の男が踵を返そうとしたところで、気怠そうな声が割り込んだ。
「いやいや。せっかく来たんだろ? 一発くらい喰らってけよ」
アイザックが肩を鳴らしながら、右手を上げる。
「アイザックさん。やめてくださいね」
ポリアンナが額を押さえた。
「ごめん、無理」
即答と同時に、アイザックの右腕へ炎が集まった。渦を巻いて膨れ上がる炎が、夜の路地を真昼のように照らす。
アイザックが右腕を振り抜くと、解き放たれた爆炎が紅い奔流となって石畳を焼き砕き、眼帯の男を呑み込んだ。
直撃したように見えた。
しかし、眼帯の男は逃げようともせず、その場に立ったままだった。露出した片目が鈍く光った瞬間、爆炎の中心から色が失われ始める。
荒れ狂っていた炎が見えない何かに削り取られ、轟音も途中で断ち切られた。熱も光も衝撃も急速に消え去り、やがて眼帯の男の周囲には、炎が放たれた痕跡すら残らなかった。
訪れた静寂の中で、ポリアンナが目を見開く。
「これは……」
攻撃を放ったアイザックも、信じられないものを見るように立ち尽くしていた。
「……は?」
眼帯の男が笑った。
「お前ら勘違いするなよ。俺一人でこれだ」
鈍く光る片目が細められる。
「帝国には、もっと厄介な連中がいる」
低く響いた言葉に、誰も答えられなかった。
眼帯の男は最後に日御子へ視線を向ける。
「王域の軍師」
その口元が僅かに歪んだ。
「今日は運が良かったな」
眼帯の男が片手を上げると、屋根に残っていた帝国兵が弓を下ろした。倒れていた三人も傷口を押さえながら立ち上がり、互いに庇い合うように路地の奥へ退いていく。
眼帯の男も背を向け、夜の暗がりへ姿を消した。
◇
帝国兵たちの気配が遠ざかり、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
ポリアンナの双眸から淡い光が消える。日御子も《王域》を解除すると、頭を締め付けていた痛みが少しずつ引いていった。
(なんとか……生き延びましたの)
その実感が遅れて押し寄せ、日御子はようやく息を吐いた。
ポリアンナは日御子へ振り返ると、先ほどまで帝国の刺客と向き合っていたとは思えないほど穏やかに笑った。
「大丈夫ですか?」
「少し痛みますけど、助かりましたの」
「それは良かったです」
その声には、心からの安堵が滲んでいた。
日御子は警戒を解かないまま、目の前の男を見つめた。
仲間の到着を予測した方法も、眼帯の男に警戒される理由も分からない。だが、最初に聞くべきことは一つだった。
「あなたは、何者ですの?」
ポリアンナは少し考え、困ったように笑った。
「ポリアンナです」
「……それは知っていますの」
しばらく沈黙した後、二人は同時に苦笑した。
「私は日御子ですの。ただの旅人です」
「そうですか」
ポリアンナは小さく頷いたが、その目は日御子の言葉を全く信じていなかった。
黒猫が日御子の肩へ飛び乗り、金色の瞳でポリアンナを見つめる。ポリアンナもまた、何かを思い出そうとするように黒猫を見返した。
ほんの僅かな沈黙の後、黒猫が低く鳴いた。
【第七話 NKJへようこそ】へ続く




