ただいま
パルパティーンは何も言わず、腕の中の彼女をただ静かに抱き締めていた。
風が吹き、リリアナの長い髪が僅かに揺れる。
「…………」
やがてパルパティーンは、まるで眠っている人間を起こさないように、そっとその身体を地面へ横たえた。
頬に掛かった髪を指で払う。
「……じゃあな」
小さく呟き、立ち上がろうとした。
「っ……」
その身体が大きく傾いた。戦いの最中は気力だけで立っていたのだろう。腹部からは今も大量の血が流れ続け、膝から力が抜ける。
「パルパティーンさん!」
日御子が慌てて駆け寄り、倒れかけた身体を支えた。
「しっかりしてください!」
「……うるせぇな」
掠れた声だったが、返ってきたのはいつもの憎まれ口だった。
「これくらいで騒ぐな」
「ものすごく血が出ていますの!」
「見りゃ分かる」
「でしたら、もっと危機感を持ってください!」
「いま救護班を呼んでいます。すぐに来ますよ」
ポリアンナの声に、日御子は僅かに表情を緩めた。
パルパティーンは小さく笑い、そのまま地面へ腰を下ろした。日御子も隣に膝をつく。
「すぐに手当てを――」
「日御子」
その一言で、日御子の動きが止まった。
パルパティーンはリリアナを見つめていた。悲しみを滲ませながらも、どこか安堵したような表情で一度だけ息を吐く。
「俺は終わらせたぞ」
日御子は何も言えなかった。
パルパティーンがゆっくりと顔を上げ、今度は日御子を見る。
「だから、お前も終わらせてこい」
「……え」
「まだ残ってんだろ」
父上。帝国。そして、自分が起こした革命から始まった全て。
まだ何一つ、本当の意味では終わっていない。
今度こそ、自分の意思で終わらせる。
「俺みたいに、後になってからじゃ遅ぇぞ」
苦しそうに笑うパルパティーンへ、日御子は唇を噛み、やがてゆっくりと頷いた。
「……はい」
涙を拭い、今度は強く頷く。
「必ず、終わらせてきますの」
その返事を聞き、パルパティーンは満足そうに目を細めた。
「……そうか」
ふっと、身体から力が抜ける。
「パルパティーンさん!?」
「ちょっと寝るだけだ……」
「いや、その言い方は怖いですの!」
「騒ぐな……」
そのまま目を閉じる。
「死ぬなですの!」
慌てて顔を覗き込むと、呼吸はある。
「……本当に、心臓に悪い人ですの」
駆けつけた衛生兵たちが傷口を押さえ、手際よく応急処置を始めた。倒れていた仲間たちも、次々と救護所へ運ばれていく。やがてアリスも到着し、その手から広がった淡い光が裂かれた腹部を少しずつ塞いでいく。
「ひとまず大丈夫。あとは本人の体力次第だね」
その言葉に、日御子はようやく息を吐いた。立ち上がり、今も遠くで響く剣戟の音へ顔を向ける。
仲間たちの元へ駆けつけたい。だが、自分が今ここを離れるわけにはいかなかった。
戦いはまだ、終わっていないのだ。
◇
指揮官を失った王都駐留軍は統率を失いつつあったが、各所では解放戦線との戦闘が続いている。
「日御子さん。《王域》をお願いします」
ポリアンナの声に、日御子は頷いた。
「はいですの」
目を閉じ、《王域》を展開する。王都全体の情報が一気に意識へ流れ込み、敵味方の位置と動きが鮮明に浮かび上がった。
「東側の帝国兵が崩れ始めていますの。北側はまだ交戦中。西の街道から撤退を始めた部隊があります」
ポリアンナは即座に状況を組み立て、地図へ視線を落とす。
「東側はそのまま前進。北側へ増援を。西側の退路は塞がないでください」
福が僅かに眉を動かした。
「撤退させますか」
「退路を完全に塞げば、敵は死兵になります。勝敗が決している以上、こちらの犠牲を増やす必要はありません」
「承知しました」
福は痛む身体を押して立ち上がる。
「聞け!」
その声が戦場へ響き、傷だらけの兵士たちが振り返った。
「敵指揮官は倒れた! 王都の帝国軍は既に統率を失っている!」
ざわめきが広がる。
帝国に国を奪われ、仲間や家族を失い、それでも今日まで戦い続けてきた者たちを、福はゆっくりと見渡した。
「長かった。本当に長かった。だが――今日、この王都を取り戻す!」
兵士たちの表情が変わる。
「我々の故郷を、帝国から取り戻すぞ!」
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
地面を震わせるほどの雄叫びが上がった。
「全軍、進め!」
解放戦線が一斉に動き出す。
帝国軍は各地で押し崩され、やがて報告が次々と届き始めた。
