続ける者
いつもの朝。
NKJ本部の庭には木刀の音が響いていた。
ザン。
ザン。
ザン。
一定の速度。
一定の軌道。
アビスは黙々と木刀を振り続けている。
汗が額を流れる。
だが止まらない。
ただひたすらに。
何も考えず。
何千回も繰り返した動作を続けていた。
◇
少し離れた縁側。
鬼龍神は湯呑みを片手にその様子を眺めていた。
まだ顔が少し腫れている。
(朝からやってるな……)
もう随分前から振っている。
誰かに命令された訳でもない。
報酬が出る訳でもない。
それなのに続けている。
鬼龍神には分からなかった。
「見てたんですか?」
声がした。
のぶおだった。
「まぁな」
のぶおも庭を見る。
「アビスさんですか?」
「ああ」
アビスは変わらず木刀を振っていた。
「毎日ですよ」
「毎日?」
鬼龍神が眉を上げる。
「雨の日も」
「風の日も」
「休みの日も」
「熱があってもやってます」
鬼龍神は少し引いた。
「変な奴だな」
のぶおが小さく笑う。
「本人に言うと喜びますよ」
「言わん」
即答した。
◇
「鬼龍神ー!」
元気な声が飛んでくる。
日御子だった。
鬼龍神は嫌そうな顔をした。
「変なのが来た」
「変なのって何ですの!」
日御子は頬を膨らませた。
「何だ」
「暇ですの?」
「暇だ」
「訓練しませんの?」
「しない」
「探索ですの?」
「行かん」
「お茶ですの?」
「今飲んでる」
鉄壁だった。
日御子は更にむぅと頬を膨らませる。
「せっかく仲間になったんですの」
「もっと交流するべきですの」
「十分してる」
鬼龍神は真顔だった。
まだ入隊して二日目である。
それなのに既に一ヶ月分くらい交流した気がする。
◇
そんなやり取りをしていると。
庭の方からアビスが歩いてきた。
額には汗。
だが表情は変わらない。
鬼龍神は何となく聞いた。
「何本振った?」
「千本です」
沈黙。
「何本て?」
「千本です」
「毎日か?」
「毎日です」
日御子も少し引いていた。
「多いですの」
「そうですか?」
本人は不思議そうだった。
鬼龍神は思わず聞く。
「楽しいのか?」
アビスは少し考えた。
そして首を横に振る。
「楽しくはありません」
即答だった。
鬼龍神は余計に分からなくなる。
「じゃあ何でやる」
アビスは木刀を見る。
しばらく考えてから答えた。
「強くなりたいので」
それだけだった。
鬼龍神は眉をひそめる。
「何でだ」
アビスが顔を上げる。
「何でって」
「そこまで強くなりたい理由だ」
アビスは少しだけ考えた。
そして静かに答える。
「弱いからです」
鬼龍神は首を傾げた。
「別にいいだろ」
アビスが不思議そうな顔になる。
「何がですか」
「弱くても、だ」
鬼龍神は肩を竦めた。
「誰だって全部出来る訳じゃねぇ」
「向いてない事もある」
「諦めた方が楽な事もある」
本音だった。
《迅雷》を使えば老ける。
戦えば戦うほど。
時間を削る。
だから鬼龍神は必要以上に頑張らない。
必要以上に戦わない。
そう生きてきた。
だが。
アビスは首を横に振った。
「でも」
静かな声だった。
「諦めたら届かないので」
鬼龍神は黙る。
「アイザックさんには届かない」
「のぶおさんにも届かない」
「鬼龍神さんにも届かない」
「だから続けています」
淡々としていた。
自虐ではない。
ただ事実を言っているだけだった。
鬼龍神には理解できなかった。
(届かないなら諦めればいい)
(別の道を探せばいい)
実際そうしてきた。
だが。
目の前の男は違う。
届かないから続ける。
その発想自体が理解できなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて鬼龍神が立ち上がった。
「アビス」
「はい」
鬼龍神は近くに立て掛けてあった木刀を手に取る。
「ちょっと来い」
アビスが首を傾げる。
「手合わせだ」
アビスの目が僅かに見開かれた。
鬼龍神と。
手合わせ。
日御子が即座に反応する。
「始まりましたの!」
鬼龍神は露骨に嫌そうな顔をした。
◇
訓練場。
アビスと鬼龍神が向かい合う。
周囲にはいつの間にか仲間達が集まっていた。
ポリアンナ。
ふぉろんたいご。
ふるーる
咲夜姫。
アイザック。
のぶお。
もりやん。
幹部全員である。
「賭けますの?」
「賭けたらいけません」
ふぉろんたいごがため息をついた。
◇
アビスは木刀を構える。
