↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/82

招かれざる客

 乾いた風が、赤茶けた荒野を吹き抜けていく。


 遮るもののない大地がどこまでも続き、その只中を、一人と一匹がゆっくりと歩いていた。


「今日は……暑いですの」


 日御子は目を細め、白く霞んだ空を見上げた。


 足元のノワが短く鳴き、その脚へ身体を擦り寄せる。


「もう少し歩けば、休めそうですの」


 そう言って微笑む。


 穏やかな笑みだった。けれど、その顔色は決して良くない。頬は削げ、一歩ごとに足取りが重くなっていくのが、自分でも分かっていた。


◇


 昼を過ぎた頃、大きな岩陰を見つけて腰を下ろし、鞄を開く。


 中に残っていたのは、小さく硬くなったパンがひとつだけだった。


 二つへ割り、大きい方をノワへ差し出す。


「はい」


「にゃあ」


 嬉しそうに頬張るノワを見つめながら、日御子は残った半分をさらに小さく千切った。


 一欠片だけを口へ運び、ゆっくりと噛み締める。残りは布に包み、鞄へ戻した。


「私はこれで十分ですの」


 食べ終えたノワが、首を傾げてこちらを見上げる。


「ちゃんと食べています」


 日御子は優しく笑った。


「これ以上は、必要ありませんの」


 ノワは納得していない様子で、じっと鞄を見つめている。


 その頭を撫でながら、日御子は苦笑した。


◇


 歩き始めてから、数時間が過ぎた。


 地面から照り返す熱が、容赦なく体力を奪っていく。


 空腹はある。喉も渇いている。


 けれど、それでいい。


 歩ける程度に削り、倒れない程度に飢える。そうやって少しずつ自分を痛めつけることは、旅に出た日から決めていた。


 この程度の苦しみでは、まだ足りない。


「……」


 ふと、足が止まった。


 身体が思っていた以上に重い。息も、いつの間にか浅く荒くなっている。


 額の汗を拭いながら、日御子は小さく笑った。


「少し……見誤りましたの」


 苦しませるだけで、死なせるつもりはなかった。


 こんなところで終わらせてやるわけには、いかないのだから。


 もう一歩だけ。


 そう思って踏み出した足から、ふっと力が抜けた。


「あ……」


 世界が傾く。


 受け身を取る間もなく地面へ倒れ込み、乾いた砂埃が舞い上がった。


「にゃっ!」


 ノワが慌てて駆け寄る。


 前足で頬を叩き、服の裾を噛んで懸命に引っ張る。それでも、日御子の瞼は開かなかった。


「にゃぁっ!」


 必死な鳴き声だけが、誰もいない荒野に響いていた。


◇


「……猫?」


 その声に、ノワが勢いよく振り向いた。


 少し離れた場所で、一人の女性が足を止めている。柔らかな笑みを湛えた、美しい女性だった。


 ノワは迷わずその足元へ駆け寄ると、すぐに踵を返し、数歩進んでは振り返る。


「もしかして……来てほしいんですか?」


 女性は小さく目を丸くし、小走りでノワの後を追った。


 岩陰を回り込んだところで、倒れている少女が目に入る。


「えっ……!」


 すぐに駆け寄って膝をつき、その肩へ手を添えた。


「大丈夫ですか?」


 返事はない。


 額へ触れると、熱かった。手首を取ると、脈が弱い。


 女性は素早く周囲を見回し、傍らの鞄へ目を向ける。


 中には、食べかけのパンが残っていた。


 足元の黒猫へ目を落とす。毛並みには艶があり、痩せた様子もない。


 それなのに、この子だけが。


「……食べ物はあるのに」


 答えに辿り着くまで、時間は掛からなかった。


 削げた頬。枝のように細くなった腕。


「栄養失調……」


 女性は水筒を取り出し、少女の身体をゆっくりと抱き起こした。


「少しだけ、お水を飲みましょう」


 唇へ水を近付ける。


 その時、日御子の瞼が僅かに持ち上がった。焦点の合わない瞳が、ぼんやりと女性を映す。


 そして、小さく首を横へ振った。


「……まだ」


 掠れた声が漏れる。


「まだ……苦しみが足りませんの」


 女性は困ったように眉を下げた。


(この子……)


