動き出す世界
翌朝、ヒノモト王城の会議室では、大きな机いっぱいに周辺地域の地図が広げられていた。
日御子、ポリアンナ、福の三人は、昨夜生まれた構想を具体的な形へ落とし込んでいく。
「まずは、以前からヒノモトと親交のある国や都市へ呼びかけましょう」
福が地図上のいくつかの地域を指差した。いずれも帝国による占領以前から交易を続けてきた相手で、中には占領下の解放戦線へ密かに物資や情報を届けてくれた地域もある。
「彼らならば、話を聞いてくれる可能性があります」
「国家に限る必要もありませんね」
ポリアンナも地図を覗き込む。
「自治地域や独立した都市にも呼びかけましょう。兵力だけでなく、食料や薬、情報まで含めれば、協力できる勢力の幅も広がります」
日御子は力強く頷いた。
「お願いしますの」
その日のうちに、各地へ使者が送り出された。
◇
それから半月。
返事を待ち、届いた問いへ答え、何度も書簡を交わしながら条件を詰めていった。
帝国に目を付けられることを恐れ、返事そのものを避ける地域もあれば、協力には興味を示しても兵士を国外へ送ることまでは約束できないという国もある。
それでも、直接話を聞きたいという返事は少しずつ届き始めた。
◇
会合の日。
ヒノモト王城には、呼びかけに応じた各地の代表者たちが集まっていた。
小国の使節、都市の代表、自治地域をまとめる者。立場も服装も違うが、帝国の脅威を知っているという一点だけは共通している。
日御子は彼らの前に立った。
戦場とは違う。ここでは剣ではなく、言葉で相手を動かさなければならない。
「本日は、ヒノモトまで来ていただきありがとうございますの」
一礼し、これまで書簡で伝えてきた構想を改めて説明する。
ヒノモトが帝国から攻撃を受けた時には、可能な範囲で支援してもらう。その代わり、参加する国や都市が攻撃を受ければ、ヒノモトも支援する。
兵だけではない。食料、薬、情報。それぞれが持つものを出し合い、互いを支える。
説明を終えても、すぐに賛成する者はいなかった。
「……考えは分かる。だが、相手は帝国だ」
一人の代表が腕を組んだ。
「ヒノモトが帝国軍を追い出した。それ自体は見事だと思う。しかし、一度は帝国に敗れている」
別の男も続ける。
「この協定に加われば、我々まで帝国から敵と見なされるのではないか?」
「我が国には、他国へ送れるほど兵の余裕もない。自国の民を守るだけで精一杯だ」
慎重な意見が次々と上がり、室内の空気が重くなる。
誰も間違ったことは言っていない。それぞれに守るべき国があり、街があり、そこで暮らす人々がいる。
日御子は代表者たちの顔を見渡した。
怖いのは、自分たちだけではない。帝国に抗えば、家族や民まで危険に晒すかもしれない。だからこそ、ここで軽々しく「信じてほしい」と言うこともできなかった。
無理に賛同を求めれば、それは助け合いではない。
日御子は反論せず、ただ一人ずつの言葉を受け止めた。
その時だった。
「日御子さん」
小さな声に振り返ると、ソリムドが代表者たちの一人を見ていた。
かつて傭兵団に苦しめられていた、ソリムドの故郷。その街の市長だった。
「市長」
呼ばれた男もソリムドを見ると、懐かしそうに笑った。
「久しぶりだな、ソリムド」
「うん」
市長は、しばらくその姿を眺めていた。
街を出た時は、まだ子供だった。自警団をまとめ、誰にも頼らず全てを背負おうとしていた少年。
それが今は、こうして王城に立っている。
「随分と、いい顔をするようになったな」
ソリムドは少しだけ照れたように視線を逸らした。
「そう?」
「ああ。あの頃のお前は、いつも何かを抱え込んでいるような顔をしていた」
市長は目を細める。
「どうだ? 少しは外の世界を見られたか?」
ソリムドは少し考えてから、首を横へ振った。
「まだ全然足りないや」
その答えに、市長は声を上げて笑った。
「そうか。なら、もっと見てこい」
「うん」
短いやり取りだったが、二人の間に積み重なった時間が伝わるには十分だった。
市長は前を向き直ると、静かに席を立った。
「我々は参加します」
その一言で、会議室の空気が変わった。
「……本気ですか? 帝国に敵対すると見なされる可能性もあるのですよ」
「承知しています」
市長は迷わず答え、NKJの面々へ視線を向けた。
「私は、この方々を知っています。我々の街が傭兵団に苦しめられていた時、この方々は命を懸けて街を守ってくれました」
あの日、自警団は敗れ、近隣から助けに来た傭兵たちも倒された。あのまま誰の助けも得られなければ、街がどうなっていたかは分からない。
「一つの街だけでは守れないものがある。それを、我々は嫌というほど知っています」
市長は日御子を見る。
「だからこそ、今度は我々も誰かと共に守る側へ回りたい」
日御子の胸の奥が熱くなる。
それは、自分がNKJで学んだことと同じだった。一人ではできないことを、誰かと補い合う。
市長は机の上に置かれた参加表明書へ歩み寄り、迷うことなく自らの名を書き込んだ。
最初の署名だった。
帝国と比べれば、あまりにも小さな一歩。それでも日御子には、その一つの名前がとても大きなものに見えた。
市長はペンを置くと、日御子へ手を差し出す。
「これからは、お互いに守り合いましょう」
日御子はその手を握り返した。
「はいですの。よろしくお願いします」
