王を殺した日
日御子が父を止めると決めた日から、彼女のもとへ集う者たちは、日を追うごとに数を増していった。
やがて彼らは、自らを革命軍と名乗るようになった。
◇
そして、革命の当日。
王城攻略戦は終盤を迎えていた。城内では兵士たちの怒号と剣戟が絶え間なく響き、破壊された窓から吹き込む風が、立ち昇る煙を回廊の奥へ運んでいた。
その中心で、日御子は静かに目を閉じる。
「……《王域》」
双眸が淡く輝き、緑色の光が周囲へ広がった。
壁も扉も関係ない。道や部屋の構造、敵味方の位置、その動きまでが巨大な立体地図となって意識の中へ浮かび上がる。
日御子は押し寄せる情報を整理し、戦況を見定めた。
「第二部隊は西回廊から挟撃してください! 第三部隊は東階段を制圧! 南側の部隊は前へ出すぎていますの。一度下がって負傷者を後方へ!」
西回廊へ回った第二部隊が王国軍の背後へ現れ、挟撃を受けた防衛線が崩れる。直後に第三部隊が東階段を制圧し、退路を失った兵士たちが次々と武器を捨てていった。
敵の守りが薄い場所へ兵を集中させ、崩れそうな戦線へ援軍を送る。互いの正確な位置を把握できずにいた王国軍に対し、革命軍は優位に戦闘を進めていった。
勝利へ至る道が、日御子には見えていた。
その時、頭の奥を鋭い痛みが貫いた。
「っ……!」
視界が揺れ、意識の中に広がっていた立体地図が大きく歪む。ぽたりと、赤い雫が床へ落ちた。
「姫様!」
傍らにいたユウマが、鼻血を流す日御子へ駆け寄った。
「大丈夫ですの」
日御子は鼻血を手の甲で拭い、顔を上げた。
最初は、すぐに消える程度の痛みだった。だが、各地を巡るうちに、《王域》を使うたび少しずつ酷くなっている。医師に診せても原因は分からなかった。異能に、このような副作用はないはずだった。
それでも、今は立ち止まれない。
ここまで来るために、多くの者が傷ついた。村で失われた命も、父に見捨てられた人々も、なかったことにはできない。
「南階段に敵の増援が来ますの! 第四部隊を向かわせてください!」
日御子は痛みを押し込み、再び戦場を見渡した。
◇
やがて、王城の防衛線は完全に崩れた。武器を捨てて投降する者が増え、革命軍の兵士たちから勝利を確信する声が上がり始める。
その時、近くから男の声が聞こえた。
「始末しろ」
日御子が振り返ると、一人の男が床へ片膝をついていた。鎧は砕け、全身が血に汚れている。立ち上がることさえ難しそうだったが、その手だけは剣を離していなかった。
革命軍の兵士が男を取り囲み、一斉に武器を構える。
「待ちなさい!」
日御子は兵士たちの間へ割って入った。
「何ですか、日御子様」
「見れば分かるでしょう。彼はもう戦えませんの」
「だから、今のうちに殺すんです。こいつは王の犬です。生かしておけば、いつかまた我々へ牙を剥く」
「それでも、戦えない人を殺して良い理由にはなりません」
日御子は男を庇うように立ち、兵士たちを見返した。
その声に反応し、男がゆっくりと顔を上げる。血に濡れた顔。乱れた髪。それでも、鋭い眼差しだけは昔と何も変わっていなかった。
「姫様……」
日御子は息を呑んだ。
「……福師匠?」
近衛騎士団長、福。王に最も近い剣であり、幼い日御子へ剣を教えた武の恩師でもあった。
福もまた、信じられないものを見るように日御子を見つめていた。
「なぜ……なぜ、このようなことを……」
その問いに、日御子はすぐに答えられなかった。
父を止めなければならない。民を救うためには、これしかなかった。そう信じて、ここまで来た。
それでも、変わり果てた師の姿を前にすると、胸の奥が痛んだ。
「彼を牢へ入れておきなさい」
「ですが――」
「命令ですの」
日御子は強く言い切った。兵士たちは不満そうな表情を浮かべたが、やがて剣を下ろした。
「……分かりました」
福の両腕が掴まれ、無理やり立たされる。福は抵抗しなかった。ただ連行されながらも、その視線だけは最後まで日御子から離れなかった。
◇
玉座の間へ続く巨大な扉が開いた。
赤い絨毯の先では、父王が玉座の前に一人で立っていた。
「来たか」
低く、聞き慣れた声だった。
父の顔を見た瞬間、日御子の胸が強く締め付けられる。それでも、剣を握る手に力を込めた。
「終わりですの、父上」
王はわずかに頷いた。
「そうか」
抵抗する様子はなかった。逃げようともせず、怒りさえ見せない。その静けさが、日御子をひどく不安にさせた。
