父と子
軍務局本部の執務室には、窓から差し込む夕日が長い影を落としていた。諜報局から戻ったアルベルトとレオンは、道中で一言も交わさないまま部屋へ入った。
アルベルトが机へ置いたのは、レオンが集め、先ほど諜報局へ持ち込んだ資料だった。
人体実験施設。
共鳴率。
被験者名簿。
レオンは黙って立っていた。父が何を考えているのか、何となく分かっていた。
やがて、アルベルトが口を開く。
「日御子を捕縛する」
レオンの表情が固まった。
「反対です」
即答だった。
アルベルトは顔色一つ変えない。
「理由は」
「日御子は、何も悪いことはしていません」
「そうか」
アルベルトは短く頷き、低い声で続けた。
「それでも、処刑する」
部屋の空気が凍りついた。
「父上」
「軍務局長と呼べ」
鋭い声だった。
レオンが唇を噛む。その様子を見ても、アルベルトの態度は変わらなかった。
「善悪の話をしているのではない。脅威の話だ」
机の上へ一枚の紙を広げる。そこには、日御子の異能《王域》について記されていた。
「お前も分かっているはずだ。《王域》が何を意味するか」
レオンは答えなかった。索敵、危険察知、そして戦場全体を俯瞰する力。その能力を知る軍人なら、誰でも理解できる。
アルベルトはその隣へ、もう一枚の資料を並べた。
ポリアンナの異能、《理想国家》。
「《王域》が敵軍を捕捉し、《理想国家》がその情報を全軍へ共有する。一瞬のうちに、だ」
さらに、帝国全土が記された戦略地図を広げる。アルベルトの指が、主要都市や補給線、駐屯地の上を滑っていった。
「伏兵を置けば見破られる。夜襲も奇襲も成立しない。補給線を断とうとしても、動き出した時点で察知される」
指先が止まった。
「単体なら、まだ対応は可能だ。だが二つ揃えば、戦争のあり方そのものが変わる」
アルベルトは二枚の資料を指で叩いた。
「悪人だから殺すのではない。解放軍にいるからでもない」
「国家級の脅威だから殺す」
レオンは拳を握りしめた。
「あれだけの力が一つの勢力へ収まれば、本人が望もうと望むまいと、周囲は利用しようとする。本人の善意も人格も、脅威であることを否定する理由にはならん」
軍人として考えるなら、父の判断は間違っていない。放置した結果、帝国軍に甚大な被害が出る可能性は確かにある。
それでも、納得はできなかった。
「あの施設で、私は日御子を直接見ました」
アルベルトの眉間に僅かな皺が寄る。
「彼女は追われる身でありながら、自分のことより被験者の救助を優先しました。帝国兵へ刃を向けることもなく、自らその場を離れた」
「だから何だ」
「少なくとも、今の彼女に帝国を滅ぼす意思はありません」
アルベルトはレオンに背を向け、窓の外を見やる。夕日に染まった帝都では、一日を終えた人々が家路を急いでいた。
「お前も、知っているだろう」
「戦争は、望まなくても起きる」
どこか疲れた声だった。
「……ヒノモトの件を、彼女一人の責任になさるおつもりですか」
「責任の話ではない。結果の話だ」
「一度、あの娘を中心に国が滅びた。ならば、同じことが帝国で起きないと誰が断言できる。だから備え、リスクを潰す」
「それでも、可能性だけで人を殺すべきではありません」
アルベルトが振り返る。
そこにいたのは、帝国軍を預かる軍務局長だった。
「感情論か」
「違います」
レオンは真っ直ぐに見返した。
「可能性を恐れて彼女を処刑すれば、彼女を守る者たちを確実に敵へ回します。先に刃を向けた帝国が、戦争を始めることになるかもしれない」
「どちらを選んでも危険は残る」
アルベルトの答えに迷いはなかった。
「ならば私は、最も小さい危険を選ぶ」
レオンは食い下がった。
「もし彼女が帝国へ刃を向けたなら、その時は私も戦います。ですが今は違う。彼女はまだ何もしていません」
静寂が落ちる。
アルベルトはゆっくりと目を閉じた。
「若いな」
「父上も、昔はそうだったのではないですか」
レオンは、敢えて父と呼び続けた。
アルベルトは答えなかった。その沈黙に背中を押されるように、レオンは口を開く。
「幼い頃、戦地から戻った父上を見たことがあります」
アルベルトの眉が僅かに動いた。
「大勢の人が、父上へ感謝していました」
泥と血に汚れた軍服へ縋りつき、泣きながら頭を下げる者もいた。
『アルベルト様のおかげで、息子が助かりました!』
それでも父は胸を張ることなく、まだ救護を待つ兵のもとへ歩いていった。
「父上は覚えていないかもしれません。ですが私は、あの日のことを今でも覚えています」
幼いレオンの目に、戦地から戻った父の姿は、誰よりも大きく映っていた。
「私はあの日、父上を英雄だと思いました」
アルベルトは何も言わない。
「父上は言いました。軍は強くなければならない。帝国が負ければ民が死ぬ。だから戦うのだと」
あの日、英雄に見えた父が、今は一人の少女を殺そうとしている。
レオンは息を吸い込んだ。
「私は、父上に憧れて軍へ入りました」
アルベルトの目が僅かに揺れる。
「帝国という国に憧れたのではありません。父上のように、目の前の人を守れる軍人になりたかったからです」
レオンは言葉を続けた。
「日御子は帝国の民ではありません。それでも、目の前にいる無実の人間を、私は見捨てたくありません」
長い沈黙が流れた。
やがて、アルベルトが口を開く。
「前線にいる兵は死ぬ」
唐突な言葉に、レオンが目を瞬く。
「父上?」
「《王域》と《理想国家》が揃えば、帝国軍はいずれ敗れる。民が巻き込まれ、最後には国が滅ぶ」
一瞬、言葉が止まった。
「お前もだ」
その一言が落ちた瞬間、アルベルトの表情が僅かに強張った。
口にするつもりのなかった本音が漏れたことを、レオンは悟った。
窓の外では、夕日が地平線へ沈みかけている。アルベルトはレオンから目を逸らした。
「……軍人なら理解しろ」
声は、すでに軍務局長のものへ戻っていた。
しかし、レオンには、その言葉の奥に隠されたものが分かっていた。
「それでも」
レオンは顔を上げた。
「私の答えは変わりません」
アルベルトがレオンへ視線を戻した。
「命令に背くのか」
レオンは首を横に振った。
「捕縛の命令には従います。ですが、処刑が正しいとは決して認めません」
父の目を真っ直ぐに見据える。
「共鳴率と消された施設、そして日御子自身の意思を調べ続けます。彼女に処刑以外の道が本当にないのか。私自身で、その答えを探します」
アルベルトはしばらくレオンを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「調べるのは構わん」
レオンが目を見開いた。
だが、続く言葉は有無を言わせぬものだった。
「結論は変わらんぞ。私はあの娘を処刑する。必要なら、革命の設計者もだ」
レオンは静かに敬礼する。
「失礼します」
踵を返し、執務室を出ていく。
◇
扉が閉まり、アルベルトは一人になった。
窓の外では、夕日が最後の光を残して沈んでいく。
誰もいない執務室で、軍務局長は小さく呟いた。
「死ぬなよ」
【第二十三話 居場所】へ続く




