父と子
軍務局本部。
執務室。
夕日が窓から差し込んでいた。
諜報局から戻った二人は。
そのまま執務室へ入った。
道中に会話は無い。
重苦しい静寂だけが続いていた。
◇
アルベルトは机へ資料を置く。
人体実験施設。
共鳴率。
被験者名簿。
諜報局で見た資料の写しだった。
レオンは黙って立っている。
父が何を考えているのか。
何となく分かっていた。
◇
やがて。
アルベルトが口を開く。
「日御子を捕縛する」
レオンの表情が固まった。
予想はしていた。
だが。
ここまで早いとは思わなかった。
「反対です」
即答だった。
アルベルトは顔色一つ変えない。
「理由は」
「彼女に、帝国と敵対する意思は確認されていません」
「そうか」
アルベルトは頷く。
そして。
低く言い放った。
「だが処刑する」
部屋の空気が凍る。
レオンは目を見開いた。
「父上」
「軍務局長と呼べ」
鋭い声だった。
レオンは唇を噛む。
アルベルトは続けた。
「善悪の話をしているのではない」
「脅威の話だ」
◇
机の上へ一枚の紙を広げる。
そこには。
日御子の異能。
《王域》。
その資料が記されていた。
「お前も分かっているはずだ」
「王域が何を意味するか」
レオンは答えない。
答える必要が無かった。
その能力を知る軍人なら誰でも分かる。
索敵。
危険察知。
戦場全体を俯瞰する異能。
◇
アルベルトはもう一枚の資料を置く。
《理想国家》
ポリアンナの異能だった。
「理想国家は情報共有能力」
「王域は情報収集能力」
アルベルトは二枚の紙を並べた。
「単体ならまだ対応は可能」
「だが」
二枚の紙を指で叩く。
「二つ揃えば話は別だ」
レオンの表情が険しくなる。
◇
アルベルトは地図を広げた。
帝国全土。
主要都市や補給線。
駐屯地の位置まで記されている。
軍務局長専用の戦略地図だった。
「分かるか」
アルベルトは地図を見つめたまま言った。
「王域が敵軍を捕捉する」
「理想国家がその情報を全軍へ共有する」
「一瞬のうちに、だ」
「こちらが伏兵を置けば見破られる」
「補給線を断とうとしても察知される」
「当然のように夜襲も奇襲も成立しない」
指が地図の上を滑る。
「こちらが一歩動けば」
「向こうは十歩先を知る」
「戦争は情報戦だ」
「情報を制する者が勝つ」
「だが、奴らが揃えば」
アルベルトの目が細くなる。
「情報そのものを独占される」
沈黙。
「私は戦場を知っている」
「だから断言できる」
「王域と理想国家は、国家級の脅威だ」
「たった二人で、戦争のあり方そのものを変えうる」
アルベルトは続ける。
「王女だから殺すのではない」
「解放軍だから殺すのでもない」
「脅威だから殺す」
◇
レオンは拳を握りしめた。
「彼女は悪人ではありません」
「処刑する理由になりません」
アルベルトは首を振る。
「善人なら脅威にならないのか」
「いや違う」
「戦争は、本人の意思だけで起きるものではない」
重い空気が流れる。
レオンは理解していた。
(父の言っている事は正しい)
(軍人としてなら)
だが。
納得はできない。
「日御子は、革命家などではありません」
「争いを避けながら、ただ必死に生きていた」
「少なくとも、今の彼女に帝国を滅ぼす意思はありません」
アルベルトの眉間に皺がよる。
「だから何だ」
レオンは息を呑む。
「戦争は本人の意思だけで起きるものではない」
「王域を持つ人間が存在する」
「それだけで周囲は利用しようとする」
「本人の望みなど関係ない」
「歴史を見れば明らかだ」
アルベルトの声はどこまでも冷静だった。
「脅威の前では、人格など問題ではない」
レオンは言葉を失った。
◇
アルベルトは窓の外を見る。
