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王を殺した日

革命の数年前。


日御子は各地を巡っていた。


飢えた子どもへ食事を配り。


病人を運び。


焼け落ちた家々を訪ねては、人々の話へ静かに耳を傾けた。


「ありがとうございます」


何度も頭を下げられる。


その度に日御子は、困ったように笑うだけだった。


「私一人に出来ることなど、ほんの少しですの」


それでも。


日御子の後ろを歩く人は、少しずつ増えていった。



「姫様」


武装した男が一人、頭を下げる。


「護衛は我々にお任せください」


「ありがとうございますの」


日御子は小さく頭を下げた。


その隣で、ユウマが静かに微笑んでいた。


数人だった護衛は。


十人になり。


数十人になり。


気付けば、数え切れないほどになっていた。


誰かが荷車を引き。


誰かが炊き出しを手伝い。


誰かが避難民を守る。


日御子は目の前の人を救うことだけを考えていた。



武装した男達が、一斉に頭を下げる。


日御子は静かに皆を見渡した。


「……もう逃げませんの」


父から託された言葉が胸をよぎる。


――お前が正しい国を作ってみせよ。


日御子は真っ直ぐ前を見据えた。


「私に出来ることを、最後までやり遂げますの」


その決意は。


誰にも止められなかった。




そして革命の当日。


王城攻略戦は終盤を迎えていた。


革命軍は城内へ雪崩れ込む。


兵士たちの怒号。


響く剣戟。


燃え上がる炎。


その中心で。


日御子は静かに目を閉じた。


「……《王域》」


双眸が淡く輝き。


緑の走査線が周囲に広がる。


全ての情報が頭の中へ浮かび上がる。


王城が一枚の立体地図になったかのようだった。


日御子は素早く情報を整理する。


敵の動き。


味方の進軍速度。


崩れかけた防衛線。


そして。


勝利へ至る最短経路。


「第二部隊は西側から挟撃!」


「第三部隊は東回廊を制圧!」


「南階段に敵が集中していますの!」


次々と指示が飛ぶ。


革命軍は迷わない。


敵は崩れる。


勝利は目前だった。



その瞬間。


頭痛。


「っ……!」


頭の奥を鋭く抉られたような痛み。


視界が揺れる。


ぽたり。


赤い雫が床へ落ちた。


鼻血だった。


慣れた手つきで拭う。


(まただ)


三年前から始まった頭痛。


日を追うごとに酷くなっている。


最近では鼻血まで。


医師に診せても原因は分からない。


異能に副作用など本来ないはずだった。


誰も理由を答えられない。


その異常が何を意味するのか、この時の日御子はまだ知らなかった。


「日御子様!」


兵士の声で我に返る。


今は立ち止まれない。


正しい国を作るために。


日御子は再び《王域》を広げた。



やがて。


王城の防衛線は完全に崩壊した。


革命軍の兵士たちは勝利に沸いていた。


その時。


近くから声が聞こえる。


「始末しろ」


兵士が剣を構える。


日御子は振り返った。


地面に男が伏せている。


全身傷だらけだった。


鎧は砕け。


血で汚れ。


片膝をつくのがやっと。


それでも。


男は剣を握っていた。


「待ちなさい!」


日御子は思わず叫ぶ。


兵士達が振り返る。


「何ですか、日御子様」


日御子は男を指差した。


「見ればわかるでしょう!」


「彼はもう戦えませんの」


男は肩で息をしている。


立ち上がる事すら困難そうだった。


それでも兵士は首を振る。


「だから今のうちに殺すんです」


「何を言っていますの!?」


「こいつは王の犬です」


兵士は吐き捨てるように言う。


「生かしておけば我々にまた牙を剥く」


日御子は男の前へ立った。


「それが何ですの」


「姫様!」


「戦えない人を殺して良い理由にはなりません」


兵士達の表情が険しくなる。


不意に。


倒れていた男がゆっくり顔を上げる。


血に濡れた顔。


乱れた髪。


だが。


その目だけは変わっていなかった。


日御子は息を呑む。


「……福師匠?」


兵士達がざわつく。


近衛騎士団長。


王に最も近い剣。


幼い頃。


父に命じられ、何度も剣を教えてくれた武の恩師。


福もまた目を見開いていた。


「姫様……」


掠れた声。


信じられないものを見るような目だった。


「なぜ……」


福は震える声で言う。


「なぜこのような事を……」


日御子は言葉を失った。


(……ごめんなさい)


(そんな風にしたかったわけじゃありませんの……)


