亀裂
あの頃、パルパティーンはまだ若かった。
特務局へ入って数年。《模倣者》によって他人の異能を写し取り、多くの異能者を倒してきた彼は、いつしか自分が負ける姿を想像しなくなっていた。
そんな時、帝国最強と呼ばれる男の存在を知った。
ヴァルダー・レオニス。
異能は《神殺し》。
その名を聞いた時も、恐怖より先に浮かんだのは単純な考えだった。
触れて、コピーすればいい。
《模倣者》で写し取った異能は、本来の力をそのまま再現できるわけではない。どれほど劣化しているのか、実際に使ってみなければ分からない。だが、これまで何度も、そうやって他人の異能を自分の武器に変えてきた。
◇
訓練場で、若いパルパティーンは剣を抜いた。
向かいに立つヴァルダーは、当時から変わらない感情の読めない顔で剣を構えている。
「勝ったら最強の座は譲ってもらうぞ」
「好きにしろ」
「何だ、その言い方」
返事はなかった。
腹が立った。
だからこそ、本気で勝ってやろうと思った。
戦闘開始と同時に地を蹴り、一気に間合いを詰める。剣を打ち合わせるふりをして懐へ潜り込み、すれ違いざまにヴァルダーの腕へ触れた。
《模倣者》が発動する。
写し取った異能は――《神殺し》。
(取った)
コピーした異能の性質が頭へ流れ込んでくる。
視界に捉えた相手の異能を封じる。そして直接触れれば、視線を外した後も一定時間、その異能そのものを封印できる。
(なるほどな)
思った以上に強力な異能だった。
《神殺し》を発動し、ヴァルダーを視界に捉える。
本来なら、これで相手の異能は封じられるはずだ。
次の瞬間、ヴァルダーが構わず踏み込んできた。
「っ!」
剣と剣が激突する。
異様に重い。
受け止めた腕が痺れ、パルパティーンの身体が押し返された。
(何だ、この力……!)
体勢を立て直し、斬り返す。
ヴァルダーは僅かに身体をずらしただけで刃をかわし、そのまま死角へ回った。
一瞬、視界から外れる。
しまった、と思った時には遅かった。
振り向いた先で、ヴァルダーの目が鈍く光っていた。
左腕を掴まれる。
ぞくり、と全身を何かが走る。
「……は?」
反射的に《神殺し》を発動しようとする。
発動しない。
もう一度。
何も起きない。
ヴァルダーはすでに目の前にいる。それでも、異能そのものが沈黙していた。
次の瞬間には足を払われ、背中から地面へ叩き付けられる。
喉元へ剣先が突き付けられた。
完全な敗北だった。
「……何をした」
ヴァルダーはその問いには答えず、別のことを口にした。
「お前のコピー、不完全だろ」
それすら見抜いていた。
パルパティーンは悔しさを噛み殺しながら立ち上がる。
異能の有無に関係なく、剣の重さも、間合いの読みも、判断の速さも、自分より上だった。
そもそも、最初から《神殺し》を使われていれば、何もできずに終わっていただろう。
それをせず、ヴァルダーはこちらの技量を見ていた。
(俺を試していやがった)
◇
「結局、あれから一回も勝ててねぇな」
パルパティーンが小さく笑う。
「そうか」
ヴァルダーは相変わらず興味がなさそうだった。
会話が途切れる。
パルパティーンは窓の外へ目を向けた。帝都の夜景はいつもと変わらない。それなのに、今夜は妙に落ち着かなかった。
自然と諜報局のある方角へ視線が向く。
不意に、ヴァルダーの視線を感じた。
「あの女は最近どうだ」
「……何だよ、急に」
パルパティーンは目を瞬いた。
「お前が他人のこと聞くなんて珍しいな」
ヴァルダーは気にした様子もない。
「前からあの女のことをよく見てるだろ。たしか昔の馴染みだったか?」
パルパティーンは苦笑する。
「見てるつもりはねぇよ」
「そうか」
興味のなさそうな返事。
だが、また見抜かれた。
「なぁ」
しばらくして、パルパティーンが口を開く。
「最近のあいつさ……なんか変じゃねぇか?」
脳裏に浮かぶのはリリアナだった。
昔はもっとよく笑った。
研究に夢中になることはあっても、そのために誰かを傷付けるような真似だけは嫌っていた。失敗すれば悔しがり、成果が出れば子供みたいに喜んだ。
今は違う。
『陛下のためです』
口を開けば、その言葉ばかりだ。
少しずつ、リリアナが消えていくように見えた。
ヴァルダーは僅かに考えてから、答えた。
「興味ない」
「だろうな」
パルパティーンは、期待した自分が馬鹿だったと思った。
だが、続いた言葉だけは意外だった。
「気になるなら見ておけ」
パルパティーンは目を瞬く。
「随分まともなこと言うじゃねぇか」
ヴァルダーは何も答えなかった。
◇
パルパティーンは一人、窓の外へ目を向ける。
帝国のやり方そのものが、今さら気に入らなくなったわけではない。薬物尋問も洗脳も、人体実験まがいの行為さえ昔から存在していた。
それなのに、リリアナのことだけは妙に引っ掛かる。
ふと、帝都へ来る前の彼女を思い出した。
まだ何者でもなかった頃、誰にも頼らず、誰にも弱音を吐かず、それでも自分の信じたものだけは曲げなかった少女。
だから側にいた。
だから、帝都まで付いてきた。
「……ああ」
パルパティーンは小さく呟いた。
「そうだったな」
ようやく、自分でも忘れかけていた理由に辿り着く。
「俺は――」
言葉はそこで途切れた。
だが、その続きを口にする必要はなかった。
(あいつを、放っておけなかったんだ)
◇
巨大な扉が開いた。
帝国中枢、謁見の間。
赤い絨毯が奥の玉座まで真っ直ぐに伸び、その先では天帝が黄金の玉座へ腰掛けている。
エテルナを統べる、絶対の支配者。