「私は、あなたを許しませんの。民は苦しんでいました。税を払えず、病気の娘から引き離された人もいました」
王は何も言わない。
「助けられるはずの村まで焼いた。私が戻ると約束した人たちを、あなたは国のために切り捨てましたの!」
日御子の問いに、王は沈黙を返すだけだった。
「なぜ何も答えないのですか!」
革命軍の兵士たちが、日御子の背後で声を上げる。
「暴君を討て!」
「革命を終わらせろ!」
「民のために!」
歓声が玉座の間を満たしていく。その中で、王は静かに日御子を見つめていた。
やがて腰の剣へ手を掛け、ゆっくりと鞘から抜く。日御子が反射的に身構え、背後の兵士たちも一斉に武器を構えた。
だが。
王は抜いた剣を床へ置いた。
硬い金属音が、玉座の間に響く。
「……なぜ、剣を置くんですの?」
王の唇が動いた。
突然、頭の奥を引き裂くような激痛が走った。
「っ……!」
視界が白く染まり、周囲の歓声が遠ざかる。その中で、王の声が僅かに歪んで届いた。
「王だからだ」
短い言葉だった。
日御子は荒い息を吐きながら、もう一度父を見る。
王は動かない。怒りも、恨みも、命乞いさえ口にせず、ただ静かに目を閉じていた。
――それでも、戦えない人を殺して良い理由にはなりません。
つい先ほど、福を庇った自分の言葉が蘇る。
父も同じだった。
剣を手放し、抵抗する意志を見せていない。捕らえて牢へ入れることもできる。
だが父は、この国の王だった。
父が生きている限り、残存する王国軍は王を旗印に戦い続ける。牢へ入れても奪還を試みる者が現れ、退位を宣言させても、革命軍に強いられた言葉だと受け入れない者はいるだろう。
戦いは終わらない。
また兵士が死ぬ。
あの村のように、助けを待つ人々へ手が届かなくなる。
『国を背負う者は、時に一部を切り捨てねばならぬ』
父から届いた書状の言葉が、日御子の胸へ蘇った。
あの言葉を許せなかった。
誰かを切り捨てる父を止めるために、ここまで来たはずだった。
それなのに今、自分もまた、一人を切り捨てることで、大勢を救おうとしている。
(他に方法はありませんの……?)
答えは見つからなかった。
王を討たなければ、革命は終わらない。
これ以上、民を死なせるわけにはいかない。
「日御子様!」
背後から声が飛ぶ。
「終わらせてください!」
「暴君を討つのです!」
日御子は剣を握り締めた。
父を殺したいわけではない。
それでも、王を生かしておくことはできない。
「民のために!」
誰かが叫ぶ。
(民のため)
その言葉を胸の中で繰り返す。
(民のために、父上を止める)
日御子は大きく息を吸い、剣を振り上げた。
王は最後まで、目を開かなかった。
震える指へ力を込める。
そして。
剣を振り下ろした。
◇
玉座の間から、音が消えた。
ほんの一瞬だけ。
次の瞬間、空気を揺らすような歓声が爆発する。
「革命軍万歳!」
「ヒノモト万歳!」
「暴君は死んだ!」
声は聞こえている。だが、日御子には薄い膜を隔てた遠い世界の出来事のように感じられた。
手の中の剣が、ひどく重い。
日御子はその場から動くことができなかった。
◇
日御子は王城の高楼に立っていた。
空を覆う黒煙の下、灰が粉雪のように舞い、焦げた匂いが喉を焼いていた。
革命軍の旗が振られ、人々は抱き合い、涙を流しながら勝利を叫んでいた。
瞳に映る炎は、失われたものを弔うかのように揺れていた。
父を倒した。革命は成功した。これで全てが良くなるはずだった。
それなのに、日御子は笑えなかった。
何気なく手元へ視線を落とす。何度拭っても、父の血の色だけが目に焼き付いて離れない。
(勝った)
(みんな喜んでいる)
(なのに、どうして)
足元へ、黒猫が静かに寄り添った。
日御子がその姿を追うように俯くと、石床に小さな雫が落ちた。もう一滴落ちたところで、初めて自分が泣いていることに気付く。
「私は……間違っていませんでしたの?」
黒猫は何も答えず、金色の瞳で日御子を静かに見つめていた。
◇
その夜、日御子は眠れなかった。
王は死んだ。革命は成功した。これで良かったはずだった。
それでも、胸の奥に残った痛みだけは消えてくれない。頭の奥も、まだ疼いていた。
目を閉じるたび、剣を置いた父の姿が浮かぶ。
――王だからだ。
あの言葉に、どのような意味があったのか。
考えても、答えは見つからなかった。
窓の外では、燃え落ちた建物の残り火が、まだ小さく瞬いていた。
【第三話 追われる王女】へ続く




