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一緒に帰りましょう

 誰も言葉を発せないでいた。


 最初に沈黙を破ったのは、アイザックだった。


「おいテメェ……ふざけんじゃねぇ!」


 低い声に、抑え切れない怒りが滲んでいる。


「何が最高傑作だ! 人の人生を好き勝手に壊しやがって、それを作品だと?」


 ユリウスは答えなかった。


 ただ、日御子だけを見つめている。


 日御子は震える拳を握り締めた。


「……見えましたの」


 掠れた声だった。


 ユリウスの目が僅かに動く。


「あなたが何を失ったのか」


 日御子はゆっくりと顔を上げる。


「何を恐れて、どうして私を守ろうとしたのかも」


「でも――」


 黄金の瞳が、真っ直ぐユリウスを見据える。


「私は、あの子ではありませんの」


 ユリウスの表情が止まった。


「私はあなたの妹ではない。あなたが守れなかった誰かの代わりでもない」


 一歩、前へ出る。


「私は――日御子ですの」


 静寂が落ちた。


 ユリウスの笑みが、ほんの僅かに揺れる。


 だが、それも一瞬だった。


「もちろんです」


 いつもの穏やかな笑みへ戻る。


「姫様は生きておられる。だからこそ価値がある」


 日御子の拳に力が入った。


 届いていない。


 言葉の意味は理解している。それでも、肝心なところだけが噛み合わない。


 ポリアンナが一歩前へ出た。


「もう終わりです」


 声は冷え切っていた。


「日御子さんを返してもらいます」


 ユリウスは首を横へ振る。


「お断りします」


 そして、周囲に控えていた帝国兵へ静かに告げた。


「確保しろ」


 帝国兵たちが一斉に剣を抜いた。


◇


 最初に飛び出したのは鬼龍神だった。


「《迅雷》!」


 踏み込んだ床が砕け、巨体が一瞬で帝国兵の懐へ潜り込む。


「どけぇぇぇ!」


 振り抜かれた大剣を、正面の兵士が両腕で受け止めた。


「《鋼化(アイアンスキン)》!」


 皮膚が金属のように変質し、激しい衝突音が広間へ響く。完全には止め切れず、兵士の身体が床を削りながら後方へ押し込まれた。


「チッ、硬ぇな!」


 鬼龍神がさらに力を込めようとした瞬間、その死角から別の兵士が斬り込む。


「《絶界守護》」


 蒼銀の障壁が割って入り、剣を弾き返した。


「助かった!」


「前だけ見ないでください!」


 のぶおが障壁を展開したまま叫ぶ。


 だが、帝国兵も止まらない。


「《衝撃波(ソニックムーブ)》!」


 別方向から空気の塊が叩きつけられ、障壁が激しく揺れた。のぶおの足が半歩後ろへ滑る。


『ソリムドさん!』


 ポリアンナの《理想国家》を通じて声が届く。


「了解です!」


 ソリムドが《可能性解放》を発動した。


 淡い光が鬼龍神たちを包み込み、身体能力が一気に引き上げられる。


 鬼龍神が獰猛に笑った。


「いいねぇ!」


 再び踏み込み、《鋼化》した兵士の防御ごと大剣で薙ぎ払う。


 兵士の身体が横へ吹き飛び、長机を巻き込んで壁へ激突した。


 同時に、もりやんが矢を放つ。狙われたのは、後方で異能を発動しようとしていた帝国兵の腕だった。


「ぐっ!」


 矢が肩口を貫き、発動しかけた異能が途切れる。


「そこだ!」


 アイザックの炎が走った。床を舐めるように奔った炎が帝国兵たちの間へ食い込み、陣形を大きく崩す。


 それでも敵は怯まなかった。


 炎を避けた兵士が左右へ散り、一人が鬼龍神へ、二人がのぶおへ斬り込む。さらに後方から異能が飛び、広間のあちこちで轟音が重なった。


 机が砕け、椅子が跳ね、窓ガラスが夜の庭へ飛び散る。


 鬼龍神は大剣を振り上げ、迫ってきた兵士の剣ごと力任せに薙ぎ払った。


 吹き飛ばされた兵士が外壁へ叩きつけられる。


 轟音とともに壁が大きく崩れ、冷たい夜風が広間へ吹き込んだ。


「狭ぇんだよ! 外へ出ろ!」


