人身売買
王城の応接室。
大きな窓から青い海が見える部屋で、ロドリックは椅子へ深く腰掛けていた。
その隣には、一人の男性が背筋を真っ直ぐ伸ばして立っている。
短く切り揃えた黒髪。
鍛え上げられた身体。
腰には一本の軍刀。
一切の隙がない立ち姿だった。
部屋へ入ったビビアンを見ると、男性は静かに一礼する。
「お久しぶりです、ビビアン殿」
ビビアンは肩を竦めた。
「相変わらず堅苦しいわね」
「職務ですので」
「もう少し肩の力抜きなさいよ」
「その必要はありません」
迷いのない答えだった。
日御子は二人を見比べる。
「お知り合いですの?」
ロドリックが懐かしそうに。
「昔はビビアンが俺の左腕」
「こいつが右腕だったな」
「こいつら顔を合わせりゃ口喧嘩ばっかりだった」
「王」
男性はため息をつく。
「事実と異なる表現はお控えください」
「私は口論をした覚えはありません」
「そういうところよ」
ビビアンは呆れたように笑う。
「融通が利かないの」
「貴女が自由過ぎるだけです」
「言うようになったじゃない」
「事実です」
「……仲が良いんですの?」
日御子がぽつりと呟く。
「それはない」
「それはありません」
二人のタイミングがぴたりと重なった。
ロドリックは豪快に笑う。
「がはははは!」
「そこだけは昔から息ぴったりだ」
ビビアンは苦笑しながら席へ着いた。
「昔話はそのくらいにして」
「事件の話を聞かせてもらえますか?」
ロドリックの笑みが消える。
部屋の空気が静まり返った。
男性は机へ一枚の海図を広げる。
「改めまして」
「マレディア王国海軍総司令、夜刀と申します」
「今回の誘拐事件の指揮を執っております」
海図には無数の赤印が記されていた。
「こちらが被害地点です」
日御子は静かに海図を見つめる。
赤印は一つではない。
何十人もの子どもが攫われた証だった。
夜刀は淡々と説明を続ける。
「犯人は神出鬼没の海賊団」
「誘拐した子どもを国外へ運び、人身売買をしております」
「海軍も幾度となく追跡しました」
「しかし」
「現れる場所」
「潜伏先」
「全て毎回異なります」
「目撃情報を得た頃には、姿を消しておりました」
ロドリックが腕を組む。
「港を封鎖したこともある」
「島という島も一通り調べた」
「だが捕まらねぇ」
ビビアンは海図を見つめたまま、小さく息を吐く。
「……状況は変わってないのね」
「はい」
夜刀は静かに頷く。
「ビビアン殿が国を出られてからも、解決には至っておりません」
「被害者は増え続けています」
ビビアンは何も答えなかった。
ただ、海図へ落とした視線が少し険しくなる。
部屋に沈黙が流れる。
その静けさを破ったのは、日御子だった。
「私を連れて行ってください」
全員が日御子を見る。
「私の異能なら、お役に立てますの」
ロドリックが聞き返す。
「どんな異能だ?」
「周囲の地形や、人の位置を把握できますの」
夜刀の表情が変わる。
「人の位置まで……ですか」
日御子は小さく頷く。
「海の上では使ったことがありません」
「ですが、探すことはできます」
「必ず役に立ってみせますの」
ビビアンの眉が僅かに寄った。
(……まただ)
脳裏に、先ほどの言葉が蘇る。
『私のことは、どうでもいいですの』
日御子の異能が、捜索の役に立つことは間違いない。
今ここで、その申し出を止める理由もなかった。
けれど。
日御子の声には、自分の身を案じる素振りが少しもなかった。
「ぜひ試して頂きたい」
夜刀は迷うことなく頭を下げた。
「子供達を救える可能性があるなら、我々はその可能性に懸けます」
日御子はすぐに頷いた。
ビビアンは何も言わず、その横顔を見つめる。
今は、ただ協力を申し出ただけ。
それでも。
この先に危険が待っていた時。
日御子が何を選ぶのか。
ビビアンには、もう分かるような気がしていた。
◇
マレディア王国西港。
潮風を受けながら、一隻の軍艦がゆっくりと港を離れる。
その後ろには数隻の軍艦が続いていた。
「最後の目撃地点まで向かいます」
舵輪の前で夜刀が告げる。
「犯人は毎回逃走経路を変えています」
「ですが、目撃情報が最も多い海域は存在します」
「まずはそこを捜索します」
ロドリックが豪快に笑う。
「がはははは!」
「今回こそ尻尾を掴んでやる!」
船団は速度を上げた。
白波を立てながら沖へ進んでいく。
