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招かれざる客

乾いた風が、荒野を吹き抜ける。


どこまでも続く赤茶けた大地。


その中を、一人と一匹がゆっくりと歩いていた。


「今日は……暑いですの」


日御子が空を見上げる。


ノワは短く鳴き、その足元へ擦り寄った。


「もう少し歩けば、休めそうですの」


そう言って微笑む。


その笑顔は穏やかだったが、顔色は決して良くなかった。


頬は痩せこけ、足取りも日に日に重くなっている。


それでも日御子は歩みを止めない。



昼過ぎ。


大きな岩陰を見つけると、日御子は腰を下ろした。


鞄を開く。


中に残っていたのは、小さく硬くなったパンが一つだけ。


静かに半分へ割る。


大きい方をノワへ差し出した。


「はい」


「にゃあ」


嬉しそうに頬張るノワを見つめながら、日御子は残った半分をさらに小さく千切る。


一欠片だけ口へ運び、ゆっくりと噛み締めた。


残りは布へ包み、鞄へ戻す。


「私はこれで十分ですの」


ノワは食べ終えると、首を傾げた。


「にゃ?」


「ちゃんと食べています」


優しく笑う。


「これ以上は、必要ありませんの」


ノワは納得していない様子で、鞄を見つめている。


日御子は苦笑しながら、その頭を撫でた。


「心配性ですの」



歩き始めてから数時間。


照り返す熱気が体力を奪っていく。


空腹はある。


喉も渇く。


だが、それは予定通りだ。


身体が少しずつ悲鳴を上げる。


それくらいでいい。


歩ける程度で。


その程度の苦しみでは、まだ足りないが。


「……」


足を止める。


身体が思った以上に重い。


息も少し荒い。


額の汗を拭いながら、小さく笑った。


「少し……見誤りましたの」


苦しませるつもりだった。


死なせるつもりはない。


こんなところで終わらせてやるわけにはいかなかった。


もう一歩だけ。


そう思って踏み出した足から、力が抜ける。


「あ……」


世界が傾いた。


そのまま地面へ倒れ込む。


乾いた砂埃が舞った。


「にゃっ!」


ノワが慌てて駆け寄る。


頬を前足で叩く。


服を噛んで引っ張る。


それでも日御子は目を開けない。


「にゃぁっ!」


必死な鳴き声だけが荒野へ響いていた。



「……猫?」


その声に、ノワが勢いよく振り向く。


近くを歩いていた一人の女性が、足を止めていた。


柔らかな笑みを浮かべた、美しい女性だった。


ノワは女性を見るなり、足元へ走る。


女性を呼ぶために。


「もしかして……来てほしいんですか?」


女性は少しだけ目を丸くすると、小走りでノワの後を追った。


岩陰へ辿り着き。


倒れている日御子を見つける。


「えっ……!」


すぐに駆け寄り、膝をつく。


肩へ手を添える。


「大丈夫ですか?」


返事はない。


額へ触れる。


熱い。


脈を確かめる。


弱い。


女性は周囲を見回し、すぐ鞄へ目を向けた。


中には、食べかけのパンが残っている。


「……食べ物はある」


なら、なぜ。


その答えに気付くまで時間は掛からなかった。


頬は痩せ。


腕は細い。


「栄養失調……」


女性は水筒を取り出し、日御子の身体をゆっくり抱き起こした。


「少しだけ、お水を飲みましょう」


唇へ水を近付ける。


日御子はゆっくりと目を開けた。


ぼんやりと女性を見つめる。


そして小さく首を横へ振った。


「……まだ」


掠れた声が漏れる。


「まだ……苦しみが足りませんの」


女性は困ったように眉を下げた。


(この子……)


しかし。


「何があったのかは分かりません」


「でも」


「あなたは今、休まなければいけません」


その声は穏やかで、どこまでも優しかった。



「……パルパティーン」


ポリアンナがその名を呼ぶ。


その言葉が終わるより前に。


「おいテメェ」


「たしか、前に借りがあったよな」


アイザックが一歩前へ出た。


鋭い眼差しをパルパティーンへ向ける。


「あの日の続きだ」


パルパティーンは肩に担いだ刀を軽く持ち直す。


「……やるのか?」


「当たり前だろ」


言い終わった瞬間。


アイザックが踏み込んだ。


手甲を纏った拳が一直線に突き出される。


ガァンッ!!


