神殺し
「押し切れ!」
男の怒号が夜の森へ響いた。
帝国北部最大規模の武装組織、反乱軍の拠点。
その防衛線では、反乱軍の兵士たちが最後の攻勢をかける。帝国軍はじりじりと後退し、やがて隊列を崩して森の奥へ退いていった。
「帝国軍は退いた!」
「勝ったぞ!」
歓声が上がる。
追撃していた兵士たちも足を止め、武器を掲げた。傷だらけの身体を地面へ投げ出す者。肩を叩き合い、無事を喜ぶ者。
長く続いた戦いで、多くの仲間を失った。それでも生き残り、ついにあの帝国軍を退けたのだ。
「トルソ隊長殿!」
若い兵士が駆け寄る。
その先にいたのは、青白い雷を身に纏う大柄な男。反乱軍の隊長、トルソ。《雷帝》の異能を持つ、この拠点でも屈指の実力者だった。
「帝国軍は完全に撤退しました!」
トルソは満足そうに頷いた。
「なら今夜は宴だ!」
兵士たちが再び歓声を上げる。
あちこちで酒瓶が開けられ、やがて笑い声が響き始めた。
◇
「――報告ッ!」
酒宴の続く大広間へ、一人の見張り兵が顔面蒼白で転がり込んできた。
「どうした」
トルソが眉をひそめる。
見張り兵は震える声で言った。
「き、来ました!」
「帝国軍か?」
「そうなのですが……」
見張り兵は言い淀んだ。
「一人です」
一瞬の沈黙。
そして、笑い声が上がった。
「馬鹿か」
「見間違いだろ」
誰も本気にしない。だが、見張り兵だけは血の気の引いた顔で首を振った。
「違う……見間違いじゃない」
「ヴァルダーだった……」
笑い声が、ぴたりと止んだ。
「……なに?」
誰かが呟く。
見張り兵は、かすれた声で繰り返した。
「ヴァルダー・レオニスだ」
酒瓶が落ちた。乾いた音が響く。
兵士たちの顔色が変わった。
帝国特務局長、ヴァルダー・レオニス。
『異能殺し』の異名を知らない者はいない。
「落ち着け」
トルソが立ち上がった。
「たった一人だ」
だが、誰も返事をしない。
「俺たちは何人いる」
周囲を見回す。
そして、自分に言い聞かせるように続けた。
「一人で勝てる訳がない」
その時、外から悲鳴が聞こえた。
一つ。
二つ。
三つ。
次の瞬間には、一気に増えた。
「ぎゃあああああ!」
「な、何だ!?」
「敵襲!」
空気が一変した。兵士たちが武器を掴む。
トルソは剣を掴み、外へ飛び出した。
拠点の入口付近が燃えていた。建物も、見張り台も、すでに炎に包まれている。
警鐘が鳴り響き、各所の兵舎から武装した兵士たちが飛び出してくる。中央広場だけでも百を超え、さらに奥では別の部隊が怒号を飛ばしながら隊列を整えていた。
その中心を、一人の男が歩いていた。
長い黒髪。黒い軍服。血に濡れた剣。
まるで散歩でもするような、ゆっくりとした足取り。ヴァルダーだった。
「弓兵は屋根へ上がれ! 異能持ちは散開! 正面に固まるな!」
ようやく指揮系統が機能し始める。号令を受け、周囲の兵士たちが一斉に動き出す。やがて、ヴァルダーを中心に何重もの包囲が作られていった。
だが、誰も飛び込めない。
「奴を殺せ!」
誰かが叫んだ。それに押されるように反乱軍幹部の一人が飛び出し、その身体から巨大な火柱が立ち上った。
《炎獄》
「業火に灼かれて死ね!」
唸りを上げて、炎がヴァルダーへ襲い掛かる。
ヴァルダーが、男を見た。ただ、それだけだった。
燃え盛っていた炎が、途中で掻き消えた。
「な……?」
男の目が見開かれる。もう一度発動しようとするが、火花一つ出ない。
「なぜだ!?」
叫ぶ男へ、ヴァルダーは歩みを進める。距離が詰まる。男が剣を抜こうとした時には、もう遅かった。
