残された作戦
「日御子さん!」
ソリムドが叫ぶ。
腕の中の日御子は、耳と鼻から血を流したまま意識を失っていた。
自警団員たちの視線が揺れた。
「日御子さんが……」
「どうするんだ!?」
その時、のぶおが声を張り上げる。
「慌てないでください!」
「作戦は既に共有されています! 予定通りに動きます!」
敵はもう動き出している。作戦を止めるわけにはいかなかった。
自警団員たちは互いに顔を見合わせ、やがて武器を握り直す。
「行くぞぉぉぉ!!」
真っ先に飛び出したのはアイザックだった。
その後ろを自警団員たちが追う。
狙うのは砦の左翼。日御子の指示通り、敵弓兵を最優先で叩く。
「なっ!?」
物陰に潜んでいた弓兵たちが目を見開く。
「どうして分かった!?」
「うちの軍師様はすげーんだよ!」
アイザックが笑い、炎を纏った拳を叩き込む。射手が吹き飛び、残った弓兵たちが慌てて距離を取った。
「逃がすか!」
アイザック隊が一気に距離を詰める。
反対側では、鬼龍神隊が右翼を押していた。
「止めろ!」
傭兵たちが殺到する。
鬼龍神は何も言わず、ただ大剣を振るった。
横薙ぎの一閃が迫った二人をまとめて弾き飛ばす。さらに踏み込み、振り下ろした大剣で次の兵士の剣を叩き落とした。
「ば、化け物か!?」
傭兵たちが後退する。
鬼龍神は大剣を肩へ担ぎ直すと、何事もなかったように前へ進み始めた。
中央では、のぶお隊が自警団を支えていた。
「前へ出すぎないで! 負傷者を下げてください!」
巨大な障壁が飛来する矢を次々と弾く。
「守られてるぞ!」
「これなら戦える!」
自警団員たちの動きから怯えが消えていく。
後方では、もりやんが弓隊をまとめ、左右の戦線へ援護を送っていた。
「左翼、二十メートル先!」
放たれた矢がアイザック隊へ回り込もうとしていた敵を牽制する。
「次、右翼!」
今度は鬼龍神隊の進路へ矢が降り、敵の足を止めた。
左翼、右翼、中央、後方支援。それぞれが役割を果たす。日御子の作戦が、戦場を動かしていた。
丘の上から戦況を見ていたソリムドが、思わず呟く。
「すごい……」
このままなら勝てると思った。
◇
「なるほど」
低い声が響いた。
砦の前で、巨大な剣を肩に担いだガルドが戦場を見渡している。
左翼と右翼は押され、中央は障壁に阻まれている。
それを確認したガルドの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「やってくれるじゃねぇか」
だが、焦りはなかった。
「第三班は右翼へ回れ! 第五班は後方から左翼を挟め! 予備兵も出せ!」
「了解!」
傭兵たちが即座に動く。
声を聞いた瞬間に走り出し、迷うことなく持ち場を変えていく。元帝国軍人に鍛えられた熟練の部隊だった。
すぐに戦況が変わる。
「後ろだ!」
アイザックが振り返った。
新たな敵兵が回り込み、左翼を挟み始めている。
「ちっ!」
前方の敵を殴り飛ばしても、今度は側面から別の兵が入り込んでくる。
右翼でも、鬼龍神隊の進撃が止まった。
「敵が動いたか」
鬼龍神が短く呟く。
後方のもりやんも、すぐに変化へ気付いた。
「右翼へ!」
矢を集中させ、鬼龍神隊を援護する。
だが、その瞬間に左翼への圧力が強まった。
「次は左!」
援護を戻せば、今度は中央が押される。
「まずいね……」
もりやんの表情から余裕が消えた。
弓隊だけでは、変化する全ての戦線を支えきれない。
