失われたオーク
日御子がマレディア王国に滞在していた、ある日のこと――。
NKJ本部の食堂には、いつものように賑やかな昼下がりが訪れていた。
アイザックは椅子へ深くもたれ、気持ち良さそうに居眠りしている。のぶおは昼食の後片付けを終え、洗った食器を一枚ずつ拭いていた。
食堂の片隅では、ここ数日、戦闘訓練に明け暮れていた鬼龍神が、腕を組んだまま欠伸を噛み殺している。
その近くで、アリスがスケッチブックへ真剣に鉛筆を走らせていた。
「できた!」
満面の笑みを浮かべ、描き上げた絵を掲げる。
「あーしの絵、どうよ?」
食堂が、しんと静まり返った。
のぶおは一瞬だけ固まったあと、どうにか微笑みを作った。
「……とても個性的ですね」
ソリムドも横から絵を覗き込む。
「カラスの絵……?」
「ポリちゃん!」
「え?」
「ポリちゃんだよ! 見て分かんない?」
「ポリアンナさんのどこにクチバシ要素があるのさ!」
アリスは得意げに胸を張った。
「あーし天才だからさー。ソリムドっちには、まだ早かったか!」
「僕の見る目が悪いみたいに言わないでよ!」
「……ふっ」
壁際から、小さな笑い声が漏れた。
パルパティーンは自分の口元へ指先で触れ、僅かに眉を寄せた。
(今、笑ったのか。この俺が)
ここへ来てから、こういうことが増えた。以前ならくだらないと切り捨てていた光景を眺め、気づけば笑っている自分がいる。
「気持ち悪りぃ」
小さく吐き捨て、誤魔化すように顔を背ける。
その変化に気づく者はいなかった。
その時、急に玄関の扉が開いた。
「うふふ……お宝……」
全員の視線が入口へ集まる。
そこには、古びた木箱を大事そうに抱えたふぉろんたいごが立っていた。箱の正面には、赤錆に覆われた小さな錠前が掛かっている。
「もう! また変なの拾ってきた!」
ソリムドが露骨に嫌そうな顔をする。居眠りしていたアイザックも、面倒そうに片目を開けた。
「今度は何を拾ってきたんすか?」
「どうせ、いつものゴミだろ」
パルパティーンが鼻で笑うと、アイザックが眉を上げた。
「お前、本人の前でよく言えるな」
「事実だろ」
「喧嘩売ってんのか?」
「買う価値はない」
「お前なぁ!」
アリスが二人の間へ割って入る。
「はいはい! あーしの前でケンカ禁止ー!」
「してねぇ」
「してない」
息の合った返事に、アリスが笑った。
「仲良しじゃん!」
二人は揃ってばつが悪そうに頭を掻いた。
ふぉろんたいごは騒ぎを気にすることなく、抱えている木箱を優しく撫でる。
「《埋蔵金探索》が反応しました。フヒヒ……今度こそ、お金持ち……」
ソリムドは廊下の奥をちらりと見て、顔をしかめた。
「前もそう言って、変な石の生首を拾ってきたよね!」
「あれとは違います」
「あれ、夜中に目が合うんだよ!」
廊下の奥には、不気味な石の胸像が飾られていた。頭にはアリスが日替わりで帽子を被せており、今日は麦わら帽子だった。
「やっぱり、こっち見てるし! しかも、いまだに売れ残ってるじゃないか!」
「それは、世間の見る目がないだけです」
ふぉろんたいごは木箱を抱え直した。
「ですが、これはきっと高く売れます。トレジャーハンターの勘が、そう告げています」
「で、その箱は何なんすか?」
アイザックに尋ねられ、ふぉろんたいごは得意げに胸を張った。
「高級なオーク材で作られています」
「それ以外は?」
「不明です」
「不明なのかよ」
「不明だからこそ、ロマンに高い値がつくんです」
その時、本を抱えて食堂へ入ってきた咲夜姫が、ぴたりと足を止めた。
視線は、ふぉろんたいごの木箱へ釘づけになっている。
「……まさか」
