怪物
昼下がりのNKJ本部。
中庭では、ソリムドが一人で木剣を振っていた。
「百九十九……!」
振り下ろし、息を整える。
「二百!」
最後の一振りを終え、ソリムドは満足そうに息を吐いた。
「熱心だな」
不意に、知らない声がした。
「え?」
振り返ると、中庭の入口に一人の男が立っていた。
大柄な男だった。両腰にそれぞれ剣を提げているが、敵意も殺気も感じられない。まるで散歩の途中にでも立ち寄ったような顔で、こちらを眺めている。
「誰?」
「ヴァルダー・レオニス」
その名を聞いた瞬間、ソリムドの表情が固まった。
以前、パルパティーンから聞いている。帝国最強と呼ばれる男。
ソリムドは即座に地面を蹴り、大きく後方へ跳んだ。
「みんな! 敵襲!!」
叫びが本部中へ響き渡った。
ヴァルダーは追わず、ただソリムドを眺めている。やがて館の中が騒がしくなり、いくつもの足音が近付いてきた。
「そうだ。全員呼べ」
ヴァルダーの口元が僅かに吊り上がる。
「ソリムドさんから離れてください!」
ポリアンナの声とともに、仲間たちが中庭へ飛び出してきた。
全員の視線が、一斉にヴァルダーへ集まる。
「ヴァルダー……」
傷の残る身体を庇いながら、パルパティーンが低く呟いた。
その言葉で場の空気が変わる。
「こいつが?」
アイザックがヴァルダーを睨む。
「統天帝国エテルナ特務局長、ヴァルダー・レオニスだ」
ヴァルダーはパルパティーンへ目を向けた。
「久しぶりだな」
「まさかお前がリリアナを殺すとはな。目を離すなって言っただろ」
パルパティーンの表情が僅かに陰る。
「俺はずっとあいつを見ていた」
一度だけ目を伏せる。
「だから、最後にあいつとの約束を守れた」
ヴァルダーはしばらくパルパティーンを見つめていたが、やがて短く答えた。
「……そうか」
それ以上は何も言わなかった。
ポリアンナが一歩前へ出る。
「どうやってここを?」
ヴァルダーは周囲を見回した。
「何か掛かってたのか? 少し変な感じはしたけどな」
ポリアンナの目が細くなる。
この館には認識阻害が掛けられている。敵対的な勢力が、簡単に辿り着ける場所ではない。それでも、この男を遠ざけるには足りなかった。
「それで」
ヴァルダーが笑う。
「ここがNKJで合ってるんだろ?」
◇
『全員、聞いてください』
頭の中へ、ポリアンナの声が響く。
『相手はヴァルダー・レオニス。異能は《神殺し》です』
『彼の視界に捉えられている間は、異能を使えなくなります。さらに触れられれば、異能そのものを封じられる』
『可能な限り死角から攻撃してください。そして――絶対に触れられないでください』
ヴァルダーが退屈そうに首を鳴らす。
「相談は終わったか?」
ポリアンナが目を見開くと、ヴァルダーはその表情を見て笑った。
「顔見りゃ分かる」
『のぶおさん』
指示より早く、蒼銀の障壁がソリムドを包み込んだ。
《絶界守護》。
「僕?」
『前回の反省です』
リリアナとの戦いでは、真っ先に狙われた。同じ失敗はしない。
『ソリムドさん、お願いします』
「うん!」
ソリムドが《可能性解放》を発動すると、仲間たちの身体へ力が満ち、異能の出力が一斉に引き上げられた。
アイザックの両拳へ炎が燃え上がる。
「おっしゃあ!」
それでも、ヴァルダーは剣すら抜かなかった。
『鬼龍神さん、正面からお願いします。アイザックさんは左、パルパティーンさんは右へ』
「働きたくねぇとか言ってらんねぇな」
《迅雷》を発動した鬼龍神の姿が掻き消え、次の瞬間にはヴァルダーの正面で大剣を振り下ろしていた。
そこで初めて、ヴァルダーが剣を抜く。
甲高い衝突音が響いた。
真正面からの斬撃に、剣を斜めに当てて滑らせる。大剣が外へ流れ、鬼龍神の上体が僅かに前へ崩れたところへ、ヴァルダーの剣先が脇腹を狙って走った。
「させるか!」
ビビアンが片手を突き出す。
