最後の聖杯
巨大な石扉が、石同士を擦り合わせる重い音を山中へ響かせながら、ゆっくりと開いていく。
舞い上がった砂埃が風に流されると、その向こうから深い闇が姿を現した。
誰も、すぐには動かなかった。
「……開いた」
ソリムドが小さく呟く。
咲夜姫は息を呑んだまま、千年にわたって誰にも開かれなかった世界を見つめていた。
「行きましょう」
一行は警戒しながら、遺跡の中へ足を踏み入れた。
内部は想像以上に広く、遥か頭上まで続く天井を、等間隔に並んだ巨大な石柱が支えていた。床には古代文字にも見える複雑な模様が刻まれ、薄く積もった砂埃が、ここに流れた年月の長さを物語っている。
扉を越えた途端、外の風も鳥の声も聞こえなくなった。
「……静かですね」
のぶおの声が石壁へ反響し、暗闇の奥へ消えていく。
咲夜姫は壁へ駆け寄り、表面に積もった砂埃を慎重に払い落とした。
「これは文字ではありませんね。恐らく、遺跡内部の構造を示した図です」
幾つもの四角形が複雑な線で繋がれ、それぞれの内部には異なる記号が刻まれている。現在いる広間から枝分かれした通路が、幾つもの部屋を経て遺跡の奥へ続いているらしい。
その最も深い位置にある区画だけは、ほかと違って内部の様子まで描かれていた。
椅子へ腰掛けた人間。その頭には、大きな杯を逆さに伏せたような物が被せられている。
「頭に杯を被っていますね」
のぶおが首を傾げた。
「何かの儀式でしょうか?」
「そこまでは分かりません。ですが、この区画だけ特別に大きく描かれています」
咲夜姫は手元の古地図を開き、壁画と見比べた。
「地図に記された最深部と位置が一致します。恐らく、私たちが目指すべき場所です」
咲夜姫は壁画を手早く書き写した。
「この構造図があれば、分かれ道でも迷わず進めそうです」
「何が残っているか分かりません。慎重に進みましょう」
ポリアンナの言葉に、全員が頷いた。
構造図を頼りに進んでいくと、通路の脇に小さな部屋があった。扉は半ば崩れており、その隙間から内部が覗いている。
アイザックが先に中を確認し、目を見開いた。
「……おい。あるぞ」
「何が?」
ソリムドが首を伸ばす。
アイザックが崩れかけた扉を押し開けると、その奥には古びた箱や壺、金属製の杯が幾つも並んでいた。箱の一つからは、宝石のような色とりどりの石が覗いている。
「わ! 黒字だ!」
ソリムドが歓声を上げた。
「ふぉろんたいごさんが、泣いて喜びそうですね」
のぶおも小さく笑う。
「雑に触らないでください!」
咲夜姫が慌てて駆け寄った。
「全部、貴重な歴史的資料なんですよ!」
アイザックは箱の中から古代硬貨を一枚摘まみ上げる。
「売ったら高そうだな」
「売りません! 持ち帰って調査するんです!」
「面倒くせぇなぁ」
咲夜姫はアイザックから硬貨を取り上げると、今度は棚に置かれていた古びた壺を両手で抱え、きらきらした目で見つめた。
「これは、第三古代文明期の儀礼用壺ですね……!」
ソリムドが小声でアイザックへ囁く。
「ただの壺でしょ?」
「言うな。怒られるぞ」
咲夜姫に睨まれ、二人は同時に目を逸らした。
「今は場所と状態だけ記録します。遺物は帰りに回収しましょう」
「置いてくのか?」
「持ち歩いて壊したら困りますから」
咲夜姫は壺を慎重に元の場所へ戻し、部屋に残された遺物を一つずつメモ帳へ記録していった。
一行は調査を終えると、再び遺跡の奥へ向かった。
通路は進むほど狭くなり、壁面の模様や床を走る線も複雑になっていく。咲夜姫は入口で書き写した構造図を確認しながら、幾つもの分かれ道を選んで進んだ。
「咲夜姫さん、先導をお願いします」
「はい」
咲夜姫が一歩前へ出ると、そのすぐ後ろをソリムドがついていく。
「ソリムドさん、少し前へ出すぎです」
「大丈夫、大丈夫。僕も役に立つところを見せないと」
ソリムドが振り返った、その時だった。
周囲の石畳と見分けがつかないほど砂埃に覆われた一枚の床石が、足元で僅かに沈んだ。
カチリ、と小さな音が響く。
「……え?」
次の瞬間、ソリムドの足元から床が消えた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
真下へ落ちていくソリムドの先には、無数の槍が並んでいた。長い年月を経て錆びついているものの、その切っ先は今なお鋭く、暗闇の中で鈍い光を放っている。
「ソリムド君!」
のぶおが即座に手をかざした。
「《絶界守護》!」
槍の先端から僅かに離れた場所へ、蒼銀の障壁が水平に展開される。
落下したソリムドの身体が、その上で大きく跳ねた。
「ぐえっ!」
何とも情けない声を上げたものの、槍に貫かれることだけは免れた。
「助かったぁぁぁ……!」
穴の縁から覗き込んでいた一同が、揃って安堵の息を吐く。
「間に合って良かったです」
のぶおも胸を撫で下ろした。
咲夜姫の顔からは血の気が引いている。
「す、すみません……。私が気づいていれば……」
「大丈夫! それより、どうやって上がればいいの!?」
「ちょい待ってろ」
アイザックは背負い袋からロープを取り出し、近くの石柱へ固定した。そのまま穴の壁へ足を掛け、ロープを伝って下りていく。
「迎えに来たぞ」