ゆっくりと近づき、震える指で表面に刻まれた文字をなぞる。その頬が、みるみる紅潮していった。
「失われた古代文明の文字!」
食堂が静まり返る。
咲夜姫は木箱とふぉろんたいごを何度も見比べ、堪えきれずに叫んだ。
「なんでそんな物が、その辺に落ちてるんですかぁぁぁぁぁ!?」
◇
咲夜姫は木箱を机へ置かせ、表面に刻まれた文字を食い入るように調べていた。
「間違いありません。第三古代文明期の後半に使われていた文字です。それも、刻印がほとんど欠けずに残っています」
興奮のあまり、声が僅かに震えている。
「こんな物が現存しているなんて……。早く中を確認しましょう!」
咲夜姫が箱へ手を伸ばすと、ふぉろんたいごが素早く抱き寄せた。
「駄目です」
「え?」
「このまま売ります」
「はぁぁぁぁぁ!?」
咲夜姫は信じられないものを見るような顔をした。
「これほど貴重な遺物を、何も調べずに売るつもりですか!? 中に何が入っているのかも分からないんですよ!」
「だからこそ、このまま売るんです。私が拾ってきました。私のお宝です」
「調査もせず市場へ流せば、二度と研究できなくなるかもしれません!」
「それでも良いんです。私が拾った、私のお宝です」
「どうして分かってくれないんですか!」
「活動資金が優先です」
ふぉろんたいごは木箱を抱き締め、頑として譲らなかった。
咲夜姫が悔しそうに木箱を見つめる。
その横で、鬼龍神がゆっくりと立ち上がった。
「要するに、中が見られればいいんだな?」
「え?」
咲夜姫が振り返る。
「鍵だけ壊せば、解決だ」
鬼龍神は名案を思いついたように頷いた。
「鬼龍神さん、何を――」
鬼龍神の両眼が鈍く光った。
《迅雷》が発動する。
「待ってください!」
咲夜姫が止めるより早く、ふぉろんたいごの腕から木箱が消えた。気づいた時には食卓の上へ置かれていた。
錠前だけを引きちぎるつもりだった。
だが、力加減があまりにも雑だった。
バキィッ!!
錠前を留めていた金具ごと木箱の蓋が吹き飛び、側板にも大きな亀裂が走る。
「ぎゃああああああああ!!」
「きゃああああああああ!!」
ふぉろんたいごと咲夜姫の絶叫が響き渡った。
「私のお宝ぁぁぁぁぁ!」
「貴重な遺物がぁぁぁぁぁ!」
鬼龍神は床へ落ちた蓋を眺め、気まずそうに口を開く。
「……鍵は壊れました」
「箱も壊れてますよ!」
咲夜姫にも責められ、鬼龍神は僅かに怯んだ。
「勢い余りました」
「お前、本当に雑だな」
アイザックが呆れたように笑う。
「雑じゃないし。鍵はちゃんと壊したし」
「箱も壊したけどな」
「それは……」
鬼龍神は反論できず、そっと目を逸らした。
のぶおはため息をつき、床へ散らばった木片を拾い始めた。
「鬼龍神さん。あとで、ふぉろんたいごさんへきちんと謝ってくださいね」
「えぇ……」
「壊したのは鬼龍神さんでしょう」
「でも、咲夜姫さんのために開けたんだけど」
「謝ってくださいね」
「……はい」
鬼龍神は肩を落とし、黙って木片を拾い始めた。
その時、蓋の外れた箱から、数枚の古びた羊皮紙が姿を現した。
続いて、小さな金属音とともに、一枚の青銅色のメダルが床を転がる。
「何だ、これ」
鬼龍神が拾い上げる。
円形のメダルの表面には見慣れない紋様が刻まれ、裏側には小さな古代文字が並んでいた。
「それ、ちょっと見せてください!」
咲夜姫はメダルを受け取ると、興奮した様子で何度も裏返した。
「これも古代文明の遺物です。古代王家の紋章まで刻まれています」
続いて羊皮紙を取り出し、破らないよう慎重に机へ広げる。
そこには、複雑な線が幾重にも描かれていた。
「何これ?」
アリスが首を傾げる。
「子どもの落書き?」
「違います」
