海賊国家
マレディア王国へ到着したその日の午後。
宿へ荷物を置いたビビアンは、小さく息を吐いた。
「……行きましょうか」
日御子が首を傾げる。
「どちらへですの?」
「王様のところです」
ビビアンは少しだけ苦笑した。
「帰ってきた以上、ご挨拶だけはしておかないと」
「そうでないと、後で怒られてしまうから」
冗談めかして笑う。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
日御子はそれ以上何も聞かなかった。
二人は宿を出て、城へ向かう。
潮風が街を吹き抜ける。
行き交う人々は、ビビアンの姿を見つけると驚いたように目を丸くし。
嬉しそうに手を振った。
「おっ、ビビアン!」
「帰ってきたのかよ!」
「久しぶり!」
ビビアンも笑顔で手を振り返す。
「少しだけですよ」
「またお世話になります」
そんなやり取りを交わしながら城門をくぐる。
やがて二人は、王の執務室へと案内された。
◇
王城。
執務室。
机の上には書類が山のように積まれていた。
その一枚一枚へ目を通しながら、男は慣れた手つきで判を押していく。
コンコン。
扉が叩かれた。
「入れ」
侍従が一礼する。
「王」
「ビビアン様がお見えです」
王の手が止まる。
「……誰だって?」
侍従はもう一度繰り返した。
「ビビアン様です」
しばらく部屋が静まり返る。
男は書類からゆっくり顔を上げた。
「……通せ」
短く答える。
その声は、どこか信じられないものを聞いたようだった。
◇
扉が開く。
「失礼致します」
ビビアンが一礼し、部屋へ入る。
その後ろから日御子も頭を下げた。
王は椅子から立ち上がる。
数歩近付き。
ビビアンの顔をじっと見つめた。
「……」
沈黙。
やがて。
「帰ってきたのか」
その一言だけだった。
責めるでもなく。
問い詰めるでもなく。
ただ、静かにそう言った。
ビビアンは視線を少し伏せる。
「……ご無沙汰しております」
王は小さく笑う。
そして。
ぽん、とビビアンの肩へ手を置いた。
「がははは」
「元気そうで何よりだ」
その言葉に。
ビビアンは少しだけ胸が締め付けられる。
やっぱり。
この人は変わらない。
だからこそ。
会いたくなかった。
「ありがとうございます」
それだけ返すのが精一杯だった。
◇
王は視線を日御子へ向ける。
「そちらは?」
ビビアンが一歩前へ出る。
「あたしの知人です」
「しばらくこの国へ滞在させていただきたいと思っています」
日御子は深く頭を下げた。
「日御子と申しますの」
「ロドリックだ」
王――ロドリックは穏やかに頷く。
「マレディア王国は客人を歓迎する国だ」
「好きなだけ滞在するといい」
日御子は少しだけ驚いた。
事情も。
身元も。
何一つ聞かれなかったからだ。
「……よろしいのですの?」
思わず尋ねる。
ロドリックは豪快に笑った。
「ビビアンが連れてきた客人だ」
「それだけで十分だ」
その言葉に。
今度はビビアンの方が目を伏せた。
あいかわらず。
昔から。
この人は、身内を全く疑わない。
◇
「それで」
ロドリックが椅子へ腰掛ける。
「戻ってきたのか?」
ビビアンは少しだけ間を置いた。
「……いえ」
「一時的です」
ロドリックは少しだけ寂しそうに目を細める。
「そうか」
だが。
すぐにいつもの笑みへ戻った。
「それでも、帰ってきてくれて嬉しい」
その一言が。
ビビアンの胸へ静かに突き刺さる。
「……」
何も返せない。
返してしまえば。
今まで積み重ねてきた決意まで揺らいでしまいそうだった。
だから。
ただ、小さく頭を下げる。
それだけだった。
◇
翌朝。
「今日は街を案内するよ」
ビビアンの言葉に、日御子は静かに頷いた。
宿屋を出た瞬間。
「いらっしゃい!」
「朝獲れだよー!」
「焼きたてだ!」
威勢のいい声が四方八方から飛び交う。
市場には色鮮やかな果物や魚介が所狭しと並び、人々が笑いながら品定めをしている。
大道芸人が火の付いた棒を軽々と投げ回し、その周りでは子どもたちが歓声を上げる。
少し先では楽器を抱えた一団が軽快な音楽を奏で。
それに合わせ、男女が楽しそうに踊っていた。
「……」
