あの日
「全部……見える」
黄金の瞳が揺れる。
世界が軋む。
そして。
景色が変わった。
◇
革命の日。
王城へ続く大通り。
忘れるはずがない。
父を討つため。
王城へ進軍した日。
大勢の革命軍。
大勢の民衆。
そして。
聞き慣れた声。
「姫様!」
日御子の身体が震える。
知っている。
あの日も聞いた。
確かに聞いた。
だが。
違った。
あの日の日御子には。
――姫様!
――進んでください!
――暴君を倒してください!
そう聞こえていた。
今。
聞こえてくる声は違う。
「姫様!」
「お止めください!」
「何故ですか!」
「何故王を討つのです!」
日御子の呼吸が止まった。
違う。
そんなはずはない。
しかし。
聞き間違いではない。
見間違いでもない。
あの日。
歪んでいたのは。
自分の方だった。
「そんな……」
足が震える。
周囲を見る。
民衆の顔。
革命を祝福する熱狂など無い。
歓喜など無い。
あるのは。
困惑。
恐怖。
悲しみ。
そして。
王女を心配する視線だった。
「姫様!」
「お願いです!」
「話を聞いてください!」
「何故ですか!」
その全てが。
あの日の日御子には。
別の言葉として届いていた。
――進め。
――戦え。
――暴君を討て。
そう聞こえていた。
「違う……」
涙が零れる。
場面が変わる。
◇
王城。
革命軍が雪崩れ込む。
家臣達が駆けてくる。
その光景も。
覚えている。
あの日の日御子は。
彼らを敵だと思った。
暴君に従う者達。
革命を妨害する者達。
そう思っていた。
だが。
真実は違った。
「姫様!」
白髪の老臣が叫ぶ。
涙を浮かべながら。
「お話を聞いてください!」
「何故ですか!」
「どうしてこのような事を!」
別の家臣も叫ぶ。
「王は何もしておりません!」
「どうかお止めください!」
「姫様!」
誰も武器を向けていない。
誰も怒鳴っていない。
ただ。
必死だった。
必死に。
日御子を止めようとしていた。
しかし。
あの日の日御子には。
違って見えていた。
「王に逆らうな!」
「あいつを止めろ!」
「捕らえろ!」
そんな言葉に聞こえていた。
存在しない言葉。
存在しない敵意。
存在しない悪意。
全部。
自分が作り出したものだった。
◇
「ぁ……」
日御子は口元を押さえる。
胸の奥からせり上がる嫌悪感に耐えきれず。
その場に胃の中のものを吐き出した。
何も知らなかった。
違う。
知ろうとしなかった。
場面が変わる。
◇
巨大な扉。
玉座の間。
革命の終着点。
日御子の心臓が大きく鳴った。
「……いやだぁ……」
忘れられない場所。
父を殺した場所。
ゆっくりと。
扉が開く。
玉座の前。
そこに父は立っていた。
ヒノモト国王。
日御子の父。
そして。
あの日見た父とは。
全く別人だった。
暴君ではない。
冷酷な王でもない。
威圧的な支配者でもない。
そこにいたのは。
困惑した一人の父親だった。
◇
「日御子……」
父が呟く。
その声に。
怒りは無い。
憎しみも無い。
あるのは。
深い悲しみだけだった。
「何故だ」
「何故そんな目で私を見る」
日御子は息を呑む。
あの日。
父は。
ただ。
分からなかったのだ。
愛する娘が。
何故自分を殺そうとしているのか。
「日御子……」
父の声が響く。
聞き慣れた声。
幼い頃から。
何度も聞いた声。
だが。
あの日の日御子は。
その声すら歪んで聞こえていた。
父を睨む。
「終わりですの」
「あなたの罪も」
「この国も」
父は目を見開く。
そして。
悲しそうに眉を下げた。
「罪……?」
「私は一体何をした」
その言葉に。
日御子の胸が痛む。
あの日は気付かなかった。
今なら分かる。
何故。
私が父を憎んでいるのか。
何故。
革命など起こしたのか。
何故。
こんな事になったのか。
何も。
分かっていなかった。
「民は苦しんでいたですの!」
記憶の中の日御子が叫ぶ。
「あなたは何も変えようとしなかった!」
「だから私は――!」
父は遮らない。
怒鳴らない。
否定もしない。
ひたすら。
静かに聞いていた。
そして。
「誰に聞いた」
小さく呟く。
「何があった」
「日御子」
「教えてくれ」
◇
「そんなはずがない……」