一閃。首が飛んだ。
その勢いのまま剣を返す。横から斬りかかった兵士の刃を弾き、体勢を崩したところへ柄を叩き込む。さらに背後から突き出された槍を半歩ずらして躱し、その兵士の脇腹を斬り裂いた。もう一人。さらに一人。
もはや戦いと呼べるものではなかった。無駄なく次々と兵士たちを斬り伏せていくその動きは、まるで舞のようだった。
あまりにも静かで、あまりにも美しい。舞うたびに、人が死んでいく。
「異能が使えない!」
「視線を切れ! 奴の視界に入るな!」
悲鳴に混じって、誰かが叫ぶ。そこでようやく、兵士たちは噂の意味を理解した。
ヴァルダーの視線に捉えられている間、異能は使えず、すでに発動している異能すら、強制的に解除される。
それが《神殺し(アンチギフト)》。
「ふざけるな!」
怒号と共に、青白い閃光が弾けた。トルソだった。
全身へ雷を纏い、大地を蹴る。反乱軍最強と呼ばれる男が、一瞬で間合いを詰めた。雷を纏った拳が、ヴァルダーの顔面へ迫る。
ヴァルダーは避けない。ただ、トルソを見る。
雷が消えた。
「っ!」
想像はしていた。だが、実際に異能が消える感覚は、まるで違っていた。それでも拳だけは止めない。
雷を失った拳を、ヴァルダーが片手で受け止める。
トルソの骨が軋んだ。
咄嗟に掴まれた拳を振りほどき、後方へ跳ぶ。地面を転がりながら距離を取り、崩れた壁の陰へ飛び込んだ。
ヴァルダーの視線が切れた。距離も十分だ。これなら異能が使える。
トルソは右手を掲げた。
《雷帝》
何も起きない。
「……は?」
もう一度、力を込める。だが雷は戻らない。
「なんでだ……」
視線は切れている。それでも使えない。拳を受け止められた瞬間が、脳裏に蘇る。ほんの一瞬、拳を掴まれた。
「何かされた……のか?」
ヴァルダーは答えない。
トルソの顔から血の気が引いた。触れられたことで、異能そのものを封じられている。誇りだった力を奪われたのだ。
「ふざけるなァァァ!!」
トルソは地面を蹴る。異能こそ使えないが、長年鍛えた剣術が残っている。
鞘から剣を抜き放ち、そのまま袈裟懸けに振り下ろす。ヴァルダーは剣の腹で受け流した。
トルソは間髪入れずに切り返す。横薙ぎ。ヴァルダーが身を引く。
さらに踏み込み、肩口を狙った突き。剣先が届く寸前、ヴァルダーは僅かに身体をずらし、刃は空を切った。
トルソはそのまま身体を沈め、脚を狙って斬り下げる。ヴァルダーは剣を立てて受け、軌道を外した。金属音が弾ける。
兵士たちの目に、僅かな希望が戻った。
トルソはそのまま壁を蹴って位置を変え、崩れた柱を足場に一気に上を取った。頭上から剣を叩き込む。
ヴァルダーは一歩だけ退き、刃を躱す。外れた剣が地面を抉った。
すぐさまトルソは剣を返す。右、左、突き、斬り上げ。全て、紙一重のところで外される。それどころか、一度もヴァルダーの体勢を崩せていない。
攻めているはずのトルソが、逆に追い詰められていた。刃の軌道を読まれ、踏み込むたび半歩先へ逃げられる。
ヴァルダーの剣が、トルソの刃を強く弾き上げた。
「っ!」
剣を握る手が跳ね上がる。空いた胴へ、蹴りが突き刺さった。
トルソの身体が地面を転がり、肺から空気が抜けた。それでも、剣を支えに立ち上がる。立たなければ死ぬ。
ヴァルダーが初めて口を開く。
「来い」
「……!」
トルソは歯を食いしばった。
「殺してやる!」
再び踏み込み、剣を閃かせる。だが、ヴァルダーには全てが見えているかのようだった。僅かに身体をずらす。それだけで、刃が空を切る。