「右翼が押されています!」
「援護を!」
中央でも声が飛び交う。
のぶおは舌打ちし、障壁を維持したまま左右を見た。
日御子の作戦は、先ほどまで見事に機能していた。だが、敵も状況を見て考え、動く。
本来なら、ここで軍師が次の指示を出す。
しかし、その軍師が今はいなかった。
◇
丘の上で、ソリムドは拳を握った。
左翼は包囲されかけ、右翼も増援に足を止められた。中央まで破られれば、左右の隊は完全に分断される。
このまま流されれば負ける。
ソリムドは、横たわる日御子へ目を向けた。
鼻と耳に血の跡を残したまま、目を覚ます気配はない。
彼女が作った作戦はまだ生きている。ならば、それを繋ぐ者が必要だった。
「……僕が行く」
近くにいた自警団員が振り向いた。
「日御子さんをお願いします」
「今ここで戦線を立て直さないと、みんな負ける」
それだけ告げ、ソリムドは丘を駆け下りた。
◇
最初に向かったのは左翼だった。
アイザック隊は前後から敵に挟まれている。包囲を完成させられる前に、どこか一箇所を破らなければならない。
「アイザックさん!」
「来たのか?」
敵兵の間を縫うように駆け込み、ソリムドが手を掲げる。
「《可能性解放》」
淡い光が広がった。
次の瞬間、アイザックの踏み込みが変わる。
「おお!?」
身体が軽い。
拳に込められる力も、炎の勢いも明らかに違っていた。
「こいつはすげぇ!」
迫ってきた傭兵の剣をかわし、その懐へ潜り込む。
燃え上がる拳が胸当てへ突き刺さり、爆ぜる炎とともに男を吹き飛ばした。
「今だ! 前をぶち抜け!」
「おおっ!」
強化された自警団員たちも続く。
包囲が完成するより早く正面の一角を押し崩した。左翼が再び動き始めるのを確認すると、ソリムドはすぐに右翼へ向かう。
鬼龍神なら、動きさえ戻れば押し返せる。
「鬼龍神さん!」
「ん?」
「動きやすくします」
「そうか」
相変わらず反応は薄い。
「《可能性解放》」
淡い光を受けた鬼龍神が一歩踏み込む。
次の瞬間、敵兵たちが次々と吹き飛んだ。
「なっ!?」
傭兵たちが一斉に後退する。
鬼龍神は自分の手を軽く握った。
「おぉ、少し軽いな」
ソリムドは一瞬だけ目を丸くする。
街の外には、こんな強い人たちがいるのか。こんな世界があるのか。
今まで知らなかった景色。
だが、すぐに首を振る。今はそれどころではない。
中央へ視線を戻し、そのまま駆け出した。
「のぶおさん! 強化します!」
「頼みます!」
ソリムドが手を掲げる。
「《可能性解放》!」
淡い光がのぶおを包み込んだ。
その瞬間、前方へ展開されていた《絶界守護》が大きく広がる。
左右まで覆うように伸びた障壁が矢を弾き、振り下ろされた剣を受け止めた。
「中央を固めます! 左右はそれぞれ押し返してください!」
「まだ戦えるぞ!」
「行ける!」
自警団員たちの声が再び強くなる。
左翼が動き、右翼が押し返し、中央が固定された。
崩れかけていた三つの戦線が、もう一度繋がった。
◇
その様子を、ガルドは黙って見ていた。
どの戦線も持ち直され、その全てに一人の少年が関わっている。
「……あの小僧か」
ガルドの目が細くなる。
「何かやってやがるな」
次の瞬間には、判断を終えていた。
「お前ら、道を開けろ」
部下たちが左右へ散る。
ガルドは大剣を両手で構えた。
「俺を、ただの指揮屋だと思ってねぇだろうな?」
刀身に鈍い光が走る。
「《武装強化》」
ごぉっ――――!!
