戦場を統べる者
『帝国精鋭部隊撃破。補給路制圧』
『NKJはこれより、帝国軍側面へ回り込みます』
ポリアンナの声が、味方部隊長の頭の中へ次々と響いた。
報告を聞いた福が小さく笑う。剣を握り直して正面の帝国軍を見据える。
「……待ちくたびれたぞ」
これまで福は、兵士たちに耐える戦いを強いてきた。帝国軍の視線を正面へ引き付け、補給路への応援は出させない。全ては、NKJが補給路を制圧するまでの時間稼ぎだった。
だが、それも終わる。
補給路は落ちた。
もはや遠慮する理由はない。
福はゆっくりと剣を掲げる。
「これでようやく……心置きなく戦える」
その一言で、周囲の兵士たちの表情が変わり、今まで耐えていた者たちの瞳にさらなる闘志が宿った。
掲げた剣の切っ先を帝国軍の中央へ向けた。
「敵中央、盾兵部隊が木柵前に密集していますの」
日御子の報告を受け、ポリアンナが福へ情報を送る。
福の口元が、僅かに吊り上がった。
「好都合だ」
剣を振る。
「中央部隊、止まれ! いつも通り、儂の合図まで前へ出るな!」
解放戦線の中央部隊が一斉に足を止める。
「そこだな」
《重力支配》。
次の瞬間、帝国軍中央へ見えない重圧がのしかかった。
「ぐっ――!?」
盾兵たちの身体が一斉に沈む。
鎧が肩へ食い込み、構えていた盾が重さに耐えきれず地面へ落ちた。
「身体が……重い……!」
一人が膝をつく。
それを皮切りに、帝国兵たちが次々と地面へ押し伏せられていった。
「立て!」
「陣形を維持しろ!」
怒号が飛ぶが、誰も立ち上がれない。
重圧は木柵にまで及び、軋んだ支柱が地響きとともに倒壊した。
「中央が……!」
「盾壁が崩れる!」
解放戦線の兵士たちから歓声が上がった。
「潰れちまえ、帝国軍!」
彼らにとっては、幾度も戦場で見てきた戦術だった。
日御子だけが、僅かに目を細める。
(懐かしいですの……)
幼い頃、王城の訓練場で一度だけ見せてもらったことがある。あの頃はただ驚くばかりだったが、今は違う。
解放戦線の進路を塞いでいた盾兵部隊は、完全に地面へ縫い止められていた。
「敵中央、行動不能ですの!」
その情報が、ポリアンナから福へ伝わる。
福は《重力支配》を解除した。重圧が消えても、一度体勢を崩した帝国兵たちはすぐには立ち上がれない。
福は剣を振り上げる。
「全軍!」
そして、一気に振り下ろした。
「反撃開始!!」
「おおおおおおおっ!!」
鬨の声が戦場へ轟き、それまで防戦に徹していた解放戦線が一斉に前へ出る。盾兵が盾を構えて進み、その後ろを槍兵が駆け抜け、弓兵も前進しながら一斉射撃を開始した。
突然勢いを変えた解放戦線に、帝国軍がうろたえる。
「押し返してきた!?」
「何が起きている!」
福の号令とともに中央が動き出したのを確認すると、ポリアンナもNKJへ指示を送る。
『今です、突入してください』
その直後、帝国軍右翼から悲鳴が上がった。
「右だ!」
「敵が右からも来たぞ!」
補給路を制圧したNKJの部隊が、中央の混乱へ重ねるように森を抜けて戦場へ姿を現した。鬼龍神とパルパティーンが先頭を駆け、その後ろには幹部および隊員合わせて約五十名が続いている。
そのまま帝国軍の側面へ突撃した。
「迎撃しろ!」
「部隊を回せ!」
帝国軍が慌ただしく兵を動かし始めるが、その動きも全て日御子の《王域》が捉えていた。
「敵中央より二百名が側面迎撃へ向かいますの」
ほぼ同時に、ポリアンナの命令が共有される。
『中央第三部隊、前進』
『右翼第一部隊、そのまま維持してください』
『左翼第二部隊、敵右翼NKJ突入地点を援護』
帝国軍が中央から兵を動かした瞬間、空いた地点へ解放戦線の中央部隊が雪崩れ込んだ。
「中央が突破される!」
「迎撃部隊を戻せ!」
しかし、迎撃部隊は既にNKJと交戦中だった。伝令では間に合わない。
福はその光景を見て、口元を吊り上げた。
「このまま押し切るぞ!」
日御子は《王域》を維持したまま、戦場全体を見渡していた。
帝国軍、三千。
解放戦線、千。
帝国軍では命令を伝えるために伝令が走るのに対し、解放戦線にはポリアンナの声が直接届く。その差が、戦場では致命的だった。
「敵中央、後退しますの」
『追撃は不要です』
『右翼、そのまま押し込んでください』
「敵左翼、前進ですの」
『中央第一部隊、右方を迎撃』
誰一人迷うことなく、千人の兵士たちはそれぞれ離れた場所にいながら、同じ戦況を共有する一つの軍として動いていた。
福は前線で剣を振るいながら、その光景を見つめる。理屈では分かっていたが、実際の戦場で目にすると、その効果は想像を遥かに上回っている。
「ここまでとはな……」
迫ってきた敵兵を斬り伏せ、福は小さく息を吐いた。
その脅威を最も強く感じ始めていたのは、対峙する帝国軍だった。
「左翼を包囲しろ!」
帝国軍隊長の怒号が響く。
