若き英雄
「助けてください!」
男の叫び声が響いた瞬間、それまで賑やかだったNKJ本部の空気が一気に張り詰めた。
扉を開けて飛び込んできた男は肩で息をしている。服は泥に汚れ、顔には疲労と焦りが滲んでいた。
ただ事ではないと、日御子たちの表情が変わる。
「どうしましたの?」
「傭兵団が……!」
男は乱れた息のまま叫んだ。
「西方の国を拠点にしている傭兵団が、近くの砦を占拠して……街を襲っているんです!」
「自警団も二度戦いました。ですが……どちらも負けました」
そこで唇を噛む。
「続いて討伐に向かった近隣の傭兵団も、返り討ちにされたそうです」
室内に沈黙が落ちた。
ポリアンナはいない。
自然と集まった視線の先にいたのは、日御子だった。
(私が……?)
一瞬だけ、胸の奥がざわついた。
人を動かし、戦場へ送り出す。その重さを、今の日御子は以前よりずっとよく知っている。
それでも、目の前には助けを求めてきた人がいる。
日御子は小さく息を吸い、表情を引き締めた。
「相手の規模は?」
「四十人以上はいると思います」
「結構な人数だな」
アイザックが口笛を吹く。
「それだけではありません」
男はさらに続けた。
「奴らの頭は賞金首です。元帝国軍の将校だって噂もあります」
「名前は分かりますか?」
のぶおが尋ねる。
「黒狼のガルド」
その名を聞き、鬼龍神の眉が僅かに動いた。
「聞いたことあるな。帝国軍の百人隊長だった奴だろ」
「知っているんですの?」
「噂だけだ。かなり強ぇらしい」
日御子は僅かに考えた。
敵の正確な人数も、砦の状態も、街にどれだけ戦力が残っているのかも分からない。
だが、今も街が襲われている。
「行きますの」
全員の視線が日御子へ向いた。
「状況を見てから依頼を受けるか決める時間はありません。助けに行くことを前提に、現地で情報を集めますの」
のぶおが頷く。
「私もそれがいいと思います」
「決まりだな」
アイザックが立ち上がった。
日御子も頷き、男を見る。
「案内をお願いしますの」
ほどなくして、NKJの一行は本部を出発した。
◇
街へ到着したのは翌日の昼頃だった。
占拠された砦が近いだけあって、街全体に重苦しい空気が漂っている。商店こそ開いているものの、道を行く人々の表情は暗く、声も少ない。
街の入口では武装した男たちが警戒を続けているが、その数は少なく、怪我人も目立つ。
日御子は黙ってその光景を見る。
(……昔のヒノモトを思い出しますの)
「そっちの二人は休んでください。傷が開いてます」
長い銀髪を揺らしながら、華奢な人物が負傷した自警団員へ指示を出していた。
「でも、ソリムド――」
「動けなくなったら余計に人数が減ります。交代してください」
有無を言わせない口調だった。
男たちは渋々頷き、持ち場を離れていく。
その姿を見ながら、依頼人が日御子たちへ駆け寄った。
「あの子です。今、自警団をまとめているソリムドです」
「……あの子が?」
日御子は思わず目を見開いた。
こちらに気付いたソリムドが歩いてくる。
腰まで伸びた銀色の髪に、長い睫毛。整った顔立ちは、一見すると少女にも見えた。
「あなたたちが解放軍NKJですか」
「そうですの。日御子と申します」
「ソリムドです」
アイザックが首を傾げる。
「……女?」
ソリムドの眉がぴくりと動いた。
「男です」
「本当ですの?」
「男です」
二度目は、少しだけ声が低かった。
(お人形みたいですの)
「ちなみに十四歳です」
依頼人が付け加えた。
「十四!?」
今度こそ、アイザックたちの声が重なった。
まじまじとソリムドを見る。
「お前、本当に十四か?」
「悪いですか?」
「いや、十四で自警団まとめるって……お前、すげーな」