空気が震えた。
大剣から放たれる圧が一気に増し、周囲の自警団員たちが思わず身を引く。
「剣が……大きくなってる……?」
武器そのものが一回りも二回りも膨れ上がったように錯覚するほどの威圧感だった。
ガルドが歯を見せる。
「俺が戦場で生き残ってきた理由を教えてやるよ」
地面を蹴った。
巨体からは想像できない速度で、一気に戦場を駆け抜ける。
「ソリムド!」
のぶおが叫ぶ。
狙われている。
ソリムドも気付いた。
だが、ガルドはすでに目前まで迫っていた。
巨大な剣を高く振り上げる。
離れた場所で、鬼龍神の両眼が淡く光った。
「――《迅雷》」
旋風が走る。
次の瞬間、ソリムドの前に鬼龍神が割り込んだ。
「鬼龍神さん!?」
鬼龍神は大剣を両手で構え、振り下ろされる一撃を真正面から受けた。
轟音。
衝撃が両腕へ食い込み、筋肉が悲鳴を上げる。
「っ……!」
受け止めた鬼龍神の大剣が大きく軋んだ。
ばきん――。
大剣が、中央からへし折れる。
「なっ……!」
鬼龍神が目を見開いた。
「まずはてめぇからだ!」
ガルドが大剣を引き戻し、そのまま鬼龍神へ斬りかかる。
鬼龍神は残った刀身を咄嗟に掲げた。
再び、鋼同士が激突する。
今度は受け止めきれない。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に鬼龍神の身体が宙へ浮き、そのまま地面を転がった。
「鬼龍神さん!」
ガルドは倒れた鬼龍神には目もくれず、すぐにソリムドへ向き直る。
「次はお前だ」
大剣を振り上げ、踏み込んだ。
だが、鬼龍神が稼いだ僅かな時間で十分だった。
「《絶界守護》!」
のぶおがソリムドとの間へ割り込み、巨大な障壁を展開する。
そこへソリムドの声が飛ぶ。
「《可能性解放》!」
淡い光がのぶおを包んだ。
直後、ガルドの大剣が叩き付けられた。
再び轟音。
障壁全体が激しく震え、のぶおの両足が地面を削る。
それでも、大剣は止まった。
「何だと……?」
ガルドが目を見開く。
のぶおは歯を食いしばりながら、障壁越しに睨み返した。
「私がいる限り――後ろには通さん」
ガルドがさらに力を込める。
だが、大剣は動かない。
その一瞬を、アイザックは見逃さなかった。
「もらった!」
横から飛び込む。
ガルドが反応した時には、アイザックの両手が大剣の刀身を掴んでいた。
「のぶお!」
のぶおがアイザックを見る。
次の瞬間、その意図を理解した。
「分かりました!」
障壁が消える。
その瞬間、ガルドの全力がアイザックの両腕へ掛かった。
「っ!」
それでも、アイザックは離さない。
万力のような、人間離れした膂力。腕の筋肉が大きく盛り上がる。
「離せ!」
ガルドが力任せに振り払うが、びくともしない。
アイザックが両腕に力を込めたまま笑う。
「《紅蓮》!」
次の瞬間、両手から真紅の炎が噴き上がった。
灼熱が刀身を包み込む。
「馬鹿な……!」
《武装強化》を受けた大剣が赤熱していく。
「武器が強ぇなら、壊しちまえばいいだろ!」
アイザックは《紅蓮》の温度を一段引き上げた。
刀身が赤から白へ変わり、中央がぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、溶けた金属が滴り落ちる。
耐えきれなくなった刀身が、中央から千切れ落ちた。
「なっ……!」
そこへ、横からのぶおが踏み込む。
「――終わりです」
ガルドが咄嗟に拳を振り下ろす。
その拳をのぶおは紙一重で外し、そのままガルドの懐へ入る。
剣を横薙ぎに振り抜いた。
「――っ!」
凄まじい衝撃に巨体が地面から浮く。
ガルドは後方へ吹き飛び、何度も地面を転がり、やがて動きを止めた。
◇
一瞬、戦場から音が消えた。
倒れたガルドと、焼け落ちた大剣。
それを見つめていた自警団員の一人が、震える声を漏らす。
「……ガルドを倒した」
その一言を境に、歓声が爆発した。
「勝ったぞ!」
対する傭兵たちは動かなかった。
やがて一人が剣を落とした。
乾いた音が戦場に響く。
それをきっかけに、別の男も武器を捨てる。
一人、また一人。
戦意を失った傭兵たちは次々と投降し、黒狼のガルドも捕縛された。
その勝利を、日御子だけが知らない。
戦場の端で、彼女は今も静かに眠り続けていた。
【第三十一話 旅人】へ続く