胸の奥が痛む。


視線を逸らしたくなる。


しかし。


「彼を殺してはいけませんの」


声を絞り出すように言った。


兵士達が反発する。


「ですが!」


「牢へ入れておきなさい」


日御子は強く言う。


「命令ですの」


沈黙。


やがて兵士達は不満そうに舌打ちした。


「……分かりました」


福の腕が掴まれる。


無理やり立たされる。


福は抵抗しなかった。


ただ。


連行されながらも。


その視線だけは。


最後まで日御子から離れなかった。


「連れて行け!」


「牢へ放り込め!」


兵士達が福を引きずっていく。


福の姿が見えなくなっても。


胸のざわめきは消えてくれなかった。



巨大な扉が開く。


玉座の間。


そこに王はいた。


ただ一人。


静かに立っていた。


「来たか」


低い声。


聞き慣れた声だった。


「終わりですの」


日御子は剣を向ける。


王はわずかに頷いた。


「そうか」


それだけだった。


抵抗しない。


逃げない。


怒りもしない。


静かだった。


「私はあなたを許しませんの!」


日御子は叫ぶ。


「民は苦しんでいました!」


「あなたは何も変えようとしなかった!」


「だから私は――!」


王は何も言わない。


革命軍の兵士たちが叫ぶ。


「暴君を討て!」


「終わらせろ!」


歓声が玉座の間を埋め尽くす。


それなのに。


日御子はなぜか胸が苦しかった。


王は静かに言った。


「わかった」


それだけだった。



王は腰の剣を抜いた。


日御子は反射的に身構える。


革命軍も武器を構えた。


その直後。


王は剣を床へ置いた。


硬い金属音が玉座の間に響く。


誰も動かなかった。


「なぜ……」


思わず声が漏れる。


王は答えない。


ただじっと日御子を見ていた。


その視線だけが妙に記憶へ残った。



激痛。


突然だった。


頭の奥が軋む。


視界が白く染まる。


何かが聞こえた気がした。


だが。


次の瞬間には消えていた。



王を見る。


父である王を。


父は動かない。


ただ静かに日御子を見つめていた。


そして。


ゆっくりと目を閉じた。


それだけだった。


怒りも。


恨みも。


命乞いさえしない。


「……どうして」


思わず声が漏れる。


(違う)


(そんな顔をしないで)


(私はあなたを裁くために来た)


(未来のために)


そのはずなのに。


「日御子様!」


革命軍の兵士が叫ぶ。


「終わらせてください!」


「暴君を討つのです!」


歓声が広がる。


(そうだ)


(この国を変えるために)


(私はここまで来た)


(仲間も命を懸けて戦ってきた)


(もう戻れない)


「っ……!」


胸が苦しい。


今さら迷う理由など無い。


(私は間違っていない)


何度言い聞かせても。


手の震えだけは。


どうしても止まらなかった。


怖いわけじゃない。


相手が父だから。


きっと、それだけ。


それだけのはずなのに。


胸の奥で、言葉にならない何かが静かに軋んでいた。


「日御子様!」


「早く終わらせろ!」


歓声が響く。


「民のために!」


その言葉を胸の中で繰り返す。


(民のため)


(民のため)


(民のため)


「…………」


日御子は剣を振り上げる。


大きく息を吸い。


震える指に。


力を込め。


そして。


振り下ろした。



玉座の間から音が消えた。


ほんの一瞬だけ。


次の瞬間。


空気を揺らすような歓声が爆発した。


「革命軍万歳!」


「ヒノモト万歳!」


「暴君は死んだ!」


歓声は聞こえている。


だが日御子には、薄い膜によって隔てられた遠い世界の出来事のように感じられた。


ただ手の中の剣だけが重かった。


「これで……良かったですの?」


自分でも聞き取れないほど小さな声。


答える者は誰もいなかった。


城を出る。


外でもやはり革命軍は歓喜していた。


抱き合う者。


泣く者。


笑う者。


誰もが勝利を祝っている。


燃え盛る王城。


夜空へ昇る火の粉。


終わったのだ。


長い戦いが。


そう思うのに。


日御子だけは笑えなかった。



ふと。


剣を見る。


父の血が付いた剣。


何度拭っても。


その赤だけが、目に焼き付いて離れなかった。


(勝った)


(革命は成功した)


(みんな喜んでいる)


(なのに、どうして)


(私だけ笑えないの)


黒猫が静かに足元へ寄ってくる。


日御子はその姿を追うように視線を落とした。


石畳が、水滴で濡れていた。


「……?」


日御子は小さく首を傾げ。


力なくしゃがみ込んだ。


「私は……」


震える声が漏れる。


「私は……間違っていませんでしたの?」


黒猫は何も答えない。


ただ金色の瞳で、静かに日御子を見つめていた。



その夜。


頭痛はいつもより酷かった。


眠れない。


窓の外では、燃え落ちた王城の残り火が、まだ小さく瞬いていた。


胸の奥も重い。


王は死んだ。


革命は成功した。


これで良かったはずだった。


なのに。


胸の奥の何かだけが。


どうしても勝利を信じてくれなかった。


頭の奥も、まだ疼いている。


まるで、何かを終わらせてはいけないと言うように。



【第三話 追われる王女】へ続く

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