パルパティーンが刀で受け止める。


衝撃で床が軋んだ。


「お、おい!」


鬼龍神が青筋を浮かべる。


「てめーら部屋ぶっ壊す気か!!」


「やるなら外でやれ!!」


アイザックは舌打ちすると、そのまま入口へ駆け出した。


「逃げんなよ!」


「誰が」


パルパティーンも鼻を鳴らし、その後を追う。



本部の前。


アイザックとパルパティーンが、数歩の距離を置いて向かい合う。


二人の間を、乾いた風が通り抜けた。


鬼龍神たちも本部から出てきたが、ポリアンナが片手を上げて制する。


誰も二人の間には入らなかった。


一瞬の静寂。


先に動いたのは、アイザックだった。


地面を蹴り、真正面から飛び込む。


右拳が唸る。


パルパティーンは刀身で受け流した。


その刹那。


アイザックが刀の外側へ身体を滑らせる。


眼帯に塞がれた側。


パルパティーンの死角へ潜り込み、軸足を捻った。


「はぁっ!」


炎を纏った蹴りが脇腹へ炸裂する。


爆炎が弾け、パルパティーンの身体が横へ押し流された。


靴底が地面を削る。


「……チッ」


踏みとどまったパルパティーンが、口元を歪める。


「もうバレてんのかよ」


アイザックは構えを崩さない。


「ポリアンナの読みは当たってたみてぇだな」


再び地面を蹴る。


正面から繰り出すのは、異能を使わない拳。


一撃。


二撃。


三撃。


パルパティーンは刀で弾き、受け流し、僅かに身を引いて躱していく。


アイザックが横へ抜けた。


死角へ入った瞬間、拳へ炎が宿る。


だが。


パルパティーンは素早く身体の向きを変え、その炎を視界へ捉えた。


拳を覆っていた炎が、一瞬で消える。


「同じ手が何度も通ると思うな」


刀の柄がアイザックの肩へ叩き込まれる。


「ぐっ……!」


体勢が崩れたところへ、刀の腹が横薙ぎに迫る。


アイザックは上体を反らして躱した。


鼻先を冷たい刃が通過する。


そのまま後方へ跳び、間合いを取り直す。


パルパティーンは追わない。


刀を構えたまま、常にアイザックを正面へ置くように足を運ぶ。


横へ回ろうとすれば、刀の切っ先が進路を塞ぐ。


逆へ動いても、身体の向きを変えて死角を消す。


「面倒な戦い方しやがる」


だが、その表情にはどこか楽しそうな色も浮かんでいた。


「そりゃこっちの台詞だ」


アイザックが踏み込む。


放たれた拳を、パルパティーンが刀で受け流す。


同時に、アイザックの踵が地面を強く擦った。


砂と小石が跳ね上がる。


「くっ!」


パルパティーンが反射的に目を細めた。


その一瞬。


アイザックが懐へ潜り込む。


炎を纏った拳が、脇腹へ叩き込まれた。


轟音。


爆炎と砂埃が二人の姿を呑み込む。


アイザックはすぐに拳を引き、煙の向こうへ目を凝らした。


「手応えが軽い……?」


煙が風に流される。


その中に、パルパティーンの姿はなかった。


「悪ぃな」


声は、離れた場所から聞こえた。


全員が振り向く。


パルパティーンは、のぶおのすぐ隣に立っていた。


その手が、のぶおの肩へ置かれている。


「……いつの間に」


のぶおが静かに目を見開く。


パルパティーンは何事もなかったかのように手を離した。


アイザックの炎と砂埃を目眩ましに使い、その場を抜けたのだ。


「てめぇ!」


アイザックが地面を蹴る。


パルパティーンも再び距離を取り、片手を前へ掲げた。


アイザックが真正面から炎の拳を叩き込む。


その瞬間。


ギィィンッ!!


