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正義を信じた少女

その少女は、父を殺した。


王である父を。


全ての決着がついた、その日。


王都ヒノモトは燃えていた。


まるで世界の終わりのように。


空を覆う黒煙。


崩れ落ちる建物。


響き渡る歓声。


「暴君を倒せ!」


「革命軍に勝利を!」


歓声はいつまでも鳴り止まなかった。


少女は、王城の上からその光景を見下ろしている。


瞳に映る炎は、失われたものを弔うかのように揺れていた。


灰が、粉雪のように舞いあがる。


そして。


足元には、相棒の黒猫が静かに寄り添っていた。


(ようやく……終わりましたの)


革命は成功した。


父を倒し。


民を救った。


これで全てが良くなるはず。


そのはずだった。


革命軍の旗が振られ。


人々は抱き合い、涙を流し、勝利を叫んでいた。


それなのに。


何故か心の奥が痛い気がした。


やがて。


小さな胸の痛みは。


燃え盛る炎の向こうへ消えていった。


黒猫は、少女を静かに見つめていた。


その金色の瞳には。


誰にも見えない悲しみだけが映っていた。




時は数年前。


ある日。


空は青く澄んでいた。


黒猫が少女の足元を軽やかに歩いている。


時折、足へ身体を擦り寄せる。


少女は慣れたように、その頭を撫でる。


「今日はあそこでお昼ご飯を食べますの」


少女は嬉しそうに前方を指差した。


大きな城と街並みを見下ろす高台。


その先には、千年以上前から存在する巨大な古代遺跡群が静かに横たわっている。


「姫様、またあそこですか」


隣を歩く青年が半ば呆れたように笑った。


「稀に見る絶景ですよ?」


姫様と呼ばれた少女ーー日御子は胸を張る。


「遺跡を眺めながら食べるお弁当は、格別な味わいですの」


そう言って大事そうにお弁当を抱え直す。


「そういえば」


日御子が嬉しそうな声を上げた。


「デザートを二つ持ってきました」


「二つ?」


「二つとも私のです」


「残念ながらユウマの分はありませんの」


日御子は真剣な表情で首を横に振る。


ーーユウマ。


父の側近。


そして今は王女付きの従者だった。


ユウマは苦笑した。


「姫様らしいです」


「んふふ」


「褒め言葉として受け取っておきます」



「にゃあ」


突然。


足下の黒猫が駆け出した。


「あら?」


そのまま露店街の奥へ消えていく。


「きっと、またいつものですの」


日御子は迷わず後を追いかけた。


ユウマも慌てて後についていく。


露店街を抜ける。


路地を曲がり。


そこで完全に見失ってしまった。


すかさず。


彼女は目を伏せる。


「……《王域キングフィールド》」


次の瞬間。


瞳が淡く光った。


頭の中に周囲の立体地図が展開される。


緑色の光が同心円状に領域を広げていく。


道も、建物も、人の流れも。


光が触れた端から、次々と像を結んでいった。


「……見えました」


ずきり。


一瞬だけ、頭の奥が小さく痛んだ。


(……あれ?)


