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それぞれの道

夜は静かだった。


窓の外では虫の声だけが響いている。


日御子は机の前に座り、一枚の紙を見つめていた。


昨日まで書けなかった紙。


けれど今夜は違う。


ゆっくりと筆を取る。


震える手で、一文字ずつ綴っていく。


『皆さんへ』


そこで一度、筆が止まる。


何を書けばいいのか分からなかった。


謝っても足りない。


感謝しても足りない。


どんな言葉を並べても、この胸の苦しさは伝えられない。


それでも。


書かなければならなかった。


『ごめんなさい。


皆さんには、たくさん支えていただきました。


これ以上、ご迷惑をお掛けしたくありません。


少しだけ、一人で考えさせてください。


本当にありがとうございました。』


最後に。


『日御子』


と名前を書き終える。


ぽたり。


涙が一滴、紙へ落ちた。


日御子は慌てて袖で拭き取る。


「……これでは読めませんの」


少し滲んでしまった文字を見つめ、小さく息を吐く。


その時だった。


「にゃー」


黒猫が机へ飛び乗る。


紙の横へ座り、日御子を見上げた。


「また邪魔をするんですの?」


苦笑しながら頭を撫でる。


黒猫は気持ち良さそうに目を細めた。


「……行きますの」


返事をするように。


「にゃ」


短く鳴いた。



まだ夜が明けきらない頃。


本部の廊下を、一人と一匹が足音を殺して歩いていた。


誰も起きていない。


誰にも気付かれないように。


日御子は玄関へ向かう。


扉へ手を掛けた。


そして。


ふと振り返る。


この場所へ来てからの出来事が脳裏をよぎる。


ポリアンナ。


咲夜姫。


アイザック。


もりやん。


のぶお。


ふぉろんたいご。


ふるーる。


鬼龍神。


アビス。


ソリムド。


そしてアリス。


皆の笑顔が浮かんでは消えていく。


「皆さん……」


胸が締め付けられる。


それでも。


ゆっくりと頭を下げた。


「本当に、お世話になりましたの」


扉を開く。


ひんやりとした朝の空気が頬を撫でた。


黒猫が先に外へ出る。


少し歩いてから立ち止まり、振り返る。


「あなたも来る気ですの?」


「にゃ」


迷いのない返事だった。


思わず。


ほんの少しだけ口元が緩む。


「……変な子ですの」


黒猫は満足そうに尻尾を揺らした。


日御子は最後にもう一度だけ本部を見上げる。


「さようなら……」


誰にも届かない声を残し、踵を返した。


北には帝国がある。


だから自然と足は南へ向く。


理由なんて無い。


今はただ。


ここから離れたかった。


夜明けの街道を、一人と一匹は歩き始めた。



「おっはよー!」


朝一番。


本部へ元気な声が響く。


「日御子ちゃん、朝ご飯持ってきたよー!」


両手にお盆を持ったアリスは、いつもの調子で廊下を歩いていく。


「今日はねー!」


「ふるーるちゃん特製のおかゆ!」


「リンゴも入ってるから、めっちゃ食べやすいよー?」


コンコン。


「入るよー!」


返事を待たずに扉を開けた。


「……あれ?」


部屋は静まり返っていた。


ベッドは空。


机の上には、丁寧に畳まれた布団。


そして。


黒猫の姿も無かった。


アリスはゆっくりと部屋を見回す。


「……日御子ちゃん?」


返事はない。


机の上に、一枚の紙だけが置かれていた。



「……え?」


震える手で紙を手に取る。


一文字ずつ、ゆっくりと目で追う。


「……」


「…………」


アリスの表情から笑顔が消えた。


持っていたお盆が小さく震える。


「うそ……」


昨日。


リンゴも食べてくれた。


少しだけ。


「日御子……ちゃん……?」


力が抜ける。


お盆を抱えたまま、その場へしゃがみ込んでしまった。


「また来るねって約束したのに……」


「置いてかないでよ……」


その時だった。


「どうした」


廊下から低い声が聞こえる。


アイザックとソリムドがいた。


部屋の様子を見るなり眉をひそめる。


「何があった?」


アリスは何も答えられない。


ただ、震える手で手紙を差し出した。


アイザックは無言で受け取る。


一度読む。


もう一度読む。


そして。


「……チッ」


