消された記録
NKJが平穏な時間を過ごしている頃。
帝都では――。
◇
統天帝国軍。
軍務局本部。
レオンは執務室の机へ資料を広げていた。
人体実験施設から回収された資料。
それらを改めて分析していた。
レオンは一枚の資料を手に取る。
共鳴率。
「……共鳴率とは何だ」
ただの個体差。
そう思っていた。
だが。
研究資料には、どの被験者にも必ず共鳴率が記載されている。
ここまで徹底して記録する以上。
何らかの意味があるはずだった。
レオンは羊皮紙を取り出した。
共鳴率の高い被験者を書き出す。
21%
16%
22%
血液型はS型の者が目立つ。
今度は低い被験者を確認する。
4%
1%
3%
こちらは逆にS型の者が極端に少ない。
レオンは羊皮紙へ一行だけ書き加えた。
『共鳴率と血液型には強い相関がある』
ペンを置く。
「共鳴率……」
静かな保管室に声が落ちた。
「君は、一体何を示している」
レオンは資料を閉じた。
これ以上は調べようがない。
ならば。
次に調べるべきは一つ。
「この研究は、何を目的としていたのか」
人体実験施設。
レオンは立ち上がった。
◇
レオンは軍務局の記録保管庫を訪れた。
巨大な石造りの地下保管庫。
無数の棚が並び。
そこには帝国軍の歴史そのものが眠っている。
軍施設登録簿。
建設許可記録。
補給記録。
人員登録簿。
レオンは次々と資料を取り出した。
人体実験施設の痕跡を探すためだ。
まずは施設登録簿を開いた。
人体実験施設が存在していた地域を調べる。
ページをめくる。
だが。
「……無い」
施設登録簿にも。
建設許可にも。
補給記録にも。
人体実験施設の痕跡だけが存在しない。
「あり得ない……」
あれほど巨大な施設だ。
建設には資材が必要だ。
人員も。
食料も。
医薬品も。
何一つ記録が残らないはずがない。
そこで。
レオンの思考が止まる。
(……いや違う)
本当に記録が無いのか。
軍という組織は全て番号で管理する。
施設も。
人員も。
補給も。
ならば——。
記録そのものが破棄されているのだとしたら。
レオンは施設番号へ目を向けた。
二四〇三。
次は二四〇七。
「……欠番?」
その瞬間だった。
「記録が無いんじゃない」
「消されているのか」
レオンは羊皮紙へ欠番を書き出していく。
数は増え続けた。
(……多すぎる)
ペンを握る手が、微かに冷えているのに気付いた。
施設一つではない。
人員。
補給。
建設。
何かの計画の痕跡を丸ごと消している。
そうとしか思えなかった。
◇
欠番になっている記録の前後を調べていた時だった。
レオンの手が止まる。
ある補給記録。
大量の医薬品。
研究器具。
特殊薬品。
輸送先そのものは伏せられている。
だが。
配送地域が一致していた。
人体実験施設が存在していた場所と。
レオンは発注元へ視線を落とす。
そこで。
(見つけた)
帝国軍諜報局局長のサイン。
静かな保管庫に沈黙が落ちる。
軍務局ではない。
諜報局。
人体実験施設。
二つの点が繋がった。
◇
レオンはゆっくり息を吐く。
そして次の資料へ手を伸ばした。
その時。
「そこまで辿り着きましたか」
突然。
背後から声がした。
レオンは振り返る。
そして。
僅かに目を細める。
「君ですか」
そこに立っていたのは。
諜報局局長第二側近。
エラスムスだった。
◇
「お久しぶりです」
エラスムスは軽く頭を下げた。
「首席は相変わらず優秀ですね」
「次席に言われても然程嬉しくありません」
レオンが返す。
学生時代から変わらないやり取りだった。
二人の価値観が一致した事は一度も無い。
だが。
互いの能力だけは認めていた。
◇
エラスムスはレオンの手元へ視線を向ける。
机の上には羊皮紙が広がっている。