 それでも、抱き起こした腕を離しはしない。


「何があったのかは分かりません。でも、あなたは今、休まなければいけません」


 その声は穏やかで、どこまでも優しかった。


◇


「……パルパティーン」


 ポリアンナがその名を口にした。


 だが、言葉が終わるより早く、アイザックが一歩前へ出る。


「おい。てめぇには、前に借りがあったよな」


 鋭い眼差しが、真っ直ぐパルパティーンへ向けられる。


「あの日の続きだ」


 パルパティーンは手にした剣を軽く持ち直した。


「……やるのか?」


「当たり前だろ」


 言い終わるより早く、アイザックが床を蹴った。


 手甲を纏った右拳が、パルパティーンの顔面へ一直線に伸びる。


 ガァンッ!!


 パルパティーンは剣を立てて拳を受け止めた。金属同士がぶつかったような衝撃が響き、足元の床が軋む。


「お、おい!」


 鬼龍神のこめかみに青筋が浮かんだ。


「てめーら部屋ぶっ壊す気か!! やるなら外でやれ!!」


 アイザックは苛立たしげに舌打ちすると、そのまま入口へ向かって駆け出した。


「逃げんなよ!」


「誰が」


 パルパティーンも鼻を鳴らし、その後を追った。


◇


 本部の前で、アイザックとパルパティーンは数歩の距離を置いて向かい合った。


 二人の間を、乾いた風が通り抜ける。


 鬼龍神たちも本部から出てきたが、ポリアンナが片手を上げて制したため、誰も二人の間へは入らない。


 一瞬だけ、静寂が落ちた。


 先に動いたのはアイザックだった。


 地面を蹴り、真正面から間合いを潰す。唸りを上げて飛んできた右拳を、パルパティーンは剣の腹で外側へ受け流した。


 その刹那、アイザックは剣の外側へ身体を滑らせる。


 眼帯で塞がれた側。


 視界の切れる方向へ潜り込むと、軸足を捻った。


「はぁっ!」


 炎を纏った蹴りが脇腹へ炸裂する。


 爆炎が弾け、パルパティーンの身体が横へ押し流された。靴底が地面を削り、土を巻き上げる。


「……チッ」


 数歩滑ったところで踏みとどまり、パルパティーンが口元を歪めた。


「もうバレてんのかよ」


 アイザックは構えを崩さない。


「ポリアンナの読みは当たってたみてぇだな」


 再び踏み込む。


 今度は正面から、拳を立て続けに放つ。パルパティーンはそれを剣で弾き、受け流し、半歩身を引いて躱していく。


 アイザックが不意に横へ抜けた。


 死角へ入った瞬間、拳に炎が宿る。


 だが、パルパティーンも同じ失敗は繰り返さなかった。


 素早く身体の向きを変え、燃え上がった拳を正面から視界へ捉える。


 次の瞬間、拳を覆っていた炎が消えた。


「同じ手が何度も通ると思うな」


 剣の柄頭が、アイザックの肩へ叩き込まれる。


「ぐっ……!」


 体勢が崩れたところへ、剣の腹が横薙ぎに迫った。


 アイザックは咄嗟に上体を反らし、鼻先を掠めるように走った剣を躱す。そのまま後方へ跳び、間合いを取り直した。


 パルパティーンは剣を構えたまま、常に相手を正面に置くよう半歩ずつ足を運ぶ。右へ回れば切っ先が進路を塞ぎ、逆へ動けば身体の向きを変えて死角を消す。


「面倒な戦い方しやがる」


 そう吐き捨てながらも、アイザックの表情にはどこか楽しそうな色が浮かんでいた。


「そりゃこっちの台詞だ」


 アイザックが再び踏み込む。


 放たれた拳を、パルパティーンが剣で外へ流した。


 その瞬間、アイザックの踵が地面を強く擦る。


 砂と小石が跳ね上がった。


「くっ!」


 パルパティーンが反射的に目を細める。


 その僅かな隙へ、アイザックは一気に懐へ潜り込んだ。


 炎を纏った拳が、脇腹へ叩き込まれる。


 轟音とともに爆炎が弾け、巻き上がった砂埃が二人の姿を呑み込んだ。


 アイザックはすぐに拳を引き、煙の向こうへ目を凝らす。


「手応えが軽い……?」


 風が砂煙を攫っていく。


 だが、その中にパルパティーンの姿はなかった。


「悪ぃな」


 声は、離れた場所から聞こえた。


