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海賊国家

マレディア王国へ到着したその日の午後。


宿へ荷物を置いたビビアンは、小さく息を吐いた。


「……行きましょうか」


日御子が首を傾げる。


「どちらへですの?」


「王様のところです」


ビビアンは少しだけ苦笑した。


「帰ってきた以上、ご挨拶だけはしておかないと」


「そうでないと、後で怒られてしまうから」


冗談めかして笑う。


けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。


日御子はそれ以上何も聞かなかった。


二人は宿を出て、城へ向かう。


潮風が街を吹き抜ける。


行き交う人々は、ビビアンの姿を見つけると驚いたように目を丸くし。


嬉しそうに手を振った。


「おっ、ビビアン!」


「帰ってきたのかよ!」


「久しぶり!」


ビビアンも笑顔で手を振り返す。


「少しだけですよ」


「またお世話になります」


そんなやり取りを交わしながら城門をくぐる。


やがて二人は、王の執務室へと案内された。



王城。


執務室。


机の上には書類が山のように積まれていた。


その一枚一枚へ目を通しながら、男は慣れた手つきで判を押していく。


コンコン。


扉が叩かれた。


「入れ」


侍従が一礼する。


「王」


「ビビアン様がお見えです」


王の手が止まる。


「……誰だって?」


侍従はもう一度繰り返した。


「ビビアン様です」


しばらく部屋が静まり返る。


男は書類からゆっくり顔を上げた。


「……通せ」


短く答える。


その声は、どこか信じられないものを聞いたようだった。



扉が開く。


「失礼致します」


ビビアンが一礼し、部屋へ入る。


その後ろから日御子も頭を下げた。


王は椅子から立ち上がる。


数歩近付き。


ビビアンの顔をじっと見つめた。


「……」


沈黙。


やがて。


「帰ってきたのか」


その一言だけだった。


責めるでもなく。


問い詰めるでもなく。


ただ、静かにそう言った。


ビビアンは視線を少し伏せる。


「……ご無沙汰しております」


王は小さく笑う。


そして。


ぽん、とビビアンの肩へ手を置いた。


「がははは」


「元気そうで何よりだ」


その言葉に。


ビビアンは少しだけ胸が締め付けられる。


やっぱり。


この人は変わらない。


だからこそ。


会いたくなかった。


「ありがとうございます」


それだけ返すのが精一杯だった。



王は視線を日御子へ向ける。


「そちらは?」


ビビアンが一歩前へ出る。


「あたしの知人です」


「しばらくこの国へ滞在させていただきたいと思っています」


日御子は深く頭を下げた。


「日御子と申しますの」


「ロドリックだ」


王――ロドリックは穏やかに頷く。


「マレディア王国は客人を歓迎する国だ」


「好きなだけ滞在するといい」


日御子は少しだけ驚いた。


事情も。


身元も。


何一つ聞かれなかったからだ。


「……よろしいのですの?」


思わず尋ねる。


ロドリックは豪快に笑った。


「ビビアンが連れてきた客人だ」


「それだけで十分だ」


その言葉に。


今度はビビアンの方が目を伏せた。


あいかわらず。


昔から。


この人は、身内を全く疑わない。



「それで」


ロドリックが椅子へ腰掛ける。


「戻ってきたのか?」


ビビアンは少しだけ間を置いた。


「……いえ」


「一時的です」


ロドリックは少しだけ寂しそうに目を細める。


「そうか」


だが。


すぐにいつもの笑みへ戻った。


「それでも、帰ってきてくれて嬉しい」


その一言が。


ビビアンの胸へ静かに突き刺さる。


「……」


何も返せない。


返してしまえば。


今まで積み重ねてきた決意まで揺らいでしまいそうだった。


だから。


ただ、小さく頭を下げる。


それだけだった。



翌朝。


「今日は街を案内するよ」


ビビアンの言葉に、日御子は静かに頷いた。


宿屋を出た瞬間。


「いらっしゃい!」


「朝獲れだよー!」


「焼きたてだ!」


威勢のいい声が四方八方から飛び交う。


市場には色鮮やかな果物や魚介が所狭しと並び、人々が笑いながら品定めをしている。


大道芸人が火の付いた棒を軽々と投げ回し、その周りでは子どもたちが歓声を上げる。


少し先では楽器を抱えた一団が軽快な音楽を奏で。


それに合わせ、男女が楽しそうに踊っていた。