日御子は辺りを見回す。
「毎日、お祭りですの?」
思わず漏れた一言に、ビビアンはくすりと笑う。
「いつもこんな感じよ」
「みんな、楽しむのが大好きなの」
日御子はもう一度街を見渡した。
海から潮風が吹き込み。
誰もが笑っている。
忙しく働きながら。
声を掛け合いながら。
それが、この国の日常だった。
突然。
子どもたちが日御子の手を引く。
「お姉ちゃんも一緒に踊ろう!」
日御子は少し驚き。
それから優しく微笑んだ。
「私は見ているだけで十分ですの」
「そっかー!」
子どもたちは笑って駆けていく。
その笑顔を、日御子も穏やかに見送った。
だが。
決してその輪へ入ろうとはしなかった。
ビビアンは、じっとその横顔を見つめていた。
◇
港の方角から低く響くラッパの音が聞こえた。
続いて、よく通る号令。
「第三艦隊!」
「総員、出港準備!」
日御子は思わず港へ目を向ける。
巨大な帆船が幾重にも並び、海兵達が慌ただしく走り回っていた。
帆が張られ。
縄が引かれ。
物資が次々と積み込まれていく。
見事なまでに統率された動きだった。
「行ってらっしゃい!」
市場の魚屋が大きく手を振る。
「ちゃんと帰ってこいよー!」
野菜を並べていた女性も笑う。
「土産忘れんな!」
「酒なら買ってくるぞ!」
「いらねぇから仕事してこい!」
街中が笑いに包まれた。
海兵達も笑い返しながら帽子を振る。
「任せとけ!」
「海は俺達が守るからな!」
帆船がゆっくりと港を離れていく。
「……軍ですの?」
日御子が小さく呟く。
ビビアンは頷いた。
「うん」
「この国の艦隊」
「海賊や海獣から航路を守ったり、商船の護衛をしたり」
「海で暮らす人達を守るのが、あの人達の役目です」
「この国は海で生きる国だから」
日御子は静かに艦隊を見送る。
陽気な街とは対照的な、無駄のない動き。
この国は。
笑っているだけではない。
そんなことを、改めて感じた。
◇
「がははは!」
ひときわ大きな笑い声が響いた。
人だかりができている。
「王様!」
「もう一回!」
子どもたちの歓声が聞こえる。
日御子が人垣の隙間から覗くと。
そこにはロドリックがいた。
子どもたちと腕相撲をしている。
「ぬおおおっ!」
ロドリックが大袈裟に唸る。
「勝ったー!」
子どもが両手を上げて飛び跳ねる。
「がははは!」
「強くなったじゃねぇか!」
豪快に笑いながら子どもの頭を撫でる。
周囲の大人たちも大笑いだった。
「負けたんですの……?」
日御子が呆気に取られて呟く。
ビビアンが肩を竦める。
「もちろん手加減」
「子ども相手には、いつもああなの」
その時だった。
一人の海兵が駆け寄り、王の前で敬礼する。
「ロドリック王!」
「第三艦隊、出港しました!」
ロドリックは子どもの頭から手を離し、海の方角へ目を向けた。
さっきまでの笑顔が、すっと消える。
「そうか」
短く頷き、遠ざかる帆船へ目を向ける。
「頼んだぞ、第三艦隊」
海兵は力強く敬礼すると、再び港へ駆けていった。
ロドリックはその背中を見届けると。
ふっと表情を緩める。
「さて!」
「もう一回だ!」
「今度は負けねぇぞ!」
「がははは!」
子どもたちが一斉に歓声を上げる。
日御子はその光景を、しばらく黙って見つめていた。
「……不思議な国ですの」
その呟きに。
ビビアンは穏やかに微笑んだ。
「でしょう?」
「だからあたしは、この国が好きなの」
ビビアンは笑った。
日御子も街を見渡し、小さく頷く。
「本当に、素敵な国ですの」
そう言う顔は穏やかだった。
けれど。
市場でも。
子どもたちに誘われた時も。
ただ眺めるだけで、自分から距離をとっていた。
ビビアンは、そんな日御子の横顔を見つめる。
(景色を変えただけじゃ、まだ足りないんだ)
何が、この子をそこまで縛っているのか。
それは分からない。
ビビアンは何も聞かず、ただ日御子の隣に立った。
楽しげな笑い声が、潮風に乗って二人の前を通り過ぎていった。
その時。
「お姉ちゃーん!」
市場へ元気な声が響いた。
日御子が振り返る。
小さな男の子が、満面の笑みで真っ直ぐこちらへ駆けてきていた。
【第五十話 どうでもいい命】へ続く