欠番の一覧。
補給記録。
施設周辺の情報。
「施設を調べているんですね」
レオンは目を細める。
「何をしに来たんです」
「忠告です」
エラスムスは即答した。
「やめておきなさい」
保管庫に静寂が落ちる。
レオンは何も言わない。
エラスムスは続けた。
「あなたは優秀です」
「だから辿り着いてしまう」
「そして」
少しだけ言葉を選ぶ。
「あなたの性格上」
「その先を知れば苦しむでしょう」
脅しではなかった。
むしろ。
本気でそう思っている声だった。
だからこそ。
レオンは違和感を覚える。
「君は何を知っているんですか」
「何も知りませんよ」
「信用できません」
「でしょうね」
エラスムスは否定しない。
眼鏡を押し上げる。
「私はあなたが好きではありません」
レオンは小さく息を吐いた。
「知っています」
「学生時代から何度も聞きました」
エラスムスは頷く。
「あなたとは価値観が違いすぎる」
「理想論ばかり語る」
「正直面倒な人です」
「随分な言い方ですね」
「事実ですから」
ためらいなく答えた。
◇
しばらく沈黙が続く。
やがて。
レオンが口を開いた。
「ここに来たのは誰の指示ですか」
エラスムスの動きが僅かに止まる。
「あなたはいつも言っていたでしょう」
『上司命令ですから』
『私に言われましても』
エラスムスは少しだけ視線を逸らした。
珍しく苦笑する。
「今回は違います」
「上司命令ではありません」
レオンが眉を上げた。
「珍しいですね」
「そうですか?」
「ええ」
「あなたが自分の意思で動くとは思いませんでした」
エラスムスは肩を竦めた。
「同窓のよしみですよ」
「それだけです」
そして。
踵を返す。
「忠告はしました」
「後はあなたの自由です」
それだけ言い残し。
エラスムスは保管庫を後にした。
◇
レオンはしばらくその場に立ち尽くしていた。
全ての点が一つに繋がり始めている。
今すぐ諜報局へ向かうべきか。
レオンは考える。
(リリアナ局長本人に直接問い正すか)
それが最も早い。
◇
レオンは歩き出した。
向かう先は諜報局本部。
だが。
途中で足が止まる。
(……悪手ですね)
深く深呼吸をして。
冷静になる。
今の自分は軍務局局長側近。
諜報局長へ直接事情聴取する権限は無い。
それは調査ではなく越権行為だ。
感情で動くな。
正しい手順を踏め。
それが軍人だ。
そして。
自分には上官がいる。
報告すべき相手がいる。
レオンは進路を変えた。
諜報局ではない。
軍務局局長室だった。
◇
局長の執務室。
アルベルトは机の前で書類へ目を通していた。
扉が叩かれる。
「入れ」
低い声が響く。
レオンが入室した。
表情は真剣そのものだった。
アルベルトは息子を見る。
「どうした」
「報告があります」
その一言で。
ただ事ではないと理解した。
◇
レオンは資料を机へ置く。
「人体実験施設についてです」
アルベルトは無言で資料を手に取った。
ページをめくる。
さらに一枚。
部屋には紙をめくる音だけが響いていた。
やがて。
アルベルトの手が止まる。
「……諜報局か」
低い声だった。
レオンが頷く。
「補給記録から判明しました」
「施設との直接的な関係は不明です」
「ですが」
「無関係とは思えません」
アルベルトは資料を閉じた。
ドン。
鈍い音が執務室へ響く。
「ふざけるな」
怒りだった。
人体実験。
民間人誘拐。
違法研究施設。
どれ一つとして許容できない。
まして。
帝国内部の組織が関与していた可能性がある。
「どうしますか」
レオンが尋ねる。
アルベルトは立ち上がった。
迷いは無い。
「聞きに行く」
軍服を整え。
そして歩き出す。
「諜報局へだ」
【第二十話 表と裏】へ続く