だが、それもすぐに消えていく。


ユウマは肩を竦めた。


「毎回思いますが、反則みたいな異能ですね」


日御子は少しだけ得意げに笑う。


誰もが一つだけ異能を持って生まれる、この世界。


《王域》。


それが日御子の異能だった。


俯瞰し、見通す。


戦場向きの、いわば軍師特化のチート能力。


人も道も建物も、瞬時に把握できる。


王である父は、この力を「国を支える目」と呼んでいた。


日御子は頭の中に広がる立体地図を見て。


思わず頬を緩めた。


「相変わらず美しいですの……」


ユウマは慣れた様子でため息を吐いた。


「姫様」


「何ですか?」


「目的をお忘れですよ」


「……そうでしたの」


王女は頬を赤らめた。



迷いなく路地を一つ曲がる。


その先。


道路脇の木箱の陰。


「見つけましたの」


黒猫が座っていた。


その隣には。


痩せた少年が壁にもたれ、力なく座っていた。


ぐぅ……


小さなお腹の音が静かな路地へ響いた。


少年は慌ててお腹を押さえた。


日御子はゆっくり少年の前へしゃがみ込む。


「……お腹、空いていますのね」


少年は恥ずかしそうに視線を逸らした。


日御子は迷うことなく、お弁当を差し出した。


少年は恐る恐る、お弁当へ手を伸ばした。


だが、その手が途中で止まる。


「……これ、お姉ちゃんのご飯でしょ?」


日御子は少しだけ困ったように笑う。


「私は城へ帰れば、いつでも食べられますの」


少年は首を横に振った。


「でも……」


日御子は少年の手をそっと取り。


その中へ、お弁当を包みごと押し込んだ。


「育ち盛りですの」


少年は目を丸くした。


やがて、小さく笑って。


「……いただきます」


包みを大事そうに抱きしめた。


その笑顔を見て。


日御子は、そっと目を伏せた。


(同じ国に生きているのに)


(こんなにも違うなんて……)


(……あなたからしたら)


(理不尽ですよね)


(こんな国であっていいはずがありません)


「私にも、もっと出来る事があったはずですの」


「本当に……ごめんなさい」


少年は首を傾げた。


意味が分からないのだ。


その言葉だけ残し。


日御子は静かに立ち上がり。


顔を向けた。


王都を見下ろす丘の上。


そのさらに奥。


堂々とそびえ立つ王城。


日御子は、その城を真っ直ぐ見つめる。


瞳には。


悲しみと。


怒りと。


決意が宿っていた。


「姫様?」


ユウマが声を掛ける。


日御子は、はっと我に返り。


いつものように微笑む。


「では行きましょう」


「高台のお昼は逃げませんの」


「……お昼はもうありませんが」


「あ」


日御子は少しだけ肩を落とした。


「デザートもありません」


「全部渡しちゃいましたからね」


「帰ったら厨房へお願いしてみますの」


「怒られますよ」


「その時は一緒にお願いしてください」


「なぜ私まで……」


「にゃあ」


黒猫は満足そうに一度だけ鳴いた。


二人と一匹は並んで歩き出す。


その背中を。


少年は夢中でお弁当を頬張りながら見送っていた。



「今日はリンゴが安いよ!」


威勢よく声を張る八百屋。


だが、足を止める者は誰もいない。


店主は苦笑いすると、小さく肩を落とした。


「……父上は一体何を考えているのか分かりませんの」


日御子が呟く。


(……昔は街中に笑顔が溢れていましたの)


隣を歩くユウマが静かに答えた。


「戦争が長引いておりますので」


「北方戦線だけで、もう三年になります」


日御子は少しだけ目を見開いた。


「詳しいですね」


「……小耳に挟んだ程度です」


ユウマは軽く目を伏せる。


戦争。


その言葉に日御子は唇を噛んだ。


統天帝国エテルナ。


大陸の七割以上を飲み込んだ怪物国家。


ヒノモト王国は十年以上、その牙に耐え続けていた。


国を守るためには金がいる。


兵がいる。


武器がいる。


(理屈は分かる)


