その男、迅雷につき
翌朝、NKJ本部ではいつものように朝食の準備が進んでいた。
「帰ってきた」
窓の外を眺めていたもりやんが呟く。
「おい、またかよ」
アイザックが露骨に嫌そうな顔をした直後、本部の扉が開いた。
「フヒヒ……お金……」
外出から戻ってきたふぉろんたいごは、両腕で古びた石の胸像を抱えていた。
人の上半身を模しているらしいが、表面は黒ずみ、ひび割れた顔には妙に生々しい目が刻まれている。
「朝から何だ、それ」
加入したばかりの鬼龍神が、露骨に顔をしかめる。
「また変なの拾ってきた」
もりやんが呟いた。
「今度は何すか、それ」
アイザックも眉をひそめる。
「お宝です」
ふぉろんたいごは真顔だった。
「絶対に違いますの」
日御子が即答する。
だが、ふぉろんたいごは胸像を大事そうに撫で、満足げに頷いた。
「うふふ……億万長者……」
団員たちは、揃って胸像から距離を取った。
◇
昼を過ぎた頃、NKJ本部の庭に仲間たちが集められた。
「というわけで、鬼龍神さんの歓迎会を始めますの」
日御子が腕を組み、堂々と宣言する。
「模擬戦が歓迎会なのか?」
鬼龍神が呆れた声を出した。
「仲間の強さを知るのは大切なことですの」
「お前らの組織、怖いな」
「今更だろ」
アイザックが笑う。
訓練場へ向かう途中、アイザックが隣を歩く鬼龍神へ目を向けた。
「そういや、お前いくつなんだ?」
「三十二」
何気なく返された答えに、全員が足を止めた。
「え?」
日御子も固まる。
「三十二歳ですの?」
「そうだ」
「四十代かと思っていましたの」
鬼龍神の額に青筋が浮かんだ。
「おい」
「私も思った」
もりやんが頷く。
「お前もか」
のぶおも困ったように笑った。
「正直、もう少し上かと」
「お前まで!?」
「皆さん、失礼ですよ!」
咲夜姫が慌てて止めに入る。
「別に気にしてない」
鬼龍神はそう答えたが、頬が僅かに引きつっていた。
アイザックが首を傾げる。
「何でそんなに老けてんだ?」
鬼龍神は深いため息を吐いた。
「俺の異能のせいだ。《迅雷》を使うと老ける」
全員の視線が集まる。
「……ん?」
「だから、《迅雷》を使うと老けるんだよ」
「どうしてですの?」
「自分の時間を加速して動いてるからな。その分、早く歳をとるってわけだ」
日御子が真顔で呟く。
「可哀想ですの」
「他人事だな」
「他人ですの」
正論だった。
鬼龍神は頭を抱えた。
「戦うたびに老けてたら、たまったもんじゃねぇ」
「じゃあ、戦わなければいいんじゃねぇの?」
「だから働きたくねぇんだよ」
「確かに」
アイザックは妙に納得した顔で頷いた。
やがて訓練場へ到着すると、鬼龍神は嫌な予感を覚えながら日御子を見た。
「では、始めますの!」
案の定、日御子は嬉しそうに胸を張っている。足元では、ノワも尻尾を立てていた。
「勝手に始めるな」
「鬼龍神さんの実力確認ですの。仲間になった以上、必要なことですの」
もっともらしい理由だった。
だが、日御子の本音は別にある。
(純粋に見てみたいですの)
(鬼龍神さんが、どれほど強いのか)
結局、訓練場の中央へ立ったのは、鬼龍神、アイザック、のぶおの三人だった。
周囲には仲間たちが集まり、調理場の窓からは、ふるーるが顔を覗かせている。庭で修行していたアビスも素振りの手を止め、三人へ視線を向けていた。
「二対一ですか?」
咲夜姫が首を傾げる。
「違いますの。三つ巴ですの」
日御子の答えを聞き、咲夜姫は僅かに頬を引きつらせた。