「西門、制圧!」
「北部の帝国軍、撤退を開始!」
「中央広場を奪還しました!」
その度に歓声が上がる。
帝国に奪われていた王都が、一つずつ戻ってくる。
日御子は、その声を黙って聞いていた。
かつて父へ刃を向け、革命を成功させ、この国を救ったのだと信じた。だが、その先にあったのは帝国の支配だった。
そして今、自分たちの手でもう一度取り戻そうとしている。
やがて、一人の兵士が泥だらけの姿で駆け込んできた。その顔には、疲労よりも先に隠し切れない笑みが浮かんでいる。
「福司令! 報告します!」
兵士は大きく息を吸った。
「王都内の帝国軍、撤退! 王城、西門、中央広場をはじめ、主要拠点の制圧を確認! 残存兵も次々と投降しています!」
周囲が静まり返る。
そして、兵士は声を震わせながら告げた。
「王都は――我々の手に戻りました!」
誰も、すぐには声を上げられなかった。
あまりにも長く、待ち続けた言葉だったから。
福がゆっくりと目を閉じる。
国を奪われたあの日から、どれだけの仲間が死に、どれだけの者が帰還を夢見てきたのか。その全てを噛み締めるように、やがて目を開いた。
「ヒノモト王都!」
剣を高く掲げる。
「奪還したぞ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
歓声が爆発した。
剣が掲げられ、その場へ座り込んで顔を覆う者もいる。
「帰ってきたんだ……!」
「俺たちの街だ!」
王都を取り戻したからといって、戦いが終わったわけではない。ヒノモト各地には、今なお帝国軍の拠点が残されている。
解放戦線はここで一度戦力を立て直し、傷付いた兵を休ませたのち、残る土地を一つずつ取り戻していくことになる。
それでも、この日。
奪われていた王都は、確かにヒノモトの民の手へ帰ってきた。
歓声は、やがて街の中へも広がっていった。
恐る恐る建物から姿を現した住民たちが、一人、また一人と通りへ出てくる。
「……勝ったの?」
解放戦線の旗を見つめながら、誰かが震える声で呟いた。
兵士が笑う。
「勝ったぞ! 帝国軍は撤退した!」
そして、街中へ届けるように声の限り叫ぶ。
「ヒノモトは、もう自由だ!!」
住民たちからも歓声が上がった。
泣きながら兵士へ抱きつく者。家族と抱き合う者。互いの手を取り、何度も喜びを確かめる者。
日御子は、その光景を少し離れた場所から見つめていた。
自分が一度壊してしまった国で、人々がもう一度笑っている。
嬉しい。
そのはずなのに、どうしても自分からその輪の中へ入っていくことができなかった。
ここは故郷だ。生まれ育った国だ。
それでも、ずっと心のどこかで思っていた。
自分には、もう帰る資格などないのだと。
父へ刃を向け、革命を起こし、国を帝国へ渡すきっかけを作った。たとえ認識を歪められていたとしても、最後に選んだのは自分だった。
視界が滲み、日御子は慌てて目元を拭った。
「……泣いてませんの」
隣にいたポリアンナが首を傾げる。
「何も言っていませんよ」
「…………」
日御子が少しだけ頬を膨らませると、ポリアンナは小さく笑った。
その時だった。
「姫様」
聞き慣れた声に、日御子が振り返る。
福が立っていた。
「福師匠?」
戦いで傷付き、軍服も汚れている。それでも、日御子を見る眼差しだけは昔と何も変わっていなかった。
福はその前まで歩いてくると、深く頭を下げた。
「…………」
日御子は言葉を失った。
姫様。
いつか、その呼び方を責める声として聞く日が来てもおかしくないと思っていた。
王を裏切った姫。国を壊した姫。
そう呼ばれたとしても、受け入れるつもりだった。
けれど、福の声には責める響きなど何一つない。
長い旅から戻ってきた者を迎えるように、ただ静かに告げた。
「おかえりなさいませ」
「…………」
その言葉を、自分がもう一度この国で聞けるとは思っていなかった。
帰ってきてもいいのだと。
胸の奥で、固く閉じていた何かが崩れた。
「……福、師匠」
声が震える。
笑おうとしても、うまくできない。堪えていた涙が一筋だけ頬を伝ったが、今度は拭わなかった。
目の前には福がいる。
周囲には、故郷を取り戻した人々がいる。
そして、自分の足は今、この国の土を踏んでいる。
もう自分には言う資格がないと思っていた言葉。
日御子は涙を流しながら、それでも今度こそ笑った。
「……ただいまですの」
【第七十六話 相互防衛網】へ続く




