誘惑
被害者たちの移送は、滞りなく進んでいた。
近隣の村へ到着すると、医師たちが負傷者の状態を確認し、帝国兵が食料と水を配り始める。衰弱していた人々も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「そちらの方は担架を!」
「こちらは処置が終わりました!」
慌ただしく動く帝国兵たちを眺め、ポリアンナは小さく息を吐いた。
(ひとまず、被害者の方々は無事ですね)
少し離れた場所では、レオンが施設から持ち出した資料へ目を通していた。ポリアンナと咲夜姫も傍へ寄り、別の資料を開く。
被験者番号、血液型、出生地、共鳴率。
咲夜姫は机の上へ幾つもの資料を広げ、その全てへ目を走らせた。両眼に淡い光が宿る。
《千羽思考演算》。
幾つにも分けた思考で、血液型、出生地、共鳴率を同時に照合していく。
「やはり、偏っています」
咲夜姫は資料の一つを指さした。
「一万人に一人とされるS型が、記録の中には何人もいます。出生地もヒノモト王国へ集中しています」
別の資料を開いても、同じ傾向が続いていた。
「偶然ではありませんね」
ポリアンナが呟くと、咲夜姫も頷いた。
「ええ。何らかの条件を満たした人たちが、研究対象に選ばれたのでしょうか?」
「おそらくは。ですが、その条件と共鳴率がどう関係するのかまでは分かりません」
ポリアンナは資料を閉じた。
「軍務局でも調査を続けます」
レオンが資料から顔を上げる。
「被害者たちは、責任を持って保護します」
「まだ信用したわけではありませんよ」
「承知しています」
レオンは真顔で答えたが、そのやり取りに敵意はなかった。少なくとも今は、互いに優先すべき相手がいる。救出された被害者たちだった。
やがて移送と引き渡しを終え、ポリアンナたちは帝国軍と別れた。その背中を見送ったレオンは、手元の資料を強く握り締める。
「必ず、首謀者を見つける」
誰に聞かせるでもない声には、確かな決意が込められていた。
◇
その頃、日御子たちは山道を歩いていた。
虎のような男は、鬼龍神と名乗った。
「働きませんの?」
「働かん」
日御子の勧誘に対し、鬼龍神は迷うことなく答える。
「ご飯もありますの」
「食える」
「仲間もできますの」
「いらん」
あまりにも迷いのない答えに、日御子は頭を抱えた。
「才能の無駄遣いですの……」
「勝手に言え」
「優秀な人材を見つけたのに、声もかけずに帰す軍師はいませんの」
「俺を巻き込むな」
そう言いながらも、鬼龍神は負傷したユールの歩調に合わせ、二人と同じ道を進んでいた。
それから数分もしないうちに、日御子がまた同じ言葉を口にした。
「働きませんの?」
「働かん」
まったく同じやり取りを眺めながら、ユールは空を仰いだ。もう何度目になるのか分からない。
「まだ続けるんですか?」
「当たり前ですの」
日御子は真顔だった。
普通なら、ここまでしつこく勧誘されれば怒るか、無視して立ち去るだろう。それでも鬼龍神は、そのたび律儀に返事をしていた。
「優しい人ですね」
ユールが言うと、鬼龍神が眉をひそめた。
「どこがだ」
「嫌なら無視して帰ればいいのに、毎回答えてくれていますから」
日御子も納得したように頷く。
「確かにですの」
「そうか?」
本人だけが腑に落ちない顔をしたまま、山道を歩き続けていた。
そんなやり取りを続けているうちに、森の中に建てられたNKJ本部が見えてきた。
「帰ってきましたの」
日御子が声を上げると、館から飛び出してきた黒猫が、当然のようにその肩へ飛び乗った。
「にゃあ」
「ただいまですの」
鬼龍神は足を止め、古びた館を見上げる。
「ここがお前らの拠点か」
「そうです。良い場所ですの」
「ほう」
興味があるのかないのか、よく分からない返事だった。
◇
ポリアンナたちは、すでに本部へ戻っていた。庭では、一人の青年が黙々と木刀を振っている。
「アビス、今日も修行?」
もりやんが声をかけても、青年――アビスは素振りを止めなかった。
「僕には戦いの才能がありませんから、人より多く修行するしかないんです」
その時、入口の方から聞き覚えのある声が響いた。
「せめて、お茶だけでもどうですの?」
「飲まん」
「お茶だけですの」
「帰る」
アイザックが声のした方へ振り返る。
「……何やってんだ、あいつ」
「帰ってきたと思ったら、勧誘してる。しかも断られてる」
もりやんも入口へ目を向けた。
「誰だ、あれ」
咲夜姫は少し困ったように笑う。
「日御子さんらしいですね」
全員が入口へ向かうと、そこには必死に食い下がる日御子と、うんざりした鬼龍神、苦笑しているユールがいた。
「帰りましたの!」
日御子が元気よく手を振る。
「おう」
アイザックはユールを見て、眉を上げた。
「なんで逃げた奴がいるんだ?」
「落ちていたので、途中で拾いましたの」
「言い方ぁ!」
ユールは即座に抗議した。
「まあ、そういうこともあるか。それで、こっちの男は?」
アイザックが鬼龍神へ視線を向ける。
「道中で助けてくださった鬼龍神さんですの。とても強かったので、勧誘していますの」
「断っている」
