居場所
「いただきますのー!」
日御子の元気な声が食堂に響いた。
焼けた肉の匂いと、シチューから立ちのぼる湯気が入り混じり、食堂の空気を熱くしている。目の前に積み上げられているのは、脂の弾ける音を立てる焼き肉、山盛りの炒飯、こんがり焼けた巨大なパン、そして表面がふつふつと波打つ大鍋いっぱいのシチュー。普通なら、数日かけても食べ切れないほどの量だった。
近隣の街で開催される大食い大会。そのNKJ代表を決めるための予選である。
開始の合図と同時に、三人が一斉に料理へ手を伸ばした。
「にゃんのかコラー!」
ふるーるが笑顔で肉へ齧り付いた。皮の焼けた部分がぱりっと鳴り、肉汁が口の端から滴る。
「やってやんよ!」
アイザックも豪快に肉を頬張った。
「今日は勝たせてもらいますの!」
日御子も負けていない。
周囲の隊員たちは食事の手を止め、椅子を回してこちらを向いていた。身を乗り出しすぎて、隣の皿をひっくり返す者までいる。
鬼龍神も少し離れた場所で腕を組み、三人の勝負を楽しそうに眺めている。
「賭けるなら、ふるーるだな」
「始まりましたね」
のぶおが半ば呆れたように呟く。
その隣には、二人の子供たちが並んでいた。
「パパー!」
「ん?」
「お腹空いた!」
「僕もー!」
のぶおは額を押さえた。
「お前たち、さっき食ったばかりでしょう……」
それでも、子供たちは一歩も引かなかった。
「お肉!」
「お肉!」
「はいはい……」
のぶおは苦笑しながら、二人のために肉を取り分けた。
◇
開始から三十分後、最初の脱落者が出た。
「……無理だ」
アイザックが机へ突っ伏す。
「限界だ……」
「早すぎますの!」
日御子が叫んだ。
「まだ半分も残っています!」
「誰が食えるんだよ、こんなの!」
アイザックは怒鳴ったが、日御子とふるーるは意に介さず食べ続けていた。拍手と歓声が渦巻くなか、ふるーるの瞳が一瞬、湯気を映して奇妙な光を宿した——のぶおには、そう見えた。気のせいかと思う間もなく、それは消えていた。
「すげぇな……」
「何杯目だ、あれ」
「人間か?」
食堂は、すでに祭りのような騒ぎになっていた。
「負けないよー!」
ふるーるがパンを頬張る。
「私も負けませんの!」
日御子もシチューへスプーンを差し込んだ。
それからさらに三十分。
「ぐっ……」
ついに、日御子の手が止まった。
額には汗が浮かび、スプーンを握る手が小刻みに震えている。
「ま、まだですの……」
最後の力を振り絞ってスプーンを持ち上げようとするが、腹が限界を訴えていた。
対するふるーるは、平然とシチューを飲んでいる。
「美味しいねー」
「ば、化け物ですの……」
日御子は震える声で呟き、そのまま机へ突っ伏した。
「降参ですの……」
「やったー!」
ふるーるが両手を上げる。
大歓声と拍手、口笛が食堂を包んだ。
「いや、待て」
先に脱落していたアイザックが顔を上げる。
「何でまだ食ってるんだ」
ふるーるはきょとんと首を傾げた。
「え? まだお腹いっぱいじゃないし」
「意味分かんねぇよ……」
アイザックは再び机へ沈んだ。
やがて全ての料理を平らげたふるーるが、満足そうに背もたれへ寄り掛かる。
「ごちそうさまでしたー!」
今回の勝負は、ふるーるの圧勝だった。
「優勝しますよー!」
「本当にしそうですの……」
日御子は膨れた腹を押さえながら、半ば呆れたように呟いた。
その時、食堂の入口から一人の男が現れた。
ふぉろんたいごだった。
机に積み上がった大量の空皿を見た瞬間、その顔が引きつる。
「……おい」
三人が振り返った。
「この食材の代金……まさか」
ふぉろんたいごの声が震える。
「支払いはどうしました?」
沈黙が落ちた。
三人は顔を見合わせる。そして、何を当たり前のことを聞くのかと言わんばかりに胸を張った。
「「「ツケだけど?」」」
ふぉろんたいごは天井を見上げた。
「なんでやねん……」
両手で頭を抱える。
本気で胃が痛そうだった。
「お前ら……誰が払うんですか!」
すると、ふるーるが得意げに笑った。
「大丈夫だ!」
「何が!」
「大会で優勝したら賞金が出るからな!」
「はい?」
「その賞金で返す!」
ふぉろんたいごが固まった。
数秒後、その態度が一変する。
「なに!? 賞金!?」
「あい!」
「優勝したら、いくらですか!?」
「金貨三十枚らしいぞ!」
ふぉろんたいごは勢いよく駆け寄り、ふるーるの両手を固く握り締めた。