「……」


日御子は辺りを見回す。


「毎日、お祭りですの?」


思わず漏れた一言に、ビビアンはくすりと笑う。


「いつもこんな感じよ」


「みんな、楽しむのが大好きなの」


日御子はもう一度街を見渡した。


海から潮風が吹き込み。


誰もが笑っている。


忙しく働きながら。


声を掛け合いながら。


それが、この国の日常だった。


突然。


子どもたちが日御子の手を引く。


「お姉ちゃんも一緒に踊ろう!」


日御子は少し驚き。


それから優しく微笑んだ。


「私は見ているだけで十分ですの」


「そっかー!」


子どもたちは笑って駆けていく。


その笑顔を、日御子も穏やかに見送った。


だが。


決してその輪へ入ろうとはしなかった。


ビビアンは、じっとその横顔を見つめていた。



港の方角から低く響くラッパの音が聞こえた。


続いて、よく通る号令。


「第三艦隊!」


「総員、出港準備!」


日御子は思わず港へ目を向ける。


巨大な帆船が幾重にも並び、海兵達が慌ただしく走り回っていた。


帆が張られ。


縄が引かれ。


物資が次々と積み込まれていく。


見事なまでに統率された動きだった。


「行ってらっしゃい!」


市場の魚屋が大きく手を振る。


「ちゃんと帰ってこいよー!」


野菜を並べていた女性も笑う。


「土産忘れんな!」


「酒なら買ってくるぞ!」


「いらねぇから仕事してこい!」


街中が笑いに包まれた。


海兵達も笑い返しながら帽子を振る。


「任せとけ!」


「海は俺達が守るからな!」


帆船がゆっくりと港を離れていく。


「……軍ですの?」


日御子が小さく呟く。


ビビアンは頷いた。


「うん」


「この国の艦隊」


「海賊や海獣から航路を守ったり、商船の護衛をしたり」


「海で暮らす人達を守るのが、あの人達の役目です」


「この国は海で生きる国だから」


日御子は静かに艦隊を見送る。


陽気な街とは対照的な、無駄のない動き。


この国は。


笑っているだけではない。


そんなことを、改めて感じた。



「がははは!」


ひときわ大きな笑い声が響いた。


人だかりができている。


「王様!」


「もう一回!」


子どもたちの歓声が聞こえる。


日御子が人垣の隙間から覗くと。


そこにはロドリックがいた。


子どもたちと腕相撲をしている。


「ぬおおおっ!」


ロドリックが大袈裟に唸る。


「勝ったー!」


子どもが両手を上げて飛び跳ねる。


「がははは!」


「強くなったじゃねぇか!」


豪快に笑いながら子どもの頭を撫でる。


周囲の大人たちも大笑いだった。


「負けたんですの……?」


日御子が呆気に取られて呟く。


ビビアンが肩を竦める。


「もちろん手加減」


「子ども相手には、いつもああなの」


その時だった。


一人の海兵が駆け寄り、王の前で敬礼する。


「ロドリック王!」


「第三艦隊、出港しました!」


ロドリックは子どもの頭から手を離し、海の方角へ目を向けた。


さっきまでの笑顔が、すっと消える。


「そうか」


短く頷き、遠ざかる帆船へ目を向ける。


「頼んだぞ、第三艦隊」


海兵は力強く敬礼すると、再び港へ駆けていった。


ロドリックはその背中を見届けると。


ふっと表情を緩める。


「さて!」


「もう一回だ!」


「今度は負けねぇぞ!」


「がははは!」


子どもたちが一斉に歓声を上げる。


日御子はその光景を、しばらく黙って見つめていた。


「……不思議な国ですの」


その呟きに。


ビビアンは穏やかに微笑んだ。


「でしょう?」


「だからあたしは、この国が好きなの」


ビビアンは笑った。


日御子も街を見渡し、小さく頷く。


「本当に、素敵な国ですの」


そう言う顔は穏やかだった。


けれど。


市場でも。


子どもたちに誘われた時も。


ただ眺めるだけで、自分から距離をとっていた。


ビビアンは、そんな日御子の横顔を見つめる。


(景色を変えただけじゃ、まだ足りないんだ)


何が、この子をそこまで縛っているのか。


それは分からない。


ビビアンは何も聞かず、ただ日御子の隣に立った。


楽しげな笑い声が、潮風に乗って二人の前を通り過ぎていった。


その時。


「お姉ちゃーん!」


市場へ元気な声が響いた。


日御子が振り返る。


小さな男の子が、満面の笑みで真っ直ぐこちらへ駆けてきていた。



【第五十話 どうでもいい命】へ続く

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