鬼龍神がすぐさま訂正したが、日御子は気にすることなく続ける。
「強いですの。だから必要ですの」
「嫌だ」
やはり返答は早かった。
アイザックが面白そうに笑う。
「なんか面白そうな奴じゃねぇか」
「面白くない。帰りたい」
「でしたら、せめてお茶だけでもいかがですか?」
咲夜姫が穏やかに微笑んだ。
その瞬間、鬼龍神が固まった。
先ほどまで何を言われても即座に返していた男が、口を半開きにしたまま咲夜姫を見つめている。
「どうしました?」
咲夜姫が不思議そうに首を傾げる。
「……いや、その」
鬼龍神は慌てて視線を逸らし、咳払いした。
「お茶くらいなら」
日御子が目を見開く。
「私の努力が実りましたの!?」
「お茶だ」
鬼龍神は真顔を装った。
「入隊するとは言っていない」
「では、お茶ですの!」
日御子が勝手に話を進める傍らで、ユールだけは全てを察していた。
しばらく後、食堂のテーブルにはお茶と菓子が並べられていた。
鬼龍神は居心地が悪そうに座っている。向かいには咲夜姫、その隣には日御子がいた。
「どうぞ」
咲夜姫から差し出された茶を、鬼龍神が両手で受け取る。
「ありがとうございます」
カップが受け皿に触れ、カチャカチャと音を立てていた。
「美味しいですか?」
「お、おおお美味しいです」
声まで上ずっている。
「良かったです」
咲夜姫が微笑むと、鬼龍神は耳まで赤くして顔を逸らした。
その間に肩の傷へ応急処置を受けたユールが、静かに席を立つ。
「それでは、私は失礼します」
日御子が振り返った。
「ユールさんは働きませんの?」
「遠慮しておきます。私には、ほかにやることがありますので」
ユールは苦笑した。
(それに……)
「また会いましょう」
咲夜姫に声をかけられ、ユールは穏やかに頷く。
「ええ。またお会いしましょう」
そう言い残し、食堂を出ていった。
それからも日御子の勧誘は続いたが、鬼龍神は頑なに断り続けた。
「根比べか?」
アイザックが笑う。
「多分そう」
もりやんも苦笑していた。
鬼龍神は頭を抱えながらも席を立とうとはしない。咲夜姫を無意識に目で追っていた。
(本当に帰りたい)
(でも咲夜姫がいる)
(帰れない)
そんな感情が頭の中で戦っていた。
「鬼龍神さん」
「はい」
神速の反応だった。
アイザックが堪えきれずに吹き出す。
「お前、分かりやすすぎるだろ」
「何の話だ」
鬼龍神は真顔で押し通した。
「もし良ければ、今後も遊びに来てくださいね」
咲夜姫の言葉に、鬼龍神が再び固まる。数秒の沈黙を挟み、やがて重い口を開いた。
「……入る」
日御子が目を瞬いた。
「何ですの?」
「入隊する。世話になる」
全員が固まり、その意味を理解するまでに数秒を要した。
「やりましたのーーーーー!!」
日御子が勢いよく立ち上がり、盛大なガッツポーズをする。咲夜姫だけが状況を理解できず、目を瞬いていた。
アイザックは腹を抱えて笑い出す。
「お前、絶対それ目的だろ!」
「違う」
鬼龍神は即座に否定したが、その言葉を信じる者は誰もいなかった。
◇
鬼龍神が正式にNKJへ加わった翌日。
失踪事件の報酬として、NKJには久しぶりにまとまった金が入った。
会議室の机には、ずしりと重い革袋が置かれている。
「豪遊ですの!」
日御子が叫ぶ。
「肉だ! 一番高いやつ!」
ふるーるも続いた。
「新しい武器が欲しい」
もりやんが呟く。
ポリアンナは一人だけ不穏な笑みを浮かべ、何やら想像を膨らませていた。
そんな中、ふぉろんたいごだけが険しい顔をしている。
「待ってください」
即座に全員を制止した。
「なぜ、使うことが前提になっているんですか?」
「報酬ですの?」
「報酬です」
「なら、使いますの」
当然のように返され、ふぉろんたいごは頭を抱えた。
「備蓄費」
指を一本立てる。
「修繕費」
二本目。
「医薬品」
三本目。
「必要な経費は山ほどあります」
ふぉろんたいごはにっこり笑った。
いや、目が笑っていない。
「皆さん、使うにしても、まさか全額とは考えていませんよね?」
全員が目を逸らした。
図星だった。
ふぉろんたいごは深くため息を吐く。
「座ってください。いいから、全員座ってください」
「始まったな」
アイザックが小声で呟く。
「始まったね」
もりやんも頷いた。二人とも、明らかに聞きたくない顔をしている。
その時、ポリアンナが静かに口を開いた。
「攻城兵器の設計図ですね」
笑顔で胸を張るポリアンナに、周囲が静まり返る。
「何と戦う気ですの?」
日御子が呆れたように尋ねた。
「将来に備えてです」
「何が来る想定なんだよ」
アイザックが腹を抱えて笑い出す一方で、ふぉろんたいごだけは不安そうに問いかけた。
「一体いくら使うつもりですか?」
「全部です」
ポリアンナは真顔だった。
「馬鹿ですの!?」
日御子が勢いよく立ち上がる。
「そんなの、豪遊と変わりませんの!」
「違います」
「違いませんの!」
再び騒がしくなった会議室で、ふぉろんたいごは静かに天井を見上げた。
「なんでやねん……」
この組織に財務担当が必要な理由を、改めて実感していた。
【第十七話 その男、迅雷につき】へ続く




