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王を殺した日

 日御子が父を止めると決めた日から、彼女のもとへ集う者たちは、日を追うごとに数を増していった。


 やがて彼らは、自らを革命軍と名乗るようになった。



 そして、革命の当日。


 王城攻略戦は終盤を迎えていた。城内では兵士たちの怒号と剣戟が絶え間なく響き、破壊された窓から吹き込む風が、立ち昇る煙を回廊の奥へ運んでいた。


 その中心で、日御子は静かに目を閉じる。


「……《王域》」


 双眸が淡く輝き、緑色の光が周囲へ広がった。


 壁も扉も関係ない。道や部屋の構造、敵味方の位置、その動きまでが巨大な立体地図となって意識の中へ浮かび上がる。


 日御子は押し寄せる情報を整理し、戦況を見定めた。


「第二部隊は西回廊から挟撃してください! 第三部隊は東階段を制圧! 南側の部隊は前へ出すぎていますの。一度下がって負傷者を後方へ!」


 西回廊へ回った第二部隊が王国軍の背後へ現れ、挟撃を受けた防衛線が崩れる。直後に第三部隊が東階段を制圧し、退路を失った兵士たちが次々と武器を捨てていった。


 敵の守りが薄い場所へ兵を集中させ、崩れそうな戦線へ援軍を送る。互いの正確な位置を把握できずにいた王国軍に対し、革命軍は優位に戦闘を進めていった。


 勝利へ至る道が、日御子には見えていた。


 その時、頭の奥を鋭い痛みが貫いた。


「っ……!」


 視界が揺れ、意識の中に広がっていた立体地図が大きく歪む。ぽたりと、赤い雫が床へ落ちた。


「姫様!」


 傍らにいたユウマが、鼻血を流す日御子へ駆け寄った。


「大丈夫ですの」


 日御子は鼻血を手の甲で拭い、顔を上げた。


 最初は、すぐに消える程度の痛みだった。だが、各地を巡るうちに、《王域》を使うたび少しずつ酷くなっている。医師に診せても原因は分からなかった。異能に、このような副作用はないはずだった。