すぐに次の署名が続いたわけではない。
だが、代表者たちは互いに顔を見合わせ、小さな声で話し始めていた。
「……我々の国は兵を多く出せない。それでも構わないのか?」
「もちろんですの。できることで助け合えば良いんですの」
「食料なら、ある程度は提供できる」
「こちらは医薬品を出せる。兵を送るのは難しいが、それなら協力できる」
「うちの都市なら街道を開放しよう。帝国軍の動きを確認した時は、すぐに情報も送れる」
最初は「何ができないか」を考えていた者たちが、少しずつ「何ならできるか」を探し始めていた。
「我々も参加しよう」
また一人が席を立つ。
もちろん、全員ではない。最後まで迷う者もいれば、一度持ち帰って検討したいと答える者もいる。
日御子は引き止めなかった。
「構いませんの。一緒に守りたいと思ってくださった時に、また来てもらえたら嬉しいですの」
◇
その後も条件の調整は続き、数日後。
ヒノモトと参加を表明した国、都市、自治地域との間で、相互防衛協定は正式に成立した。
最初から大きな連合ができたわけではない。それでも、一つだった名前は複数へ増え、地図の上にはヒノモトを中心に新たな繋がりが生まれていた。
「……できましたの」
日御子は地図を見つめ、嬉しそうに笑う。
「国にも、仲間ができましたの」
福は地図上の印を一つずつ確かめるように目で追った。
「小さくとも、互いに連絡を取り合えるだけで意味はあります。帝国軍がどこへ向かっているのか、どこが襲われたのか。それを知るだけでも、これまでとは違う」
「それに、助ける方法は兵を送ることだけではありません」
ポリアンナが続ける。
「食料を送る。負傷者を受け入れる。街道を開く。情報を回す。それぞれの強みを持ち寄れば、軍事力だけでは測れない防衛網になります」
日御子は改めて地図を見る。
自分一人では足りなかったように、国もまた一つで全てを持つ必要はない。
「……本当に、NKJと同じですの」
ポリアンナが頷いた。
「最初はこれで十分です。ここから広げていきましょう」
日御子は地図の向こう側へ目を向けた。
これで全てが安心できるわけではない。それでも、ヒノモトを守るための協力体制は、ようやく形になり始めた。
あの研究施設で、今も拘束されたままの父。
待たせている。
それでも、迎えに行くための準備が始められる。
帝国に領土を奪われた国、侵略を警戒する国、今も抵抗を続ける組織。世界各地へ協力を呼びかける使者も、すでに送り出されていた。
「すぐに応じる国ばかりではないでしょうな」
福が言う。
「それでもいいですの。まずは、知ってもらうところから始めますの」
昨日まで一つだった小さな点が、別の点と繋がり、少しずつ線になっていく。
その線はまだ細い。それでも、今までにはなかったものだった。
日御子は地図の向こうに広がる世界を見つめた。
ここから、もっと遠くへ。
小さな繋がりが、世界へ伸び始めていた。
◇
統天帝国。
薄暗い執務室で、アルベルトは机を挟み、ヴァルダーと向かい合っていた。
「ヒノモトが奪還された。駐屯軍は敗北し、残存兵も領外へ撤退した」
アルベルトは報告書を机へ置く。
「リリアナも死亡している。殺したのは、パルパティーンだ」
ヴァルダーの表情が僅かに揺れた。
「……パルパティーンが?」
「そうだ」
パルパティーンがリリアナを想っていたことを、ヴァルダーは知っている。その男が、自ら彼女を殺した。
何があったのか。報告書だけでは全てを知ることはできない。
「……そうか」
それ以上、ヴァルダーは何も聞かなかった。
「だが、問題はそれだけではない」
アルベルトが別の資料を置く。
「こちらは三倍の兵力を揃えていた。それでも敗れた。しかも、現地を指揮していたのはリリアナだ」
報告書を指で叩く。
「現地の間者から詳細も届いている。懸念していた通り、《理想国家》と《王域》が組み合わさった」
日御子が戦場全体を捉え、ポリアンナがその情報を軍へ伝える。伏兵も奇襲も先回りされ、戦況が変われば軍全体がほとんど遅れなく動きを変える。
「これまでの戦術が、そのままでは通用しなくなった」
ヴァルダーが戦闘記録へ目を落とす。
「それだけで、そこまで焦るか?」
「俺が一番恐れていたのは、あいつらが一度勝つことじゃない」
アルベルトはヴァルダーを真っ直ぐに見る。
「勝ったことで、周りが奴らを信じ始めることだ」
机の上へ、さらに一枚の報告書を重ねた。
「これまでは、帝国に逆らう国があっても孤立させればよかった。援軍が来る前に潰し、周囲には見せしめにすれば済んだ」
だが、ヒノモトは帝国軍を追い返した。その勝利を見た国や都市が、互いに手を結び始めている。
「今度は周辺の国や都市を繋ぎ、その輪をさらに広げようとしている。このまま放置すれば、一国ずつ潰すやり方は通用しなくなる」
アルベルトの声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「今ならまだ間に合う。NKJを潰してくれ」
ヴァルダーはしばらく戦闘記録を眺めていた。
やがて、その口元が僅かに吊り上がる。
「なるほど。面白そうだな」
椅子から立ち上がった。
「そこまで言うなら、見に行ってやるよ」
ヴァルダーは楽しそうに笑う。
「あんたがそこまで恐れる連中が、どんな奴らなのか」
【第七十八話 怪物】へ続く