咲夜姫だけが、食い入るように羊皮紙を見つめていた。
「地図ですね。でも、この地形は既存のどの研究記録とも一致しません」
文字や記号を一つずつ確かめ、その瞳を大きく見開く。
「文字の形式も羊皮紙の年代も、第三古代文明期の特徴と一致しています。これは、現代ではまだ未発見の遺跡を示す地図だと思います!」
アイザックとパルパティーンは、揃って目を瞬いた。
「……長ぇ」
「三行で」
咲夜姫は少し考え、満面の笑みを浮かべた。
「とにかく、すごいんです!」
「やっぱ分かんねぇ!」
「せめて、すごさは伝わってくださいよぉ……」
それまで黙っていたポリアンナが、机の上の地図を覗き込む。
「その遺跡には、何が眠っているんですか?」
「遺跡の最深部と思われる場所に、一つだけ名前が記されています」
咲夜姫は地図の一点を指さし、古代文字をゆっくりと読み上げた。
「――アムリタ」
その名が告げられた瞬間、部屋の空気が僅かに変わった。
「アムリタ?」
のぶおが首を傾げる。
「聞いたことがありませんね」
「古代王家が遺したとされる、最高位の秘宝です。ですが、これまで一度も発掘された記録はありません」
咲夜姫は僅かに声を落とした。
「文献に残されている記述も、たった一つだけです。曰く――『万物を覆す奇跡』」
誰もが息を呑む中、ふぉろんたいごだけが身を乗り出した。
「結局、いくらくらいになりますか?」
「そこですか!?」
咲夜姫が叫ぶ。
「ロマンですよ! 誰にも発見されていない遺跡を、私たちが最初に調査できるかもしれないんですよ!?」
「でも、高く売れますよね?」
「もう!」
その直後、咲夜姫の視線が床へ落ちた木箱の蓋へ向いた。
「……あ」
小さな声を漏らし、蓋を拾い上げる。
「どうした?」
鬼龍神が首を傾げる。
蓋の裏側にも、古代文字が刻まれていた。咲夜姫はそれを目で追ううちに、次第に顔を強張らせていく。
「封印を、正しい手順を踏まずに破った者には……古代の呪いが降りかかる」
食堂が静まり返った。
鬼龍神の表情が固まる。
「…………え?」
咲夜姫は青ざめたまま数秒黙り込み、やがて小さく舌を出した。
「……てへぺろ」
「てへぺろじゃないですよ!」
「何で内側に書いてあるんだよ! 開けるまで読めねぇじゃねぇか!」
「ちなみに、呪いの内容は?」
「書いてありません」
「余計怖ぇ!」
鬼龍神が叫んだ直後、その身体から突然力が抜けた。
糸が切れたように、その場へ倒れ込む。
「鬼龍っちパイセン!?」
アリスが慌てて駆け寄り、脈と呼吸を確かめる。瞼を開いて状態を確認すると、やがて安堵したように息を吐いた。
「生きてる!」
咲夜姫も、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かった……」
「脈も呼吸も問題ない。たぶん、ここ数日の訓練で疲れが溜まってたんだと思う。しばらく休ませれば大丈夫そう」
「疲労かよ!」
「呪いじゃないのかよ!」
食堂へ安堵と困惑の声が飛び交う。
その傍らで、ポリアンナは机に広げられた地図へ視線を戻していた。
「この地図は、本物なんですね?」
咲夜姫は迷うことなく頷く。
「間違いありません」
「それなら、放置するわけにはいきませんね」
ポリアンナは地図に記された経路を確認し、小さく頷いた。
「準備を整えて、調査隊を出しましょう」
咲夜姫が固まる。
「……本当に?」
「ええ。失われた遺跡へ行ってみましょう」
数秒の沈黙のあと、咲夜姫は両手を上げて飛び跳ねた。
「やったぁぁぁぁぁぁ!!」
こうして、一つのオーク材の木箱が、NKJを未知の遺跡へ導くことになった。
【第五十六話 魔境の伝説】へ続く