絶対に、ろくなことにはならない。
◇
屋外訓練場の中央で、鬼龍神とのぶおが木刀を構えた。
アイザックは手甲をつけ、二人から少し距離を取って立っている。
誰も動かない。
一陣の風が吹き抜け、乾いた地面から砂埃が舞い上がった。
最初に動いたのは、鬼龍神だった。
地面を蹴った瞬間、その姿が消える。
「速っ!?」
日御子が目を見開いた時には、鬼龍神はすでに数メートル先まで移動し、アイザックの懐へ迫っていた。
「なるほど。そういうタイプか」
アイザックが笑い、拳へ熱を集める。
直後、二人の間で炎が弾けた。
轟音とともに熱風が訓練場を吹き抜けたが、その時にはもう鬼龍神の姿は炎の外側にある。
そこへのぶおが踏み込んだ。
唸りを上げて迫る木刀を、鬼龍神は紙一重でかわす。そのまま返す木刀をのぶおの肩へ振り下ろした。
刹那、蒼銀の障壁が二人の間へ現れる。
鈍い音が響き、鬼龍神の木刀が弾かれた。
「おお」
鬼龍神が感心したように目を細める。
「お前、硬いな」
「ありがとうございます」
のぶおが笑った瞬間、横から炎が襲いかかった。
「おい!」
「避けろ!」
アイザックは悪びれる様子もない。
「三つ巴なんだろ?」
鬼龍神とのぶおが同時に飛び退き、二人をまとめて狙った炎が地面を焼いた。
「そりゃそうだ」
鬼龍神は愉快そうに笑う。
最初の攻防を見届けたポリアンナが、小さく息を漏らした。
「想像以上ですね」
咲夜姫も目を見開いている。常人では視線を向けることすら難しい速度だった。
鬼龍神は木刀を肩へ担ぎ、面倒そうに息を吐いた。
「これ以上、老けたくはねぇんだけどな」
そうぼやきながら、再び地面を蹴った。
鬼龍神の姿が揺らぎ、訓練場の各所で砂埃が立て続けに舞い上がる。一か所へ目を向けた時には、すでに別の場所へ移っていた。
それでも、アイザックは楽しそうに笑っていた。
「やっぱりな」
鬼龍神が足を止めずに問い返す。
「何がだ?」
「お前、避ける時は広い方へ抜ける癖がある」
鬼龍神が眉をひそめた直後、アイザックが炎を放った。
扇状に広がった炎が逃げ道を塞ぐ。鬼龍神は僅かに開いた空間へ滑り込んだ。
「待っていました」
そこに、のぶおが立っていた。
振り抜かれた木刀が、鬼龍神の頬を浅く掠める。
鬼龍神は大きく距離を取り、驚いたように頬へ触れた。
「今の、当てるつもりだったのか?」
「アイザックさんが、そちらへ撃ちましたからね」
のぶおは穏やかに笑う。
「当たると思ったんだけどな」
アイザックも肩を竦めた。
「お前ら、俺とは初対面だよな?」
鬼龍神の口元が、不敵に吊り上がる。
次の瞬間、風が弾けた。
先ほどまでとは明らかに違う。鬼龍神の姿が残像を残し、足元から巻き上がった砂埃が遅れて後を追う。
本来なら、これ以上《迅雷》を使う理由はなかった。
動き続けるほど、自分の時間が失われていく。それでも鬼龍神は、久しぶりに感じる高揚を抑えられなかった。
「そう来るよな!」
アイザックが次々と炎を放つ。
当てるためではない。炎によって進路を狭め、鬼龍神の向かう先を限定している。
鬼龍神が避けるたび、その先へのぶおの木刀が待ち構えていた。
一度、二度、三度。
鬼龍神は全て紙一重でかわしたが、ついに大きく後退した。
「すごい……」
咲夜姫が思わず呟く。
鬼龍神は頬の傷を指で拭い、楽しそうに笑った。
「なるほど。お前ら、本当に面白いな」
今度は一直線に、のぶおへ迫った。
「私ですか」
のぶおが木刀を構える。
