クリスタルスカイの王国
部屋の中央に置かれた黒い板は、今も淡い青白い光を放っていた。
その表面へ、光の文字が次々と浮かび続けている。
「古代文字です!」
咲夜姫は黒い板へ駆け寄り、文献から得た知識と照らし合わせながら、一文字ずつ意味を組み立てていった。
やがて、小さく息を吐く。
「『知識継承システムを起動します』」
「『対象者を確認できません』」
「『認証キーをセットしてください』」
のぶおが首を傾げる。
「知識継承システムとは?」
「私も、文献では見たことがありません」
「認証キーって、どこにあるの?」
ソリムドが辺りを見回す。
咲夜姫も部屋の中央を調べ、やがて椅子の肘掛けに刻まれた円形の窪みへ気づいた。
その形と大きさは、持参した青銅色のメダルと一致している。窪みの周囲には、メダルの表面と同じ古代王家の紋章まで刻まれていた。
「もしかして……」
咲夜姫はメダルを取り出し、窪みへゆっくりとはめ込んだ。
カチリ、と小さな音が響く。
黒い板に浮かんでいた文字が、一斉に書き換わった。
「『認証を確認しました』」
咲夜姫が流れる古代文字を読み上げる。
「『ヘッドギアを装着してください』」
「ヘッドギアって何?」
全員の視線が、椅子の横に置かれた銀色の装置へ向いた。
大きな杯を逆さに伏せたような形をしており、内側には柔らかな布が張られている。人の頭部を包み込むために作られたとしか思えなかった。
「これ……でしょうか」
咲夜姫が慎重に銀色の装置を持ち上げる。
黒い板の文字が、再び切り替わった。
「『開始しますか?』」
咲夜姫が読み上げると、ポリアンナは静かに画面を見つめた。
「何が起きるか分かりません。ここで引き返すこともできます」
咲夜姫は手の中の装置へ視線を落とした。
未知の装置へ頭を預ける危険は理解している。それでも、長い年月を越えて残された知識を前に、背を向けることはできなかった。
「危険なのは分かっています」
咲夜姫は小さく笑う。
「それでも、この場所が何を遺そうとしたのか知りたいんです」
のぶおは心配そうに咲夜姫を見つめた。
「何かあれば、すぐに装置を外します」
「お願いします」
咲夜姫は部屋の中央に置かれた椅子へ腰掛け、深く息を吸った。
そして、銀色の装置をゆっくりと頭へ被せる。
装置の内側に淡い光が灯ると、黒い板へ表示される文字が猛烈な速さで流れ始めた。一行を読み終えるより先に次の文章が現れ、さらにその上へ新たな文字が重なっていく。
(このままでは、追いつけません……!)
咲夜姫は静かに息を整えた。
両眼へ淡い光が宿る。
《千羽思考演算》。
一つだった思考が十、二十、五十、百へと枝分かれし、流れ続ける古代文字を同時に解析していく。
「『神経接続を確認』」
次々と切り替わる警告を、一文字も逃さず読み上げる。
「『継承中は装置を外さないでください』」
「『継承する知識量に応じて、使用者へ負荷が発生します』」
のぶおの表情が険しくなる。
だが、声を上げるより早く、黒い板へ最後の文字が浮かび上がった。
『知識継承を開始します』
次の瞬間、眩い白光が咲夜姫の視界を覆い尽くした。
◇
白い光が薄れた先に、見たことのない世界が広がっていた。
初めて目にするはずなのに、不思議な懐かしさが胸をよぎる。
頭上を覆っているのは、どこまでも澄み渡る青空ではなかった。巨大な透明結晶が幾重にも重なり、陽光を受けるたびに七色の輝きを世界中へ降り注がせている。
まるで、世界そのものが一つの宝石になったかのようだった。
「……綺麗」
思わず声が漏れる。
結晶の空の下には、白く輝く巨大都市が広がっていた。
空中を滑る乗り物。音もなく動く機械。見たこともない道具を使いながら、穏やかに笑い合う人々。
交わされている言葉は、咲夜姫の知るどの言語とも異なっていた。それなのに、声へ込められた意味や感情だけは、最初から知っていたかのように理解できる。
視界が揺らぐと、今度は研究施設らしき場所が現れた。
透明な容器の中で、光を帯びた液体が静かに揺れている。白衣に似た服を纏った人々が、黒い板へ浮かぶ文字を見ながら、真剣な表情で言葉を交わしていた。
その穏やかな光景を切り裂くように、低く澄んだ警報音が鳴り響いた。
人々が一斉に足を止める。
都市の中央で、何もなかった空間が陽炎のように揺らいでいた。
歪みは次第に大きくなり、やがて、その中心から白銀の巨大な構造物が姿を現した。
神殿にも、要塞にも見える。
その正体を理解するより早く、武装した兵士たちが駆け出した。
