約束
その場に立っているのは、パルパティーンと日御子、ポリアンナ。そして、リリアナだけだった。
パルパティーンは無言で剣を構える。
目の前にいるのは、かつて守ると誓った少女。だが今は、誰よりも冷徹で、誰よりも強大な敵になっていた。
リリアナの剣先が、パルパティーンから日御子へ向けられる。
「日御子さん。まずはあなたを確保します」
リリアナが歩き始めた。
その足取りに迷いはない。
日御子は息を呑む。
《天照の鏡》で見た、父が繋がれていた研究施設。
身体中に管を繋がれ、実験を受け続ける父の姿が、頭から離れない。
この女を止めなければならない。
何か方法はないのか。
日御子が再び《天照の鏡》を発動した、その時だった。
ガシャッ。
剣を握り直す音が響いた。
パルパティーンが日御子を背に庇うように、再びリリアナの前へ立ちはだかる。
「パルパティーンさん……」
呼び掛けにも答えず、静かに目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、幼い日の約束だった。
『私が間違った時は』
『どこにいても』
『パルが止めに来てね』
大きく息を吸い込み、肺の奥に残っていたものまで吐き出すように、ゆっくりと息を吐いた。
ゆっくりと目を開く。
もう、迷いはない。
人を実験材料にすることも、命を数字で数えることも、天帝のためなら誰を犠牲にしても構わないと言えることも。
昔のリリアナなら、きっと誰より先に否定した。
(本当のお前なら、今のお前を絶対に許さねぇ)
誰よりも彼女を知っている自分が、今のリリアナを止める。
それこそが、あの日の少女を守ることになる。
リリアナは足を止めた。
穏やかな表情のまま、小さく首を傾げる。
「どきなさい」
「いいや」
パルパティーンは首を横へ振った。
「どかねぇ」
その返答を聞き、リリアナは困ったように微笑む。
「しょうがないですね」
「では」
一歩。
「あなたも排除します」
白い閃光が走った。
「――っ!」
速い。
反応する間もない。
剣は一直線にパルパティーンへ伸び――
ズブリ。
鈍い音が響いた。
刃が腹部を深く貫いている。
「パルパティーンさん!」
日御子が叫ぶ。
鮮血が刃を伝い、地面へ落ちた。
普通なら、その場で崩れ落ちてもおかしくない一撃。
だが、パルパティーンは倒れなかった。
一歩。
腹を貫かれたまま、前へ進む。
リリアナの瞳が僅かに揺れた。
「……何故」
さらに一歩。
激痛と失血で、身体は今にも力を失いそうだった。
それでも止まらない。
パルパティーンは右手を伸ばし、リリアナの肩へ触れた。
血に濡れた口元で笑う。
「届いたぞ」
淡い光が二人を包んだ。
《模倣者》。
触れた相手の異能を写し取る。
パルパティーンの中の《迅雷》が、新たな力に書き換わる。
《偶像崇拝》。
「……まさか」
リリアナが明確に狼狽えた。
即座に剣を引き抜き、後方へ飛び退く。
パルパティーンは腹部を押さえながら、小さく笑った。
「これで対等だ」
だが、リリアナはすぐにいつもの表情へ戻った。
「いいえ」
静かに剣を構える。
「私の異能をコピーしたところで、あなたに意味はありません」
パルパティーンの笑みが僅かに消える。
「《偶像崇拝》は、想う心そのものを力へ変える異能です」
リリアナは真っ直ぐ彼を見る。
「私が天帝陛下を想う気持ちに、勝てるはずがありません」
僅かに間を置き、穏やかに続けた。
「あなたには、そこまで強く想える相手がいませんから」
静寂。
腹部から滴る血が、地面を濡らしていく。
パルパティーンは俯いたが、やがて口元に微かな笑みを浮かべた。
「……いや、そいつは違うな」
顔を上げる。その隻眼に映るのは、リリアナただ一人だった。
泣き虫で、負けず嫌いで、誰よりも優しかった。誰かが傷付けば自分のことのように泣き、研究に夢中になれば飯を食うことも眠ることも忘れる。一度こうと決めたら、何を言っても止まらない。
幼い頃から、ずっと見てきた。
そんな彼女の隣に立ちたくて、帝国へ入った。その想いだけは、一度も変わっていない。
《偶像崇拝》が応えた。
リリアナへ降り注ぐ光とは別に、もう一つの奔流が生まれる。
その光は、リリアナからパルパティーンへ真っ直ぐ流れ込み、瞬く間に全身を満たしていった。
「……っ」
日御子が目を見開く。
リリアナの表情が、僅かに強張った。
天帝へ絶対的な忠誠を捧げる自分こそ、誰より強く《偶像崇拝》を使える。
そう信じていた。
だが、目の前の男を見ていると、どうしてもその確信が揺らぐ。先ほどまでとは明らかに違う。立ち方も、剣を握る手も、こちらを見る眼差しさえも。
何かが、明らかに変わっていた。
「何故ですか……」
初めて、リリアナの声が震えた。
風が吹き、二人の髪を揺らしていく。
「言っただろ。お前を守るために帝国へ入った」
苦く笑い、真っ直ぐにリリアナを見る。
「俺は――ずっと、お前だけを見てた」