夕日に染まる帝都。
そして。
小さく呟いた。
「戦争は、望まなくても起きる」
その横顔は。
どこか疲れて見えた。
「だから備える」
「だからリスクは潰す」
レオンは拳を握る。
「それでも」
「可能性だけで人を殺すべきではありません」
アルベルトは振り返った。
軍務局長の目だった。
「感情論か」
「違います」
レオンは即答する。
アルベルトは黙って聞いていた。
「もし彼女が帝国へ刃を向けたなら」
「その時は私も戦います」
「ですが今は違う」
「まだ何もしていません」
静寂。
アルベルトはゆっくりと目を閉じた。
「若いな」
レオンの眉が動く。
「父上も昔はそうだったのではないですか」
アルベルトは答えなかった。
その沈黙に背中を押されるように、レオンは口を開いた。
◇
「父上は覚えていないでしょうが」
アルベルトの眉が僅かに動く。
「幼い頃」
「戦地から戻った父上を見ました」
「沢山の人が感謝していました」
『本当にありがとうございました!』
『アルベルト様のおかげで、息子が助かりました!』
「周りからそう称えられていました」
「私はあの日」
「父上を英雄だと思った」
アルベルトは黙って聞いている。
「覚えていますか」
「軍は強くなければならない」
「帝国が負ければ民が死ぬ」
「だから戦うのだと」
「今でもその言葉を覚えています」
――だが。
現在。
目の前にいる父は。
一人の少女を殺そうとしている。
レオンは息を吸い込んだ。
「私は、父上に憧れて軍へ入りました」
アルベルトの目が僅かに動く。
「帝国のためではありません」
「父上のように、目の前の人を守れる軍人になりたかったからです」
アルベルトは何も言わない。
レオンは続ける。
「日御子は帝国の民ではありません」
「それでも」
「目の前にいる無実の人間を、私は見捨てたくありません」
◇
長い沈黙。
しばらくして。
アルベルトが口を開いた。
「前線にいる兵は死ぬ」
突然だった。
レオンは目を瞬く。
「父上?」
「王域と理想国家が揃えば」
「戦争は変わる」
「帝国軍はいずれ敗れ、兵が死ぬ」
「民が巻き込まれ、最後には国が滅ぶ」
一瞬だけ言葉が止まる。
やがて。
「お前もだ」
レオンの目が見開かれた。
アルベルトも気付いた。
口に出すつもりは無かった。
だが。
出てしまった。
しばらく、二人とも口を開かなかった。
◇
窓の外では夕日が沈み始めている。
アルベルトは目を逸らした。
「……軍人なら理解しろ」
低い声だった。
軍務局長の声。
だが。
その奥にある感情を。
レオンは初めて理解した。
(父は、人を殺したい訳じゃない)
(恐れているのだ)
(帝国の敗北を)
(そして)
(私の死を)
◇
「それでも」
レオンは顔を上げた。
「私の答えは変わりません」
アルベルトの眉が僅かに動く。
「命令に背くのか」
「命令には従います」
レオンは首を振った。
「ですが納得はしません」
「私は彼女を調べます」
「処刑以外の道が本当に無いのか」
「その答えを探します」
アルベルトはしばらくレオンを見つめていた。
やがて。
小さく息を吐く。
「調べるのは構わん」
レオンが目を見開く。
だが。
有無を言わせぬ口調で告げた。
「結論は変わらんぞ」
「私はあの娘を処刑する」
「必要なら革命の設計者もだ」
軍務局長としての決意。
揺るがない。
◇
レオンは静かに敬礼した。
「失礼します」
踵を返す。
扉が閉まる。
一人になった執務室。
アルベルトは窓の外を見つめていた。
沈みゆく夕日。
誰もいない部屋で。
軍務局長は小さく呟く。
「死ぬなよ」
その言葉を聞く者は。
誰もいなかった。
【第二十三話 神殺し】へ続く