『急げ!』
『第一陣、前へ!』
鎧を纏い、武器を手にした兵士たちが、迷うことなく白銀の構造物へ入っていく。
一人、また一人。
数十人、数百人。
その背中を見送る人々の恐怖と祈りまでもが、咲夜姫の胸へ流れ込んできた。
視界が激しく明滅する。
次に現れたのは、空が裂け、大地が砕けた戦場だった。
雷が天を貫き、炎が山を呑み込む。黒い重力が大地を抉り、巨大な結晶の槍が降り注ぐ一方で、幾重もの光の壁が崩れかけた都市を守っていた。
爆風だけで森が消え、一撃によって山脈の一部が崩れ落ちる。
人智を超えた異能同士が激突し、世界そのものを削り合っていた。
『前線が崩れる!』
『第三軍、後退!』
『防衛線を死守しろ!』
「戦争……?」
呟いた咲夜姫の眼前で、戦場の記憶が崩壊の光景へ塗り替えられていく。
炎に包まれる街。倒壊する建物。家族の名を叫びながら逃げ惑う人々。黒煙の向こうでは、見たこともない兵器が眩い光を放ち、結晶の空を赤く染めていた。
「っ……!」
流れ込んでくるのは、映像だけではない。
爆風が肌を焼く痛み。武器を握る手の震え。隣で倒れた者を置いて逃げなければならなかった恐怖。帰りを待つ家族の顔と、二度と会えなかった悲しみ。
それらが、まるで咲夜姫自身の経験であるかのように、枝分かれした思考の一つ一つへ流れ込んでくる。
美しかった都市。
終わりの見えない戦争。
失われていく命。
《千羽思考演算》がなければ、とうに意識を砕かれていただろう。それでも、膨大な知識と感情は、処理する端から新たに押し寄せてくる。
「まだ……!」
咲夜姫は歯を食いしばった。
苦しくても、知りたかった。
この場所を遺した人々が、何を経験し、何を伝えようとしたのか。
その一心で、流れ込む記憶に耐え続けた。
やがて、戦火が遠ざかっていく。
次に現れたのは、静かな山奥だった。
まだ何もない大地へ、大勢の人々が石材を運び、巨大な柱を組み上げている。見たこともない装置が次々と運び込まれ、慎重に建物の内部へ据え付けられていった。
その光景を眺めていた咲夜姫の手に、突然、石材の重みが加わった。
掌へ食い込む石の感触。額を流れる汗。疲労で震える足。少しずつ完成へ近づいていく建造物を見上げた時、胸を満たした誇り。
すべてが、あまりにも鮮明だった。
一人の若者が作業の手を止め、空を見上げる。
『未来へ残せ』
『我らの知識を』
『いつの日か、必要とする友のために』
声とともに、未来を信じたいという切実な願いが胸へ流れ込んだ。
人々の手によって、巨大な建造物が少しずつ形になっていく。
今、咲夜姫がいる遺跡と、まったく同じ姿へ。
「……あ」
咲夜姫は息を呑んだ。
これは、外から眺めている映像ではない。
石材を運んだ腕の痛みも、仲間と交わした言葉も、この場所を未来へ遺そうとした願いも、かつて誰かが実際に感じたものだった。
「記録じゃない……」
咲夜姫の声が震える。
「誰かが見た景色……誰かの記憶……!」
その瞬間、目の前の世界が白く塗り潰された。
◇
静寂の中、不意に声が響いた。
『知識を共にした友人よ』
咲夜姫は、霞む視界の中でゆっくりと顔を上げた。
枝分かれした思考は限界を迎え、今にも崩れ落ちそうになっている。それでも、その声だけは驚くほど鮮明に聞こえた。
『問いかけます』
『アムリタは必要ですか』
その名が告げられた瞬間、膨大な知識の海から、一つの記憶だけが浮かび上がった。
黄金色の液体。
厳重に封印された保管庫。
その場所と、封印を解く方法。
そして、アムリタがもたらす奇跡。
散らばっていた情報が、一つの意味を持って繋がった。
咲夜姫は震える唇を動かす。
「……必要……です」
『承認しました』
『友人の旅路へ、祝福を』
その言葉を最後に、張り詰めていた咲夜姫の意識が途切れた。
◇
「咲夜姫さん!」
ポリアンナの声が響く。
椅子へ座ったまま、咲夜姫の身体が力なく前へ倒れた。
「咲夜姫!」
のぶおが慌てて駆け寄り、その身体を支える。
「呼吸はあります! ですが、意識がありません!」
ヘッドギアから青白い光が消え、黒い板も静かに沈黙した。
その直後、部屋全体を揺らすような重低音が響いた。
全員が一斉に振り返る。
それまで壁だと思っていた場所が、軋む音を立てながら左右へ開き、その奥から、千年以上閉ざされていた保管庫が姿を現した。
内部にあるのは、一つの台座。
その上で、何かが淡い黄金色の光を放っていた。
【第五十九話 運命のアムリタ】へ続く