 帝国兵たちも崩れた壁から庭へ流れ出し、仲間たちはその後を追う。


 戦場はそのまま屋外へ広がっていった。


 月明かりの下、剣戟と炎、障壁が激しく交錯する。


 その喧騒から僅かに取り残されるように、日御子とユリウスだけが向かい合っていた。


◇


「姫様」


 ユリウスが静かに手を差し伸べる。


「こちらへ」


「嫌ですの」


 即答だった。


 ユリウスは小さく息を吐いた。


「困りましたね」


 次の瞬間、その姿が消える。


「――っ!」


 日御子が反応した時には、既に間合いの内側だった。


 剣を抜く。


 甲高い金属音が響いた。


 間一髪、ユリウスの刃を受ける。


 衝撃が両腕を突き抜け、日御子の身体が大きく後ろへ押し込まれた。


 受け止めただけで、まともに斬り合えば勝てないと分かる。


 ユリウスは帝国諜報局の一員として、長い年月を実戦の中で生きてきた男だ。


 対する日御子は、剣の心得はあっても、正面から斬り合うことを生業にはしていない。


 ユリウスの剣が再び閃く。


 日御子が身を捻った。


 肩口が浅く裂け、鮮血が舞う。


「っ……!」


 痛みに動きが止まった一瞬、ユリウスの左手が日御子の手首を掴んだ。


 異能による干渉が流れ込んでくる。


 戻せ。


 忘れろ。


 けれど、その全てを黄金の瞳が映し出した。


 《天照の鏡》が歪みを暴き、干渉を弾き返す。


「……っ」


 ユリウスの瞳が初めて揺れた。


 日御子は掴まれたまま剣を振るう。


 ユリウスが咄嗟に手を離し、後ろへ退いた。


「無茶をしないでください! 傷口が広がります!」


 思わず叫んでいた。


 日御子は血の滲む肩を押さえながら、僅かに笑った。


「無茶?」


 剣を構え直す。


「今さら何を言っていますの」


 ユリウスの表情が曇る。


「姫様……」


 再び剣が交わった。


 日御子が横薙ぎに振るう。ユリウスは僅かに身を引いてかわし、そのまま返す刃を日御子が受け止めた。


 間を置かず、さらに一撃。


 日御子も食らいつくが、技量の差は埋まらない。


 受け流された剣が大きく外へ流れ、その隙へユリウスの刃が滑り込んだ。


「っ!」


 太腿が裂け、膝が床へ落ちる。


 それでも、急所だけは外されていた。


 最初の肩も、今の太腿も。


 ユリウスは明らかに日御子を殺さないよう斬っていた。


「姫様!」


 崩れ落ちかけた日御子へ、ユリウスが反射的に手を伸ばした。


 腕を掴む。


 再び、異能が入り込んでくる。


 だが、その干渉もまた黄金の瞳に弾かれた。


「……そんな」


 黄金の瞳に、ユリウスの胸の内が映り込む。


 何度触れても、もう届かない。


 姫様は戻ってこない。


 その事実が、静かに突き付けられていた。


「姫様、もうおやめください」


 ユリウスが剣を下げる。


「貴女では私に勝てません」


 日御子は答えず、剣を支えに立ち上がった。


「……しつこいですね」


 ユリウスの声に、苛立ちではない苦しさが滲む。


 日御子は震える手で柄を握り直す。


「何故、そこまでして立つのですか」


 勝てるとは思っていない。自分でも分かっている。


 それでも、日御子は一歩前へ出た。


 ユリウスが迎え撃つ。


 剣と剣がぶつかり、火花が散る。


 今度は受け切れない。


 腹部へ強烈な蹴りが突き刺さる。


「がっ……!」


 日御子の身体は床を転がり、崩れた壁から庭へ投げ出された。


 息が詰まる。


 身体に力が入らない。


 それでも剣へ手を伸ばし、杖代わりにして身体を起こす。


 崩れた壁を越え、ユリウスが庭へ歩み出た。


「おやめください!」


 ユリウスの声が強くなる。


「これ以上は、本当に死んでしまいます」


 日御子は迷わなかった。


「だから何ですの」


 ユリウスが息を呑む。


 日御子はふらつきながら、一歩踏み出した。


「それで償えるなら、安いものです!」


「……何を」


「父上を殺した」


