異能殺し
屋台の灯りが並ぶ通り。
人々の笑い声。
酒の匂い。
焼き串の香り。
つい先ほどまで平和だったはずの景色を、日御子は静かに見渡していた。
黒猫はなおも低く唸っている。
「グルルル……」
「……気のせいですの?」
小さく呟く。
だが。
この子がここまで警戒することは滅多にない。
野犬に追われても平然としていた。
蛇を見つけた時ですら興味深そうに近付いていった。
その黒猫が。
全身の毛を逆立てている。
日御子は眉をひそめた。
自分も妙な胸騒ぎを感じていた。
理由は分からない。
それでも。
(……確認しますの)
静かに目を閉じる。
そして。
「《王域》」
世界が広がる。
建物。
路地。
屋根。
人の流れ。
街の一部が立体的な地図となって脳内へ流れ込む。
やがて。
見つけた。
屋根の上に二人。
正面の路地に一人。
背後に一人。
配置から考えれば、屋根が援護役。
正面はたぶん囮。
すると本命は背後。
おそらく挟撃で来る。
(やはり居ましたの)
日御子は短剣へ手を伸ばした。
四人。
少し多い。
だが対応できない数ではない。
問題は別にあった。
《王域》を使うたびに頭が痛む。
それでも解除するわけにはいかなかった。
命が懸かっている。
黒猫はなおも唸り続けている。
本能的な警戒。
(何かを見落とした?)
日御子は《王域》をさらに広げた。
確認する。
範囲内に敵は四人で間違いない。
だが。
(……?)
《王域》はいつも通り立体地図を描いている。
それなのに。
違和感というべきか。
何かがおかしい。
何がおかしいのか。
それが分からなかった。
《王域》を使って、今まで一度も感じたことのない感覚。
胸の奥の警鐘だけが鳴り続けていた。
◇
「にゃっ!」
黒猫が突然駆け出した。
屋根へ飛び乗る。
そのまま夜の街へ消えていった。
(どうしましたの……?)
日御子は目を瞬く。
だが追おうとは思わなかった。
昔からそうだ。
黒猫は時々、何かに気付いたように勝手な行動を取る。
そして大抵の場合。
後になって意味が分かる。
それよりも。
今は目の前の問題が先だ。
日御子は意識を戻した。
その直後。
背後から声が聞こえた。
「やっぱり面倒だな」
全身が凍り付く。
振り返ると。
そこには男が立っていた。
黒い眼帯。
露出した鈍く光る片目。
静かな笑み。
いつからそこにいたのか分からない。
《王域》にも映っていなかった。
(あり得ない)
一瞬だけ。
日御子の思考が止まった。
眼帯の男は興味深そうに日御子を見る。
「気が付かなかったという事は」
「本当に周りが見えてるんだな」
日御子の背筋を冷たいものが走った。
◇
刹那。
男が消えた。
「っ!」
反射的に短剣を振る。
火花。
金属音。
刃を辛うじて受け止めた。
しかし。
重い。
腕が痺れる。
「反応は悪くない」
男が笑う。
日御子は後方へ飛び退いた。
(まずい)
(本当にまずい)
《王域》で捉えられなかった。
(……違う)
(今考えるべきはそこじゃない)
(逃走経路が消されたのが問題ですの)
四人なら抜けられる。
そう計算した。
だが。
目の前の男は。
計算に存在していない五人目。
計画が崩れた。
しかも。
相手そのものが強い。
◇
「お前、戦闘向きじゃないな」
「……」
「ただの軍師か?」
図星だった。
男は肩を竦める。
「普段は後方か」
「だったら何ですの」
「だから厄介だって話だ」
男が一歩踏み出す。
その瞬間。
ずきり。
頭の奥が痛んだ。
最近よく起こる頭痛。
理由がない。
説明のつかない痛み。
掴めない。
何も分からない。
「っ……!」
思わず額を押さえる。
男の目が細くなった。
「なるほどな」
「何がです!」
踏み込む。
短剣を振る。
だが。
届かない。
避けられる。
全て読まれている。
「遅い」
剣の柄が腹部へ深く打ち込まれた。
衝撃。
日御子の身体が吹き飛ぶ。
石畳を転がる。
息ができない。
視界が揺れる。
強い。
圧倒的だった。
◇
男がゆっくり歩いてくる。
余裕しか感じない。
まるで勝敗が決まっているかのように。
それでも日御子は立ち上がり。
短剣を構える。
足が震える。
恐怖ではない。
本能だ。
背筋を冷たい汗が流れる。
こんな感覚は初めてだった。
(逃げ道がない)
(違う)
(あるはずだ)
(考えろ)
(考えろ)
(考えろ)
しかし。
次の一手が浮かばない。
◇
男が呟く。
「聞いていた話とは違うな」
少しだけ肩を竦めた。
「厄介だが」
「弱すぎてつまらん」
男が剣を構える。
空気が変わる。
日御子にも分かった。
今まで本気ではなかったのだ。
「終わりだ」
男が踏み込む。
速い。
見えない。
間に合わない。
(やられる!)
覚悟した。
その瞬間。
聞き覚えのある声が響いた。
「それは困ります」
男の動きが止まる。
日御子も目を見開いた。
◇
男がゆっくり振り返る。
日御子も視線を向けた。
街灯の向こう。
一人の青年が立っている。
大量の書類を抱えたまま。
乱れた髪。
少し眠そうな顔。
ついさっき別れたばかりの男。
ポリアンナだった。
「間に合いましたか」
困ったように笑う。
その隣には咲夜姫の姿もある。
そして。
少し離れた場所で。
黒猫が当然のような顔で座っていた。
◇
眼帯の男は。
表情が凍り付いていた。
初めてだった。
余裕が消えたのは。
「……なぜだ」
低い声が漏れる。
「なぜお前がここにいる」
そこにあったのは驚愕だった。
警戒だった。
そして困惑だった。
日御子は目を瞬く。
そこまで驚く理由が分からない。
だが。
ポリアンナは少し考えた。
そして。
「ああ」
納得したように頷く。
「なるほど」
「あなた帝国の方ですか」
◇
夜風が吹く。
張り詰めた空気が軋むように。
誰も動こうとはしない。
戦いは。
新しい局面へ進もうとしていた。
【第六話 革命の設計者】へ続く