ソリムドは褒められても特に表情を変えなかった。
「では、市長のところに案内します」
◇
市役所の執務室では、市長と自警団の幹部たちが待っていた。
日御子たちが席につくと、市長が深々と頭を下げる。
「お越しいただき、感謝致します」
「挨拶は後ですの。まず状況を説明してください」
即座に返され、市長は僅かに目を見開いたが、すぐに机へ地図を広げた。
「傭兵団は四十七名。自警団は二度の討伐に失敗しています」
「自警団長も戦死しました。副団長も重傷です。現在はソリムド君が残った者たちをまとめています」
日御子はソリムドを見る。
ソリムドは表情を変えずに言った。
「僕しかいなかったから」
団長が死に、副団長が倒れた。それでも街を守る者は必要だった。
英雄になりたくて立ったわけではないのだろう。
他に立てる者がいなかっただけなのだ。
(私たちが、ここで終わらせますの)
日御子は静かに手を握った。
市長がソリムドへ視線を向ける。
「彼の異能のおかげで、傷ついた自警団でも何とか街を守れているのです」
ソリムドが静かに口を開いた。
「《可能性解放》といいます。味方の身体能力と異能を強くできます」
日御子の目が僅かに見開かれる。
味方そのものを強化する異能。
戦場全体へ与える影響は大きい。
「なるほどですの……それで自警団が持ち堪えているんですね」
◇
説明を受け終えると、日御子は地図を見つめた。
誰も声を掛けない。
数十秒後、日御子が口を開いた。
「……正面から行きますの」
「おう!」
アイザックが即座に笑う。
「理由を聞きましょう」
のぶおが冷静に割って入った。
「聞かなくても勝てるなら良いだろ」
「良くありません」
「ですの」
日御子とのぶおの声が重なり、アイザックは肩を竦めた。
「真正面から力比べをするわけではありませんの」
日御子は地図上の砦を指した。
「ガルドは元帝国軍人。しかも百人隊長だったのでしょう?」
「そうらしいな」
鬼龍神が頷く。
「なら、砦を守る時に何を警戒するかも、軍人の考え方から大きく外れないはずですの」
指先が正門へ移る。
「正面からまとまった戦力を見せれば、まずそこを主攻と判断する」
のぶおが地図を見つめる。
「正面攻撃そのものが囮ですか」
「半分は、ですの」
日御子は小さく頷いた。
「こちらも自警団を含めれば、数では大きく劣りません。ならば、相手の意識を正面へ集めた上で、それぞれの強みを使いますの」
日御子は自警団を四つに分け、アイザック、鬼龍神、のぶお、もりやんをそれぞれの小隊長に指名した。
「ソリムドさんは自警団の精鋭と行動してください。《可能性解放》で全体を支援してほしいですの」
「分かりました」
ソリムドが静かに頷く。
細かな攻略手順までは、この場では決められない。
日御子は立ち上がった。
「では、現地で敵陣を確認しますの」
◇
砦へ向かう道中、日御子は隣を歩くソリムドへ声を掛けた。
「街の外へは、よく出ますの?」
「ないです。生まれてからずっと」
ソリムドは遠くの地平線へ目を向け、ほんの少しだけ笑った。
「まあ、たまには外の景色も見てみたいですけどね」
「では、落ち着いたら――」
「でも僕がいなくなったら、あの街困るし」
日御子の言葉を遮るように、ソリムドは肩を竦めた。
「だから無理ですね」
十四歳の少年が口にするには、あまりにも淡々とした諦めだった。
日御子は何も返せず、その横顔を見つめた。
◇
砦を見渡せる丘へ到着すると、強い風が草を揺らしていた。
遠くには石造りの砦がそびえ、その周囲を見張りが巡回している。
日御子は静かに目を閉じた。
「《王域》」
双眸に淡い光が灯り、緑の走査線が周囲へ広がっていく。
