革命の真実
「全部……見える」
黄金の瞳が揺れる。
それは、偽りを剥がし、自分と他者の本来の姿を映し出す覚醒異能――《天照の鏡》だった。
世界に張り付いていた偽りが軋み、音を立てて剥がれ始める。塗り潰されていた記憶が、本来の色と声を取り戻していく。
そして、景色が変わった。
◇
革命の日。
王城へ続く大通りを、大勢の革命軍が進んでいた。
忘れるはずがない。父を討つため、王城へ進軍した日だった。
「姫様!」
聞き慣れた声に、日御子の身体が震える。
あの日も聞いた。確かに聞いた。
――姫様!
――進んでください!
――暴君を倒してください!
民衆が革命を祝福し、自分たちの背中を押している。そう信じていた。
だが、《天照の鏡》が偽りを剥がした記憶の中で、聞こえてくる声は違っていた。
「姫様、お止めください!」
「どうして王を討つのです!」
「お願いです! 話を聞いてください!」
日御子の呼吸が止まった。
沿道に集まった民衆の顔に、革命を祝う熱狂などない。あるのは困惑と恐怖、悲しみ。そして、変わり果てた王女を心配する眼差しだった。
その一方で、革命軍の腕章をつけた男たちは、確かに声を張り上げていた。
「暴君を倒せ!」
「革命軍に勝利を!」
彼らの叫びだけは、記憶と変わらない。
日御子の認識は、その声を周囲へ広げていた。民衆の制止も悲鳴も、革命を望む歓声へ塗り替えていた。
「あの日、歪んでいたのは……」
世界ではない。
民衆でもない。
自分の方だった。
「そんな……」
日御子の足が震える。
だが、《天照の鏡》は止まらない。歪められていた記憶が、次々と本来の姿を取り戻していく。
◇
城下で、税を納められなかった男が兵士の前へ膝をついていた。病に倒れた娘の薬だけは買わせてほしいと訴えていた男だった。
――王命により、税の未納者に例外は認められておりません。
兵士は、そう言っていたはずだ。だが、実際には納税の猶予が認められ、娘にはすでに医師が向かっていた。男は涙を流し、何度も兵士へ頭を下げている。
日御子の記憶では、その感謝の声すら、助けを求める悲痛な声へ変えられていた。
父は民を見捨ててなどいなかった。
景色が揺らぎ、山間の村が映し出される。
流行病に苦しむ人々。炎に包まれる家々。村を囲んでいた王国軍。王国の紋章を掲げ、王命だと記された命令書を示した兵士たち。
その姿から、《天照の鏡》が偽りを剥がしていく。
王国軍の鎧が揺らぎ、その下から異なる軍装が現れた。命令書に押されていた王印にも亀裂が走り、精巧に偽造された印が崩れ落ちる。
兵士たちの胸に刻まれていたのは、双頭の鷲。
統天帝国エテルナの紋章だった。
「帝国軍……」
日御子の声が震えた。
さらに、父から届いたと信じていた書状が浮かぶ。
――流行を防ぐため、必要な措置であった。国を背負う者は、時に一部を切り捨てねばならぬ。
父のものへ似せられた筆跡。精巧に偽造された王印。そのどちらも、本物ではなかった。
最初から、父の言葉ではなかった。
「あ……」
日御子の喉から、声にならない音が漏れる。
父を憎む理由が、また一つ消えた。
◇
《天照の鏡》は、さらに記憶を遡った。
各地を巡り、人々を助けていた頃。最初に護衛を申し出た男。物資を集め、日御子の活動を支えた者たち。自分の志に賛同し、共に民を救おうとしてくれた仲間だと信じていた。
だが、その姿からも偽りが剥がれていく。粗末な旅装の下から、次々と帝国の軍装が現れた。
護衛も、連絡役も、物資を管理していた者も、帝国から送り込まれた兵士や諜報員だった。
彼らは日御子の善意へ賛同したふりをして近づき、時間をかけて周囲へ入り込んだ。人を集め、物資を運び、指揮系統を整え、革命軍と呼ばれる組織の核を作り上げていった。
本当に善意で協力した者も、確かに存在した。
だが、彼らは一人ずつ姿を消していた。
故郷へ帰った。
家族が病に倒れた。
事情があって活動を続けられなくなった。
日御子はそう聞かされ、その言葉を疑わなかった。しかし、去っていく彼らの背後には、いつも帝国の工作員が立っていた。
その後、彼らがどこへ行ったのかは分からない。
ただ、革命の日まで残っていた者は一人もいなかった。
「そんな……」
冷たい汗が、日御子の背中を流れる。
再び、革命の日。
王都へ進軍した兵士たち。王城へ雪崩れ込んだ男たち。福を取り囲み、「始末しろ」と命じた兵士。玉座の間で、日御子へ父を殺せと叫んだ者たち。
革命軍の旗、腕章、鎧から偽装が剥がれ、至る所に双頭の鷲が現れる。
王都と王城へ攻め込んだ革命軍は、そのほとんどが帝国軍だった。
帝国は革命を支援したのではない。
日御子の善意を利用し、革命軍という名の侵略部隊を作り上げていたのだ。
民のために戦っていると思っていた。
自ら選び、自ら仲間を集め、自ら革命を起こしたのだと信じていた。
だが、その道は最初から用意されていた。
日御子が父へ剣を向ける、その日のために。
「嘘ですの……」
全ての偽りが、一つの場所へ収束していく。
王城。
巨大な扉。
赤い絨毯。
