王を殺した日
革命の数年前。
日御子は各地を巡っていた。
飢えた子どもへ食事を配り。
病人を運び。
焼け落ちた家々を訪ねては、人々の話へ静かに耳を傾けた。
「ありがとうございます」
何度も頭を下げられる。
その度に日御子は、困ったように笑うだけだった。
「私一人に出来ることなど、ほんの少しですの」
それでも。
日御子の後ろを歩く人は、少しずつ増えていった。
◇
「姫様」
武装した男が一人、頭を下げる。
「護衛は我々にお任せください」
「ありがとうございますの」
日御子は小さく頭を下げた。
その隣で、ユウマが静かに微笑んでいた。
数人だった護衛は。
十人になり。
数十人になり。
気付けば、数え切れないほどになっていた。
誰かが荷車を引き。
誰かが炊き出しを手伝い。
誰かが避難民を守る。
日御子は目の前の人を救うことだけを考えていた。
◇
武装した男達が、一斉に頭を下げる。
日御子は静かに皆を見渡した。
「……もう逃げませんの」
父から託された言葉が胸をよぎる。
――お前が正しい国を作ってみせよ。
日御子は真っ直ぐ前を見据えた。
「私に出来ることを、最後までやり遂げますの」
その決意は。
誰にも止められなかった。
◇
◇
そして革命の当日。
王城攻略戦は終盤を迎えていた。
革命軍は城内へ雪崩れ込む。
兵士たちの怒号。
響く剣戟。
燃え上がる炎。
その中心で。
日御子は静かに目を閉じた。
「……《王域》」
双眸が淡く輝き。
緑の走査線が周囲に広がる。
全ての情報が頭の中へ浮かび上がる。
王城が一枚の立体地図になったかのようだった。
日御子は素早く情報を整理する。
敵の動き。
味方の進軍速度。
崩れかけた防衛線。
そして。
勝利へ至る最短経路。
「第二部隊は西側から挟撃!」
「第三部隊は東回廊を制圧!」
「南階段に敵が集中していますの!」
次々と指示が飛ぶ。
革命軍は迷わない。
敵は崩れる。
勝利は目前だった。
◇
その瞬間。
頭痛。
「っ……!」
頭の奥を鋭く抉られたような痛み。
視界が揺れる。
ぽたり。
赤い雫が床へ落ちた。
鼻血だった。
慣れた手つきで拭う。
(まただ)
三年前から始まった頭痛。
日を追うごとに酷くなっている。
最近では鼻血まで。
医師に診せても原因は分からない。
異能に副作用など本来ないはずだった。
誰も理由を答えられない。
その異常が何を意味するのか、この時の日御子はまだ知らなかった。
「日御子様!」
兵士の声で我に返る。
今は立ち止まれない。
正しい国を作るために。
日御子は再び《王域》を広げた。
◇
やがて。
王城の防衛線は完全に崩壊した。
革命軍の兵士たちは勝利に沸いていた。
その時。
近くから声が聞こえる。
「始末しろ」
兵士が剣を構える。
日御子は振り返った。
地面に男が伏せている。
全身傷だらけだった。
鎧は砕け。
血で汚れ。
片膝をつくのがやっと。
それでも。
男は剣を握っていた。
「待ちなさい!」
日御子は思わず叫ぶ。
兵士達が振り返る。
「何ですか、日御子様」
日御子は男を指差した。
「見ればわかるでしょう!」
「彼はもう戦えませんの」
男は肩で息をしている。
立ち上がる事すら困難そうだった。
それでも兵士は首を振る。
「だから今のうちに殺すんです」
「何を言っていますの!?」
「こいつは王の犬です」
兵士は吐き捨てるように言う。
「生かしておけば我々にまた牙を剥く」
日御子は男の前へ立った。
「それが何ですの」
「姫様!」
「戦えない人を殺して良い理由にはなりません」
兵士達の表情が険しくなる。
不意に。
倒れていた男がゆっくり顔を上げる。
血に濡れた顔。
乱れた髪。
だが。
その目だけは変わっていなかった。
日御子は息を呑む。
「……福師匠?」
兵士達がざわつく。
近衛騎士団長。
王に最も近い剣。
幼い頃。
父に命じられ、何度も剣を教えてくれた武の恩師。
福もまた目を見開いていた。
「姫様……」
掠れた声。
信じられないものを見るような目だった。
「なぜ……」
福は震える声で言う。
「なぜこのような事を……」
日御子は言葉を失った。
(……ごめんなさい)
(そんな風にしたかったわけじゃありませんの……)
胸の奥が痛む。
視線を逸らしたくなる。
しかし。
「彼を殺してはいけませんの」
声を絞り出すように言った。
兵士達が反発する。
「ですが!」
「牢へ入れておきなさい」
日御子は強く言う。
「命令ですの」
沈黙。
やがて兵士達は不満そうに舌打ちした。
「……分かりました」
福の腕が掴まれる。
無理やり立たされる。