同時に、頭の奥へ鈍い痛みが走った。
(また……)
最近は《王域》を使うたび、頭痛が少しずつ強くなっている。
それでも日御子は意識を集中させた。
「敵は四十七名。弓兵六名、見張り三名。巡回は二組ですの」
自警団員たちがどよめく。
「すげぇ……」
「ここから本当に分かるのか……」
砦内部の配置まで確認しながら、日御子は各隊長へ突入経路を伝えていく。
その横で、ソリムドが一歩前へ出た。
「もっと見えると思う」
「……?」
「強化します」
右手を空へ掲げる。
「《可能性解放》」
次の瞬間、《王域》の範囲が一気に広がった。
「――っ!?」
日御子の身体がびくりと震える。
それまで輪郭として捉えていた砦の情報が、突然、鮮明になった。
敵兵の位置や装備だけではない。石壁の厚み、建物内部の構造、武器の種類、鎧の継ぎ目までが次々と頭へ流れ込んでくる。
まるで霧が一瞬で晴れたようだった。
「すごい……性能が上がっていますの」
日御子は目を見開いた。
ここまで見えるなら、敵の配置や兵種まで完全に読める。
(これなら勝てますの)
そう思った瞬間だった。
ずきり、と頭の奥に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
先ほどまでの頭痛とは違う。
脳を直接掻き回されるような激痛に、日御子は思わず膝をついた。
「日御子さん?」
ソリムドが振り返る。
答えようとしても、声が出ない。
痛みは治まるどころか、内側から頭を押し広げるように強くなっていく。
やがて、鼻から血が流れた。
ぽたり、と赤い雫が地面へ落ちる。
「おい!」
アイザックが顔色を変えた。
それでも痛みは収まらない。
耳の奥まで焼けるように熱くなり、次の瞬間には耳からも血が流れ始めた。
「なっ……」
のぶおが言葉を失う。
日御子自身にも、何が起きているのか分からなかった。
ただ、頭の中には情報が流れ込み続けている。
敵。武器。位置。動き。
それだけではない。
知らない景色。
知らない声。
知らない記憶。
違う。
知らないはずなのに――懐かしい。
◇
青空。
高い。
とても高い。
誰かの肩の上だった。
幼い日御子が、楽しそうに笑っている。
「高いですのー!」
その下から、男の笑い声が聞こえた。
「そうか」
優しい声だった。
温かな、大きな手が頭を撫でる。
懐かしい。
けれど、あり得ない。
こんな記憶は――。
「父……上……?」
日御子の唇から、震える声が零れた。
(暴君だったはずですの)
(民を苦しめた王だったはずなのに)
では、なぜ。
どうして、この手を懐かしいと思う。
白く染まる視界の中で足から力が抜け、その身体をソリムドが咄嗟に支える。
「日御子さん!」
返事はなかった。
日御子は完全に意識を失っていた。
◇
その時、丘の下から鋭い笛の音が響いた。
「敵襲!」
砦を巡回していた見張りの一人が、こちらを指差して叫んでいる。
「見つかった!」
鬼龍神が叫んだ。
砦から警鐘が鳴り響く。
重い鐘の音とともに門が開き、武装した傭兵たちが次々と姿を現した。
先頭に立つのは、巨大な剣を肩へ担いだ大男。
黒狼のガルド。
「来やがった!」
アイザックが舌打ちする。
「全隊、配置について!」
のぶおの声に、自警団員たちが一斉に武器を構えた。
◇
丘の下で、ガルドが足を止めた。
倒れた少女と、その周囲で慌てる者たちを見上げ、鼻で笑う。
「何だ。敵が勝手に倒れてるぞ」
巨大な剣を肩に担ぎ直す。
その背後では、傭兵団がすでに隊列を組み始めていた。
戦いが始まる。
軍師不在のまま。
日御子が立てた作戦だけを残して。
【第三十話 残された作戦】へ続く




