天照の鏡
「私が何者か、ですか」
静寂の中。
ユリウスが小さく笑った。
「単純です」
「私は統天帝国エテルナ諜報局所属」
「局長第一側近のユリウスと申します」
誰も口を開かない。
ユリウスは続ける。
「そして」
「姫様」
「お久しぶりです」
「お忘れですか?」
◇
日御子の身体が震えた。
激しい頭痛。
そして鮮血が滴る。
思い出せそうで思い出せない。
何かに手がかかる。
だがまだ掴めない。
ポリアンナが睨み付ける。
「あなたの目的は何ですか」
「目的ですか」
ユリウスは懐かしそうに目を細めた。
「私に与えられた任務は一つ」
「元々はヒノモト国王を意のままに操れるようにする事でした」
全員が息を呑む。
日御子の瞳が揺れた。
「父上を……?」
「はい」
ユリウスは頷く。
「上からの命令です」
「私は時間をかけ王の側近となり」
「何度も接触しました」
「何度も洗脳を試みました」
「ですが」
小さく肩を竦める。
「失敗した」
少しだけ。
敬意を滲ませながら。
「あの方は本当に強い王でした」
「何度試しても通じなかった」
「《王威》」
「厄介な異能でした」
◇
日御子は言葉を失う。
父は暴君だった。
そう信じてきた。
そう教えられてきた。
◯◯◯に。
だというのに。
ユリウスの口調に嘘は感じられない。
まるで。
本当に尊敬していたかのようだった。
「だから私は考えました」
ユリウスが日御子を見る。
優しく。
昔を懐かしむように。
「別の方法を」
嫌な予感がした。
◇
日御子の胸がざわつく。
「何故か」
「姫様も洗脳が効きにくかった」
「ですが」
「姫様は本当にお優しい方でした」
「聡明な方でした」
「民を愛し」
「弱者を見捨てない」
「だからこそ」
「導くだけで良かった」
頭痛。
ズキリ。
耐え難い激痛。
頭蓋の内側で何かが軋む。
思考が千切れそうだった。
「やめて……」
日御子が呟く。
しかし。
ユリウスは止まらない。
「認知を歪ませ」
「疑念を植え付け」
「視点を誘導する」
「それだけで十分だった」
日御子の呼吸が乱れる。
嫌だ。
聞きたくない。
それなのに。
身体が動かない。
◇
「姫様は賢い方です」
「だから自ら考え」
「自ら結論を出し」
「自ら革命を選んだ」
ユリウスは微笑んだ。
その笑顔は。
どこまでも穏やかだった。
だからこそ恐ろしい。
「違いますの」
日御子が首を振る。
「そんなはずありませんの……」
「父上は暴君だった」
「民を苦しめていた」
「だから私は――」
言葉が止まる。
ユリウスは静かに告げた。
「貴女は私の最高傑作ですよ」
◇
誰も動かない。
誰も言葉を発しない。
ただ。
日御子だけが震えていた。
「嘘ですの」
か細い声。
「そんなの……」
「嘘ですの」
日御子は首を振る。
否定しなければならない。
受け入れてはいけない。
だが。
頭の奥で何かが壊れる。
激痛ですらなかった。
もっと根源的な何か。
魂そのものを引き裂かれるような衝撃。
まるで。
何かが暴れ回っているようだった。
「違う……」
「違いますの……」
◇
その時だった。
――父上。
声が聞こえた。
日御子の身体が硬直する。
知らない。
知らないはずだった。
だというのに。
懐かしかった。
王城。
広い庭園。
幼い自分。
笑っている父。
優しく頭を撫でる大きな手。
◇
次の瞬間。
別の記憶。
家臣達。
宴。
笑顔。
祝福。
◇
また別の記憶。
父が民と話している。
誰かを助けている。
誰かに感謝されている。
◇
断片。
◇
断片。
◇
断片。
◇
次々と流れ込んでくる。
「っぁ……」
呼吸が苦しい。
頭が割れそうに痛む。
何年も。
もう何年も。
押し込められていたものが。
一気に溢れ出してくる。
まるで。
巨大なダムが決壊したように。
止まらない。
止められない。
「やめ……」
日御子は頭を押さえる。
膝をつく。
それでも。
記憶は止まらない。
◇
革命の日。
泣いていた家臣。
自分を止めようとする父。
そして。
自分。
怒り。
憎しみ。
正義。
全てが混ざり合う。
「違う……」
「違う!」
叫んだ。
◇
思い出す。
玉座の間。
剣を捨てた父。
何も言い返さなかった父。
最後まで怒らなかった父。
日御子は震える。
私は騙されていた。
利用されていた。
そうだ。
私は被害者だ。
そう思いたかった。
だが。
記憶の中の自分は。
誰よりも強い憎しみで父を見ていた。
誰よりも強い怒りで父を断罪していた。
ユリウスは導いた。
疑念を植え付けた。
憎しみを煽った。
それは事実だ。
それでも。
剣を握ったのは誰だ。
父を睨んだのは誰だ。
革命を選んだのは誰だ。
民のためだと信じたのは誰だ。
全部。
私だった。
◇
「ぁ……」
呼吸が止まる。
胸が潰れそうだった。
そんなはずがない。
そんな事を認めたら。
私は。
私は――
父を殺した。
騙されていたからじゃない。
操られていたからじゃない。
最後に剣を振り下ろしたのは。
間違いなく。
私だった。
◇
「違う!!」
その瞬間。
頭の奥で。
何かが砕けた。
壁だったのか。
鎖だったのか。
日御子には分からない。
ただ。
長い間閉ざされていた何かが。
音を立てて崩れ落ちた。
まるで、長い夢から覚めるように。
◇
世界が静まる。
誰も動かない。
誰も声を出さない。
空気さえ止まったようだった。
日御子はゆっくり顔を上げる。
突然。
光。
身体の奥から。
温かな光が溢れ出していた。
周りの空気が震えていた。
◇
「な……」
ポリアンナが言葉を失う。
のぶおも。
咲夜姫も。
誰も動けない。
ユリウスだけが目を見開いた。
「その光は……まさか!」
「覚醒異能!?」
日御子が目を開ける 。
黄金。
その瞳は。
今までとは全く違っていた。
◇
《天照の鏡》
覚醒異能。
世界の見え方が変わる。
人の感情が流れ込む。
そして。
世界に張り付いていた偽りが剥がれ落ちる。
ユリウスを見る。
その姿が揺らいだ。
現在の姿。
統天帝国諜報局所属の将校。
そして。
◇
王城。
幼い自分の隣に立つ青年。
笑顔。
優しい声。
名前。
忘れていた名前。
日御子の唇が震える。
「……ユウマ」
沈黙。
ユリウスの瞳が大きく揺れる。
そして。
ふっと笑った。
「ようやく思い出して頂けました」
どこか嬉しそうだった。
しかし。
首を傾げる。
「ですが」
「私はまだ何もしていない」
「洗脳は解除していない」
ユリウスの表情に困惑が浮かんだ。
(やはり姫様には覚醒異能の因子が……)
(しかし、何故……覚醒できた?)
日御子は静かに立ち上がる。
黄金の瞳が。
真っ直ぐユリウスを見据える。
「全部……見える」
掠れた声。
そこには。
確かな意思があった。
「あなたも」
「私も」
「そして――」
「あの日の真実も」
ユリウスから表現が消えた。
【第三十六話 革命の真実】へ続く




