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終わりの先へ

ユリウスの手が差し伸べられる。


日御子は地面に膝をついたまま。


血だらけだった。


肩。


腕。


太腿。


全身が悲鳴を上げている。


もう立ち上がる力すら残っていない。


それでも。


日御子はその手を見つめた。


昔。


何度も見た手だった。


転んだ時。


泣いた時。


困った時。


いつも差し伸べられた手。


従者。


護衛。


家族のような存在。


ユウマ。


だが。


もう違う。


全てを知ってしまった。


思い出したくなかった記憶まで。


日御子は小さく首を振る。


「嫌ですの」


ユリウスの動きが止まった。


「姫様」


「嫌ですの」


もう一度。


今度ははっきりと。


「絶対に」


「嫌ですの」



ユリウスが困ったように笑った。


まるで聞き分けのない子供を見るように。


「何故です」


「もう終わったではありませんか」


「父王も」


「ヒノモトも」


「全て片付きました」


「ならばこれからは――」


「黙りなさい」


ユリウスの言葉を遮る。


「……姫様?」


日御子は顔を上げた。


黄金の瞳。


そこに宿っていたのは怒りではない。


憎しみでもない。


ただ。


決意だった。


「終わっていません」


「何も」


「終わっていませんの」



ユリウスが一歩近付く。


「姫様」


「ご安心ください」


「お仲間達も」


「すぐに理解してくださいます」


穏やかな声。


だが。


その言葉の意味を。


この場の全員が理解していた。


洗脳。


認識改変。


また同じ事を繰り返すつもりなのだ。


ポリアンナが歯を食いしばる。


だが近付けない。


触れられれば終わる。


それを知っている。



ユリウスはさらに歩み寄った。


「大丈夫です」


「今度こそ守ります」


「誰にも傷付けさせません」


「姫様だけは」


その瞬間。


日御子の中で何かが切れた。


「違いますの」


小さな声。


ユリウスが眉をひそめる。


「違いますの」


もう一度。


日御子は呟いた。


「私のためなんかじゃない」


ユリウスが止まる。


日御子は震える手で剣を握った。


地面に落ちていた剣。


血で滑る。


それでも離さない。


「全部」


「あなた自身のためです」


ユリウスは何も答えなかった。


否定もしない。


肯定もしない。


ただ静かに。


日御子を見つめていた。



「姫様」


やがて。


優しく言う。


「たとえそうでも」


「私は貴女を守ります」


そして。


手を伸ばした。


捕まえるために。


連れて帰るために。


今度こそ失わないために。



その瞬間。


日御子が動いた。


最後の力。


残された全て。


立ち上がる。


ユリウスの目が見開かれる。



遅かった。


いや。


もしかしたら。


間に合ったのかもしれない。


剣が走る。


月光を裂く。


そして。


深く。


深く。


ユリウスの胸を貫いた。


時間が止まる。


ユリウスが自らの胸を見る。


突き刺さった剣。


溢れる血。


理解した。


致命傷だった。



日御子は震える声で言った。


「父上のために」


「ヒノモトのために」


「そして」


「私自身のために」


涙が零れる。


「あなたを討ちますの」



ユリウスは。


静かに笑った。


「そうですか」


血を吐く。


だが。


どこか満足そうだった。


「お見事です」


「姫様」


ユリウスの身体が揺れた。


膝が崩れる。


地面へ倒れ込む。


胸から血が溢れていた。


それでも。


ユリウスは日御子から目を離さない。


黄金の瞳を。


ただ静かに見つめていた。



「姫様……」


血が口から零れる。


意識が霞んでいく。


視界が滲む。


月明かり。


涙。


黄金の瞳。


その姿が。


少しずつ重なっていく。


幼い少女。


笑顔。


小さな手。


守れなかった存在。


「……あぁ」


ユリウスが小さく笑った。


どちらなのか。


もう分からない。


目の前にいるのは。


日御子なのか。


妹なのか。



「ごめんな」


掠れた声。


「守れなくて」


血が溢れる。


呼吸が苦しい。


それでも。


言葉だけは止める事はなかった。


「ごめんな」


「もう……」


「もう守ってやれない」


伸ばした手が地面へ落ちる。


その指先に。


名も知らぬ小さな花が一輪、そっと触れていた。


もう動かない。


ユリウス。


その命の灯火は、静かに消えた。



誰も動かなかった。


誰も喋れなかった。


ただ風だけが吹いている。


日御子は立ち尽くしていた。


剣を握ったまま。


ユリウスの亡骸を見下ろしていた。


終わった。


終わったはずだった。


父王の仇。


ヒノモト王国を滅ぼした男。


全ての元凶。


討ったのだ。


なのに。


胸の奥が苦しい。


息が出来ない。



カラン。


剣が落ちた。


その音で。


日御子の意識が現実へ引き戻される。


血。


死体。


夜風。


月明かり。


そして。


記憶。



父上。


優しく笑う顔。



革命の日。


歓声。



拳を掲げる自分。



玉座の間。



振り下ろした刃。



父上の最期。



全部。


全部。


全部。


一気に流れ込んできた。


「あ……」


声が漏れる。



「ぁ……」


呼吸が出来ない。


頭が痛い。


胸が苦しい。


世界が回る。



「嘘ですの……」


小さな声。


震えていた。


首を振る。


何度も。


何度も。



「そんな……」


父上の顔。


父上の声。


父上の最期。



『日御子』


「やめてください……」


日御子が頭を抱える。



『私はお前を誇りに思う』


「やめて……」


涙が溢れる。



『生きろ』


「やめてぇ……」



限界だった。


張り詰めていたものが切れる。


戦い続けていた理由。


ユリウスを討つという目的。


その全てが終わった。


だから。


もう支えられない。



「嫌だ」


小さな声。


「嫌……」


そして。


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


絶叫。


夜空へ響く。


全員が凍り付いた。


「嫌!」


「嫌!」


「嫌だぁぁぁぁぁぁ!!」


頭を抱える。


涙が止まらない。


呼吸も出来ない。


身体が震える。



ポリアンナが駆け出した。


「日御子さん!」


抱き締める。


強く。


壊れてしまいそうな身体を。


だが。


止まらない。


「違います!」


「違いますの!」


「私は……!」


言葉が続かない。


続けられない。


だって。


全部本当だから。


「誰か……」


掠れた声。


ポリアンナが息を呑む。


「誰か……」


「助けて……」


アイザックが強く拳を握る。


その手から血が滴る。


鬼龍神が俯く。


もりやんは泣いていた。


ソリムドも。


のぶおも。


誰も何も言えない。


「苦しい……」


「息が……できないの……」


ポリアンナは抱き締める事しか出来なかった。


何も言えない。


何も出来ない。



日御子の叫びは止まらない。


夜が明ける。


東の空が白み始める。


それでも。


それでも。


少女の悲鳴だけが響いていた。


第一部 完

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