衝突
「気付かれました!」
見張り台から、海兵の声が飛んだ。
島影に停泊していた海賊船の甲板が、俄に慌ただしくなる。
「錨を上げろ!」
「帆を張れ!」
海賊たちが一斉に走り出し、船腹の砲門が次々と開いた。黒い砲身が、真っ直ぐこちらを向く。
「敵船、砲撃準備!」
報告が飛んでも、舵輪の前に立つ夜刀の表情は動かない。
「全艦、針路そのまま。全速力を維持してください」
「はっ!」
海兵たちは迷うことなく持ち場へ戻り、軍艦は速度を落とさないまま、海賊船との距離を真っ直ぐ詰めていく。
考えるより先に、ビビアンの足は船首へ向かっていた。
轟音。
黒煙と共に放たれた砲弾が、唸りを上げて迫ってくる。
ビビアンは両手を掲げた。
「邪魔!」
砲弾の軌道が、不自然に沈む。
そのまま海面へ叩きつけられ、巨大な水柱が上がった。
続く二発目も、三発目も、軍艦へ届く前に次々と海へ落とされていく。
「な、何で当たらねぇ!?」
波の向こうから、海賊たちの叫び声が届いた。
「外してるわけじゃねぇ! 砲弾が叩き落とされてるんだ!」
「撃ち続けろ!」
再び砲声が轟く。
それでも、軍艦は針路を変えない。降り注ぐ砲弾は、ことごとく海へ沈んでいった。
「何で避けねぇんだ……!」
「真っ直ぐ向かってくるぞ!?」
動揺する海賊たちとは対照的に、甲板の海兵たちは黙々と接舷の準備を進めていく。
夜刀もまた、海賊船だけを見据えていた。
打ち合わせは要らなかった。
砲弾を落とし、距離を詰め、夜刀が跳ぶ。かつて何度も繰り返した戦い方だ。
「間もなく《座標移転》の範囲へ入ります」
夜刀が軍刀の柄へ手を掛ける。
「遅い」
ビビアンは前を向いたまま答えた。
「無茶を言わないでください」
次の瞬間、夜刀の両眼が輝き、その姿が甲板から掻き消えた。
視線を上げると、夜刀は既に、海賊船の帆柱の頂に立っていた。
「なっ!?」
海賊たちが気付いた時には、軍刀が閃いている。
帆を支えていた綱が次々と断ち切られ、張られていた帆が大きく傾いて、甲板へ覆い被さった。
「帆が!」
「畳め! 早くしろ!」
夜刀の姿が再び消え、今度は船尾に現れる。振り下ろされた軍刀が、舵輪へ繋がる操舵機構を叩き壊した。
「舵が利かねぇ!」
帆と舵を失った海賊船が、波に押されてゆっくりと向きを変える。
逃げる術を失ったその船へ、軍艦が一気に距離を詰めた。
「接舷!」
船体同士が激しくぶつかり、投げ込まれた鉤縄が二隻を固く繋ぎ止める。
夜刀が海賊船の甲板へ降り立ち、軍刀を構えた。
「総員――突入!」
号令と同時に、海兵たちが一斉に飛び移る。ビビアンもその後に続いた。
「迎え撃て!」
海賊たちが剣を抜き、押し寄せる海兵へ襲い掛かる。
その只中へ、夜刀が現れた。
峰を返した軍刀が一人を打ち倒し、次の瞬間には消えて、別の海賊の背後へ。
「ぐぁっ!」
「ど、どこだ!?」
消えては現れ、現れては倒す。海賊たちは、その姿を目で追うことすらできていなかった。
「退いて」
ビビアンが片手を払う。
見えない衝撃が横から海賊たちを薙ぎ払い、三人まとめて甲板を転がした。
弓を構えた海賊がいる。
ビキッ、と音を立てて、その弓が手の中で潰れた。
「なっ……!?」
慌てて剣へ伸ばした手ごと、男の身体が宙へ浮き、甲板へ叩きつけられる。
「相変わらず戦い方が荒いですね」
峰打ちで一人を沈めながら、夜刀が淡々と言った。
「倒せれば同じでしょ」
「否定はしませんが」
互いの姿を確かめはしない。
それでも、夜刀が踏み込めば、その死角から迫る敵をビビアンが吹き飛ばす。ビビアンへ刃が届くより早く、夜刀がその持ち主を打ち倒す。
離れていた時間などなかったかのように、二人の動きは噛み合っていた。
「舐めるなぁ!」
ひときわ大柄な男が、海兵を突き飛ばして前へ出た。
周囲の海賊より上等な外套を纏い、手には湾曲した大剣を握っている。
船長らしきその男は、真っ直ぐ夜刀へ斬り掛かった。
軍刀が受け止め、甲高い音が響く。
「この船は俺のもんだ! 誰にも渡さねぇ!」
力任せに押し込まれる大剣に、夜刀は眉ひとつ動かさなかった。
「既に、あなたの船ではありません」
その姿が消え、大剣が空を切る。
男が振り返るより早く、軍刀の柄が脇腹へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
体勢を崩した足元を海兵が払い、倒れたところへ数人が飛び掛かって、その腕を後ろ手に縛り上げる。
甲板に残っていた海賊たちも、次々と武器を捨て始めた。
「甲板、制圧完了!」
報告を受け、夜刀が隣の軍艦へ目を向ける。
「日御子様。船内の確認をお願いいたします」
「はいですの」
軍艦の縁に立つ日御子が、静かに目を閉じた。
再び開かれた瞳の奥で、淡い光が揺れる。
ビビアンは、甲板越しにその光を見ていた。
やがて、日御子の声が届く。
「子どもたちは、船倉の奥ですの。そこへ続く通路に、大人が四人います」
「第一班、通路を制圧。第二班はその後ろから、子どもたちの救出へ」
「はっ!」
海兵たちが船内へ駆け込んでいく。