 全員が一斉に振り向く。


 パルパティーンは、のぶおのすぐ隣に立っていた。その手が、肩へ置かれている。


「……いつの間に」


 のぶおが静かに目を見開く。


 パルパティーンは何事もなかったかのように手を離した。アイザックの爆炎と砂埃を目眩ましに使い、その場を抜けていたのだ。


「てめぇ!」


 アイザックが地面を蹴る。


 パルパティーンも再び距離を取り、片手を前へ掲げた。


 真正面から飛び込んできたアイザックが、炎を纏った拳を叩き込む。


 その瞬間。


 ギィィンッ!!


 金属が軋むような音が響いた。


 拳は透明な障壁へ阻まれ、炎だけが四方へ弾け飛ぶ。


「は?」


 アイザックが目を見開いた。


「えぇっ!?」


 アリスも思わず声を上げ、ソリムドが息を呑む。


「障壁……?」


 のぶおは展開された透明な壁を見つめていた。


 形も、広がり方も、自分の《絶界守護》と寸分違わない。


「……私の異能」


 パルパティーンは障壁を指先で軽く弾く。硬質な音が返った。


「悪くねぇな」


 アイザックは一瞬だけ黙った。


 やがて、口元を吊り上げる。


「だったら――それごと砕くだけだ!」


 両拳へ炎が宿る。


 次の瞬間、炎弾が立て続けに放たれた。


 一発目が障壁を叩き、間を置かず二発、三発と続く。赤い火の粉が激しく飛び散る中でも、障壁は揺るがない。


 それでもアイザックは止まらなかった。


 前の炎が消えるより早く次弾を叩き込み、さらに距離を詰めながら連射を重ねていく。爆音が絶え間なく山へ響いた。


 五発を超えても、パルパティーンの表情にはまだ余裕がある。


 だが、十発を超えた頃には、一撃ごとの衝撃が積み重なり、障壁の表面が波打ち始めていた。


「……ほう」


 パルパティーンの身体が、障壁ごと後方へ押される。靴底が地面を滑った。


 アイザックはなおも前へ進む。


 炎弾はもはや一発ずつには見えず、幾重にも重なった炎が巨大な奔流となって、真正面から障壁を呑み込んでいった。


 熱風が吹き荒れ、地面が焼け、周囲の草が一瞬で燃え上がる。


 障壁の内側にいるパルパティーンの頬を、汗が伝った。


 透明な壁が大きく軋み、表面が歪む。


「おらおら、どうした!」


 アイザックは構わず撃ち続ける。


 二十発目。


 炎弾が真正面から障壁へ炸裂した。


 バキッ。


 小さな音が響く。


 障壁の中央に一本の亀裂が走り、次の炎を受けた瞬間、その亀裂が枝分かれしながら一気に周囲へ広がった。


 パルパティーンの表情から、完全に余裕が消える。


「……所詮コピーはコピーだな」


 亀裂だらけになった障壁を見つめ、苦々しく舌打ちした。


「まだ終わってねぇぞ!」


 アイザックの両拳を包む炎が、さらに大きく膨れ上がる。


 障壁の向こうで、パルパティーンも僅かに腰を落とした。


 次の一撃をまともに受ければ、障壁は砕ける。


 誰もがそう確信した、その時だった。


「そこまでです」


 静かな声が響いた。


 ポリアンナだった。


 アイザックの拳から炎が消え、パルパティーンも小さく息を吐いて、亀裂だらけの障壁を解除した。


「私に話があったから、ここへ来たのでしょう?」


 パルパティーンは頭を掻く。


「あぁ。危うく忘れるところだった」


 アイザックはなおも警戒を解かない。


「何しに来た」


 パルパティーンはポリアンナを真っ直ぐ見据えた。


「俺を――」


「お前んとこへ入れろ」


 静寂が落ちた。


 最初に口を開いたのはアイザックだった。


「……てめぇ、ふざけてんのか?」


 鬼龍神も目を丸くする。


「えぇぇぇっ!?」


 アリスの叫びが山に響き、ソリムドはぽかんと口を開けたまま固まっていた。


 騒然とする中で、ただ一人、ポリアンナだけが何も言わず、静かにその男を見つめ返していた。



【第四十六話 方舟】へ続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。