明日を選ぶ
翌日。
「ここが屋内の訓練場ですの」
室内には木剣を打ち合わせる音や掛け声が響き、壁際では整備班が武器の点検をしていた。
その様子を見渡しながら、ビビアンは感心したように頷く。
「思ったよりちゃんとしてる」
「失礼ですの」
「もっと適当な集まりかと思ってた」
「否定はできませんの」
「できないんだ」
二人は思わず笑った。
胸を締め付けている重苦しさは、まだ日御子の中に残っている。
それでも、少しずつ前を向けるようになっていた。
窓から差し込む光が、まっすぐ伸びた廊下を白く照らしている。人気の少ない時間帯で、足音がやけによく響いた。
「次はこちらですの――」
その時だった。
突き当たりの角を曲がり、向こうから二人の男が並んで歩いてくる。
一人は、気怠そうに欠伸を噛み殺しているアイザック。
その隣を歩いているのは――いつかの宿場町で、日御子の命を狙った眼帯の男だった。
二人は軽口を交わしながら、こちらへ歩いてくる。
その姿を見た瞬間、日御子の足がぴたりと止まった。
(……え?)
なぜ、あの男が。
よりによって、アイザックと笑いながら歩いているのか。
あまりに理解の追いつかない光景に、日御子は数瞬、身動きすらできなかった。
「ビビアン、下がって!」
鋭い声が廊下へ響く。
日御子はビビアンの肩を掴み、自分の後ろへ引いた。同時に短剣を抜き放ち、低く構えて眼帯の男を睨みつける。
「……え?」
突然のことに、ビビアンは固まった。
アイザックと眼帯の男も足を止める。
「……あ?」
何事かと首を傾げる男の隣で、事情を察したアイザックが頭を掻いた。
「あー……そういや、そうだった」
そのまま二人の間へ割って入る。
「おい日御子、ちょっと待て」
「アイザックさんも、その人から離れてください!」
「いや、大丈夫だから」
「その人は危険ですの!」
「危険だけど、今は味方」
「意味が分かりませんの!」
「そりゃそうだわな」
アイザックはあっさりと認めた。
「こいつ、急に来て『世話になる』って居座ってるんだわ」
「おい。言い方」
「間違ってねぇだろ。もちろん、ポリアンナが話を聞いた上でだ。今はこっち側らしい」
「……まあ、そういうことだ」
「認めるんかい」
ビビアンが思わず突っ込む。
あまりにも自然なやり取りだった。
目の前では、かつて自分を追い詰めた男と、アイザックが当たり前のように軽口を叩き合っている。
日御子は短剣を構えたまま、呆然と二人を見つめていた。
そんな日御子の様子に、眼帯の男――パルパティーンは、ばつが悪そうに頭を掻く。
何度か口を開きかけては閉じ、視線を逸らした。
その姿を横で見ていたアイザックが、小さく笑う。
「珍しいな」
「……うるせぇ」
「謝れねーのか?」
「ちょっと待て」
数秒の沈黙が流れる。
やがてパルパティーンは観念したように息を吐き、日御子から目を逸らしたまま小さく呟いた。
「まあ、その……なんだ」
一度だけ言葉を詰まらせる。
「……悪かったな」
パルパティーンの謝罪を、日御子は黙って聞いていた。
しばらくして、短剣を握った右手をゆっくりと下ろす。
「少し失礼しますの」
空いている左手を胸の前へ添え、静かに息を整えた。
「……《天照の鏡》」
日御子の瞳に黄金色の光が宿る。
柔らかな光が一瞬だけ廊下へ広がり、すぐに消えた。
ビビアンが目を丸くする。
「え、今の何?」
「今のあなたに、私たちを害するつもりがないことは分かりましたの」
日御子は短剣を鞘へ収め、パルパティーンを見つめた。
「この異能は、人の『本来の姿』を映し出しますの」
「……!」
その瞬間、パルパティーンの表情が固まった。
「……待て」
珍しく焦った声だった。
「本来の姿って……どこまで見えた」
日御子は少しだけ考える。
「見えたのは、ほんの少しですの」
「だから、どこまでだ」
「あなたが帝国を離れた理由と――」
日御子は一歩近づき、声を潜めた。
「大切に想っている方のことまで」
パルパティーンの思考が止まる。
脳裏に浮かんだのは、たった一人の女性。
リリアナ。
「お、おい」
声が上ずる。
「それは……」
日御子は口元へ人差し指を立て、少しだけ意地悪そうに笑った。
「しー、ですの。内緒にしておきます」
「……」
パルパティーンは何度か目を瞬かせたあと、力が抜けたように大きく息を吐いた。
「……寿命が縮んだ」
日御子は思わず笑ってしまう。
その笑顔を見ながら、アイザックは腕を組んで首を傾げた。
「何だ? 俺だけ話が見えねぇんだけど」
「あたしも」
ビビアンも首を傾げる。
「こっちの話だ」
パルパティーンは二人を一瞥し、小さく肩を竦めた。
「そうだ」
ビビアンがアイザックへ顔を向ける。
「あんた、何でいつも日御子の近くにいるの?」