福は抵抗しなかった。
ただ。
連行されながらも。
その視線だけは。
最後まで日御子から離れなかった。
「連れて行け!」
「牢へ放り込め!」
兵士達が福を引きずっていく。
福の姿が見えなくなっても。
胸のざわめきは消えてくれなかった。
◇
巨大な扉が開く。
玉座の間。
そこに王はいた。
ただ一人。
静かに立っていた。
「来たか」
低い声。
聞き慣れた声だった。
「終わりですの」
日御子は剣を向ける。
王はわずかに頷いた。
「そうか」
それだけだった。
抵抗しない。
逃げない。
怒りもしない。
静かだった。
「私はあなたを許しませんの!」
日御子は叫ぶ。
「民は苦しんでいました!」
「あなたは何も変えようとしなかった!」
「だから私は――!」
王は何も言わない。
革命軍の兵士たちが叫ぶ。
「暴君を討て!」
「終わらせろ!」
歓声が玉座の間を埋め尽くす。
それなのに。
日御子はなぜか胸が苦しかった。
王は静かに言った。
「わかった」
それだけだった。
◇
王は腰の剣を抜いた。
日御子は反射的に身構える。
革命軍も武器を構えた。
その直後。
王は剣を床へ置いた。
硬い金属音が玉座の間に響く。
誰も動かなかった。
「なぜ……」
思わず声が漏れる。
王は答えない。
ただじっと日御子を見ていた。
その視線だけが妙に記憶へ残った。
◇
激痛。
突然だった。
頭の奥が軋む。
視界が白く染まる。
何かが聞こえた気がした。
だが。
次の瞬間には消えていた。
◇
王を見る。
父である王を。
父は動かない。
ただ静かに日御子を見つめていた。
そして。
ゆっくりと目を閉じた。
それだけだった。
怒りも。
恨みも。
命乞いさえしない。
「……どうして」
思わず声が漏れる。
(違う)
(そんな顔をしないで)
(私はあなたを裁くために来た)
(未来のために)
そのはずなのに。
「日御子様!」
革命軍の兵士が叫ぶ。
「終わらせてください!」
「暴君を討つのです!」
歓声が広がる。
(そうだ)
(この国を変えるために)
(私はここまで来た)
(仲間も命を懸けて戦ってきた)
(もう戻れない)
「っ……!」
胸が苦しい。
今さら迷う理由など無い。
(私は間違っていない)
何度言い聞かせても。
手の震えだけは。
どうしても止まらなかった。
怖いわけじゃない。
相手が父だから。
きっと、それだけ。
それだけのはずなのに。
胸の奥で、言葉にならない何かが静かに軋んでいた。
「日御子様!」
「早く終わらせろ!」
歓声が響く。
「民のために!」
その言葉を胸の中で繰り返す。
(民のため)
(民のため)
(民のため)
「…………」
日御子は剣を振り上げる。
大きく息を吸い。
震える指に。
力を込め。
そして。
振り下ろした。
◇
玉座の間から音が消えた。
ほんの一瞬だけ。
次の瞬間。
空気を揺らすような歓声が爆発した。
「革命軍万歳!」
「ヒノモト万歳!」
「暴君は死んだ!」
歓声は聞こえている。
だが日御子には、薄い膜によって隔てられた遠い世界の出来事のように感じられた。
ただ手の中の剣だけが重かった。
「これで……良かったですの?」
自分でも聞き取れないほど小さな声。
答える者は誰もいなかった。
城を出る。
外でもやはり革命軍は歓喜していた。
抱き合う者。
泣く者。
笑う者。
誰もが勝利を祝っている。
燃え盛る王城。
夜空へ昇る火の粉。
終わったのだ。
長い戦いが。
そう思うのに。
日御子だけは笑えなかった。
◇
ふと。
剣を見る。
父の血が付いた剣。
何度拭っても。
その赤だけが、目に焼き付いて離れなかった。
(勝った)
(革命は成功した)
(みんな喜んでいる)
(なのに、どうして)
(私だけ笑えないの)
黒猫が静かに足元へ寄ってくる。
日御子はその姿を追うように視線を落とした。
石畳が、水滴で濡れていた。
「……?」
日御子は小さく首を傾げ。
力なくしゃがみ込んだ。
「私は……」
震える声が漏れる。
「私は……間違っていませんでしたの?」
黒猫は何も答えない。
ただ金色の瞳で、静かに日御子を見つめていた。
◇
その夜。
頭痛はいつもより酷かった。
眠れない。
窓の外では、燃え落ちた王城の残り火が、まだ小さく瞬いていた。
胸の奥も重い。
王は死んだ。
革命は成功した。
これで良かったはずだった。
なのに。
胸の奥の何かだけが。
どうしても勝利を信じてくれなかった。
頭の奥も、まだ疼いている。
まるで、何かを終わらせてはいけないと言うように。
【第三話 追われる王女】へ続く