三百名が左翼へ回り込む。これまで何度も敵陣を崩してきた戦法だった。
だが、包囲網が閉じるより早く、解放戦線は陣形を変えていた。
「包囲できません! 敵中央から増援です!」
「ならば伏兵を動かせ!」
森へ潜ませていた兵が動く。
しかし、解放戦線はその位置だけを避けるように進軍していった。
「伏兵、接敵できません!」
「馬鹿な……騎兵隊だ! 側面から蹴散らせ!」
帝国騎兵が土煙を巻き上げる。
だが、その進路にはもりやんの土壁が立ちはだかり、逃げ道を絞られた先では槍兵が待ち構えていた。
「騎兵隊、壊滅!」
「弓兵! 敵中央へ集中射撃!」
無数の矢が空を覆う。
その時にはもう、解放戦線は射線から外れていた。
矢が、誰もいない地面へ降り注ぐ。
「……何故だ」
隊長の額から汗が流れる。
偶然ではないと認めた瞬間、背筋を冷たいものが走った。
副官が震える声で言う。
「全て……先回りされています」
隊長は戦場を見渡した。
「何故こちらの動きが分かる……」
包囲も、伏兵も、騎兵も、弓兵も通じない。攻めても防いでも、そのたびに敵は一歩先にいる。
「……あり得ん」
声がかすれる。
副官が周囲を見回した。
「隊長……もう、動かせる部隊がありません」
隊長は口を開くが、次の命令が出てこない。この戦場で、自分だけが取り残されているような感覚だった。
「……我々は」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「何と戦っているのだ……」
その間にも帝国軍の戦況の悪化は止まらず、正面から福が押し込み、側面からNKJが食い破る。
「中央が崩れます!」
二方向からの猛攻に、帝国軍の陣形は音を立てて崩れ始めた。
「右翼が持ちません!」
「左翼へ後退しろ!」
「無理です!」
「左翼も押されています!」
伝令が必死に戦場を駆けるが、辿り着く頃には戦況が変わっている。
「中央突破されました!」
「補給路の部隊は壊滅!」
「右翼、防衛線崩壊!」
三千人の軍勢は翻弄されるまま、数多くの孤立した部隊へと分断され、各部隊は互いの状況すら把握できなくなっていた。
兵士たちの間に広がっていたのは、ただ戦って負けるのとは違う、まるで未来を見透かされているような恐怖だった。
『中央、そのまま前進』
『右翼、敵退路を塞いでください』
『左翼、追撃は不要です』
福は剣を高く掲げた。
「押し込めぇぇっ!!」
「おおおおおおおっ!!」
解放戦線が一気に前へ出ると、帝国軍は堪え切れず、ついに総崩れとなった。
「退け!」
「司令部まで下がれ!」
「持ちこたえろ!」
誰かの叫びも虚しく、兵士たちは雪崩を打つように後退していく。
日御子は静かに目を閉じ、《王域》に映る光点が一斉に後方へ流れ始めるのを捉えた。
「敵中央、後退を開始しましたの」
ポリアンナが即座に指示を出す。
『追撃部隊は、敵を司令部方向へ誘導してください』
『深追いは不要』
『退路を限定します』
解放戦線は、退却する方向すら支配していた。
福はその指示を聞き、思わず笑う。
「敵の逃げ道まで決めるとは……本当に恐ろしい軍師たちだ」
やがて遠くに、帝国駐留軍司令部である石造りの砦が見えてくる。
福は剣を突きつけた。
「見えたぞ!」
「あと一押しだ!」
兵士たちの鬨の声が、空を震わせた。
◇
帝国駐留軍司令部の扉が、勢いよく開いた。
「報告!」
血と泥にまみれた伝令兵が飛び込んでくる。
「補給路を守っていた精鋭部隊、壊滅!」
司令部内がざわめき、間髪入れず別の兵士が駆け込んできた。
「右翼、防衛線崩壊!」
「中央突破されました!」
「解放戦線が司令部へ接近中!」
「何だと!?」
参謀達が一斉に立ち上がる。
「こちらは三倍だぞ!」
「何故止められん!」
怒号が飛び交った。
「予備兵を出せ!」
「既に投入済みです!」
誰もが焦り、声を荒げる。
その中で。
ただ一人。
リリアナだけが静かに報告書を閉じた。
「リリアナ様!」
副官が振り返る。
「このままでは司令部まで突破されます! お逃げください!」
リリアナは椅子から立ち上がり、ゆっくりと窓の外へ目を向けると、小さく微笑んだ。
「ここまで来ましたか」
机の上に置かれていた軍帽を手に取り、静かにかぶる。そのまま扉へ向かって歩き出した。
「これ以上、兵を失う必要はありません」
副官が慌てて問いかける。
「まさか……」
リリアナは振り返らず、ただ静かに告げた。
「私が出ます」
その一言に、周囲が思わず声を上げる。
「リリアナ様、お一人でですか!?」
「危険です!」
「おやめください!」
無謀だ、とまでは言えない。それでも、そこにいる誰もが同じ不安を抱いていた。
リリアナは、知略の人だ。
戦場に自ら立つ姿を、誰も見たことがない。
それなのに。
その足取りに、迷いは一つもなかった。
【第七十話 白い悪魔】へ続く




