アイドル
扉が閉まる。
局長室に静寂が戻った。
リリアナはしばらく扉を見つめていた。
アルベルト。
レオン。
(想定よりも早かったですね)
共鳴率へ辿り着いたのも。
記録破棄へ気付いたのも。
全て予想以上だった。
◇
コンコン。
軽いノック音が響く。
「入りなさい」
扉が開いた。
入室してきたのはユリウスだった。
「失礼します」
柔らかな笑み。
穏やかな表情を浮かべている。
「お帰りなさい」
リリアナが言う。
「ただいま戻りました」
ユリウスは一礼した。
そして。
机へ数枚の報告書を置く。
「予定通りです」
「各地の配置も完了しました」
「無事に確保できそうですか?」
「問題ありません」
短いやり取りだった。
互いに説明は最低限。
それで通じる。
長年の付き合いだ。
「以上です」
リリアナは報告を労った。
「ご苦労様」
ユリウスは軽く頭を下げる。
そして踵を返した。
「失礼します」
扉が閉まり。
局長室に再び静寂が訪れた。
◇
リリアナは窓の外を見た。
夕日が帝都を赤く染めている。
アルベルト。
レオン。
二人は止まらないだろう。
特にレオンは。
共鳴率の真相へ近付いている。
だが。
それでも問題は無い。
もう隠し続ける段階ではない。
リリアナは立ち上がった。
向かう先は一つ。
帝城。
天帝のもとだ。
◇
帝都中央。
帝城。
千年の歴史を持つ巨大な城。
その最奥。
許可された者しか立ち入れない区域を進む。
衛兵達が敬礼する。
リリアナは足を止めない。
やがて。
一つの扉の前へ辿り着いた。
衛兵が扉を開く。
「リリアナ様がお見えです」
部屋へ入る。
広い執務室。
豪華ではない。
むしろ質素。
壁一面の本棚。
大量の書類。
大きな机。
そして。
窓際の椅子へ腰掛ける青年。
黄金色の髪。
整った顔立ち。
二十代後半にしか見えない容姿。
天帝だった。
◇
「失礼します」
リリアナが頭を下げる。
天帝は手元の書類から目を離さない。
「どうした」
穏やかな声だった。
「軍務局が施設へ辿り着きました」
天帝は身動ぎもせず。
「そうか」
それだけだった。
驚きも無い。
焦りも無い。
まるで。
初めから結果を知っていたかのような反応だった。
「レオンが記録破棄にも気付きました」
「そうか」
再び同じ返事。
天帝は書類へ視線を戻す。
リリアナは少しだけ目を伏せた。
(昔から変わらない)
(このお方は、いつだってこうだった)
(だからこそ忘れられない)
ふと。
遠い日の記憶が蘇る。
まだ。
自分が諜報局へ入る前。
今よりずっと若かった頃の事だった。
◇
リリアナは、貧しい村の生まれだった。
帝国の中枢は、エリートだけが辿り着ける場所。
身分の低い自分には、本来手の届かない場所だった。
「どうせ入れるはずがない」
村の誰もが、そう言った。
それでも。
思い切り、研究がしたかった。
「行ってみればいいだろ」
そう言ってくれたのは、パルパティーンだけだった。
「ダメでも、それだけだ」
その一言に背中を押され。
ダメ元で、登用試験へ応募した。
◇
案の定だった。
面接の場。
並み居る官僚達が、次々と口を開く。
「身元がはっきりしない」
「後ろ盾もない」
「そんな人材、帝国には不要だ」
言葉が、次々と積み重なっていく。
反論する術もなかった。
俯くしかない。
その時だった。
「実力があるなら」
静かな声。
見ると。
いつの間にか、部屋の隅に一人の青年が立っていた。
黄金色の髪。
誰もが、はっと居住まいを正す。
天帝。
その人だった。
「それで、いいだろう」
たった、それだけの一言。
だが。
その場の空気が、一変した。
誰も、異を唱えなかった。
こうして。
リリアナの帝国入りが、決まった。
◇
生まれも。
身分も。
関係なく。