だが。


そのせいで。


民が苦しんでいるのだ。


「仕方ない、では済みませんの」


ユウマは何も言わなかった。



遠くで怒声が響いた。


嫌な予感。


日御子は声の方向へ駆け出した。


人だかりができている。


兵士達が一人の男を取り囲んでいた。


男は必死に叫んでいる。


「待ってくれ!」


「娘が病気なんだ!」


「まだ5歳なんだ!」


「もう少しだけ待ってくれ!」


男が地面に倒れ込んだ。


兵士が腕を掴む。


まるで罪人だった。


「何をしていますの!?」


日御子は思わず飛び出した。


兵士が振り返る。


「税の未納です」


日御子は息を呑んだ。


男が叫ぶ。


「違う!」


「払えないんじゃない!」


「払ったら娘の薬が買えないんだ!」


周囲は静まり返っていた。


誰も助けない。


助けられない。


兵士が吐き捨てるように言う。


「残念ながら国の決まりなんだ」


男は引きずられるように連行されていった。


日御子はその場から動けなかった。


心臓の鼓動が速くなっていた。



「なぜこんな事が……」


ユウマは目を伏せた。


「王にもお考えがおありなのでしょう」


彼女は知っている。


ユウマは決して軽々しく言葉を選ばない。


だからこそ。


その言葉に息が詰まった。


しかし日御子は敢えて声を強くする。


「彼は病気の娘を助けたいだけではありませんか!」


「……」


「こんな事が許されるはずありませんの」


ユウマは悲しそうに笑った。


「近頃は同じような声を耳にします」


「民の不満も限界なのかもしれません」


「どういう意味ですの?」


「全ては王命によるものです」


王命。


つまり父の命令。


(父が)


(あの父が)


民を苦しめる命令を出したなど。


信じたくなかった。


日御子の足が止まる。


呼吸が浅くなり。


視界が揺れた。



「姫様」


優しい声だった。


気付けばユウマが肩を支えてくれていた。


「大丈夫ですか」


「……ええ」


「今日はお戻りになりましょう」


日御子は小さく頷く。


頭の中が整理できない。


だが。


ユウマが傍にいると不思議と落ち着いた。


日御子にとって、今では当たり前のことだった。


分からない事はユウマに相談する。


彼の言うことはだいたいいつも正しいのだ。


父への疑問も。


胸を締め付けていた違和感も。


気付けば少しだけ薄れていた。


「……そうですの」


日御子は小さく息を吐いた。


(あの父ならば)


(不思議ではないのかもしれない)


日御子は頭の隅でそう感じていた。



その夜。


日御子は玉座の間を訪れた。


赤い絨毯が玉座まで真っ直ぐ伸びている。


巨大な柱が並び、夜の玉座の間は不気味なほど静かだった。


その玉座に。


ヒノモト王が座っていた。


「父上」


王はゆっくり目を開く。


「どうした」


低く落ち着いた声だった。


「民が苦しんでいますの」


「税は上がり続けています」


沈黙。


「今日も民が連行されましたの」


王はすぐには答えなかった。


玉座の間に響いていた燭台の火が、小さく揺れる。


やがて王は、やっと口を開いた。


「戦争は国だけでは出来ぬ」


低く重い声だった。


「民もまた背負うものだ」


日御子は拳を握る。


「それでは答えになっていません!」


王は何も言わなかった。


ただ、黙って娘を見ていた。


「日御子」


王が名を呼ぶ。


「お前は優しい」


「だからこそ見えるものもある」


そこで言葉を切った。


「だがお前だからこそ見えぬものもある」


日御子の胸がざわつく。


子供扱いされた気がした。


何も分かっていないと言われた気がした。


「ですが」


「ならば」


王が即座に言葉を遮る。


そして、ゆっくり娘を睨みつけ。


静かに告げる。


「お前が正しい国を作ってみせよ」


期待していた答えは返ってこない。


代わりに突きつけられたのは、自分で証明しろという言葉だった。


王はそれ以上何も言わなかった。



その夜。


眠れなかった。


窓辺には黒猫がいる。


悲しい時も。


嬉しい時も。


気付けば隣にいる。


日御子は黒猫を抱き上げた。


柔らかな毛並み。


温かな体温。


少しだけ心が落ち着く。


「私は間違っていますの?」


黒猫は何も答えない。


金色の瞳で日御子を見つめていた。


まるで何かを知っているかのように。




やがて、革命の日。


燃え盛る王城。


怒号。


剣戟。


玉座の間へ続く長い回廊を、日御子はただ前だけを見て歩いていた。



巨大な扉が開く。


玉座の前には、父がいた。


静かに。


あまりにも静かに、娘を見つめている。



父は剣を床に置く。


乾いた金属音だけが響いた。


「……なぜ」


答えは返らない。



頭を引き裂くような激痛。


歓声。


怒号。


「民のために!」


誰かが叫ぶ。


父は静かに目を閉じた。


震える手。


握り締めた剣。


(私は――)


息を吸う。


そして。


剣を振り上げた。



【第二話 王を殺した日】へ続く

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