隣に立っていた
謁見を終えた後、パルパティーンとリリアナは並んで帝城の廊下を歩いていた。
庭園へ向かう間、パルパティーンは何度か口を開きかけ、そのたびに言葉を飲み込んだ。こんなに言葉を選ぶこと自体、自分らしくないと思う。
普段なら、言いたいことがあれば言う。気に入らなければ殴る。それだけで済む。
だが、昔からそうだったわけではなかった。
◇
幼い頃、二人には仲の良い友人がいた。
その友人が、家族を養うために危険な仕事を引き受けようとしたことがある。何度止めても聞かず、誰にも言わないでほしいと二人に頼んだ。
パルパティーンは、頷いてしまった。
危ないことくらい分かっていた。けれど、あいつの家にはその日の食べるものにも困るような事情があることも、よく知っていた。やめろと言えば、その事情ごと否定するような気がした。友人が念を押すたび、言いかけた言葉を飲み込んだ。
翌日、リリアナはその約束を破った。
事情を知った大人たちが間に入り、友人は危険な仕事から遠ざけられた。だが、秘密を明かしたリリアナは裏切り者と罵られ、二度と話しかけるなと突き放された。
それでも彼女は、友人が無事だったことを喜んでいた。
「お前、あいつに嫌われちまったぞ」
「うん」
「……それでいいのかよ」
「いいよ。あの子が生きててくれるなら」
リリアナはいつものように笑った。
「嫌われたって、また仲良くなれるかもしれないでしょう? でも、死んじゃったら、もう仲直りもできないもの」
パルパティーンは何も言い返せなかった。
自分は、事情が分かるから黙っていた。彼女は、事情が分かった上で止めた。
そんな彼女が、眩しかった。
好きなものを好きと言い、違うと思えば相手が誰でも口を開く。自分がどう見られるかより、やるべきだと思ったことへ真っ直ぐ手を伸ばす。
相手の事情を言い訳にして、言うべきことを飲み込む自分のままでいたくなかった。
だから、真似をした。言いたいことを飲み込みそうになるたび、リリアナならどうするかを考え、彼女なら言うだろうと思った言葉を、自分も口にした。
最初は、言った後で相手の顔を確かめずにはいられなかった。それでも繰り返すうちに、睨まれても、言い返されても、自分の言葉を引っ込めることはなくなった。
いつからか、考える前に口も身体も動くようになっていた。
今の自分を見て、昔は言いたいことを飲み込んでばかりいたなどと思う者はいないだろう。
その自分を作ったのは、リリアナだった。
◇
「お前、合格しちまったな」
まだ若かった頃。帝都行きの馬車を前に、パルパティーンはそう言った。
十六歳のリリアナが振り返る。まだ幼さの残る顔には、自分でも信じられないというような笑みが浮かんでいた。
「自分でもびっくりしてる」
けれど、すぐにその瞳が輝く。
「帝都には優秀な研究者が沢山いるの。これで、好きな研究が思い切りできるわ!」
昔からリリアナは賢く、誰よりも努力家だった。ひとたび目標を決めれば、周囲が見えなくなるほど一直線に進んでいく。
「そうか」
パルパティーンは頭を掻いた。
本当は止めたかった。帝都は遠く、どんな場所なのかも分からない。
それでも、あんな顔で未来を語るリリアナに「行くな」とは言えなかった。
「本当に一人で大丈夫か? お前、一度決めたら人の話を聞かなくなるからな。周りが見えなくなるの、悪い癖だぞ」
リリアナはむっと頬を膨らませる。
「ちょっと、心外だよね」
抗議するように睨んでから、ふと考え込むように視線を落とした。
「でも……もしかしたら、そういうところがあるのかもしれないね。私、自分のことを客観的に見られないし」
少しだけ真面目な顔をしたかと思えば、すぐに悪戯っぽく笑った。
「じゃあさ」
一歩近付く。
「私が間違った時は」
そして、真っ直ぐにパルパティーンを見上げた。
「どこにいても、パルが止めに来てね」
「……っ」
パルパティーンは思わず視線を逸らした。
「知るか」
ぶっきらぼうに答える。耳の先が、僅かに熱かった。
「身体には気を付けろよ」
「もう子供じゃありません」
リリアナは笑った。
そんなふうに屈託なく笑う彼女を見たのは、それが最後だった。
◇
数年後。
帝都で再会したリリアナは、見違えるほどやつれていた。
諜報局近くの食堂で声を掛けられるまで、パルパティーンは彼女だと気付かなかったほどだ。
「パル?」
振り返った瞬間、胸が締め付けられた。
リリアナは笑っていたが、頬は痩せ、目の下には濃い隈が浮かび、指先には落ちないインクの染みが残っている。
(こいつを、このまま放っておいたら駄目だ)
それから研究室へ顔を出すようになったが、状況は想像以上に酷かった。食事も睡眠も忘れ、気付けば丸一日机へ齧り付いていることも珍しくない。
「帰るぞ」
「もう少しだけ」
「昨日もそれ言ってただろ」
「今日は昨日と違います」
「何がだよ」
そんなやり取りを何度繰り返したか分からない。
ある日など、何を言っても席を立とうとしないリリアナを椅子ごと担ぎ上げ、そのまま研究室から連れ出した。
「何するんですか!」
「うるせえ!」
「まだ終わってません!」
「お前が終わっちまうんだよ!」
食堂まで運び、無理やり飯を食わせた。リリアナは最後まで文句を言っていたが、翌日には何事もなかったように研究室へ戻っていた。
昔から、そういう奴だった。
一人で抱え込み、自分の限界を越えても止まらない。だから、力になってやりたかった。
出世したかったわけでも、帝国へ忠誠を誓いたかったわけでもない。
