表と裏
帝都の中心部にそびえる巨大な塔――諜報局本部。
アルベルトは、その正面玄関を前にして足を止めた。
軍務局と諜報局。
同じ天帝直属の組織でありながら、その関係は決して近くない。まして、今日の訪問は友好的なものではなかった。
「行くぞ」
アルベルトが短く告げる。
レオンは無言で頷き、父と共に塔へ足を踏み入れた。
◇
諜報局本部の内部は、静かな緊張に包まれていた。
磨き上げられた石床の上を、職員たちが忙しなく行き交っている。規則正しく並んだ机では、膨大な書類の確認や整理が進められていた。
アルベルトの姿に気づいた途端、受付の職員が慌てて立ち上がった。
「ぐ、軍務局長……」
「リリアナに会う」
アルベルトが低い声で告げる。
「申し訳ございません。局長への面会には、事前の許可が必要となっております」
「緊急案件だ」
職員の肩が僅かに震えた。
それでも、簡単に道を譲ろうとはしない。
「ですが、規則ですので……」
アルベルトは何も言わず、職員を見つめた。
額に汗を浮かべながらも職務を果たそうとする姿に、レオンは僅かな同情を覚える。
父が本気で怒っている時の迫力は、息子である自分でも正面から受けたくない。
職員はすぐに上司へ確認を取り、数分後、責任者らしき男を連れて戻ってきた。
「お待たせいたしました。局長がお会いになるそうです」
アルベルトは短く頷き、案内役の男に続いて歩き出した。
◇
塔の最上階。
諜報局長室の重厚な扉を、案内役が叩いた。
「軍務局長アルベルト様と、軍務局長第二側近レオン様をお連れしました」
「入りなさい」
穏やかな声が返ってきた。
扉の向こうには、大きな執務机と壁一面の書架が並び、広い窓から帝都の街並みを一望できた。
その中央に、銀髪の女性が座っている。
諜報局長リリアナ。
二人の突然の来訪にも動じることなく、いつもと変わらない柔らかな微笑みを浮かべていた。
「ようこそ、お二人とも」
アルベルトは挨拶を返さず、持参した資料を執務机へ叩きつけた。
鈍い音が室内へ響く。
「説明しろ」
「何についてでしょう?」
「とぼけるな」
アルベルトの声が低くなる。
レオンは一歩前へ出ると、施設番号の欠落と、二四〇六へ送られていた大量の研究器具や特殊薬品について説明した。
最後に示したのは、輸送許可証の控えだった。
末尾には、諜報局長の署名と印章が残されている。
全てを聞き終えたリリアナは、机に置かれた資料へ静かに目を通した。
「よく、ここまで辿り着きましたね」
その声に、驚きも焦りもなかった。
「さすが首席です。あなたが優秀だという話は、エラスムスからも聞いていました」
レオンは褒め言葉を無視し、リリアナを真っ直ぐ見据えた。
「否定しないのですか」
リリアナは資料から顔を上げる。
「ええ」
僅かな迷いもなく頷いた。
「あの施設の運用を許可したのは、私です」
レオンの表情が強張る。
アルベルトの拳が、音を立てるほど強く握られた。
「民間人を攫い、人体実験の材料にした施設だぞ」
「承知しています」
「何人が苦しんだと思っている」
「把握しています」
「何人死んだ」
「それも把握しています」
アルベルトは机へ両手をつき、リリアナを睨みつけた。
「なら、なぜだ」
リリアナはその怒気を正面から受け止めた。
「それでも、必要だったからです」
局長室が静まり返る。
レオンは、思わず拳を握り締めた。
犠牲を知らなかったのではない。
全てを承知したうえで、リリアナは研究を続けさせた。
「陛下は、結果を求めておられました」
アルベルトの目が細くなる。
「天帝陛下の命令だったと言うつもりか」
「いいえ」
リリアナは即座に否定した。
「陛下は、結果を望まれただけです。どのような方法を用いるか決めたのは、私です」
責任を天帝へ押しつけるつもりはないらしい。
むしろ、犠牲を生んだ方法を選んだ責任は、全て自分にあると言っている。
レオンは一度だけ呼吸を整え、問いかけた。
「共鳴率とは何ですか」
リリアナの視線が、レオンへ向く。
「なぜ、S型やヒノモト王国出身者が研究対象に選ばれたのですか」
さらに一歩、踏み込む。
「あなたたちは、あの施設で何を完成させようとしていたのです」
リリアナはすぐには答えなかった。
施設の存在も、行われた実験も、犠牲者の数も認めた。
だが、共鳴率について問われた時だけ、初めて沈黙した。
「その質問には、お答えできません」
「なぜですか」
「まだ、明かすべき時ではないからです」
「ここまで認めておきながら、まだ隠すのか」
アルベルトが吐き捨てる。
「申し訳ありません。ですが、これ以上はお話しできません」
リリアナは謝罪しながらも、頭を下げなかった。
その態度から、何を言われても答えるつもりがないことだけは伝わってくる。
全てを認めたリリアナが、共鳴率についてだけ口を閉ざした。
それだけで、この研究の中心がどこにあったのかは明らかだった。
アルベルトは今すぐにでも、目の前の女を拘束したかった。
だが、天帝直属である三局は対等な立場にあり、軍務局長であるアルベルトにも、諜報局長を独断で裁く権限はない。
リリアナを裁けるのは、天帝だけだった。
しかし、その天帝が研究の結果を求めていた。
リリアナの行為を正式に追及すれば、その方法を黙認していた天帝の判断にまで踏み込むことになる。
私欲のために行われた犯罪なら、迷う必要はなかった。
だが、リリアナは天帝への忠誠と、帝国のためという信念によって動いている。
それはアルベルト自身が、何より重んじてきたものでもあった。
だからこそ、許すことも、即座に切り捨てることもできなかった。
長い沈黙の末、アルベルトは机から手を離した。
「この件は、これで終わりではない」
「承知しています」
リリアナは静かに答えた。
「行くぞ、レオン」
「……はい」
二人はリリアナへ背を向け、局長室を後にした。
◇
塔の廊下を歩きながら、レオンは答えの得られなかった問いについて考えていた。
共鳴率とは何を示す数値なのか。
なぜ、S型やヒノモト王国出身者が集められたのか。
そして、天帝が求めている結果とは何なのか。
その時、廊下の向こうから一人の男が歩いてきた。
柔らかな笑みを浮かべた、穏やかな顔立ちの男。
諜報局長第一側近、ユリウスだった。
最近まで長期任務に出ており、帝都へ戻ったという話だけは聞いていた。
ユリウスもレオンに気づき、僅かに目を見開いた。
「お久しぶりですね」
「お久しぶりです」
レオンも軽く会釈する。
ユリウスはアルベルトへ向き直った。
「アルベルト局長。ご無沙汰しております」
「戻ったと聞いている」
「はい。ようやく帰ってこられました」
ユリウスは微笑んだまま、レオンが抱えている資料へ一瞬だけ視線を落とした。
ほんの僅かな動きだった。
すぐに顔を上げた時には、表情に何の変化も残っていない。
「リリアナ様へ任務の報告がありますので、これで失礼いたします」
ユリウスは二人の横を通り過ぎ、局長室の扉を叩いた。
「入りなさい」
中からリリアナの声が返ってくる。
扉が開き、ユリウスの姿が部屋の中へ消えていった。
何もおかしなことはなかった。
諜報局の人間が、見慣れない資料へ目を向けただけだ。
それでもレオンは、資料の角が腕へ食い込むほど、抱える力を緩められなかった。
【第二十一話 アイドル】へ続く