鬼龍神は肩に木刀を担いだまま。
やる気が無さそうだった。
「先に言っとく」
鬼龍神が言う。
「異能は使わない」
アビスは頷いた。
当然だった。
力量差は分かっている。
それでも。
戦ってみたかった。
◇
「始め」
日御子が勝手に宣言した。
次の瞬間。
アビスが地面を蹴る。
鋭い踏み込みだった。
普段の鍛錬が見える。
迷いの無い一撃。
木刀が鬼龍神へ向かう。
だが。
鬼龍神は半歩下がった。
それだけだった。
木刀が空を切る。
「……え?」
日御子が瞬きをした。
鬼龍神は動いていないように見えた。
だが。
確かに避けている。
アビスはすぐに二撃目へ繋げた。
横薙ぎ。
突き。
袈裟斬り。
連続攻撃。
鬼龍神は木刀すら使わない。
半歩。
一歩。
僅かな体重移動だけで全て避けていく。
「すご……」
咲夜姫が思わず呟いた。
のぶおが腕を組む。
「上手い」
アイザックも頷く。
「速さじゃねーな」
「経験だ」
◇
アビスの額から汗が流れる。
当たらない。
まるで当たる気がしない。
だが。
止まらない。
再び踏み込む。
鬼龍神は木刀の腹で軽く受け流した。
そのまま。
コツン。
額を叩く。
アビスが尻餅をついた。
「いてっ」
「ほら」
鬼龍神が言う。
「終わりだ」
アビスは立ち上がった。
「まだです」
鬼龍神は眉を上げる。
「まだやるのか」
「はい」
迷わず答えた。
◇
再び始まる。
倒される。
立つ。
倒される。
また立つ。
最初は笑っていたアイザック達も。
途中から黙っていた。
一方的だった。
勝負ですらない。
実力差は明らかだった。
◇
鬼龍神は内心で思う。
(まだまだ弱い)
(主力組には全く届かない)
(技術も、経験も、判断力も)
(今のアビスでは足りない)
普通は折れる。
諦める。
嫌になる。
投げ出したくなる。
それが普通だ。
それでも。
アビスは立つ。
ただ黙って。
木刀を握り直す。
◇
鬼龍神は知っていた。
才能のある人間を。
怪物を。
天才を。
何人も見てきた。
だが。
続けられる人間は少ない。
才能は枯れる。
情熱は冷める。
夢は終わる。
大抵は途中で止まる。
(こいつは違う)
(勝てなくても)
(届かなくても)
(認められなくても)
(止まらない)
鬼龍神には理解できなかった。
なぜそこまで出来るのか。
自分とは真逆だ。
面倒な生き方だと思う。
(俺には無理だ)
(だからこそ)
(いつか本当に化けるなら)
(こういう奴なのかもしれない)
◇
やがて。
アビスが膝をつく。
肩で大きく息をしている。
腕も震えていた。
限界だった。
鬼龍神は木刀を肩に担ぐ。
「終わりだ」
アビスは立とうとする。
足が震える。
それでも立とうとする。
鬼龍神はため息を吐いた。
「そこまでだ」
アビスが顔を上げる。
「お前」
「はい」
「今は弱い」
断言した。
「でもな」
少しだけ視線を逸らした。
こういう事を言うのは苦手だった。
「止まらない奴は嫌いじゃねぇ」
アビスの目が僅かに見開く。
「続けろ」
鬼龍神は背を向ける。
「続けてりゃ」
「そのうちなれる」
沈黙。
アビスはしばらく立ち尽くしていた。
木刀を握り直す。
そして。
小さく頭を下げた。
「……はい」
鬼龍神は振り返らなかった。
だが。
少しだけ笑っていた。
◇
鬼龍神は去った。
日御子達も少しずつ訓練場を後にする。
「お昼ですの」
「飯だコラー!」
「今日は何ですかね」
賑やかな声が遠ざかっていく。
一人だけ。
その場に残る者がいた。
◇
先程までの手合わせが嘘のように静かだった。
アビスは木刀を構える。
腕は重い。
足も痛い。
身体中が悲鳴を上げていた。
それでも。
木刀を下ろさない。
鬼龍神の言葉が頭をよぎる。
『今は弱い』
(その通りだ)
(今日の手合わせで、嫌というほど思い知らされた)
まだ遠い。
今の自分では届かない。
だとしても。
アビスは木刀を振る。
ザン。
乾いた音が響く。
もう一度。
ザン。
そして。
また一度。
近道は無い。
才能も無い。
だから続ける。
それしか知らない。
それしか出来ない。
木刀が振られる。
一回。
また一回。
変わらない。
昨日と同じ。
きっと明日も同じ。
だが。
鬼龍神は知っている。
止まらない人間が。
時に才能より恐ろしい事を。
そして。
その積み重ねが。
いつか誰も予想しない場所へ辿り着く事を。
【第十九話 消された記録】へ続く