 それでも、今は立ち止まれない。


 ここまで来るために、多くの者が傷ついた。村で失われた命も、父に見捨てられた人々も、なかったことにはできない。


「南階段に敵の増援が来ますの! 第四部隊を向かわせてください!」


 日御子は痛みを押し込み、再び戦場を見渡した。



 やがて、王城の防衛線は完全に崩れた。武器を捨てて投降する者が増え、革命軍の兵士たちから勝利を確信する声が上がり始める。


 その時、近くから男の声が聞こえた。


「始末しろ」


 日御子が振り返ると、一人の男が床へ片膝をついていた。鎧は砕け、全身が血に汚れている。立ち上がることさえ難しそうだったが、その手だけは剣を離していなかった。


 革命軍の兵士が男を取り囲み、一斉に武器を構える。


「待ちなさい!」


 日御子は兵士たちの間へ割って入った。


「何ですか、日御子様」


「見れば分かるでしょう。彼はもう戦えませんの」


「だから、今のうちに殺すんです。こいつは王の犬です。生かしておけば、いつかまた我々へ牙を剥く」


「それでも、戦えない人を殺して良い理由にはなりません」


 日御子は男を庇うように立ち、兵士たちを見返した。


 その声に反応し、男がゆっくりと顔を上げる。血に濡れた顔。乱れた髪。それでも、鋭い眼差しだけは昔と何も変わっていなかった。


「姫様……」


 日御子は息を呑んだ。


「……福師匠?」


 近衛騎士団長、福。王に最も近い剣であり、幼い日御子へ剣を教えた武の恩師でもあった。


 福もまた、信じられないものを見るように日御子を見つめていた。


「なぜ……なぜ、このようなことを……」


 その問いに、日御子はすぐに答えられなかった。


 父を止めなければならない。民を救うためには、これしかなかった。そう信じて、ここまで来た。


 それでも、変わり果てた師の姿を前にすると、胸の奥が痛んだ。


「彼を牢へ入れておきなさい」


「ですが――」


「命令ですの」


 日御子は強く言い切った。兵士たちは不満そうな表情を浮かべたが、やがて剣を下ろした。


「……分かりました」


 福の両腕が掴まれ、無理やり立たされる。福は抵抗しなかった。ただ連行されながらも、その視線だけは最後まで日御子から離れなかった。



 玉座の間へ続く巨大な扉が開いた。


 赤い絨毯の先では、父王が玉座の前に一人で立っていた。


「来たか」


 低く、聞き慣れた声だった。


 父の顔を見た瞬間、日御子の胸が強く締め付けられる。それでも、剣を握る手に力を込めた。


「終わりですの、父上」


 王はわずかに頷いた。


「そうか」


 抵抗する様子はなかった。逃げようともせず、怒りさえ見せない。その静けさが、日御子をひどく不安にさせた。


「私は、あなたを許しませんの。民は苦しんでいました。税を払えず、病気の娘から引き離された人もいました」


 王は何も言わない。


「助けられるはずの村まで焼いた。私が戻ると約束した人たちを、あなたは国のために切り捨てましたの!」


 日御子の問いに、王は沈黙を返すだけだった。


「なぜ何も答えないのですか!」


 革命軍の兵士たちが、日御子の背後で声を上げる。


「暴君を討て!」


「革命を終わらせろ!」


「民のために!」


 歓声が玉座の間を満たしていく。その中で、王は静かに日御子を見つめていた。


 やがて腰の剣へ手を掛け、ゆっくりと鞘から抜く。日御子が反射的に身構え、背後の兵士たちも一斉に武器を構えた。


 だが。


 王は抜いた剣を床へ置いた。


 硬い金属音が、玉座の間に響く。


「……なぜ、剣を置くんですの?」


 王の唇が動いた。


 突然、頭の奥を引き裂くような激痛が走った。


「っ……!」


 視界が白く染まり、周囲の歓声が遠ざかる。その中で、王の声が僅かに歪んで届いた。


「王だからだ」


 短い言葉だった。


 日御子は荒い息を吐きながら、もう一度父を見る。


 王は動かない。怒りも、恨みも、命乞いさえ口にせず、ただ静かに目を閉じていた。


 ――それでも、戦えない人を殺して良い理由にはなりません。


 つい先ほど、福を庇った自分の言葉が蘇る。


 父も同じだった。


 剣を手放し、抵抗する意志を見せていない。捕らえて牢へ入れることもできる。


 だが父は、この国の王だった。


 父が生きている限り、残存する王国軍は王を旗印に戦い続ける。牢へ入れても奪還を試みる者が現れ、退位を宣言させても、革命軍に強いられた言葉だと受け入れない者はいるだろう。


 戦いは終わらない。


 また兵士が死ぬ。


 あの村のように、助けを待つ人々へ手が届かなくなる。


『国を背負う者は、時に一部を切り捨てねばならぬ』


 父から届いた書状の言葉が、日御子の胸へ蘇った。


 あの言葉を許せなかった。


 誰かを切り捨てる父を止めるために、ここまで来たはずだった。


 それなのに今、自分もまた、一人を切り捨てることで、大勢を救おうとしている。


(他に方法はありませんの……?)


 答えは見つからなかった。


 王を討たなければ、革命は終わらない。


 これ以上、民を死なせるわけにはいかない。


「日御子様!」


 背後から声が飛ぶ。


「終わらせてください!」


「暴君を討つのです!」


 日御子は剣を握り締めた。


 父を殺したいわけではない。


 それでも、王を生かしておくことはできない。


「民のために!」


 誰かが叫ぶ。


(民のため)


 その言葉を胸の中で繰り返す。


(民のために、父上を止める)


 日御子は大きく息を吸い、剣を振り上げた。


 王は最後まで、目を開かなかった。


 震える指へ力を込める。


 そして。


 剣を振り下ろした。



 玉座の間から、音が消えた。


 ほんの一瞬だけ。


 次の瞬間、空気を揺らすような歓声が爆発する。


「革命軍万歳!」


「ヒノモト万歳!」


「暴君は死んだ!」


 声は聞こえている。だが、日御子には薄い膜を隔てた遠い世界の出来事のように感じられた。


 手の中の剣が、ひどく重い。


 日御子はその場から動くことができなかった。



 日御子は王城の高楼に立っていた。


 空を覆う黒煙の下、灰が粉雪のように舞い、焦げた匂いが喉を焼いていた。


 革命軍の旗が振られ、人々は抱き合い、涙を流しながら勝利を叫んでいた。


 瞳に映る炎は、失われたものを弔うかのように揺れていた。


 父を倒した。革命は成功した。これで全てが良くなるはずだった。


 それなのに、日御子は笑えなかった。


 何気なく手元へ視線を落とす。何度拭っても、父の血の色だけが目に焼き付いて離れない。


(勝った)


(みんな喜んでいる)


(なのに、どうして)


 足元へ、黒猫が静かに寄り添った。


 日御子がその姿を追うように俯くと、石床に小さな雫が落ちた。もう一滴落ちたところで、初めて自分が泣いていることに気付く。


「私は……間違っていませんでしたの?」


 黒猫は何も答えず、金色の瞳で日御子を静かに見つめていた。



 その夜、日御子は眠れなかった。


 王は死んだ。革命は成功した。これで良かったはずだった。


 それでも、胸の奥に残った痛みだけは消えてくれない。頭の奥も、まだ疼いていた。


 目を閉じるたび、剣を置いた父の姿が浮かぶ。


 ――王だからだ。


 あの言葉に、どのような意味があったのか。


 考えても、答えは見つからなかった。


 窓の外では、燃え落ちた建物の残り火が、まだ小さく瞬いていた。



【第三話 追われる王女】へ続く


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