日御子が震える。
違う。
そんな会話ではなかった。
あの日の記憶では。
父はもっと冷たかった。
もっと傲慢だった。
もっと恐ろしかった。
だが。
全部違う。
全部。
違った。
その時。
日御子は気付いた。
玉座の間には。
誰もいなかった。
家臣も。
近衛兵も。
誰一人として。
あの日は気にも留めなかった。
しかし。
今なら分かる。
王城は陥落寸前だった。
それなのに。
王の傍には。
誰も居なかった。
まるで。
最初から。
誰も入れなかったかのように。
父は一人だった。
剣も抜かず。
兵も呼ばず。
静かに。
娘を待っていた。
「日御子」
父が呼ぶ。
その声は。
王の声ではなかった。
一人の父親の声だった。
◇
日御子の視界が滲む。
もうやめてほしかった。
もう聞きたくなかった。
だが。
《天照の鏡》は止まらない。
真実を暴き続ける。
父はゆっくりと歩き出す。
武器は持っていない。
敵意も無い。
ただ。
娘へ近付く。
「帰ってこい」
その言葉を。
日御子は覚えていなかった。
聞いていなかった。
いや。
聞こえていたのに。
別の言葉として受け取っていた。
「帰ってこい」
「日御子」
父は笑った。
泣きそうな顔で。
それでも。
優しく。
差し伸べられた手は。
あの日と同じ大きさをしていた。
「まだ間に合う」
「辛かったな」
「気付いてやれなくてすまない」
世界が止まる。
日御子の膝が崩れ落ちた。
記憶の中で。
父は最後まで。
父親だった。
王ではなく。
娘を愛する父親だった。
その光景が。
音を立てて砕け散る。
父の首。
血。
剣。
歓声。
「これで……良かったですの?」
あの日の自分の声が聞こえる。
答える者は誰もいなかった。
◇
革命軍万歳。
ヒノモト万歳。
暴君は死んだ。
そう聞こえていた声。
だが。
今は違う。
泣き声だった。
悲鳴だった。
絶望だった。
誰かが泣いている。
誰かが叫んでいる。
誰かが崩れ落ちている。
父だけが。
最後まで何も言わなかった。
◇
場面が消える。
現在の屋敷。
日御子は床に膝をついていた。
涙が止まらない。
呼吸が出来ない。
胸が痛い。
苦しい。
苦しい。
苦しい。
「父上……」
掠れた声。
「父上……!」
嗚咽が漏れる。
ポリアンナ達は言葉を失っていた。
何が見えたのか分からない。
だが。
日御子が壊れ始めている事だけは痛いほど分かった。
◇
次の瞬間。
黄金の瞳がさらに奥を暴く。
革命軍。
あの日。
自分を取り囲んでいた兵士達。
王城へ雪崩れ込んだ男達。
「暴君を倒せ!」
「革命軍に勝利を!」
確かに聞いた声。
確かに見た景色。
だが。
日御子はふと気付く。
知らない。
名前も。
出身も。
何処で出会ったのかも。
思い出せない。
革命軍の先頭で叫んでいた男達。
共に革命を起こしたはずなのに。
誰一人として思い出せなかった。
「そんな……」
嫌な汗が流れる。
《天照の鏡》が記憶の真実を暴く。
革命軍の旗。
革命軍の腕章。
革命軍の鎧。
それらが音を立てて剥がれ落ちる。
現れたのは。
見覚えのある紋章だった。
双頭の鷲。
統天帝国エテルナ。
「嘘ですの……」
日御子の呼吸が止まる。
革命軍ではなかった。
そんなものは。
最初から存在しなかった。
王都へ攻め込んだ兵士達。
王城へ雪崩れ込んだ男達。
革命軍を名乗っていた者達。
その全てが。
帝国軍だった。
「違う……」
帝国は革命を支援したのではない。
革命軍を作ったのだ。
ヒノモトを滅ぼすために。
民を騙し。
王女を騙し。
革命という名の侵略を成功させた。
「私は……」
日御子の身体が震える。
父だけではない。
ヒノモトまで。
自分の手で帝国へ差し出した。
「私は……」
震える声。
「何をしてしまったんですの……」
答えられる者はいなかった。
◇
さらに。
黄金の瞳がまた別の場所を見る。
革命の日より前。
三年前。
まだ王城で暮らしていた頃。
そこに。
従者を務めることになった。
一人の青年が立っていた。
優しい笑み。
見慣れた顔。
ユウマ。
いや。
ユリウス。
彼は静かに微笑んでいた。
真実は。
まだ終わっていなかった。
【第三十七話 歪んだ想い】へ続く




