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追われる王女

ヒュッ。


短剣が風を裂く。


日御子は身体を傾けるだけで避けた。


(……また刺客ですの)


瞳が淡く光る。


「《王域》」


路地裏に潜む気配を捉える。


「そこですの」


一歩踏み込み、峰打ちを叩き込む。


鈍い音。


数秒後。


日御子は気を失った男を引きずって戻ってきた。


黒猫は何事もなかったかのように日御子の肩に飛び乗った。


「おかえりですの」


日御子は軽く微笑んだ。



王を討ってから一ヶ月。


革命は成功した。


新しい統治機構も作られた。


少なくとも。


日御子はそう信じていた。


そして旅に出た。


それでも。


胸の重さだけは消えなかった。


夜になると。


あの日を思い出す。


父の顔。


剣の感触。


血の色。


何度忘れようとしても。


夢に出てくる。


だから。


命を狙われながら。


普通ではない旅を続ける。


歩いている間だけは。


少しだけ考えなくて済むから。



乾いた風が吹く。


砂漠の縁に築かれた街道を、日御子はのんびりと歩いていた。


「慣れとは恐ろしいものですの」


そう言いながら焼き芋を食べる。


肩の上では黒猫が退屈そうに欠伸をしていた。


三日前は毒。


先週は夜襲。


その前は崖から突き落とされかけた。


革命というものは、終わった後の方が面倒なのかもしれない。


思い返すだけで頭が痛い。


いや。


実際に痛かった。


「そろそろ落ち着いて旅をしたいですの」


街へ入る度に。


最初に確認するのは逃げ道だった。


こんなものは旅とは呼べない。


「にゃあ」


黒猫が同意するように鳴く。


日御子は思わず笑った。


革命軍を率いていた頃は、こんな風に笑う余裕もなかった。


毎日が決断だった。


間違えれば人が死ぬ。


そんな日々だった。


だからだろうか。


今は少しだけ肩の力が抜けていた。


もちろん命は狙われている。


だが背負うのは自分一人だけだ。


「考えてみれば」


日御子は焼き芋を頬ばる。


「昔からこうでしたの」


黒猫がこちらを見る。


「地図ばかり眺めて怒られて」


「城を抜け出して怒られて」


「お菓子を隠して怒られて」


「にゃあ」


「最後のは納得いきませんの」


黒猫は呆れたように尻尾を振った。


日御子は頬が自然と緩んだ。


その顔は革命軍の指導者ではない。


ただの少女だった。


(そういえば)


(◯◯◯には何も言わずに出てきてしまった)


(そのうち会えると思っていたけれど)


(気付けば国を出ていた)


(いつか会えたら、ちゃんとお礼を言わないといけませんの)


そんな事をぼんやりと考えていた。



オアシスを中心に広がる市場は活気に満ちていた。


水の貴重な土地とは思えないほど、商人たちの声が飛び交っている。


屋台の前を通りかかる。


香ばしい匂い。


甘い匂い。


焼きたてのパン。


串焼き。


日御子のお腹が小さく鳴った。


「……見るだけですの」


黒猫を肩に乗せたまま、屋台をじっと眺める。


ぐぅ。


店主はその様子を見て苦笑した。


「偉いな、お嬢ちゃん」


「……?」


「ちゃんと我慢できてるじゃねぇか」


店主は飴玉を一つ差し出した。


「ほら、いい子にしてたご褒美だ」


日御子は少し眉をひそめる。


「私は子供ではありませんの」


そう言いながら。


飴はしっかり受け取った。


肩の上で黒猫が呆れたように尻尾を揺らす。


「……背に腹は変えられませんの」


日御子は飴を口へ放り込む。


「甘いですの!」


少しだけ幸せそうだった。



ふと。


香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


焼き魚だった。


日御子はぴたりと立ち止まる。


財布を見る。


魚を見る。


財布を見る。


魚を見る。


そして肩の上の相棒を見る。


「半分こなら買えますの」


日御子は覚悟を決めた。


焼き魚を受け取る。


まず自分が一口。


美味しい。


とても美味しい。


旅の疲れが吹き飛ぶほどに。


満足そうに頷く。


残り半分。


黒猫へ差し出した。


「どうぞですの」


黒猫は魚を見る。


日御子を見る。


そして。


ぷい。


顔を逸らした。


「食べませんの?」


ぷい。


「贅沢ですの」


黒猫は聞いていない。


日御子は仕方なく残りを食べた。


数秒後。


黒猫がいないことに気付く。


「あれ?」


探す。


いた。


魚屋の店先だった。


店主に撫でられている。


なぜか魚を丸ごと一匹もらっていた。


しかも。


先ほど買ったものより大きい。


「にゃあ」


勝ち誇った顔だった。


「!?」


日御子は固まった。


「私より待遇が良いですの!?」


魚屋の主人が笑う。


「そりゃ猫の方が愛想いいからな」


「私は!?」


「あんた値切ろうとしただろ」


「それは正当な交渉ですの」


「魚一匹を半額にしようとした奴を客とは呼べねえ」


日御子は敗北した。


財布にも。


黒猫にも。


完全な敗北だった。



夕方。


財布の中身を確認する。


銅貨が数枚。


現実は非情だった。


「……本格的にまずいですの」


革命軍にいた頃は支援があった。


だが今は違う。


王族であることを隠しながら一人で生きている。


収入はない。


仕事もない。


そして生活能力もない。


「お城にいた頃は、お金は勝手に湧いてくるものだと思っていましたの……」


黒猫が冷たい目を向ける。


「にゃ」


「そんな目で見ないでください」



その夜。


宿へ入った日御子は荷物を置く。


そして真っ先に取り出した。


地図だった。


街の地図。


周辺地形図。


街道図。


河川図。


山岳図。


机いっぱいに広げる。


日御子の目が輝く。


「これは唆られますの……」


指が動く。


脳内で街の構造が組み上がる。


補給路。


退路。


高所。


死角。


敵が攻めるなら。


守るなら。


伏兵を置くなら。


自然と考えてしまう。


「この地形で城を築けば面白いですの」


地図を前にした時。


日御子は、時間と空腹という概念が消えてしまうのだった。


時計を見ると。


いつの間にか2時間が経っていた。


黒猫は机の上で寝ている。


完全に興味がないらしかった。


ふと。


一枚の地図に目が留まった。


王都ヒノモト。


故郷だった。


日御子の手が止まる。


「……?」


微かな違和感を覚えた。


幼い頃から何度も歩いた、見慣れているはずの故郷。


それなのに。


初めて見る街を眺めている気がする。


理由は、分からなかった。


(何ですの……?)


ずきり。


突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。


思わず額を押さえる。


何かを掴みかけた気がした。


だが。


それは指の隙間から零れ落ちるように消えていった。


(変ですの……)


懐かしいはずの地図が、どこか遠い。


大切だったはずの故郷が、落ち着かない。


理由の分からない胸のざわつきだけが残っていた。


黒猫がゆっくりと目を開く。


日御子を見る。


そして。


王都の地図を見る。


「……にゃ」


いつもより少しだけ低い声だった。


だが。


日御子は気付かない。


窓の外では夜風が吹いている。



突然、遠くから誰かの叫び声が聞こえた。


「ポリアンナさーーーーん!!」


黒猫はゆっくりと、その声の方へ顔を向けた。


日御子も顔を上げる。


(……?)


誰かを探している声だった。


だが。


今の彼女には関係ない。


そう思った。


その声が、これから自分の運命を大きく変えることになるとは。


日御子はまだ、知らなかった。



【第四話 変な軍師】へ続く

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