「いつもって、お前とは昨日会ったばっかだろ」
「それでも多い」
「何だよ、その基準」
「別に」
「やっぱり怒ってるだろ」
「怒ってない!」
「キレてんじゃねーか」
二人が睨み合う。
その様子がおかしくて、日御子は思わず笑みを零した。
「ふふっ」
「笑わないでよ!」
「ご、ごめんなさいですの」
「絶対思ってない!」
「思っていますの」
ビビアンはむっと頬を膨らませる。
その姿がまた可笑しくて、日御子の笑みは自然と深くなった。
「それでは、案内の続きをしますの」
「うん」
二人は再び並んで歩き出した。
◇
屋外の訓練場では、今日も多くの隊員たちが汗を流していた。
「皆さん、今日も頑張っていますの」
日御子は、どこか誇らしげに微笑んだ。
「みんな生き生きしてるね」
ビビアンも周囲を見渡す。
その時、規則正しく木刀を振る音が耳に届いた。
ヒュッ。
ヒュッ。
ヒュッ。
一定の間隔。
一切乱れない呼吸。
日御子は自然とそちらへ目を向けた。
訓練場の隅で、一人の青年が誰とも組まず、黙々と素振りを続けている。
汗が地面へ落ちても、その動きは止まらない。
愚直なまでに、木刀を振り続けていた。
「あ……アビスさんですの」
日御子の声に、アビスが木刀を止める。
ゆっくりと二人へ振り返り、軽く頭を下げた。
「日御子さん」
「お久しぶりですの」
木刀を握る手には、汗が滲んでいる。
「相変わらず、毎日続けていますの?」
「そうですね」
日御子は感心したように微笑んだ。
「本当にすごいですの」
「……そうですか?」
アビスは少しだけ首を傾げる。
「仲間と肩を並べるには、まだまだ足りません」
その声には焦りも、卑屈さもなかった。
ただ、事実を口にしているだけだった。
「だとしても、毎日続けるのは大変ではありませんの?」
「大変です」
即答だった。
「身体は痛みますし、思うように強くなれない。逃げ出したくなる日もあります」
アビスは手にした木刀へ、静かに視線を落とした。
「でも、人は生まれを選べません」
「才能も、環境も、親も」
「何者になるかだって、自分の意思だけで決まるものではありません」
アビスは木刀を握り直す。
「変えられないものを嘆いても、何も変わりませんから」
「だから、自分にできることを、愚直に続けるしかないんです」
そこに悲観も、諦めもなかった。
ただ、自分が選んだ生き方を口にしているだけだった。
「僕にできるのは、それだけです」
そう言うと、アビスは再び木刀を構えた。
「失礼します」
ヒュッ。
ヒュッ。
ヒュッ。
規則正しい音だけが、訓練場へ響いていく。
ビビアンが何かを言いかける。
だが、日御子の横顔を見て、伸ばしかけた手をそっと下ろした。
日御子は、アビスの背中を見つめていた。
「私に……できること」
思わず、小さく呟く。
その言葉が胸の奥へ落ちた瞬間、凝り固まっていた何かが音を立てて崩れた。
涙が一筋、頬を伝う。
(私は……)
(私は、なんて愚かだったのだろう)
変えられない過去ばかりを見つめて、今の自分にできることを考えようともしていなかった。
答えは、こんなにも単純だった。
アビスは、変えられないものを嘆いてはいない。
ただ、自分にできることを愚直に続けている。
(そうですの)
(私にも、できることがあります)
父は戻らない。
革命で失われた命も戻らない。
それでも、これから失われようとしているものなら、まだ守れるかもしれない。
(苦しんでいる人たちを助け、仲間たちの力になること)
(そして、今もヒノモトには、帝国の支配に苦しんでいる人たちがいますの)
変えられない過去ではなく、これから変えられるものを見る。
それが、罪を背負った自分にできること。
それが、自分なりの償いなのだと、ようやく思えた。
(私が最初に向き合うべきなのは――)
日御子は静かに涙を拭った。
進むべき方向が、初めて見えた。
「見つかった?」
隣に立つビビアンが、静かに尋ねる。
日御子は涙の跡を残したまま、微笑んだ。
「はいですの」
ビビアンはそれ以上何も聞かず、ただ柔らかく笑った。
◇
翌朝。
NKJ本部の会議室には、ポリアンナたちが集まっていた。
扉が開く。
日御子は真っ直ぐ前を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「皆さん」
全員の視線が集まる。
「私……」
一度だけ息を吸う。
「ヒノモトを、帝国から取り戻したいですの」
一瞬の静寂。
しかし、ポリアンナは驚くことなく、小さく微笑んだ。
「やはり、日御子さんなら、きっとそうなると思っていました」
日御子が目を丸くする。
ポリアンナは机の上に広げられた地図へ視線を落とした。
「そろそろ、準備が整う頃合いです」
【第六十四話 解放戦線】へ続く