日御子は船首へ立ち、水平線を見つめていた。
ビビアンが隣へ来る。
「無理しないで」
「……大丈夫ですの」
短く答える。
やがて夜刀が声を掛けた。
「第一捜索海域へ到達」
「お願い致します」
日御子は静かに目を閉じた。
《王域》。
景色が変わる。
周囲一帯の海が立体的に頭の中へ広がっていく。
波。
岩礁。
海流。
船。
一つ一つを丁寧に確認する。
「……それらしき反応はありません」
夜刀はすぐに頷いた。
「針路そのまま」
「第二捜索海域へ」
軍艦は再び走り出す。
甲板には緊張が漂っていた。
海兵達も双眼鏡で海を見渡している。
誰一人、気を抜いていない。
二時間ほど進んだところで。
「第二捜索海域に到着」
夜刀が告げる。
日御子は再び《王域》を展開した。
海をなぞるように意識を巡らせる。
漁船。
商船。
岩陰。
小島。
「……違いますの」
静かに首を振る。
「了解しました」
夜刀は迷わず。
「第三捜索海域へ移行します」
新たな命令が飛ぶ。
軍艦は進路を変え、小島が点在する海域へ入っていく。
潮の流れが複雑になり。
視界も悪い。
「ここなら船を隠せるね」
ビビアンが呟く。
夜刀も頷いた。
「我々も何度も調べた海域です」
「ですが、発見には至りませんでした」
再び船が止まる。
「お願い致します」
日御子は小さく息を吸った。
三度目の《王域》。
小島の裏側。
岩陰。
海面に揺れる一隻の船。
その甲板。
そして。
船倉の奥。
「……!」
日御子の表情が変わる。
「いました!」
全員が振り向く。
日御子は海を指差した。
「あの島ですの」
「島の裏側に一隻」
「停泊しています」
「人もいます」
夜刀は双眼鏡を構えた。
島影に隠れて船は見えない。
静かに双眼鏡を下ろす。
「その場所は死角になっています」
「こちらからは確認できません」
ロドリックが立ち上がる。
「がはははは!」
「ようやく見つけたか!」
夜刀は即座に振り返る。
「全艦」
「戦闘配置」
号令が響く。
海兵達が一斉に武器を手に取る。
帆が張られ。
軍艦は静かに島影へ近付いていく。
誰一人、声を上げない。
奇襲は成功する。
そう確信しながら。
◇
島影まで、およそ五百メートル。
海賊船はまだこちらに気付いていない。
「全艦、停止」
夜刀の声と共に軍艦がゆっくり速度を落とす。
波の音だけが響く。
海兵たちは剣を抜き、盾を構えた。
弓兵も静かに矢を番える。
「この距離なら一気に制圧できます」
夜刀は海賊船を見据えた。
「子どもたちの安全を最優先とします」
「突入後は二班に分かれます」
「第一班は海賊を制圧」
「第二班は船倉から子供達を救出」
「決して単独行動は――」
「少し待ってください」
夜刀が振り返る。
「どうされましたか」
日御子は海賊船を見つめたまま、小さく拳を握っていた。
「私が先に行きますの」
静まり返る。
「子供達の場所は分かっています」
「私が囮になりますの」
「その間に皆さんが助けてください」
海風だけが、二人の間を吹き抜ける。
(やっぱり)
ビビアンの胸の奥で、何かが軋んだ。
(この子は、また自分を差し出した)
子供達を助けたいという気持ちは分かる。
だが、そのためなら自分がどうなっても構わない。
日御子は、それを当然のように作戦へ組み込んでいる。
――私のことは、どうでもいいですの。
あの言葉が、再び耳の奥で響いた。
「その必要はありません」
夜刀が静かに告げる。
「囮は用いません」
「日御子様には後方から《王域》を使い、子供達と海賊の動きを伝えていただきたい」
「突入は、我々海軍の役目です」
「ですが――」
「日御子」
ビビアンの声から、いつもの柔らかさが消えた。
日御子が僅かに肩を震わせる。
ビビアンはゆっくりと、その前まで歩み寄った。
「あなたを囮にはさせない」
「今は話している時間がない」
「まず子供達を助けよう」
一拍置き。
日御子を真っ直ぐ見つめる。
「話は、そのあと」
「……はいですの」
日御子は小さく頷いた。
夜刀は二人を見つめると、軍刀を抜く。
「総員」
「突入準備」
静まり返った海へ、号令が響き渡る。
ビビアンは海賊船を見据えた。
救出が終わるまでは。
胸の奥で膨れ上がるものを、押し殺すように。
けれど。
一度火がついた怒りは、消えることなく燃え続けていた。
【第五十二話 衝突】へ続く