《念動力》によって剣先が横へ引かれ、刃は鬼龍神の肩を浅く掠めるだけに終わった。
ヴァルダーの視線がビビアンへ動く。その瞬間を狙い、死角からアイザックの炎弾が飛んだ。
ヴァルダーは上体を沈めて躱したが、避けた先にはパルパティーンが待っている。袈裟斬りを剣の腹で受け、続く横薙ぎを半歩引いて外すと、その足元が突然沈んだ。
「逃がさないよ」
もりやんの《戦地構築》。
崩れた地面が後退を封じる。
正面には鬼龍神。左にはアイザック、右にはパルパティーン。さらにビビアンの《念動力》で四方の瓦礫が浮かび上がった。
無秩序に攻撃しているのではない。
ヴァルダーの逃げ道を、一つずつ潰している。
ヴァルダーは沈む地面を強く蹴り、身体を浮かせた。そのまま迫る瓦礫の一つへ片足を掛ける。
「えっ――」
ビビアンが操る岩塊を足場にし、さらに強く蹴って包囲の上を抜けた。
着地したのはビビアンの目前だった。
ヴァルダーは転がっていた瓦礫を蹴り返す。
「このっ!」
ビビアンが咄嗟に《念動力》で止める。その一瞬でヴァルダーは踏み込んだが、それを読んでいたパルパティーンが間に割って入った。
剣と剣がぶつかる。
そこへ鬼龍神の大剣が横から迫った。
ヴァルダーは剣先を重ね、軌道を僅かに逸らす。流された大剣に引かれて鬼龍神の身体がパルパティーンの方へ傾き、その先ではアイザックが炎を纏った拳を振り抜こうとしていた。
「鬼龍神!」
寸前で拳を止める。
その僅かな隙を使い、ヴァルダーは包囲の外へ抜けた。
「……あたしの力まで利用した」
ビビアンが顔をしかめる。
「いい連携だ」
ヴァルダーは楽しそうに一人一人を観察していた。
鬼龍神の速度、アイザックの火力、ビビアンの補助、もりやんの地形操作、死角から狙うパルパティーン。
そして時折、後方で蒼銀の障壁に守られたソリムドへも視線が向いていた。
「なんなんだよ、こいつ……!」
アイザックの額を汗が伝った。
まだ、ヴァルダーは《神殺し》を使ってすらいなかった。
◇
日御子は《天照の鏡》で、その姿を追い続けていた。
(おかしいですの……)
何かないのか。この男を攻略するための隙が。
だが、見れば見るほど理解させられる。身体能力も、反応速度も、剣技も、その全てが異常なまでに高い。
異能が強いのではない。
純粋に、この男自身が強い。
しかし、日御子には別のものも見えていた。
(……この人は楽しんでいる)
攻撃を凌ぎながら、こちらの動きも、異能も、連携も一つずつ確かめている。
「私たちを……試していますの?」
ヴァルダーがアイザックの拳を躱し、その意識が次の瞬間には鬼龍神へ向いた。
視線。身体の向き。重心。そして《天照の鏡》に映る思考。
日御子の目が見開かれる。
攻撃そのものを予知できるわけではない。それでも、誰を狙い、何をしようとしているのかが分かれば、次の一手を読むことができる。
「ノワ!」
「にゃあ!」
黒猫が駆け寄り、日御子の肩へ飛び乗った。
「力を貸してほしいですの」
「にゃ!」
《ツナグチカラ》が発動する。
日御子はそのままポリアンナの隣へ走り、肩へ手を置いた。
「ポリアンナさん、少し失礼しますの」
「――っ」
ポリアンナの目が見開かれる。
日御子が見ているヴァルダーの動き、思考、次の狙い。それらがノワを通じて流れ込んでくる。
「これは……!」
「次に何をしようとしているのか。ある程度なら分かりますの」
ポリアンナは一瞬で意図を理解した。
《理想国家》が発動し、日御子の捉えた情報が仲間たちへ共有される。
「おい、何だこれ!」
アイザックが目を見開いた。
◇
ヴァルダーが踏み込んだ瞬間、鬼龍神はすでに身を引いていた。剣が寸前まで胸のあった場所を斬り抜ける。
死角からパルパティーンの剣が伸び、ヴァルダーが受けた先へもりやんの矢が迫った。身を引いてかわした場所には、アイザックが炎を纏った拳を構えている。
「……へえ」
拳が鼻先を掠めた。
だが、まだ僅かに噛み合わない。
