優しさの刃
「ふぉろちゃんさーん」
「あーし、買い出し行ってくるねー!」
医務室から元気な声が響く。
ふぉろんたいごが帳簿から顔を上げた。
「お願いします」
「りょーかい!」
「包帯と薬草とー……あと果物も買ってくる!」
「果物?」
「日御子ちゃん用!」
「食べるか分かんないけど、あったら嬉しいじゃん?」
「そうですね」
「じゃ、行ってきまーす!」
◇
市場へ足を踏み入れた瞬間。
「わー!」
「あーしねーちゃんだー!」
元気な声と共に、三人の子供達が一斉に駆け寄ってくる。
「お、みんな今日も元気じゃーん!」
アリスはしゃがみ込み、次々とハイタッチを交わした。
「ねーねー!」
「今日何して遊ぶん?」
「かくれんぼ!」
「鬼ごっこ!」
「宿題!」
「最後だけ絶対ウソじゃん!」
子供達がどっと笑う。
「バレたー!」
「そりゃバレるってー!」
アリスもつられて笑い出した。
「アリスちゃん」
野菜を並べていたおばちゃんが手を振る。
「おはよー、おばちゃん!」
「今日も元気だねぇ」
「元気だけが取り柄だから!」
「その元気、少し分けてもらいたいくらいだよ」
「いくらでもどーぞ!」
アリスは満面の笑みで両手を広げる。
おばちゃんも思わず吹き出した。
「ほんと、あんた見てると元気になるねぇ」
「マジ? やった!」
嬉しそうに笑うその姿を、通りがかった人達も自然と微笑みながら見ていた。
「おーい! アリス!」
八百屋のおじさんが手招きする。
「今日もリンゴ持ってけ!」
真っ赤なリンゴを一つ放り投げる。
「うわっ!」
アリスは慌てて両手で受け止めた。
「え、おまけ?」
「いつも世話になってるからな」
「ラッキー!」
リンゴを見つめながら、アリスはにっと笑う。
「これ、日御子ちゃんに持ってこ」
「甘いの好きか分かんないけど、甘い方が食べやすいっしょ!」
八百屋のおじさんは優しく頷いた。
「食べてくれるといいな」
「うん!」
その時だった。
「ワン!」
「きゃっ!」
一匹の犬が勢いよく飛び付いてくる。
「あー、ポチじゃーん!」
アリスはしゃがみ込み、犬の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「お前また太った?」
「ワン!」
「絶対太ったって!」
「ワンワン!」
「その返事は認めたってことだよね?」
尻尾をぶんぶん振る犬を見て、周りの人達から笑いが起こる。
「相変わらず仲良しだねぇ」
飼い主が苦笑する。
「えへへ」
市場には今日も、明るい笑い声が響いていた。
◇
買い物を終えた帰り道。
背中から元気な声が飛んできた。
「あーしねーちゃん! またねー!」
振り返ると、子供達が両手をぶんぶん振っている。
「また遊ぼーねー!」
アリスも大きく手を振り返した。
「今度は鬼ごっこ負けないかんねー!」
「無理ー!」
子供達が笑い転げる。
「ワン!」
気付けばポチまで後ろを付いてきていた。
「あはは!」
「ポチ、お前も見送りしてくれんの?」
頭をひと撫ですると、ポチは満足そうに尻尾を振る。
「よーし!」
「日御子ちゃん、今日は一口でも食べてくれるといーな!」
買い物袋を抱え直し、アリスはいつもの笑顔で本部への道を駆け出した。
◇
「ただいまー!」
アリスは買い物袋を両手いっぱいに抱え、本部へ飛び込んできた。
「ふるーるちゃーん!」
「リンゴおまけしてもらったー!」
「でかした!」
厨房から顔を出したふるーるが目を丸くする。
「えへへ」
「日御子ちゃんに食べてもらおうと思って!」
「えらいぞー」
ふるーるは嬉しそうにリンゴを受け取った。
「すりおろしてみるか」
「おっ、それなら食べやすそう!」
アリスは満足そうに頷く。
「じゃ、あーし持ってくね!」
◇
コンコン。
「日御子ちゃん、入るよー?」
部屋へ入る。
黒猫はいつものようにベッドの上で丸くなっていた。
「はい、今日はリンゴ!」
「すりおろしてもらったよー」
机へ器を置く。
「市場のおじちゃんがおまけしてくれたんだ!」
「だから遠慮なく食べちゃって!」
返事はない。
「あとさ!」
「今日、子ども達にまた捕まっちゃってさー!」
「『あーしねーちゃん遊ぼー!』って」
アリスは思い出して吹き出した。
「あーしねーちゃんって何だよーって感じなんだけど」
「めっちゃ元気なんだよ、あの子達!」
「鬼ごっこでさ、あーし本気で走ったのに普通に負けたし!」
一人で笑う。
黒猫が
「にゃあ」
と小さく鳴いた。
「だよねー」
「悔しかったわぁ」
アリスは黒猫へ笑い掛ける。
「じゃあ」
「別に食べられなくてもいーから」
「また夕方来るね」
◇
部屋を出る。
その足音が遠ざかる。
静寂が戻った。
日御子はゆっくりと視線を机へ向ける。
白い器。
すりおろされたリンゴ。
自分のためだけに作られたものだった。
ふと。
先ほどのやり取りを思い出す。
『あーしねーちゃん!』
子ども達の笑い声。
楽しそうに笑うアリス。
その光景が頭に浮かぶ。
思わず。
ほんの少しだけ。
口元が緩んだ。
「あ……」
笑ってしまった。
こんな私が。
皆に心配を掛けているのに。
胸の奥が軋む。
「どうして……」
そう呟きながら。
震える手でスプーンを持ち上げた。
少しだけ迷う。
それでも。
一口だけ。
口へ運ぶ。
甘い。
その瞬間。
涙が一粒、器へ落ちた。
「……美味しい」
漏れてしまったその一言が。
どうしようもなく苦しかった。
優しくされる資格なんて。
私には、もう無いはずなのに。
ふるーる。
八百屋のおじさん。
アリス。
皆の優しさが、この一口に詰まっている。
「どうして皆さんは……」
思わず涙が溢れた。
黒猫が隣へ歩いてくる。
当たり前のように膝へ飛び乗り、小さく喉を鳴らした。
黒猫が頬へ鼻先を寄せる。
涙を一滴だけ舐めた。
「……ふふ。」
もう一度だけ。
今度は少し自然に笑えた。
日御子はその背中をそっと撫でる。
「皆さん、本当に優しい人ばかりですの……」
もう、昨日のように何も出来ない自分ではない。
一口、食べられた。
笑うことも出来た。
仲間のおかげで。
止まっていた時間が、ほんの少し動き始めた。
だからこそ。
(ここを離れなければ)
「……甘えてはいけませんの」
その呟きは、誰にも届かない。
黒猫だけが静かに目を細め、日御子の隣へ身体を寄せた。
【第四十三話 それぞれの道】へ続く




