相互防衛網
その日の夜。
街の中央広場には、大勢の人々が集まっていた。
豪華な宴ではない。長い占領と戦いで、そんな余裕はどこにも残っていなかった。
それでも住民たちは食べ物や酒を持ち寄り、誰かが机を並べ、誰かが楽器を奏で始める。気付けば、広場は大きな宴会場になっていた。
「ヒノモト奪還を祝して!」
「乾杯!」
いくつもの杯がぶつかり、笑い声が響く。どこからか歌声まで聞こえてきた。
その一角には、NKJの面々もいた。
今回の作戦中、アリスと咲夜姫は戦場後方に設けられた救護所に詰めていた。戦いが終わった今も、アリスは負傷者の治療に追われている。
日御子の隣には、ようやく一息ついた咲夜姫が座っていた。
「本当に来て大丈夫ですの?」
「たまにバグりますが、大丈夫です」
咲夜姫はにこやかに微笑む。
「先ほどまで三十分ほど休みました」
「全然大丈夫じゃありませんの!」
少し離れたところでは、アリスが声を張り上げていた。
「はい、次の人ー! 怪我してる人は勝手にお酒飲まないでくださーい!」
その声を聞いたアイザックが、手にしていた杯をそっと机へ戻す。
のぶおが横目で見た。
「今、隠そうとしましたね」
「してねぇよ」
そこへ、治療を終えたビビアンが戻ってきた。身体にはいくつもの包帯が巻かれている。
「ビビアン!」
日御子はすぐに駆け寄った。
「傷は大丈夫ですの?」
「平気だよ」
ビビアンは軽く笑って腕を持ち上げたが、直後に顔をしかめる。
「いたっ……」
日御子がじっと見つめた。
「全然平気ではありませんの」
「ちょっと痛むだけ。あたしは大丈夫だから」
ビビアンは困ったように笑い、心配そうな日御子の額を指先で軽く小突く。
「そんな顔しないの」
「……はいですの」
日御子は小さく頷いた。
周囲を見れば、誰もが傷だらけだった。それでも酒を酌み交わし、食事を取り、くだらないことで笑っている。
皆、生きてここにいる。
日御子はその光景を眺めながら、久しぶりに穏やかに笑った。
「姫様」
背後から聞き慣れた声が掛かる。
振り返ると、福が立っていた。表情は穏やかだったが、その目にはいつもの柔らかさとは違う真剣さがある。
「少し、お話があります」
日御子の笑みが僅かに消えた。
◇
二人は宴の喧騒から少し離れた場所まで歩いた。
遠くからは、まだ笑い声や楽器の音が聞こえている。
福はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「王のことです」
《天照の鏡》で見た光景が脳裏に蘇った。
帝国の研究施設。拘束され、身体中に管を繋がれながら実験を受け続けていた父。
それでも、生きていてくれた。
「本音を言えば、今すぐにでも王を助けに向かいたい」
福が拳を握る。
「ですが、まずはヒノモトの守りを固めなければなりません」
「……帝国の反撃ですの」
「はい。あれほどの国が、このまま諦めるとは思えません」
ようやく取り戻した故郷だった。
父を助けたい。その気持ちは、少しも揺らいでいない。
けれど、今ここで国を空にすれば、帝国は再び攻め込んでくる。たとえ父を助け出せたとしても、二人で帰る場所を失ってしまう。
それだけではない。長い戦いで兵も物資も消耗した今、後ろ盾も戦力も整えないまま帝国へ乗り込んだところで、父を奪還できる道理もなかった。
急ぐほど、遠回りになる。
日御子は唇を噛んだ。
「問題は、今のヒノモトだけで帝国の再侵攻を防げるかどうかですね」
その声に振り返ると、少し離れた場所にポリアンナが立っていた。
福の表情が険しくなる。
「……難しいでしょうな」
日御子も否定できなかった。
兵士も、武器も、物資も足りない。国を立て直しながら、その上で帝国の大軍を迎え撃つ。
ヒノモトだけで全てを賄うのは、あまりにも厳しい。
日御子は、ふと広場へ目を向けた。
傷だらけの仲間たちが、酒を酌み交わしながら笑っている。
のぶおがアイザックの杯を取り上げ、鬼龍神が我関せずと肉を頬張り、ソリムドが呆れ顔でそれを見ている。
誰一人、完璧ではない。
日御子自身もそうだった。
NKJに入ってから、一人では戦うことも、守ることも、傷を治すこともできないと何度も思い知らされた。それでも、誰かが足りないものを補ってくれたから、ここまで来ることができた。
その光景を見つめたまま、日御子は小さく呟いた。
「……ヒノモトだけで守らなければ良いですの」
福とポリアンナの視線が集まる。
「……と、申しますと?」
「NKJに入って分かりましたの。一人でできないことなら、皆でやれば良いって」
日御子は二人へ向き直った。
「だったら、国も同じようにできないかと思っていますの」
福が僅かに眉を動かす。
「国同士で、助け合う……?」
「そうですの」
日御子は頷いた。
「ヒノモトが攻められたら、周りの国や街に助けてもらう。その代わり、その国や街が攻められた時はヒノモトが助けますの」
ポリアンナの表情が変わった。
「相互防衛網ですか」
「兵士だけじゃありませんの。食料でも、薬でも、情報でも、それぞれが出せるものを出し合えばいいと思いますの」
一国では帝国に敵わない。
けれど、一つの国だけで戦う必要までない。
日御子は少しだけ笑った。
「国でも、仲間を作りますの」
福はしばらく黙っていたが、やがて懐から地図を取り出し、近くの卓上へ広げた。
「一国では帝国に及ばずとも、複数の国や地域が繋がれば話は変わる」
ポリアンナも地図を覗き込む。
「一つを攻撃すれば、他の参加勢力まで動く。帝国にとっても、侵攻の代償は大きくなりますね」
「やる価値はあると思います」
日御子の表情が明るくなる。
「では――」
「ただし、最大の問題がありますな」
福が地図を見つめたまま言った。
「参加してくれる国や地域があるかどうかです」
帝国は強大だ。
その帝国から敵と見なされる危険を冒してまで、ヒノモトと手を結んでくれる勢力がどれだけあるのか。
それだけは、こちらの都合では決められない。
日御子はしばらく地図を見つめていた。
それでも、やがて顔を上げる。
「呼びかけてみますの」
地図上のヒノモトへ指を置いた。
「最初から大勢じゃなくてもいいですの。一つずつ、話をしてみます」
ポリアンナが小さく頷く。
「では、以前からヒノモトと交流のある国や都市を洗い出しましょう。解放戦線へ支援していた地域も候補になります」
「使者の選定は、こちらで進めます」
福も地図へ視線を落としたまま続けた。
日御子は二人を見て、力強く頷く。
「お願いしますの」
遠くでは、取り戻した故郷を祝う笑い声が響いている。
日御子は地図の上に広がる国々を見つめた。
まずは、この国を一人にしない。
そのための一歩が、今始まろうとしていた。
【第七十七話 動き出す世界】へ続く