返す剣が、下から跳ね上がった。
トルソの右腕が、宙を舞った。
「ぐああああああああッ!!」
血飛沫が上がる。膝が崩れた。それでもトルソは左手を伸ばし、落とした剣を拾おうとする。
ヴァルダーが、その姿を見下ろした。
「ば……化け物が……」
ヴァルダーは答えない。剣を振り上げる。
トルソは死を悟った。
「待て!」
背後から声が響いた。反乱軍の兵士たちだった。数十人、誰もが震えている。それでも、トルソの前へ出ようとしていた。
「隊長を守れ!」
「俺たちで時間を稼ぐぞ!」
トルソが目を見開く。
「馬鹿……お前らは来るな……!」
ヴァルダーは兵士たちを見る。ほんの僅かに、目を細めた。
「そうか」
それだけだった。
剣が走る。
トルソの首が地面へ落ちた。
だが、それでも戦いは終わらなかった。
広場の奥からも、兵舎からも、まだ何百という兵士が武器を手に駆けてくる。屋根の上では弓兵が弦を引き絞り、異能を持つ者たちも散開してヴァルダーを狙っていた。
「隊長の仇だ!」
怒号とともに、残った兵士たちが押し寄せる。だが、異能は消され、矢は躱され、剣も槍も届かない。一人が倒れ、また一人が倒れる。
「む、無理だ……」
そして最初の一人が、武器を捨てて逃げ出す。それを見た数人が続いた。
「持ち場を離れるな!」
怒鳴る声も、もう止められなかった。逃走は拠点全体へ伝染していく。
「隊長が死んだ!」
「ダメだ! 勝てるわけがない!」
出口へ殺到する者。森へ飛び込む者。千人を超えていた反乱軍は、もはや軍ではなかった。戦う者より、逃げる者の方が多くなっていた。
ヴァルダーは、ただそれを眺めていた。
一人の若い兵士が、震えながら振り返った。
「なんで……追ってこない……?」
ヴァルダーは興味なさそうに答えた。
「弱いからだろ」
ヴァルダーは剣を振り、血を払った。炎に照らされた刃から、赤い雫が地面へ落ちる。
「足りないな」
誰に向けた言葉でもない、夜風に溶けるような呟きだった。
◇
数日後、帝都。特務局本部の重い扉が開いた。
「帰ったぞ」
気怠そうな声に、ソファへ寝転がっていたパルパティーンが顔を上げる。
「遅い」
「歩いて帰ってきたからな」
「馬鹿だろ」
ヴァルダーは気にした様子もなく椅子へ腰掛けた。
沈黙が落ちる。それが苦にならない程度には、長い付き合いだった。
「で?」
パルパティーンが聞く。
「強かったか?」
ヴァルダーは少し考えた。
「弱かった」
パルパティーンは鼻で笑う。
ヴァルダーにとって、大半の人間は「弱い」で終わりだ。
「じゃあ俺は?」
何となく聞いてみる。
ヴァルダーが視線を向ける。
少し間が空いた。
「そこそこ」
「相変わらずだな」
パルパティーンは笑った。
ヴァルダーの「そこそこ」が最大級の評価だと、昔から知っている。
「初めて会った時もそう言ったな」
「そうだったか」
パルパティーンは天井を見上げた。
「今思えば無茶だった」
ヴァルダーは何も言わない。
(昔からそうだ。こいつは余計な事を言わない)
だから、楽だった。
「覚えてるか? 俺がお前に喧嘩売った時を」
「覚えてない」
「嘘つけ」
こいつは絶対に覚えている。
ただ、興味が無いだけだ。
少しだけ昔を思い出し、目を細める。
「あの頃の俺は、本気で勝てると思ってた」
「《神殺し》をコピーすれば、勝てるってな」
「だが結果は――」
パルパティーンは苦く笑った。
「一分も持たなかった」
【第二十七話 亀裂】へ続く