幹部たちが一斉に跪いた。
軍務局長、アルベルト・アイゼン。
特務局長、ヴァルダー・レオニス。
諜報局長、リリアナ・ノクス。
その後ろには、それぞれの側近が並んでいる。
帝国を支える中核戦力、総勢九名。
パルパティーンも、その一人だった。
「始めろ」
天帝の一言を合図に、報告が始まった。
最初は軍務局。
北方戦線の状況、兵站、補給計画をアルベルトが淡々と報告する。
「そうか」
天帝は短く頷いた。
続いて特務局。
「反乱軍を一つ潰した」
「被害は」
「無し」
「そうか」
それで終わった。
あまりにもヴァルダーらしい報告に、パルパティーンは僅かに苦笑する。
そして最後に、リリアナが一歩前へ出た。
その瞬間、パルパティーンの表情から笑みが消えた。
「共鳴率上昇実験についてご報告します」
リリアナは頭を下げた。
声が僅かに弾んでいる。
まるで、待ち望んでいた成果を披露するかのように。
「現在までに三百二十七名の被験者を用いた検証を実施し、そのうち百二十四名に共鳴率の上昇を確認しました」
側近たちの間にざわめきが広がった。
共鳴率。
ほとんどの者が、この場で初めて耳にする言葉だった。リリアナの説明によれば、異能の出力や、他者の異能との反応性に深く関わる数値だという。
ざわめきの中で、軍務局長の後ろに控えるレオンだけが、声も上げずにリリアナを見据えていた。
「また、共鳴率が上昇した被験者の多くで、異能出力の向上も確認しています。最大で四十五パーセントです」
リリアナの口元が僅かに緩んだ。
「従来の理論では説明できない結果です。異能そのものの在り方を書き換えられる可能性すらあります」
その瞳には、研究者としての高揚が宿っていた。
パルパティーンには、その表情にも見覚えがある。
(研究が上手くいった時の顔だ)
昔も、何かを発見すれば嬉しそうに話していた。
なのに今は、同じ笑顔が妙に薄気味悪く感じる。
「興味深い成果ですね」
側近の一人、ユリウスが呟く。
リリアナは嬉しそうに頷いた。
「はい。私の理論通りでした。共鳴率は後天的に上昇させることが可能です。更なる検証が進めば、異能者全体の戦力向上も期待できます」
確かな熱が声に宿っていた。
その時、アルベルトが口を開いた。
「被験者の死亡率は」
リリアナは一瞬も迷わなかった。
「三十七パーセントです」
謁見の間が静まり返った。
「成果を考慮すれば、この程度は許容範囲かと」
アルベルトの眉間に深い皺が刻まれる。
「この程度?」
低い声が響いた。
「百人以上が死んでいる。それを許容範囲と言うのか」
「研究には犠牲が伴います。得られる成果は、それ以上の価値があります」
「私はそうは思わん」
アルベルトは即座に否定した。
「人体実験など認めるべきではない。どれほど成果があろうとな」
謁見の間の空気が張り詰める。
「帝国は民を守るために存在する。民の命を材料にして得た力に、価値など無い」
その後ろで、レオンが僅かに顔を上げた。父の横顔を見つめ、強く握っていた拳をゆっくりとほどく。
だが、リリアナが口を開くと、その視線はすぐに彼女へ戻った。
「ですが、成果は出ています」
リリアナも引かなかった。
「帝国は確実に強くなります。そのために必要な犠牲です」
「必要な犠牲、か」
アルベルトはリリアナを見つめた。
「いつから、そんなことを言うようになった」
リリアナは答えなかった。
答える必要などないとでも言うように、静かに立っている。
アルベルトはそれ以上追及せず、小さく目を閉じた。
「……そうか」
その声には、僅かな失望が滲んでいた。
リリアナはもうアルベルトを見ていなかった。
視線の先にいるのは、ただ一人。
天帝だけだった。
パルパティーンは、その横顔を見つめる。
昔のリリアナなら、こんな研究は引き受けなかった。
それが、今は。
「共鳴率上昇理論は完成に近付いています。更なる検証を進めれば、より大きな成果が期待できます」
リリアナの声には確信があった。
「必ず成果をお見せします。陛下が望まれる未来のために」
天帝は静かに聞いていた。
そして短く答える。
「好きにしろ」
命令でもない。
賞賛ですらない。
研究を認めたわけでも、アルベルトの反対を退けたわけでもない。どちらにも興味がないような声だった。
だが、リリアナは心から嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます」
その笑顔を見た瞬間、パルパティーンの背筋を冷たいものが走った。
なぜそんな顔ができる。
(……まるで、その一言をもらうためだけに生きてるみたいじゃねぇか)
◇
報告が終わり、謁見も終了した。
幹部たちが立ち上がり、側近たちも次々と退室していく。
パルパティーンは黙ったまま歩いていた。
少し前を進むリリアナの背中から、目を離せない。
違和感の正体が、ようやく分かった。
リリアナは変わってしまったのではない。
今も、変わり続けている。
このまま見ているだけなら、いつか本当に、自分の知っているリリアナがどこにもいなくなる。
「リリアナ」
廊下で呼び止める。
リリアナが振り返った。
「何ですか」
いつも通りの声。
いつも通りの表情。
それなのに、ひどく遠く感じた。
「……あとで時間あるか」
リリアナは少しだけ首を傾げる。
「構いませんが」
「そうか」
パルパティーンは短く答えた。
今ここで話せば、きっと引き返せなくなる。
そんな気がした。
【第二十八話 隣に立っていた】へ続く




