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運命のアムリタ

 黄金色の光が、静まり返った保管庫を照らしていた。


 誰も言葉を発することなく、台座の上へ置かれた透明な器を見つめている。


 その内部では、光そのものを閉じ込めたような黄金色の液体が、ゆっくりと揺れていた。


「これが……」


 のぶおが小さく呟く。


「アムリタ」


 ポリアンナが、古地図に記されていた名を静かに口にした。


 古代王家が遺した最高位の秘宝。


 文献に残された言葉は、ただ一つ。


『万物を覆す奇跡』


 それが今、目の前にあった。


 ポリアンナは慎重に台座へ近づいた。透明な器の表面には、細かな古代文字が隙間なく刻まれている。


 文字を読める咲夜姫は、のぶおに支えられたまま意識を失っていた。内容を確認することはできない。


 ポリアンナが器へ手を伸ばした、その瞬間だった。


 器を包んでいた淡い光が、ふっと消えた。


 パキッ、と小さな音が響き、器を台座へ固定していた封印が解ける。


「開いた……」


 ソリムドが息を呑んだ。


「先ほどの認証と連動しているのでしょうか」


 ポリアンナは透明な器を静かに持ち上げた。見た目よりも重く、内部の液体が動くたび、掌へ重心の変化が伝わってくる。


 衝撃を避けるよう厚手の布で包み、革張りの収納箱へ丁寧に納める。留め具を閉じたあと、ポリアンナの視線は自然とのぶおが支えている咲夜姫へ向いた。


 呼吸は穏やかで、顔色も悪くない。それでも呼びかけには反応せず、目を閉じたままだった。


「本当に大丈夫なの?」


 ソリムドが心配そうに顔を覗き込む。


「分かりません。装置は正常に停止し、知識継承も完了したように見えました」


 ポリアンナは咲夜姫の表情を見つめる。


「ですが、どれほどの負荷を受けたのかまでは分かりません。ここでできることは、もうないでしょう」


「帰還します」


 のぶおが咲夜姫を背負い直した。


「本部へ戻れば、アリスさんに診てもらえます」


 全員が頷き、千年以上の秘密を残した保管庫をあとにした。



 遺跡の外へ出る頃には、日は西の山へ傾き始めていた。


 谷を渡る風は冷たく、行きとは違う静けさが一行を包んでいる。


 のぶおは背中の咲夜姫を気遣いながら歩いていた。


「少し揺れますよ」


 小さく声をかけるが、返事はない。聞こえてくるのは、穏やかな寝息だけだった。


「早く目を覚ましてくれるといいな……」


 何度も振り返るソリムドに、ポリアンナも静かに頷く。


「ええ。なるべく急いで戻りましょう」


 そのまま歩き続けていたポリアンナの足が、不意に止まった。


 手にした収納箱へ視線を落とす。


 先ほどまでとは重さが違う。


 嫌な予感を覚えながら、ゆっくりと留め具を外した。


「――ありません」


 その一言で、全員の動きが止まった。


「え?」


 ソリムドが駆け寄る。


 収納箱の中には、器を包んでいた布だけが残されていた。


 アムリタを収めた透明な器は、跡形もなく消えている。


「そんな馬鹿な……」


 のぶおが目を見開いた。


 ポリアンナは収納箱の内側を確認した。破損した形跡はなく、留め具も壊れていない。周囲の道へ目を走らせても、器が落ちた様子はなかった。


「保管庫へ置いてきたとか……?」


「いいえ。間違いなく、この中へ収納しました」


 だからこそ異常だった。


 箱を壊すことも、留め具を外した痕跡を残すこともなく、アムリタだけが消えている。


 パルパティーンは森の奥へ視線を向け、静かに剣の柄へ手を掛けた。


「どこを見ている」


 不意に、頭上から声が降ってきた。


 全員が一斉に振り返る。


 少し離れた岩の上に、一人の女が立っていた。


 黒い外套を纏い、顔の上半分を仮面で覆っている。その右手には、黄金色の液体を収めた透明な器が握られていた。


「……それを、いつの間に」


 ポリアンナの問いに、女は器へ一度視線を落とした。


「これは帝国が接収する」


 その声を聞いた瞬間、パルパティーンの表情が変わった。


「遺跡へ向かう途中から、妙な気配を感じていたが……よりによって、お前か。ソニア」


 ソニアと呼ばれた女は、僅かに視線だけを向ける。


「久しいな」


「今や敵側か」


 仮面の下で、不敵な笑みを浮かべる。


「帝国特務局――ソニア・グレイ」


 左手で短剣を抜き、静かに身構えた。


「参る」


 パルパティーンも剣を抜いた。


「全員、囲め!」


 一行が即座に散開し、ソニアの退路を塞ぐ。


「あいつは厄介だ! 姿を追うな! 行動経路を範囲ごと潰せ!」


 次の瞬間、岩の上に立っていたソニアの姿が霞んだ。


 確かに、そこにいる。


 それなのに、意識を向けた瞬間、存在そのものが思考から滑り落ちていく。


「何だこれ、気持ち悪ぃ……!」


 アイザックが舌打ちする。


 ポリアンナは、意識から抜け落ちていくソニアの姿を必死に追った。


「認識阻害……。いえ、本部へ施してもらっているものとは比べものになりませんね」


 姿が消えているわけではない。目には映っているはずなのに、ソニアという存在を意識へ留めておくことができない。


「アイザックさん、左右の岩場を!」


