隣に立っていた
謁見が終わった後。
パルパティーンは廊下を歩くリリアナの背中を見つめていた。
呼び止めるべきか。
やめるべきか。
そんな事を考えている時点で、自分らしくないと思う。
昔なら迷わなかった。
言いたい事があれば言う。
気に入らなければ殴る。
それで済んだ。
だが。
相手がリリアナとなると話は別だった。
「リリアナ」
彼女は足を止めた。
振り返る。
いつも通りの表情。
「何ですか」
そのいつも通りが、今は酷く遠く感じた。
「少し話がある」
リリアナは少し考える。
だが断らなかった。
「構いません」
その返事に何故か少しだけ安心する。
まだ話は聞いてくれるらしい。
相変わらずだ。
一度決めたら、絶対に考えを曲げない。
昔からそうだった。
初めて帝都へ行くと決まった日も――
◇
「お前、合格しちまったな」
まだ若かった頃。
帝都行きの馬車の前で、パルパティーンはそう言った。
リリアナは振り返る。
十六歳。
まだ幼さの残る顔だった。
「自分でもびっくりしてる」
まだ、少し信じられないような顔をしていた。
「帝国には優秀な研究者が沢山いるの」
「これで、好きな研究が思い切りできるわ!」
その瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
昔からそうだった。
リリアナは賢かった。
誰よりも努力家だった。
「そうか」
パルパティーンは頭を掻く。
本当は止めたかった。
帝都は遠い。
危険も多い。
だが。
リリアナは決めた事を変えない。
それも知っていた。
「本当に一人で大丈夫か?」
「お前は一度決めたら、人の話を一切聞かなくなるからな」
「周りが見えなくなっちまう、悪い癖だ」
リリアナは頬を膨らませる。
「ちょっと失礼だよ」
抗議するように、じろりと睨む。
だが。
数秒。
ふと、考え込むように視線を落とした。
「……もしかしたら」
「そういうところが、あるのかもしれないね」
「自分では」
「自分の事を、客観的に見られなくて」
その声は、少しだけ真面目だった。
すぐに。
いつもの調子で、悪戯っぽく笑う。
「じゃあさ」
「私が間違った時は」
「どこにいても」
「パルが止めに来てね」
「……っ」
パルパティーンは、思わず視線を逸らした。
「知るか」
ぶっきらぼうに答える。
耳の先が、少しだけ赤くなっていた。
「身体には気を付けろよ」
「もう子供じゃありません」
リリアナは少しだけ笑った。
その笑顔を見たのは、それが最後だった。
◇
数年後。
帝都。
帝国諜報局の近くにある食堂。
久しぶりに再会したリリアナはまるで別人のようだった。
最初は気付かなかった。
声を掛けられて初めて分かった。
「パルパティーン?」
振り返った瞬間。
心臓が苦しくなった。
彼女は笑っていた。
だが。
その笑顔はどこか無理をしていた。
頬は痩せている。
目の下には濃い隈。
指先にはインクの染み。
(このまま放っておいたらダメだ)
とても見ていられなかった。
◇
俺がここに来た最初の頃は酷かった。
研究室へ顔を出す度に机へ齧り付いている。
食事を忘れる。
睡眠を忘れる。
気付けば丸一日研究室から出てこない事もあった。
「帰るぞ」
そう言っても。
「もう少し」
と返される。
だからある日。
椅子ごと担いで研究室から連れ出した。
「何するんですか!」
「うるせえ!」
「まだ終わってません!」
「お前が終わっちまうんだよ!」
食堂まで引きずって行き。
無理やり飯を食わせた。
リリアナは最後まで文句を言っていた。
だが。
翌日になると何事も無かったように研究室へ戻っていた。
昔から、そういう奴だった。
一人で抱え込む。
限界を超えて頑張る。
力になってやりたかった。
だから帝国へ入る事を決めた。
別に出世したかった訳じゃない。
帝国へ忠誠を誓った訳でもない。
(ただ、こいつの隣に立って)
(支えてやりたかったんだ)
パルパティーンは小さく息を吐いた。
あの頃の想いは。
今も何一つ変わっていない。
だからこそ。
今日だけは、このまま見過ごせなかった。
◇
二人が向かったのは帝城の庭園だった。
夜風が、静かに辺りを吹き抜けていく。
遠くで噴水の音が聞こえていた。
人影は無い。
話をするには都合が良かった。
しばらく沈黙が続く。
先に口を開いたのはリリアナだった。
「それで」
「何の話ですか」
パルパティーンは頭を掻く。
考えていた言葉が上手く出てこない。
結局。
最初に出たのは全く別の言葉だった。
「最近寝てるか」
リリアナが瞬きをする。
予想外だったのだろう。
「寝ています」
即答だった。
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
パルパティーンは苦笑した。
「昔から、無理してる時ほどそう言うよな」
リリアナは首を傾げる。
理解できないという顔だった。
だが。
その表情を見ているだけで少し安心した。
(まだ残っている、少なくとも今は)
(昔のリリアナの面影が)
「仕事の話ではないのですか」
「ああ」
パルパティーンは頷く。
そして。
ようやく本題を切り出した。
「研究をやめろとは言わねえ」
リリアナの表情が変わる。
「少し休め」
即答だった。
リリアナは数秒沈黙する。
やがて。
呆れたように息を吐いた。
「その話ですか」
「その話だ」
「必要ありません」
「必要はある」
子供の喧嘩みたいだった。