ただ、こいつの隣に立って、支えてやりたかった。
それが、パルパティーンが帝都へ来た理由だった。
◇
二人が辿り着いたのは、帝城の庭園だった。
夜風が木々を揺らし、遠くでは噴水の音が静かに響いている。辺りに人影はない。
しばらく何も言わずに歩いた後、先に口を開いたのはリリアナだった。
「それで、何の話ですか」
パルパティーンは頭を掻いた。
考えていたはずの言葉が、いざ本人を前にすると上手く出てこない。結局、最初に口から出たのは、まるで違う言葉だった。
「最近、寝てるか」
リリアナが瞬きをした。
「寝ています」
即答だった。
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
パルパティーンは苦笑する。
「昔から、無理してる時ほどそう言うよな」
リリアナは理解できないというように首を傾げた。
そんな何気ない仕草に、少しだけ安堵する。
少なくとも今は、昔のリリアナの面影が残っている。
「仕事の話ではないのですか」
「ああ」
パルパティーンは頷いた。
「研究をやめろとは言わねえ。ただ、少し休め」
リリアナの表情が変わった。数秒の沈黙の後、呆れたように息を吐く。
「その話ですか」
「その話だ」
「必要ありません」
「必要はある」
「私は忙しいんです」
「知ってるよ」
「なら――」
「だから休めって言ってんだ」
リリアナが口を閉ざした。
夜風が二人の間を抜けていく。
「何故ですか」
やがて、静かな声が返ってきた。
「何故、そこまで言うんですか」
パルパティーンは答えられなかった。
(そんなもん、決まってるだろ)
だが、それを今さら口にすることはできない。
代わりに、別の言葉を選んだ。
「お前、最近おかしいぞ」
リリアナの表情から感情が消えた。
「おかしい?」
「ああ」
「どこがですか」
「……人体実験だ」
パルパティーンは真っ直ぐに彼女を見る。
「昔のお前なら、あんなことを必要な犠牲なんて言わなかった」
「覚えてるだろ。研究所で事故があって、助手が怪我した時、お前は自分の責任だって三日も眠れなかった」
リリアナは小さく息を吐く。
「確かに昔はそうでした。ですが、泣いても悩んでも、結果は何も変わらなかった」
「今は違います。研究は進み、成果も出ている。帝国は確実に前へ進んでいます」
「人が死んでもか」
「そのために必要な犠牲です」
パルパティーンは歯を食いしばった。
話が通じない。
いや、見ているものそのものが違う。
「陛下は何も頼んでねえだろ」
リリアナの表情が、僅かに動いた。
「そこまでやれとも、人体実験をしろとも言ってねえ。それなのに、何でそこまでやる」
返事はない。
「飯も食わず、寝る時間まで削って、自分まで壊しかけて。それで何がしたいんだ」
噴水の音だけが響いた。
やがて、リリアナが口を開く。
「陛下が」
今までで一番、柔らかな声だった。
「陛下が、私を認めてくださいました」
パルパティーンは目を閉じた。
(やっぱりか)
そんな気がしていた。
「初めてだったんです。私に価値があると言ってくださったのは。私の研究を必要だと言ってくださったのも」
リリアナの声に、静かな熱が宿っていく。
「だから私は応えたい。期待に応えたい。それだけです」
パルパティーンは頭を振った。
「リリアナ。それは違う」
「何がですか」
「お前は……」
続く言葉が出てこない。
何を言えば届く。
どうすれば、こちらを見てくれる。
分からない。
「お前は、陛下のために生きてるのか」
「はい」
迷いは一切なかった。
パルパティーンの胸が冷えていく。
「帝国は、陛下の理想を実現するための手段です。研究もそのためにあります。私は、そのために働いています」
そこには民も、帝国すらもなかった。
ただ一人。
天帝だけがいる。
「……そこまでか」
「そこまでです」
リリアナは頷いた。
パルパティーンはしばらく黙り、最後の問いを投げた。
「そのせいで、たとえ世界が滅んだとしてもか」
夜風が二人の間を吹き抜ける。
初めて、リリアナはすぐには答えなかった。
僅かに考える。
それでも、答えは変わらなかった。
「陛下が望まれるなら」
時間が止まったように感じた。
パルパティーンは何も言えない。
(……終わったな)
目の前にいる。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、もう自分の言葉は届かない。
リリアナは静かに頭を下げた。
「失礼します」
そのまま歩き出す。
パルパティーンは引き止めなかった。
いや、引き止められなかった。
遠ざかる背中を見つめる。歩き方も、背丈も、昔から知っているリリアナのままだった。
それでも、もう同じ場所には立っていなかった。
◇
帝都の外れで、パルパティーンは一人、夜空を見上げていた。冷たい風が頬を撫でる。
「『陛下が望まれるなら』か」
乾いた笑いが漏れた。
近くにいればいいと思っていた。隣にいれば、いつか力になれる。支えてやれる。
ずっと、そう信じていた。
友としてなのか。それ以上の何かだったのか。そんなことを確かめたこともない。
(俺は、勘違いしてたんだな)
ただ、放っておけなかった。それだけは今も変わらない。
だから、今のままでは駄目だった。
パルパティーンは目を閉じた。
やがて静かに踵を返す。
もう決めていた。
ここを去ろう、と。
【第二十九話 若き英雄】へ続く




