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赦されなくても

 窓の外では、沈みかけた夕日が空を茜色に染めていた。


「では、診てみますの」


 日御子は咲夜姫の前へ立ち、深く息を吸って目を閉じた。


 再び開かれた瞳に、黄金色の光が静かに揺らめく。


 《天照の鏡》。


 世界が反転し、視界から色が失われた。


 その中で、咲夜姫だけが淡く輝いて見える。身体を包み込むように、無数の光が流れていた。


 百本。


 千本。


 いや。


 数え切れない。


 まるで星の河だった。


「これは……」


 日御子が手を伸ばし、指先で光に触れた瞬間――景色が変わった。


 空。


 雲海。


 巨大な建造物。


 知らない言葉。


 知らない文字。


 知らない世界。


 次の瞬間には別の景色が現れ、さらに別の景色へと塗り替えられていく。


 膨大な記憶が、濁流のように日御子へ流れ込んできた。


「っ……!」


 頭が軋み、視界が揺れる。


 理解が追いつかない。


 まるで何百人分もの人生を、一瞬で見せられているようだった。


(駄目ですの……!)


 このままでは、自分の方が耐えられない。


 日御子は強引に《天照の鏡》を解除した。


 黄金色の光が消える。


「はぁ……っ」


 日御子はその場で小さく肩を上下させた。額には汗が滲んでいる。


「日御子!」


 ビビアンが慌てて身体を支える。


「大丈夫?」


「ええ……少し驚いただけですの」


 日御子は一度だけ深呼吸し、呼吸を整えた。


 ポリアンナが静かに尋ねる。


「……何が見えましたか」


 日御子は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「まず、咲夜姫さんの中にあるものですが……おそらく、遠い昔を生きた者たちの記憶ですの」