狙いが分かっていても、動き出す瞬間や剣の軌道まで見えているわけではない。
『焦らないでください。次です』
ポリアンナの声が響く。
鬼龍神が正面から大剣を振り下ろし、ヴァルダーがそれを受け流す。そこへビビアンの《念動力》が働き、剣先を僅かに外へ引いた。
右にはパルパティーン。後方は、もりやんが崩した地面。
ヴァルダーは左へ跳んだ。
そこには、すでに鬼龍神が回り込んでいる。
「もらったぁ!」
横薙ぎの大剣が迫る。
ヴァルダーは強引に上体を反らしたが、完全には避け切れなかった。
刃が頬を掠め、血が飛ぶ。
着地したヴァルダーが、初めて自ら一歩だけ距離を取った。
全員も追わず、すぐに構え直す。
ヴァルダーはゆっくりと頬へ触れ、赤く濡れた指先を見た。
「……はっ」
そして、笑う。
「ははっ! こいつら、最高だな」
嬉しい。もっと戦いたい。
その感情は、日御子にもはっきりと見えている。
ヴァルダーが剣を握り直した。
「ここまでできるとは思わなかった」
ポリアンナの表情が険しくなる。
『全員、警戒してください』
◇
ヴァルダーは辺りを見回した。
視線が向いたのは、後方で障壁に守られているソリムドだった。
あの少年は、戦闘が始まってからほとんど動いていない。だが、何かをやっている。全員の力が底上げされている理由だろう。
ヴァルダーの笑みが僅かに深くなった。
その両眼が怪しく輝く。
《神殺し》。
「まずは、お前だな」
「……あれ?」
ソリムドが自分の手を見る。
《可能性解放》が消えた。
同時に、全員の身体から強化が抜け落ちる。
『来ます!』
ポリアンナの声が響くより早く、ヴァルダーは地面を蹴っていた。
一直線にソリムドへ向かう。
「行かせるか!」
鬼龍神が正面へ飛び込み、大剣を振り下ろした。
ヴァルダーは刃が落ちる寸前に半歩だけ内側へ入り、大剣の軌道を外してその脇を抜ける。
そこへパルパティーンが回り込み、死角から刺突を放った。
ヴァルダーは走る勢いを殺さないまま剣の腹を添えて切っ先を逸らし、すれ違いざまに柄で手首を打つ。
パルパティーンの剣先が落ちる。
「このっ!」
ビビアンの《念動力》がヴァルダーの身体を後方へ引いた。
一瞬だけ足が止まる。
そこへアイザックの炎弾が正面から迫り、左右からはもりやんの矢が逃げ道を塞いだ。
ヴァルダーは身を沈めて炎弾を潜り、片方の矢を剣で弾くと、もう片方は身体を捻って躱した。そのまま力ずくで《念動力》を振り切り、再び前へ出る。
鬼龍神が回り込む。
今度は横薙ぎ。
大剣が唸りを上げて迫ると、ヴァルダーは振り抜かれる刃へ片足を乗せ、その勢いを踏み台にして高く跳び上がった。
「なっ――」
鬼龍神の頭上を飛び越え、背後へ着地する。
アイザックが待ち構えていた。
「おらぁ!」
炎を纏った拳が迫る。
ヴァルダーは届く寸前で上体を僅かに捻り、その脇を抜けた。
「うおっ!?」
勢いを殺しきれず、アイザックの身体が前へ流れる。
追撃を狙っていたもりやんの射線へ入り、矢を放つ機会が潰れた。
「止まれ!」
ビビアンが周囲の瓦礫を進路へ叩き付ける。
ヴァルダーは足を止めず、迫る石を剣で打ち砕きながら、一直線に駆け抜けた。
最後の妨害を突破した先に、ソリムドがいる。
その周囲には、蒼銀の障壁。
ヴァルダーは剣を振る代わりに、少し離れた場所にいるのぶおへ視線を向ける。
目が合った瞬間、のぶおの表情が強張った。
「やめ――」
言い終わる前に、ソリムドを覆っていた蒼銀の障壁が跡形もなく消えた。
「え――」
ヴァルダーが踏み込む。
一閃。
鮮血が飛んだ。
ソリムドの小さな身体が地面を転がり、血の跡を残して止まった。
「ソリムドさん!」
「ソリムドっち!」
日御子の叫びと同時に、アリスが駆け出す。
ヴァルダーは血の付いた剣を軽く振った。
その顔には、まだ楽しそうな笑みが浮かんでいた。
【第七十九話 弱点】へ続く