ソリムドは涙目でアイザックを見上げた。
「アイザックさん……!」
「さっき約束しただろ。落ちたら、俺が拾ってやるって」
ソリムドを引き上げた一行は、今度こそ足元へ細心の注意を払いながら、遺跡の奥を目指した。
やがて通路は緩やかな下り坂となり、天井も少しずつ低くなっていく。
その途中、背後から低い振動が響いた。
「……何?」
ソリムドが振り返る。
直後、後方の壁が開き、通路を埋め尽くすほど巨大な岩が転がり始めた。
「うわぁぁぁぁ!」
「走れ!」
アイザックの声に、全員が一斉に駆け出す。
巨大岩は床を砕きながら、猛烈な勢いで迫ってくる。
「また僕!? 遺跡に嫌われてる!」
半泣きで走るソリムドの後ろで、のぶおが足を止めた。
「ソリムド君、《可能性解放》を!」
「分かった!」
ソリムドが走りながら両手を広げる。
《可能性解放》の淡い光が、一行の身体を包み込んだ。
「《絶界守護》!」
のぶおが通路を塞ぐように蒼銀の障壁を展開する。
次の瞬間、巨大岩が障壁へ激突した。
凄まじい衝撃が遺跡全体を揺らす。それでも、《可能性解放》によって強化された障壁は、巨大岩を正面から受け止めていた。
「止まりました! ですが、長くは持ちません!」
のぶおが歯を食いしばる。
アイザックは障壁と一行の間へ目を走らせた。通路が僅かに狭くなっている箇所の左右の壁と天井に、大きな亀裂が走っている。
「そのまま押さえてろ!」
両手へ《紅蓮》の炎を集める。
《可能性解放》によって増幅された炎が、普段以上の勢いで燃え上がった。
「そこだ!」
真っ赤に燃える炎弾が、左右の壁と天井の亀裂へ次々と撃ち込まれる。
一発、二発、三発。
爆音とともに亀裂が広がり、大量の石材が障壁と一行の間へ崩れ落ちた。通路の幅が狭まり、巨大岩を受け止める楔のように瓦礫が積み重なっていく。
「もういいぞ!」
のぶおが障壁を解除した。
巨大岩が再び動き出す。
だが、僅かに進んだところで瓦礫へ乗り上げ、左右の壁と崩れた天井の間へ斜めに食い込んだ。低い音を立てながら何度か揺れたあと、完全に動きを止める。
岩の脇には、人が一人ずつ通れるほどの隙間が残っていた。
「……止まった」
ソリムドが、その場へ座り込む。
「今日は寿命が縮みっぱなしだよ……」
アイザックは小さく息を吐き、ソリムドの肩を軽く叩いた。
「お前の力、役に立ったじゃねぇか」
ソリムドが顔を上げる。
「……本当?」
「ああ。一人じゃ、誰もあれを止められなかった」
ソリムドは疲れ切った顔のまま、それでも少しだけ嬉しそうに笑った。
一行は息を整えると、再び最深部を目指して歩き始めた。
◇
通路を抜けた先で、一行は思わず足を止めた。
部屋へ入った瞬間、それまで遺跡内に満ちていた冷気が嘘のように消えた。
「……暖かい?」
「何だ、ここ」
アイザックが低く呟く。
そこは、これまで通ってきた石造りの空間とはまるで異なっていた。
天井は高いドーム状に広がり、壁や床には継ぎ目一つ見当たらない。塵も砂もほとんど積もっておらず、何らかの力によって今も空間そのものが保たれているようだった。
広大な部屋の中央には、一脚の椅子が据えられている。その正面には鏡のように黒い板があり、傍らには銀色の装置が置かれていた。
装置は、大きな杯を逆さに伏せたような形をしていた。内側には柔らかな布が張られ、人間の頭を包み込めるほどの大きさがある。
咲夜姫が息を呑んだ。
「入口の壁画に描かれていた物と同じです……」
壁画の人物が、頭へ被っていた奇妙な装置。
その実物が、千年以上の時を越えて目の前に残されていた。
部屋の周囲には、透明な板や金属製の箱、用途の分からない器具が整然と並んでいる。どれも古代の遺物でありながら、朽ちた様子はなかった。
「……まさか」
咲夜姫が立ち尽くしたまま呟く。
「この場所を知っているんですか?」
ポリアンナが尋ねると、咲夜姫は小さく頷いた。
「古い文献に、名前だけが残されています。失われた遺跡の最深部に存在したとされる――《知識の間》です」
ソリムドが部屋を見回した。
「名前が残ってるなら、昔ここまで来た人がいたんじゃないの?」
「いいえ。文献を書いた人物も、さらに古い伝承から引用しただけです。実際にこの場所を見た者の記録は残っていません」
咲夜姫は、信じられないものを見るように部屋を見渡した。
「何をするための部屋なのかも、まったく伝わっていません。それでも……本当に存在していたんですね」
その声は、僅かに震えていた。
ポリアンナは椅子や周囲の器具へ目を向ける。
「生活のための場所には見えませんね。何かを研究していたのでしょうか」
「調べてみます」
咲夜姫が銀色の装置へ引き寄せられるように近づいた、その時だった。
『――ΛΕΘ・ΞΑΡ・ΟΝ・ΚΥΡΑ――』
聞いたこともない言葉が、部屋中へ響き渡った。
一行は反射的に周囲を見回す。しかし、広間のどこにも人の姿はない。
「……今の、誰?」
ソリムドが呟いた直後、椅子の正面に据えられた黒い板が、淡い青白い光を放った。
鏡のようだった表面へ、無数の古代文字が次々と浮かび上がっていく。
千年の眠りを経て、《知識の間》が動き始めていた。
【第五十八話 クリスタルスカイの王国】へ続く