どちらも引かなかった。
「私は忙しいんです」
「そうだな」
「なら――」
「だから休めって言ってんだ」
リリアナが口を閉じる。
夜風が、言葉にならない想いを攫っていく。
しばらくの沈黙。
そして。
「何故ですか」
静かな声だった。
「何故そこまで言うんですか」
パルパティーンは答えない。
答えられない。
何故か。
(そんなもの決まってるだろ)
今さら言える訳がない。
だから。
別の言葉を伝えた。
◇
「お前」
「最近おかしいぞ」
「とても見てられねえんだよ」
リリアナの表情から感情が消えた。
「おかしい?」
「ああ」
「どこがですか」
「全部だ」
その瞬間。
空気が変わった。
夜風だけが静かに吹いている。
リリアナは無表情だった。
「具体的にお願いします」
「本気で言ってんのか」
「はい」
パルパティーンは頭を掻いた。
何から言えばいい。
あり過ぎて分からない。
「人体実験だ」
結局。
一番分かりやすい所から切り出した。
「昔のお前なら絶対にやらなかった」
リリアナは眉一つ動かさない。
「必要です」
「そういう話じゃねえ」
「研究には犠牲が伴います」
「だからそれだよ」
思わず声が大きくなる。
「昔のお前ならそんな事言わなかった」
リリアナは小さく息を吐いた。
まるで。
聞き分けの無い子供を相手にしているようだった。
「昔の話ですね」
「覚えてるだろ」
パルパティーンは睨む。
「研究所の事故」
「助手が怪我した時」
「お前、三日も寝れなかったじゃねえか」
「自分の責任だって泣いてた」
「忘れたのか」
リリアナは少しだけ目を伏せた。
「忘れていません」
「なら――」
「だから何ですか」
パルパティーンの言葉が止まる。
リリアナは顔を上げた。
その瞳には迷いが無かった。
「確かに昔はそうでした」
「ですが結果は何も変わらなかった」
「泣いても」
「悩んでも」
「誰も救えなかった」
静かな声だった。
だが。
その言葉は重かった。
「今は違います」
「研究は進み、成果も出ています」
「帝国は確実に前へ進んでいます」
「そのための犠牲です」
パルパティーンは歯を食いしばる。
(話が通じねぇ)
(いや、噛み合ってねぇ)
見ている世界そのものが違う。
「陛下は何も頼んでねえだろ」
リリアナが僅かに反応する。
初めてだった。
「そこまでやれと言ってねえ」
「人体実験しろとも言ってねえ」
「なのに何でそこまでやる」
リリアナは答えない。
パルパティーンは続ける。
「二十四時間働いて」
「飯も食わねえで」
「寝る時間も削って」
「何でだ」
噴水の音だけが響く。
やがて。
リリアナは静かに口を開いた。
「陛下が」
その声は。
今までで一番優しかった。
「陛下が私を認めてくださいました」
パルパティーンは目を閉じる。
(やっぱりか)
(そんな気がしてた)
「初めてだったんです」
「私に価値があると言ってくださったのは」
「私の研究を必要だと言ってくださったのは」
「だから私は応えたい」
「期待に応えたい」
「それだけです」
パルパティーンは頭を振る。
違う。
そうじゃない。
「リリアナ」
「それは違う」
「何がですか」
「お前は――」
言葉に詰まる。
何と言えばいい。
どうすれば届く。
分からなかった。
「お前は陛下のために生きてるのか」
リリアナは即答した。
「はい」
迷いも無く。
当然のように。
パルパティーンの胸が冷える。
「帝国は」
「陛下の理想を実現するための手段です」
「研究もそのためです」
「私はそのために働いています」
そこに。
世界は無かった。
民も無かった。
帝国すら無かった。
ただ一人。
天帝だけだった。
「そこまでか」
パルパティーンが呟く。
「そこまでです」
リリアナは頷く。
「そのせいで世界が滅んだとしてもか」
夜風が二人の間を静かに吹き抜けていった。
初めて。
リリアナは少し考えた。
だが。
答えは変わらなかった。
「陛下が望まれるなら」
時が止まった気がした。
パルパティーンは何も言えなかった。
(終わったな)
(今ので全て終わった)
もう届かない。
目の前にいるのに。
手を伸ばせば届く距離にいるのに。
何も届かない。
リリアナは頭を下げた。
「失礼します」
それだけ言って歩き出す。
引き止めなかった。
引き止められなかった。
遠ざかる背中を見つめる。
昔と変わらない背中。
昔と変わらない歩き方。
それなのに。
まるで別人だった。
◇
夜。
帝都の外れ。
パルパティーンは一人で空を見上げていた。
冷たい風が吹く。
頭の中では何度も同じ言葉が繰り返されていた。
「『陛下が望まれるなら』、か」
思わず笑う。
乾いた笑いだった。
近くにいるだけでは駄目だった。
そんな事は分かっていたはずなのに。
(俺は勘違いしていた)
(あいつの隣に立っているつもりだった)
(あいつの支えになっているつもりだった)
隣に立ちたかった。
ただ、それだけだった。
友としてなのか。
それ以上の何かなのか。
自分でも、確かめた事はなかった。
だが。
(俺の言葉は)
(俺の想いは)
(あいつに届かなかった)
(あいつは俺の知らない場所まで行っちまった)
パルパティーンは目を閉じる。
今のままでは駄目だ。
隣にいるだけでは。
同じ景色を見ているだけでは。
何も変えられなかった。
だから。
パルパティーンは静かに踵を返す。
もう決めていた。
ここを去ろう、と。
【第二十六話 居場所】へ続く