間もなく、奥から報告が響いた。
「通路、制圧!」
「子どもたちを発見しました!」
「海賊船、制圧完了です!」
二隻の間へ渡し板が架けられる。
「日御子様も、こちらへ」
夜刀に促され、日御子はノワを抱き上げると、海兵たちに守られながら海賊船へ渡ってきた。
やがて、怯えた子どもたちが、海兵に連れられて船倉から姿を現した。
泣きじゃくる子。足元のおぼつかない子。互いの手を強く握ったまま、決して離そうとしない子。
「大丈夫だ!」
「もう安全だからな!」
海兵たちが声を掛けながら、子どもたちを軍艦へ誘導していく。
視界の端で、何かが光った。
振り向いた時には、もう遅かった。
縛り上げたはずの船長が立ち上がり、近くを通った少女の身体を、背後から掴み上げていた。
細い首へ、刃が押し当てられる。
「動くな!」
海兵たちの足が止まった。
「近付けば、このガキを殺す!」
夜刀が静かに軍刀へ手を掛ける。ビビアンも動かず、船長の手元を見据えた。
下手に力を使えば、刃が先に動く。
「そうだ、そのまま動くな」
船長が勝ち誇ったように笑う。
押し当てられた刃が、僅かに皮膚へ食い込んだ。
「……っ」
少女の目から、涙が零れる。
その姿を見た瞬間、日御子の身体が、考えるより先に動いた。
「その子を離してください!」
「日御子!」
ビビアンの叫びは届かない。
「馬鹿が!」
船長が少女の首から刃を離し、迫る日御子へ振り下ろす。
「危ない!」
横から、若い海兵が飛び込んできた。
日御子を突き飛ばし、その身体を庇うように船長との間へ割って入る。
刃が、肩口を深く斬り裂いた。
「ぐっ……!」
鮮血が飛び散る。
そばかすの残る頬が、苦痛に歪んだ。
甲板へ倒れ込んだ日御子は、目の前で崩れていく海兵を、ただ呆然と見上げていた。
「……え?」
「日御子様、下がって……!」
海兵は傷口を押さえたまま、それでも日御子を背に庇い続ける。
少女の首から、刃は離れていた。
その一瞬を、夜刀は逃さなかった。
姿が消え、次の瞬間には船長の背後にいる。軍刀の峰が、首筋へ叩き込まれた。
「がっ……!」
白目を剥く寸前、船長は最後の力で少女を突き飛ばした。
「きゃあっ!」
小さな身体が、甲板の外へ投げ出される。
夜刀の姿が消え、次の瞬間には、海上へ落ちていく少女の傍らへ現れていた。
その身体を抱き留めると同時に、ビビアンも右手を掲げる。
二人の身体が、ふわりと宙で静止した。
見えない力に包まれたまま、ゆっくりと甲板へ降ろされる。
「衛生兵! 負傷者の処置を!」
海兵たちが若い海兵へ駆け寄り、傷口を布で押さえて担架へ乗せる。
別の海兵が船長を縛り直すと、切れた縄と、靴の内側に仕込まれた小刀の鞘が露わになった。
夜刀は少女を別の海兵へ預け、ビビアンへ目を向けた。
「助かりました」
「……当然でしょ」
短く返し、ビビアンは運ばれていく担架を目で追う。
それから、甲板へ視線を落とした。
日御子は、座り込んだまま動いていなかった。
運ばれていく担架を、声もなく目で追っている。
膝の上に置かれた手が、小さく震えていた。
その掌が、赤く濡れているのが見えた。
「子どもたちの避難を続けてください!」
「はい!」
残る子どもたちが、次々と軍艦へ渡っていく。
やがて、最後の報告が響いた。
「子どもたちの救出、完了しました!」
張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
◇
マレディア王国西港。
軍艦が岸壁へ着くと、待ちわびていた家族たちが一斉に駆け寄ってきた。
「お母さん!」
「お父さん!」
子どもたちが泣きながら、それぞれの家族のもとへ走っていく。
その中に、市場で日御子へ突っ込んできた、あの男の子の姿があった。
「お母さん!」
駆け寄ってきた我が子を、母親は膝をついて強く抱き締める。
「良かった……本当に、良かった……!」
何度も名前を呼びながら、その小さな身体を離そうとしない。
日御子は少し離れた場所から、その姿を見つめていた。
男の子がこちらに気付き、大きく手を振る。
「お姉ちゃーん!」
日御子も、小さく手を振り返した。
「……無事で、良かったですの」
港は、安堵と歓喜に包まれていた。
「道を開けろ!」
その中を、担架が駆け抜けていく。
「もう少しだから我慢しろ!」
衛生兵が応急処置を続けながら、治療所へ向かっていった。
血の気の引いた頬に、そばかすが浮いて見えた。
歓声の中で、日御子だけが、その担架を見つめたまま動かない。
「日御子?」
ビビアンが声を掛ける。
「……私のせいですの」
その一言で、ビビアンの動きが止まった。
「……私が代わりに傷付けば良かったですの」
「……あ?」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
ビビアンはゆっくりと、日御子の前まで歩いていく。
「おい」
日御子が顔を上げた。
そこに、いつもの柔らかな笑みはなかった。
「今、何て言った?」
【第五十三話 ツナグチカラ】へ続く