「了解!」


 アイザックが両手を掲げ、《紅蓮》の炎を放った。


 幾つもの炎弾が左右の岩場へ着弾し、轟音とともに岩を砕く。燃え上がった炎が岩場を埋め、左右からの逃走を封じていく。

 右奥には岩壁の陰へ続く細い抜け道があり、そこだけ炎が届いていなかった。


 のぶおは咲夜姫を背負ったまま後方へ下がり、彼女を庇う位置から片手を前へ突き出した。


「《絶界守護》!」


 森へ続く道を遮るように、蒼銀の障壁が展開される。


「残るのは右奥の岩場だけです。そちらへ追い込んでください!」


「分かってる!」


 アイザックが右奥へ向けて炎弾を連射する。


 だが、放たれた炎は何もない空間を通り過ぎ、岩へ激突した。


「どこだ!?」


 燃え盛る岩場へ視線を巡らせても、ソニアの姿を捉えられない。


 ポリアンナは残された退路を注視し、ソニアが現れる瞬間を待っていた。


 その背後で、僅かに空気が揺れる。


 退路を塞がれたソニアが次に狙う場所を、パルパティーンだけは知っていた。


 包囲を指揮する者を倒し、混乱が生じた隙に抜ける。


 昔から変わらない、ソニアの戦い方だった。


 パルパティーンの片目が鈍く光る。


 次の瞬間、ポリアンナの背後へ一本の短剣が現れた。


 首筋へ向け、迷いなく振り抜かれる。


「ポリアンナさん!」


 ソリムドの叫びと、鋭い金属音が重なった。


 半透明の障壁がポリアンナの周囲へ展開され、短剣を弾き返していた。


「そこに来ると思ったぜ」


 パルパティーンが剣を構える。


「《絶界守護》をコピーしたままで正解だったな」


 そのまま踏み込み、剣を横薙ぎに振るう。


 ソニアは上体を反らして刃を躱した。切り裂かれた黒い外套の裾が、宙を舞う。


 パルパティーンはさらに一歩詰め、返す刃を斬り上げた。


 だが、その時にはもう、ソニアの存在が再び認識から抜け落ちていた。


 剣が空を切る。


「アイザック!」


「おう!」


 アイザックがポリアンナの周囲へ炎弾を撃ち込んだ。


 岩場が砕け、爆炎が幾つも立ち上る。続けて森へ至る道や、身を隠せそうな岩陰も炎で埋めていく。


 それでも、手応えはなかった。


「逃げ足は相変わらずだな」


 パルパティーンが低く吐き捨てる。


「最低限の目的は達成した」


 静かな声が、風の中から聞こえた。


 全員が振り向いた先、離れた岩の上にソニアが立っていた。


 その手には、アムリタを収めた器が握られている。


「では失礼する」


 アイザックが即座に炎弾を放った。


 轟音とともに岩が砕け、爆炎に包まれる。


 だが、炎が晴れた時には、ソニアの姿はどこにもなかった。


「待て!」


 アイザックが岩を飛び越え、森へ飛び込む。


 数十秒後、舌打ちしながら戻ってきた。


「駄目だ。完全に見失った」


 ポリアンナは自らの首筋へ触れ、小さく息を吐いた。


「アムリタは奪われましたが、あなたがいなければ、私は死んでいました」


 パルパティーンは答えなかった。


 ただ、ソニアが消えた森の奥を見つめている。


「ソニア……」


 その名を小さく呟く。


「厄介な相手だ」



 アムリタは奪われた。それでも今は、意識を失った咲夜姫を本部へ連れ帰ることが最優先だった。


 一行は来た時の道を辿り、幾日も山中を歩き続けた。


 道中、咲夜姫は呼びかけに僅かな反応を示し、水を口にすることはできた。それでも意識が完全に戻ることはなく、すぐに深い眠りへ沈んでしまう。


 のぶおは咲夜姫を背負い、足場の悪い道でも決して歩調を乱さなかった。ほかの者たちも必要な時以外は言葉を交わさず、帰路を急いだ。


 やがて森の向こうに、NKJ本部の館が見えてきた。



「咲夜姫!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは鬼龍神だった。


 のぶおの背中で眠る咲夜姫を見た途端、その表情が変わる。


「……まさか。何があったんだ!」


「遺跡で倒れました。まだ、意識が完全には戻っていません」


「そんな……」


 鬼龍神の顔から血の気が引く。


「道を空けて!」


 アリスがすぐに咲夜姫を寝台へ横たえ、診察を始めた。


 脈を測り、呼吸を確かめ、瞳孔の反応を調べる。


 皆が固唾を呑んで見守る中、アリスはやがて小さく息を吐いた。


「命に別状はないよ」


 張り詰めていた空気が、僅かに緩む。


「ただ……」


 アリスは首を傾げた。


「眠ってるって感じでもないんだよね」


「どういうことですか?」


 ポリアンナが尋ねる。


「身体は休んでる。でも、頭だけ、めっちゃ忙しそう」


 鬼龍神が咲夜姫の寝顔を見つめる。


 苦しそうには見えない。けれど、閉じた瞼は時折小さく震え、何かを見ているようにも、考え続けているようにも見えた。


 咲夜姫の身体は眠っていた。


 だが、その意識は休んでいない。


 受け継いだ膨大な記憶が無数の欠片となり、互いに結びつきながら、一つの知識体系へ組み上がろうとしていた。


 彼女の中で始まった変化を、この時はまだ、誰も知らなかった。



【第六十話 また一つ帰る場所】へ続く


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