革命の終着点。
最後に残された記憶が、ゆっくりと扉を開いた。
◇
玉座の間。
父を殺した場所。
「……いやですの」
日御子の声が震える。
見たくなかった。この先にあるものを、誰よりも知っている。
それでも、記憶は止まらない。
赤い絨毯の先、玉座の前に父が立っていた。
ヒノモト国王。
日御子の父。
姿は記憶と何も変わらない。それなのに、今はあの日とはまるで違って見えた。
暴君でも、冷酷な支配者でもない。
そこにいたのは、困惑と悲しみを浮かべた一人の父親だった。
「来たか」
低く、聞き慣れた声が響く。
記憶の中の日御子は剣を握り、父を睨みつけていた。
「終わりですの、父上」
「そうか」
王は僅かに頷いた。娘の顔から答えを探すように、静かに見つめている。
「私は、あなたを許しませんの。民は苦しんでいました。税を払えず、病気の娘から引き離された人もいました」
父の表情に困惑が浮かんだ。
「助けられるはずの村まで焼いた。私が戻ると約束した人たちを、あなたは国のために切り捨てましたの!」
「村を焼いた……?」
父は目を見開いた。
「何の話をしている」
日御子の胸が鋭く痛んだ。
あの日、その声は冷たい沈黙として記憶されていた。父は何も答えず、自分の罪を認めたのだと思っていた。
だが、本当は違った。
「何を見た。誰から聞いた」
父の声には怒りではなく、焦りが滲んでいた。
「日御子。お前に何があった。私に話してくれ」
「民は苦しんでいましたの! あなたは何も変えようとしなかった! だから私は――!」
父は遮らなかった。怒鳴りも、否定もせず、娘の言葉を最後まで聞いていた。
「帰ってこい、日御子」
やがて、父は静かに告げた。
「まだ間に合う」
その声は、王のそれではなかった。幼い頃から何度も自分を呼んでくれた、父親の声だった。
「辛かったな。気付いてやれなくて、すまなかった」
日御子の視界が涙で滲む。
もう聞きたくなかった。
それでも、記憶は先へ進んでいく。
父が腰の剣へ手を掛け、ゆっくりと鞘から抜いた。記憶の中の日御子が身構え、背後に並ぶ兵士たちも一斉に武器を構える。
だが、父は娘へ剣を向けなかった。
抜いた剣を、自ら床へ置いた。
硬い金属音が玉座の間に響く。
「……なぜ、剣を置くんですの?」
父の唇が動く。
――王だからだ。
国を背負う者としての義務。娘さえも切り捨てる、王としての矜持。そう思って、二度と忘れられなかった一言だった。
だが今、《天照の鏡》が、言葉へこびりついていた歪みを剥がしていく。
「父だからだ」
世界から、音が消えた。
たった一文字。
それだけで、あの日の意味が全て変わった。
王として敗北を受け入れたのではない。
父として、娘へ剣を向けられなかったのだ。
「帰ってこい、日御子」
父はもう一度呼びかけた。
「お前が何を見たのか、何を聞かされたのか、私には分からない。だが、お前は私の娘だ」
革命軍の兵士たちが、日御子の背後から声を上げる。
「暴君を討て!」
「革命を終わらせろ!」
「民のために!」
その声に追い立てられるように、記憶の中の日御子が剣を振り上げた。
父は最後まで、娘を責めなかった。
怒りも、恨みも、命乞いさえ口にせず、ただ静かに目を閉じた。
そして、剣が振り下ろされた。
「やめてぇぇぇぇっ!」
現在の日御子が叫ぶ。
だが、過去は変わらない。
父の身体が崩れ、赤い絨毯へ血が広がっていく。
次の瞬間、玉座の間に歓声が爆発した。
「革命軍万歳!」
「ヒノモト万歳!」
「暴君は死んだ!」
だが、叫んでいたのは帝国兵たちだけだった。
扉の外から聞こえていたのは、家臣たちの泣き声だった。民衆の悲鳴だった。王の死を知り、その場へ崩れ落ちる人々の絶望だった。
日御子には、その全てが歓声として届いていた。
父が何も言わなかったのではない。
父の言葉だけが、最後まで自分には届かなかった。
◇
景色が消えた。
現在の屋敷へ戻った日御子は、その場へ膝をついた。胸の奥から込み上げるものを抑えられず、口元を押さえて胃の中のものを全て吐き出した。
息が吸えない。
涙が止まらない。
「父上……」
掠れた声が漏れる。
「父上……!」
嗚咽とともに、日御子の身体が震えた。
足元では、黒猫が日御子の腕へそっと頬を擦り寄せていた。いつもの気まぐれな甘え方とは違う。ただそこにいると伝えるような、静かな仕草だった。
父だけではない。
ヒノモトまで、自分の手で帝国へ差し出した。
「私は……」
震える声が、喉の奥から零れる。
「私は、何をしてしまったんですの……」
だが、黄金の瞳は閉じない。
歪みの剥がれた記憶の奥に、もう一人の姿が浮かび上がる。
革命より数年前、まだ王城で暮らしていた頃。
新たに自分の従者を務めることになった、一人の青年が立っている。
優しい笑み。
穏やかな声。
何度も自分を支え、守ってくれたと思っていた人物。
ユウマ。
いや。
ユリウス。
彼は記憶の中で、静かに微笑んでいた。
真実は、まだ終わっていなかった。
【第三十七話 歪んだ想い】へ続く