リリアナを、リリアナとして見てくれた。
だからこそ。
リリアナは働いた。
異能研究に、全てを注いだ。
毎日資料と向き合う日々。
朝から晩まで働き続けた。
成果を出して当然。
失敗だけが記憶される。
褒められる事は無い。
労われる事も無い。
それが、恩を返すという事だと思っていた。
だが。
あの日だけは違った。
◇
その日も。
会議室には重苦しい空気が漂っていた。
長机を囲む研究員達。
軍人達。
官僚達。
机の上には大量の資料。
数ヶ月に及ぶ研究結果だった。
リリアナは報告を終える。
異能出力。
個体差。
仮説。
検証結果。
全て説明した。
やがて。
一人の官僚が口を開く。
「以上か」
「はい」
「分かった」
それだけだった。
別の男が資料を手に取る。
「次の研究も進めてくれ」
「予算は維持する」
「ありがとうございます」
リリアナは頭を下げた。
◇
会議終了。
参加者達は席を立つ。
研究成果への感想は無い。
評価も無い。
労いも無い。
それが当たり前のように繰り返される。
◇
リリアナは資料を抱え。
会議室を後にした。
廊下を歩く。
誰もいない。
静かな夜だった。
疲れていた。
ここ数ヶ月。
ほとんど眠っていない。
研究のためだ。
別に苦ではない。
そう思っていた。
曲がり角を曲がる。
そして。
足が止まった。
◇
前方に人影があった。
黄金色の髪。
端正な横顔。
忘れるはずがない。
天帝だった。
リリアナは慌てて頭を下げる。
「陛下」
天帝は振り返り。
徐に。
抱えている資料へ視線を落とした。
「報告は終わったか」
「はい」
短く答える。
天帝は手を差し出した。
「見せろ」
リリアナは一瞬だけ戸惑う。
だが。
すぐに資料を差し出した。
数ページだけざっと目を通す。
それだけだった。
だが。
天帝は全てを理解しているように感じられた。
◇
「よくやった」
リリアナは目を瞬く。
天帝は続けた。
「お前の努力で研究が一歩進んだ」
穏やかな声だった。
事実を述べるような口調。
特別な感情は感じられない。
それでも。
リリアナは言葉を失っていた。
人に褒められた事はある。
評価された事もある。
だが、それは全て。
成果に対してだった。
でも今は違った。
数ヶ月。
眠る時間も削った。
何度も失敗した。
何度もやり直した。
その全てを含めて。
努力ごと認められた気がした。
天帝は資料を返す。
そして。
小さく頷いた。
「ありがとう」
ただ一言。
◇
天帝はそのまま歩き去る。
黄金色の髪が廊下の向こうへ消えていく。
リリアナは動けなかった。
ただ。
その場に立ち尽くす。
気がつけば。
頬が濡れていた。
胸の奥が熱かった。
理由は分からない。
今思えば。
たったそれだけの事だった。
命を救われた訳ではない。
特別扱いされた訳でもない。
何かを与えられた訳でもない。
それでも。
あの日の言葉だけは忘れられなかった。
「よくやった」
「ありがとう」
自分の歩んできた道を、丸ごと認めてくれた人。
その人が。
今、目の前にいる。
◇
「……陛下」
現在。
リリアナは静かに目を閉じた。
陛下は変わらない。
昔も今も。
ただ前を見ている。
だからこそ。
支えたいと思った。
このお方が望む未来を。
実現したいと思った。
例え。
どれだけの罪を背負う事になったとしても。
◇
リリアナはゆっくり目を開く。
天帝は相変わらず書類へ目を通していた。
「報告は以上です」
「そうか」
いつも通りの返事だった。
だが。
リリアナは微かに笑う。
それだけで十分だ。
天帝は気付かない。
あの日の一言が。
一人の少女の人生を変えてしまった事を。
そして。
リリアナ自身も気付いていなかった。
その想いは、今も。
誰にも、届いていない事を。
【第二十二話 父と子】へ続く