 部屋が静まり返る。


「ですが、何か……異質でしたの」


「異質?」


 鬼龍神が眉をひそめる。


「本当に人の記憶なのか、それとも何か別のものの記憶なのか……そこまでは判別できませんでしたの」


 誰も言葉を返せなかった。


 遠い昔を生きた者たちの記憶。


 それだけでも信じ難い話だ。


 まして、その記憶を残した者が人間かどうかさえ分からない。


「ただ、一つだけ安心できることがありますの」


 全員の視線が日御子へ集まる。


「咲夜姫さんが、記憶に呑み込まれているわけではありません。咲夜姫さんの異能が、流れ込んだ記憶を今も整理し続けていますの」


「突然知らない言語を口にしたのも、整理の途中で、記憶の一部が漏れ出しているからだと思います」


 日御子は咲夜姫へ目を向けた。


「断言はできませんが、時間とともに整理が進めば、症状も落ち着くはずですの」


 鬼龍神が大きく息を吐き、力が抜けたようにその場へ腰を下ろした。


「……そうか」


 顔を伏せたまま、小さく呟く。


「戻るんだな……」


「恐らく、大丈夫ですの」


 日御子は優しく頷いた。


 ポリアンナも静かに目を閉じる。知らず知らずのうちに握り締めていた拳が、ゆっくりとほどけていった。


「……良かった」


 その声には、心の底から安堵した色が滲んでいた。



 日御子は部屋にいる仲間たちを見渡した。


 それから、深く頭を下げる。


「皆さん。改めて、謝らせてください」


 その場にいる全員が、日御子を見つめた。


「置き手紙だけを残して、勝手に出て行ってしまって……本当にごめんなさいですの」


 日御子は顔を上げないまま、小さな声で続ける。


「あの時の私は……消えてしまいたいと思っていました」


 皆が息を呑んだ。


「皆さんは優しくしてくれました。『無理をしなくてもいい』と言ってくれました」


「そのおかげで、消えてしまうことだけは踏みとどまれました」


 少しだけ言葉が詰まる。


「けれど、ここにいては皆さんの迷惑になる。そう思って、私は逃げるように旅へ出ましたの」


「償いきれない罪を犯した自分を、罰するために」


 消え入りそうな声だった。


「旅の途中でビビアンさんと出会い、南にあるマレディア王国へ連れて行ってもらいました」


 ビビアンは何も言わず、日御子の言葉を聞いている。


「国王様をはじめ、皆さんには本当によくしてもらいました。優しくしてもらい、笑顔にもしてもらいました」


「それでも、自分を許すことだけはできませんでした」


 あの日々を思い出す。


 どれだけ笑いかけられても、どれだけ優しくされても、心の中では自分を責め続けていた。


「そんな時でした」


「ビビアンさんが、私を叱ってくれました」


「私のために泣いてくれました」


 日御子は、ビビアンへ優しく微笑んだ。


「そして、『罪を一緒に背負う』と言ってくれました」


 部屋の空気が静かに揺れる。


「その時、私の中で何かが変わりました」


 日御子は胸へ手を当てる。


「今でも、自分を許せてはいません」


「立ち直れたわけでもありません」


「けれど」


 日御子は顔を上げ、仲間たちを真っ直ぐに見つめた。


「私が自分を罰し続けたところで、何一つ良くはならない」


「そう思えるようになりましたの」


「私が苦しんでも、失われた命は戻りません」


「父も、ヒノモトも、何も変わりません」


 涙を浮かべながら、少しだけ笑う。


「だから、私はもう逃げません」


「たとえ誰にも赦されなくても」


「この罪を背負って、生きていきますの」


 部屋は静まり返っていた。


 最初に泣き崩れたのは、アリスだった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」


 堪えていた涙が、一気に溢れ出す。


 その隣では、ソリムドも声を押し殺すように肩を震わせていた。


「……っ、ひっ……」


 鬼龍神は顔を伏せたまま、僅かに笑う。


「まったく……心配かけやがって」


 その声も、僅かに震えていた。


 アイザックは奥歯を噛み締め、拳を強く握っている。


 天井を見上げていたが、やがて小さく呟いた。


「……よかったな」


 しばらく静寂が続いた。


 のぶおがビビアンへ向き直る。


「……そばにいてくださって、ありがとうございます」


 アリスも涙を拭いながら、ビビアンの前へ歩み寄った。


「……マジありがとう。日御子ちゃんを助けてくれて、ホントにありがとね」


 ぺこりと頭を下げる。


「あたしは、大したことしてないから。日御子が前を向けたのは、この子自身の力」


 その言葉に、日御子はビビアンへ穏やかな笑みを向けた。


 ビビアンは照れ臭そうに頬をかき、視線を逸らす。


 重かった部屋の空気に、少しだけ温かさが戻った。



 少しして、日御子は足元のノワを抱き上げた。


「それと、もう一つ。皆さんに話しておきたいことがありますの」


 全員の視線が集まる。


「この子の異能についてですの」


「……え?」


 ソリムドが目を丸くし、鬼龍神も思わずノワを見る。


「猫が……異能を?」


「にゃ?」


 当のノワは、きょとんと首を傾げるだけだった。


「ノワが受け継いだのは、母上の《ツナグチカラ》ですの」


 部屋が静まり返る。


「……待ってください」


 ポリアンナが一歩前へ出た。


「今、受け継いだと言いましたか?」


「そうですの」


「異能は、受け継げるものなのですか?」


 日御子は静かに首を横へ振った。


「いいえ。本来なら、異能が受け継がれることはありません」


 日御子は腕の中のノワへ目を落とす。


「《ツナグチカラ》は、本来、人と人を繋ぐ異能です」


「ですが母上は、その力で自らとノワを繋ぎ、異能をこの子へ残しましたの」


 ポリアンナは目を見開いた。


「つまり、異能そのものの力によって、例外的な継承が起きた……」


「はいですの」


 日御子は頷いた。


「それと、私の異能についてもお話ししておきますの」


 表情を僅かに引き締め、静かに右手を胸へ当てる。


「《天照の鏡》は、真実の姿を映し出す異能ですの」


「それだけではありません」


「暗示、洗脳、記憶の改竄――そういった精神への干渉も無効化します」


 ポリアンナが小さく息を吐く。


「……だから、ユリウスの洗脳が」


 その名を聞いた瞬間、日御子の表情にふっと影が差した。


「はい」


 一拍置いて、小さく頷く。


「あの時、《天照の鏡》の力で解除されましたの」


 日御子は胸に置いた手へ、僅かに力を込めた。


「ですが、私自身にも分からないことがあります」


「なぜ私が、二つ目の異能を持っていたのか、ですの」


 その答えだけは、まだ見つかっていなかった。


 沈黙の中、ポリアンナが何かを思い出したように呟く。


「そういえば……彼は言っていましたね」


「覚醒異能、と」


 誰一人、その単語を知らなかった。


 静まり返った部屋で、ポリアンナは思考を巡らせる。


(千年前の記憶。そして、覚醒異能――)


 一見無関係な二つの謎が、ポリアンナの中では何度も重なった。


 だが、結びつけるには手掛かりが足りない。


(今は、結論を急ぐべきではないですね)


 ポリアンナは静かに目を閉じた。



 日御子は、部屋にいる仲間たちを見渡した。


 分からないことは、まだたくさんある。


 それでも今は、一緒に考えてくれる仲間がいる。


(みんなで一緒に考えますの)


 そう思った時、胸の奥に新たな問いが浮かんだ。


 これから、自分は何をすればいいのだろう。


 罪を背負って生きると決めた。


 けれど、ただ生きるだけで、本当にいいのだろうか。


 今は、その問いを胸に抱えて進むしかなかった。


 日御子は窓の向こうへ目を向けた。


 西の空に残る夕日が、ゆっくりと沈んでいく。


 やがて夜が来る。


 その先に待つ明日を、どう生きるのか。


 答えは、まだ見つかっていなかった。



【第六十三話 明日を選ぶ】へ続く


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