鬼龍神は正面から振り下ろされた木刀をかわし、その背後へ回り込んだ。振り返るより早く、木刀を薙ぎ払う。
だが、《絶界守護》による障壁が攻撃を弾いた。
同時に、アイザックの炎が横から迫る。
鬼龍神が身を沈めると、炎はそのままのぶおへ向かった。
「おっと」
のぶおは即座に障壁の向きを変え、炎を受け止める。
鬼龍神はその隙にのぶおの背後へ回り込み、アイザックとの間へ立たせた。
「なるほどな」
アイザックが笑う。
「今度は、のぶおを盾に使う気か」
「三つ巴なんだろ?」
鬼龍神も不敵に笑った。
「そうこなくっちゃな!」
訓練場のあちこちで炎が爆ぜ、地面が抉られていく。
鬼龍神が二人の間を駆け抜け、木刀を振るう。のぶおは障壁で攻撃を受け止めながら、隙を見つけて反撃する。そこへアイザックの炎が敵味方の区別なく降り注いだ。
誰も引かない。
いつの間にか、全員が本気に近い動きになっていた。
「模擬戦だよね、これ?」
もりやんが呟く。
「多分……」
咲夜姫も自信がない。
鬼龍神が地面を蹴り、アイザックの正面へ飛び込んだ。
「おら、来いよ!」
アイザックが迎え撃ち、その横からのぶおが木刀を振るう。
日御子は完全に観戦へ夢中になっていた。
「良いですのー!」
興奮のあまり、鼻息まで荒くなっている。
もはや模擬戦と呼べない勢いに、咲夜姫が心配そうに声を上げた。
「皆さん、そろそろ休憩にしませんか?」
だが、激しい衝撃音に掻き消され、誰の耳にも届かない。
咲夜姫はもう一度、大きく息を吸った。
「鬼龍神さん!」
その瞬間、鬼龍神が動きを止めた。
「はい!」
反射的に咲夜姫へ顔を向ける。
しかし、アイザックとのぶおは、すでに攻撃へ入っていた。
アイザックは咄嗟に拳の熱を散らし、のぶおも木刀を引こうとしたが、二人とも勢いまでは殺せない。
振り抜かれた拳と木刀が、偶然とは思えないほど綺麗なタイミングで、鬼龍神の顔面へ同時に突き刺さった。
ゴッ!!
鈍い音とともに、鬼龍神が数メートル先まで吹き飛ばされた。
地面を何度も転がり、仰向けになったまま動かなくなる。
訓練場が静まり返った。
日御子が不思議そうに首を傾げる。
「わりと弱いですの?」
「違いますよ!」
のぶおが慌てて否定した。
「今のは事故です!」
「でも、あそこに転がっていますの」
「だから事故だって言ってんだろ!」
アイザックも声を上げる。
当の鬼龍神は空を見つめたまま、何が起きたのか理解できずにいた。
「鬼龍神さん、大丈夫ですか!?」
咲夜姫が慌てて駆け寄る。
その声を聞いた途端、鬼龍神の身体が跳ねた。
「だだだ大丈夫です」
即答だった。
鼻血を流しながら平静を装う鬼龍神を、咲夜姫が申し訳なさそうに覗き込む。
散々な目に遭ったはずなのに、不思議と悪い気分ではなかった。
◇
少し離れた場所で、アビスは木刀を握ったまま立ち尽くしていた。
模擬戦を終え、笑い合う仲間たち。アイザックとのぶおは鬼龍神へ謝りながら、その肩を叩いている。訓練場には、いつまでも賑やかな声が響いていた。
アビスは遠い世界を見るように、その光景を見つめていた。
楽しそうだった。
眩しかった。
気づけば、木刀の柄を握る手に力が入っている。
やがてアビスは仲間たちから視線を外し、再び一人で木刀を振り始めた。
「……いいな」
誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟きながら。
【第十八話 続ける者】へ続く