 また一歩。


「国を滅ぼした」


 さらに一歩。


「大勢の人を死なせた」


 血が足元へ落ちていく。


「全部、思い出しましたの」


 黄金の瞳が真っ直ぐユリウスを見据えた。


「今さら――」


 握る剣が震えていた。


 身体が限界に近付いている。


「命が惜しいとでも思いますか」


 ユリウスの動きが止まった。


 守ったはずだった。


 失わせないために。


 壊れさせないために。


 正しい道へ導いたはずだった。


 その日御子が、自分の命にさえ価値を見いだしていない。


「……違う」


 脳裏を過る。


 炎に包まれた村。


 届かなかった小さな手。


 冷たくなった妹の身体。


 また失う。


 あの日と同じように。


「違う……」


 声が震えた。


「姫様は生きるべきです」


「何故ですの」


 日御子が問う。


 ユリウスの顔が歪んだ。


「貴女は……」


 一歩踏み込む。


「貴女だけは!」


 剣が閃いた。


 日御子の腕が裂ける。


 握力が抜け、剣が地面に落ちた。


 続いて膝をつく。


 日御子は、ユリウスを見上げた。


 その過去を哀れだとは思う。


 胸が痛んだ。


 それでも、されたことを許せるわけではない。


 その間にも、庭の奥では帝国兵たちの抵抗が限界を迎えていた。


『右です!』


 ポリアンナの《理想国家》を通じて指示が飛ぶ。


 鬼龍神が即座に身体を捻り、横から迫った剣を大剣で弾き上げた。そのまま踏み込み、柄頭で兵士の胸を打ち抜く。


「ぐっ!」


 崩れた兵士の背後から、別の男が異能を発動しようと腕を伸ばす。


 しかし、その肩へもりやんの矢が突き刺さった。


「遅い」


 直後、アイザックの炎が敵の退路を塞ぐ。のぶおの障壁が正面から押し込み、帝国兵たちの陣形をさらに狭めた。


「ソリムド!」


「はい!」


 《可能性解放》の光が再び強まる。


「まとめて行くぞ!」


 鬼龍神が地面を蹴った。


 加速した大剣が最後の防御を打ち砕き、帝国兵を地面へ叩き伏せる。


 残った兵士も、アイザックとのぶおに動きを封じられた。


 やがて、庭から剣戟の音が消える。


「日御子さん!」


 ポリアンナが振り返った。


 崩れた壁のそばに見えたのは、血に濡れた日御子と、そのすぐ傍らに立つユリウスだった。


 全員が一斉に駆け寄ろうとする。


「来ないでください!」


 日御子の叫びが響いた。


 足が止まる。


 ユリウスが肩越しに振り返った。


「賢明ですね」


 鬼龍神が大剣を構える。


「今度はテメェの番だ」


「構いませんよ」


 ユリウスは穏やかに答えた。


 だが、その位置は日御子から僅か数歩しか離れていない。


「誰か一人でも触れさせていただければ十分です。その方に、味方になっていただきます」


「それとも、この距離で私を狙いますか?」


 誰も武器を下ろさない。


 だが、踏み込むことも、炎や矢を放つこともできなかった。


 外せば日御子を巻き込み、踏み込めばユリウスに触れられる。


 一瞬の判断ミスが、そのまま致命傷になる。


「皆さんには、姫様を送り出していただきます」


 ユリウスは微笑んだ。


「笑顔で」


 日御子は地面に手をついたまま、荒い息を繰り返していた。


 自分のせいで、仲間同士が傷つけ合う。


 それだけは嫌だ。


 ユリウスは剣を下ろした。


 そして、ゆっくりと日御子へ向き直る。


「終わりです」


 優しい声だった。


 昔と同じ。


 何も変わらない声。


「姫様」


 日御子が顔を上げる。


 ユリウスは微笑んでいた。


 まるで、迎えに来た家臣のように。


「もう誰も邪魔しません」


 一歩。


 差し出された手が、日御子へ伸びてくる。


「一緒に帰りましょう」



【第三十九話 終わりの先へ】へ続く


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