舌打ちが静かな部屋に響いた。


踵を返す。


「探しに行く」


短く言い残し、歩き出そうとする。


「待ってください」


ポリアンナが廊下の奥から姿を現した。


いつもと変わらない穏やかな表情。


だが、その目だけは僅かに揺れていた。


アイザックは振り返らない。


「止めるな!」


「止めます」


「今ならまだ追い付ける」


「だからこそです」


静かな声だった。


しかし、その一言には迷いがなかった。


「日御子さんは逃げたのではありません」


「自分と向き合うために、一人になる道を選んだのです」


アイザックは拳を握る。


「だから放っとけってのか」


「……違います」


ポリアンナは静かに首を横へ振った。


「追えば、あの人はもっと自分を責めます」


「皆さんに迷惑を掛けたくない」


「だから旅立ったのです」


「追われれば」


「私は迷惑ばかり掛けている、と」


「きっと、そう思ってしまいます」


沈黙が流れた。


ソリムドは黙ったまま目を閉じる。


ぐっと奥歯を噛み締めた。


何も言わない。


何も言えなかった。


アリスは手紙を胸へ抱き締めたまま俯いている。


「クソッ!」


鬼龍神の拳が壁へ叩き付けられる。


鈍い音が廊下へ響く。


壁には小さなひび。


拳からは血が滲んでいた。


ふるーるは、お盆のおかゆへ目を落とした。


まだ温かい。


湯気がゆっくりと消えていく。


ぽたり。


一粒の涙が器へ落ちた。


「やっと……」


「やっと食べてくれたのに……」


静かな嗚咽だけが漏れた。


ポリアンナは皆を見回す。


そして、小さく息を吸う。


「信じましょう」


「日御子さんなら、必ず自分の答えを見つけます」


それは仲間へ向けた言葉だった。


同時に。


自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。



乾いた風が街道を吹き抜ける。


眼帯の男が、大剣を肩へ担ぎながら歩いていた。


パルパティーンだった。


帝国を飛び出して、もう随分になる。


行く当てもない。


答えもない。


ただ、自分に出来る事を探して歩き続けていた。



夕暮れ。


小さな町へ辿り着く。


酒場へ入り、空いていた席へ腰を下ろした。


「エール」


短く注文する。


酒が運ばれてきても、ゆっくり飲む気にはなれない。


一口だけ喉を潤した時だった。


近くの席から旅人達の話し声が聞こえてきた。


「聞いたか?」


「帝国軍がやられたらしいぞ」


「相手はどこだ?」


「NKJとかいう連中だ。」


「ああ、たしか解放軍だろ?」


「帝国も随分痛い目を見たらしい」


パルパティーンの手が止まる。


「……NKJ」


小さく、その名を繰り返した。


脳裏に浮かぶのは、一人の男。


冷静沈着で、一切の隙を見せなかった軍師。


ポリアンナ。


「あの【革命の設計者】の……NKJか」


以前、一度だけ剣を交えた相手。


「……無ぇな」


短く吐き捨てる。


酒を飲み干し、席を立った。



宿へ戻る。


荷物を床へ置き、椅子へ腰掛ける。


腕を組み、目を閉じた。


リリアナの隣にいても、何も変えられなかった。


だから飛び出した。


だが。


外へ出ても、何をすればいいのか分からない。


「……クソ」


舌打ちだけが部屋へ響く。


考える。


何度も考える。


それでも答えは出ない。


ふと。


酒場で聞いた言葉が頭をよぎる。


『帝国も随分痛い目見てるらしい』


「あいつら……」


パルパティーンは目を開く。


「あのポリアンナなら、あるいは……」


そこまで口にして、苦笑する。


「……馬鹿らしい」


最近まで敵だった相手だ。


信じられる保証なんてどこにもない。


それでも。


「帝国と渡り合える連中なんざ……」


言葉が止まる。


思い浮かぶ組織は、一つしかなかった。


しばらく天井を見つめる。


やがて深く息を吐き、立ち上がる。


「考えても答えは出ねぇな」


荷物を肩へ担ぐ。


扉へ手を掛ける。


「……とりあえず」


「行ってみるか」


男は静かに宿を後にした。


それぞれが。


それぞれの答えを求めて。


違う道を歩き始めていた。



【第四十四話 はじめての友達】へ続く

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