リリアナは何も答えず、剣を握る指に力を込めた。
次の瞬間、二人の姿が同時に消える。
甲高い金属音が響き、剣と剣が真正面からぶつかった。
「……っ!」
リリアナの表情が変わる。
先ほどまで容易く受け流していた剣を、今は受け流せない。
パルパティーンが力任せに剣を振り抜くと、リリアナの身体が数歩後退した。
「まさか……」
驚きは一瞬だった。
リリアナの瞳に強い光が宿る。
「その程度で――」
天帝を想う。
その存在だけを見つめて生きてきた年月が、《偶像崇拝》へ流れ込む。
「私の想いに、勝てると思わないでください!」
白い影が一気に加速し、鋭い連撃を浴びせる。パルパティーンは受け続けるが、その衝撃に腹部の傷が開き、鮮血が飛んだ。
「ぐっ……!」
それでも、パルパティーンは倒れなかった。
脳裏にあるのは、ただ一人。
泣いていた少女。笑っていた少女。隣に立つと決めた少女。間違った時には止めてくれと、自分へ託した少女。
守ることは、ただ隣にいて支え続けることだけじゃない。
間違っていると分かっていながら、黙って見ていることじゃない。
たとえ敵になっても。
嫌われても。
その人が本当に間違った時に、止めること。
パルパティーンの身体から溢れる光が、さらに激しく揺らめいた。
リリアナが力を込めた一撃を放つ。
今度は、パルパティーンが真正面から受け止める。
「――っ!?」
そのまま剣を弾き上げ、踏み込んで横薙ぎに振るう。リリアナは辛うじて受けたものの、その身体は大きく後方へ滑った。
「何故……」
パルパティーンは答えない。ただ真っ直ぐ、彼女を見ていた。
剣を交えるたび、パルパティーンの力が自分を上回っていることを思い知らされる。
リリアナはしばらくパルパティーンを見つめたあと、静かに目を閉じた。
「分かりました」
再び目を開き、ゆっくりと剣を構える。
「もう、決着をつけましょう」
パルパティーンも剣を構えた。腹部から流れる血は止まらず、これ以上長く戦えないことは本人が一番よく分かっていた。
戦場から音が消えたようだった。誰も動かず、声も上げない。
日御子は息を呑んだ。
二人の表情を見れば分かる。
次の一歩で、全てを終わらせるつもりなのだ。
「パル」
リリアナが静かに呼ぶ。
「あなたは、昔から優しすぎました」
「……そうかもな」
「だから負けるのです」
パルパティーンは小さく笑った。
「優しいままなら、ここまで来られなかったさ」
互いの視線が交わる。
「お前から、強さを学んだからな」
剣を握る手に、力を込める。
「だから、負ける気がしねぇ」
風が止んだ。
同時に地面を蹴る。
大地が爆ぜた。
二人の姿が消える。
次の瞬間。
キィィン――――ッ!!
鋼と鋼がぶつかる甲高い音が、戦場へ響き渡った。
交差。
ほんの一瞬。
二人は互いに背中を向けたまま静止する。
誰も動かない。
風だけが、再び静かに吹き抜けた。
カラン。
乾いた音が響く。
地面へ落ちたのは、リリアナの剣だった。
「……あ」
遅れて、胸元へ細い血の線が浮かぶ。
リリアナの膝から力が抜けた。
「リリアナ」
パルパティーンが振り返り、剣を捨てる。
崩れ落ちる身体を、両腕で抱き止めた。
リリアナは呆然と彼を見上げていた。
「どうして……」
掠れた声だった。
パルパティーンは苦笑する。
「不器用ですまなかったな」
一度だけ、苦しそうに息を整える。
ずっと言えなかった。
言わなくても分かると思っていた。
隣にいれば、それでいいと思っていた。
「お前を――」
パルパティーンは笑った。
「愛してた」
リリアナの瞳が大きく揺れた。
長い沈黙。
やがて、その口元に小さな笑みが浮かぶ。
幼い頃、パルパティーンと並んで夢を語っていた、あの頃の少女の笑い方だった。
「……馬鹿ですね、パルは」
か細い声だった。
パルパティーンは困ったように笑う。
「悪い」
リリアナは彼の顔を見つめた。
その瞳から、先ほどまでの狂信的な光は消えていた。
「私……」
僅かに息を吸う。
「間違っちゃったんですね、私は」
パルパティーンは何も答えなかった。
ただ、腕の中のリリアナを少しだけ強く抱き締める。
リリアナはそれで十分だと言うように、静かに目を細めた。
「約束……」
声が弱くなっていく。
「守ってくれて……ありがとう」
最後に、ほんの僅かだけ笑った。
その言葉を最後に、リリアナの身体から力が抜けた。
静寂。
パルパティーンは何も言わなかった。
ただ、腕の中のリリアナを優しく抱き締める。
風が吹き、長い髪が静かに揺れた。
日御子も、ポリアンナも、誰一人として声を掛けなかった。
やがて、パルパティーンは静かに空を見上げる。
「ちゃんと届いたか」
誰へ向けた言葉なのか。
返事はない。
それでも、その表情はどこか満たされていた。
あの日、一人の少女が少年へ託した約束。
長い時間を経て。
ようやく果たされた。
【第七十五話 ただいま】へ続く