「頑張ってください!」
「急に応援し始めましたの」
「NKJの未来が懸かっています!」
握った両手をぶんぶんと上下に振られ、ふるーるの頭までがくがくと揺れた。
◇
大食い勝負の騒ぎが収まった頃、食堂には穏やかな時間が戻っていた。
日御子たちは食後の紅茶を飲み、ふるーるは相変わらずアップルパイを食べている。
「まだ食うのかよ……」
アイザックが呆れる。
「これは別腹だ!」
言い終わるより早く、ふるーるは二切れ目へ手を伸ばしていた。
日御子はそんなふるーるを眺めながら、ふと気になった。
「ふるーるさん。もしかして、その異様な食欲は、異能と関係がありますの?」
ふるーるはきょとんと目を瞬く。
「あれ? 異能のこと、言ってなかったっけ?」
「聞いた覚えがありませんの」
「そういや、俺も知らねぇな」
アイザックも首を傾げる。
ふるーるは少し考えたあと、楽しそうに笑った。
「秘密だ!」
「なんでですの!?」
日御子が即座に突っ込む。
「だって、その方が面白いじゃないかー」
「面白くありませんの!」
「俺も気になる」
「みんな気にしすぎだよー」
ふるーるはけらけらと笑い、結局、最後まで教えようとはしなかった。
「謎の女ですの……」
日御子が呆れたように呟く。
その言葉に、ふるーるはなぜか嬉しそうだった。
◇
夕方。
アイザックと共に食堂を出ると、傾いた日差しが古びた本部を赤く染めていた。
訓練場では、今日もアビスが木刀を振っていた。誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで鍛錬を続ける姿も、今ではすっかり見慣れたものになっている。
その近くでは、ポリアンナがベンチに腰掛けて書類へ目を通している。のぶおは木陰に腰を下ろし、少し離れた畑では、もりやんがのんびりと土を耕していた。
「おー」
日御子に気づいたもりやんが手を振る。
日御子も笑って振り返した。
ふと振り向けば、開け放した食堂の窓の向こうで、ふるーるがまだアップルパイを頬張っていた。
のんびりとした時間だった。
戦いとは無縁の、ありふれた景色。
それを眺めているうちに、日御子の口元へ自然と笑みが浮かんだ。
「平和ですのー」
誰に聞かせるでもなく、心の底からそう呟いた。
少し前までの自分には、考えられなかった。
王国の広間では、誰もが日御子の一歩後ろで頭を垂れ、丁寧な言葉を並べ、誰一人として本音をぶつけてはこなかった。囲まれているのに、いつも一人だった。
革命軍の陣営では、象徴のように担がれ、称えられた。その重みと引き換えに、傷つき、仲間を失い、多くの血を流した。守られているようで、実際に守ってくれる者はいなかった。
けれど、ここでは違う。
ふぉろんたいごは、みんなにしたのと同じ調子で、日御子にも「お前ら」と怒鳴っていた。アイザックは、さつまいもを当たり前のように投げてよこす。もりやんは地図を広げれば、断りもなく隣に並んで一緒に覗き込んでくる。
ただの日御子として、そこにいられる。
それが、たまらなく心地よかった。
いつの間にか、この場所が特別になっていた。
日御子は立ち止まり、夕焼けに染まる空を見上げる。
「にゃあ」
足元へ目を落とすと、黒猫が寄り添っていた。
日御子は何も言わず、その小さな背中をそっと撫でる。
もういいだろうと思った。
本当の素性を知れば、今までと同じようには接してもらえないかもしれない。
それでも、この人たちなら大丈夫。
そんな気がした。
「皆さん」
日御子が声をかける。
アイザックが振り返り、ふるーるがアップルパイを食べる手を止めた。アビスも木刀を下ろし、もりやんは畑から顔を上げる。
ポリアンナは手にしていた書類を静かに閉じた。その表情に、驚きはなかった。
気がつけば、全員の視線が日御子へ集まっている。
少しだけ緊張した。
それでも、日御子は微笑んだ。
「実は私――」
深く息を吸い、真っ直ぐに皆を見つめる。
「ヒノモト王国の王女でしたの」
その場が静まり返った。
日御子は続ける。
「そして、あの革命を計画し、始めた張本人ですの」
夕暮れの風が吹き抜け、日御子の髪を揺らした。
誰も言葉を発しない。
今まで隠してきた、本当の自分。
それを、ようやく話すことができた。
この人たちなら、きっと受け入れてくれる。
そう信じていた。
それでも、皆の返事を待つ時間だけは、ひどく長く感じられた。
【第二十四話 違和感】へ続く