金属が軋むような音が響いた。


炎は透明な障壁へ阻まれ、四方へ弾け飛ぶ。


「は?」


アイザックが目を見開く。


「えぇっ!?」


アリスが思わず声を上げた。


ソリムドも息を呑む。


「障壁……?」


のぶおが展開された障壁を見つめる。


形も。


広がり方も。


自分の《絶界守護》と同じだった。


「……私の異能」


パルパティーンは障壁を軽く指で弾く。


硬質な音が響いた。


「悪くねぇな」


アイザックは一瞬だけ黙り。


やがて、口元を吊り上げた。


「だったら」


両拳へ炎が宿る。


「それごと砕くだけだ!」


炎弾が放たれた。


一発。


続けて二発。


三発。


五発。


爆音が立て続けに山へ響く。


炎が障壁へ衝突するたび、赤い火の粉が激しく飛び散った。


それでも、障壁は炎を受け止めている。


パルパティーンの表情には、まだ余裕があった。


だが。


アイザックは止まらない。


前の炎が消えるより早く、炎が次々と叩き込まれる。


一発ごとの衝撃が重なり、障壁の表面が波打ち始めた。


十発。


パルパティーンの身体が、障壁ごと僅かに後方へ押される。


靴底が地面を滑った。


「……ほう」


アイザックが一歩前へ出る。


さらに一歩。


距離を詰めながら、両拳から炎を撃ち続ける。


炎弾はもはや一発ずつには見えない。


幾重にも重なった炎が巨大な奔流となり、真正面から障壁を呑み込んでいく。


熱風が吹き荒れた。


地面が焼け、周囲の草が一瞬で燃え上がる。


障壁の内側にいるパルパティーンの頬を、汗が伝った。


障壁が大きく軋み、表面が歪む。


それでもアイザックは構わず撃ち続けた。


「おらおら、どうした!」


二十発目の炎弾が、真正面から障壁へ炸裂した。


バキッ。


小さな音が響く。


障壁の中央に、一本の亀裂が走った。


その亀裂は炎を受けるたび、枝分かれしながら周囲へ広がっていく。


パルパティーンの表情から、完全に余裕が消えた。


「……やっぱコピーはコピーだな」


亀裂だらけの障壁を見つめ、苦々しく舌打ちする。


「まだ終わってねぇぞ!」


アイザックの両拳を包む炎が、さらに大きく膨れ上がる。


障壁の向こうで、パルパティーンが僅かに腰を落とした。


次の一撃。


それを受ければ、障壁は砕ける。


誰もがそう確信した、その時。


「そこまでです」


静かな声が響いた。


ポリアンナだった。


アイザックの拳から、炎が消える。


パルパティーンも小さく息を吐き、亀裂だらけの障壁を解除した。


「私に話があったから、ここへ来たのでしょう?」


パルパティーンは頭を掻く。


「あぁ」


「危うく忘れるところだった」


アイザックは警戒を解かない。


「何しに来た」


パルパティーンはポリアンナを真っ直ぐ見据えた。


「俺を」


一拍置く。


「お前んとこへ入れろ」


静寂が落ちた。


最初に口を開いたのはアイザックだった。


「……てめぇ、ふざけてんのか?」


鬼龍神も目を丸くする。


「お、お前、今なんつった?」


アリスは「えぇぇぇっ!?」と叫び。


ソリムドは口をぽかんと開けた。


ただ一人。


ポリアンナだけは静かにその男を見つめ返していた。



【第四十六話 方舟】へ続く

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