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誘惑

 被害者たちの移送は、滞りなく進んでいた。


 近隣の村へ到着すると、医師たちが負傷者の状態を確認し、帝国兵が食料と水を配り始める。衰弱していた人々も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。


「そちらの方は担架を!」


「こちらは処置が終わりました!」


 慌ただしく動く帝国兵たちを眺め、ポリアンナは小さく息を吐いた。


(ひとまず、被害者の方々は無事ですね)


 少し離れた場所では、レオンが施設から持ち出した資料へ目を通していた。ポリアンナと咲夜姫も傍へ寄り、別の資料を開く。


 被験者番号、血液型、出生地、共鳴率。


 咲夜姫は机の上へ幾つもの資料を広げ、その全てへ目を走らせた。両眼に淡い光が宿る。


 《千羽思考演算マルチスレッド》。


 幾つにも分けた思考で、血液型、出生地、共鳴率を同時に照合していく。


「やはり、偏っています」


 咲夜姫は資料の一つを指さした。


「一万人に一人とされるS型が、記録の中には何人もいます。出生地もヒノモト王国へ集中しています」


 別の資料を開いても、同じ傾向が続いていた。


「偶然ではありませんね」


 ポリアンナが呟くと、咲夜姫も頷いた。


「ええ。何らかの条件を満たした人たちが、研究対象に選ばれたのでしょうか?」


「おそらくは。ですが、その条件と共鳴率がどう関係するのかまでは分かりません」


 ポリアンナは資料を閉じた。


「軍務局でも調査を続けます」


 レオンが資料から顔を上げる。


「被害者たちは、責任を持って保護します」


「まだ信用したわけではありませんよ」


「承知しています」


 レオンは真顔で答えたが、そのやり取りに敵意はなかった。少なくとも今は、互いに優先すべき相手がいる。救出された被害者たちだった。


 やがて移送と引き渡しを終え、ポリアンナたちは帝国軍と別れた。その背中を見送ったレオンは、手元の資料を強く握り締める。


「必ず、首謀者を見つける」


 誰に聞かせるでもない声には、確かな決意が込められていた。



 その頃、日御子たちは山道を歩いていた。


 虎のような男は、鬼龍神と名乗った。


「働きませんの?」


「働かん」


 日御子の勧誘に対し、鬼龍神は迷うことなく答える。


「ご飯もありますの」


「食える」


「仲間もできますの」


「いらん」


 あまりにも迷いのない答えに、日御子は頭を抱えた。


「才能の無駄遣いですの……」


「勝手に言え」


「優秀な人材を見つけたのに、声もかけずに帰す軍師はいませんの」


「俺を巻き込むな」


 そう言いながらも、鬼龍神は負傷したユールの歩調に合わせ、二人と同じ道を進んでいた。


 それから数分もしないうちに、日御子がまた同じ言葉を口にした。


「働きませんの?」


「働かん」


 まったく同じやり取りを眺めながら、ユールは空を仰いだ。もう何度目になるのか分からない。


「まだ続けるんですか?」


「当たり前ですの」


 日御子は真顔だった。


 普通なら、ここまでしつこく勧誘されれば怒るか、無視して立ち去るだろう。それでも鬼龍神は、そのたび律儀に返事をしていた。


「優しい人ですね」


 ユールが言うと、鬼龍神が眉をひそめた。


「どこがだ」


「嫌なら無視して帰ればいいのに、毎回答えてくれていますから」


 日御子も納得したように頷く。


「確かにですの」


「そうか?」


 本人だけが腑に落ちない顔をしたまま、山道を歩き続けていた。


 そんなやり取りを続けているうちに、森の中に建てられたNKJ本部が見えてきた。


「帰ってきましたの」


 日御子が声を上げると、館から飛び出してきた黒猫が、当然のようにその肩へ飛び乗った。


「にゃあ」


「ただいまですの」


 鬼龍神は足を止め、古びた館を見上げる。


「ここがお前らの拠点か」


「そうです。良い場所ですの」


「ほう」


 興味があるのかないのか、よく分からない返事だった。



 ポリアンナたちは、すでに本部へ戻っていた。庭では、一人の青年が黙々と木刀を振っている。


「アビス、今日も修行?」


 もりやんが声をかけても、青年――アビスは素振りを止めなかった。


「僕には戦いの才能がありませんから、人より多く修行するしかないんです」


 その時、入口の方から聞き覚えのある声が響いた。


「せめて、お茶だけでもどうですの?」


「飲まん」


「お茶だけですの」


「帰る」


 アイザックが声のした方へ振り返る。


「……何やってんだ、あいつ」


「帰ってきたと思ったら、勧誘してる。しかも断られてる」


 もりやんも入口へ目を向けた。


「誰だ、あれ」


 咲夜姫は少し困ったように笑う。


「日御子さんらしいですね」


 全員が入口へ向かうと、そこには必死に食い下がる日御子と、うんざりした鬼龍神、苦笑しているユールがいた。


「帰りましたの!」


 日御子が元気よく手を振る。


「おう」


 アイザックはユールを見て、眉を上げた。


「なんで逃げた奴がいるんだ?」


「落ちていたので、途中で拾いましたの」


「言い方ぁ!」


 ユールは即座に抗議した。


「まあ、そういうこともあるか。それで、こっちの男は?」


 アイザックが鬼龍神へ視線を向ける。


「道中で助けてくださった鬼龍神さんですの。とても強かったので、勧誘していますの」


「断っている」


 鬼龍神がすぐさま訂正したが、日御子は気にすることなく続ける。


「強いですの。だから必要ですの」


「嫌だ」


 やはり返答は早かった。


 アイザックが面白そうに笑う。


「なんか面白そうな奴じゃねぇか」


「面白くない。帰りたい」


「でしたら、せめてお茶だけでもいかがですか?」


 咲夜姫が穏やかに微笑んだ。


 その瞬間、鬼龍神が固まった。


 先ほどまで何を言われても即座に返していた男が、口を半開きにしたまま咲夜姫を見つめている。


「どうしました?」


 咲夜姫が不思議そうに首を傾げる。


「……いや、その」


 鬼龍神は慌てて視線を逸らし、咳払いした。


「お茶くらいなら」


 日御子が目を見開く。


「私の努力が実りましたの!?」


「お茶だ」


 鬼龍神は真顔を装った。


「入隊するとは言っていない」


「では、お茶ですの!」


 日御子が勝手に話を進める傍らで、ユールだけは全てを察していた。


 しばらく後、食堂のテーブルにはお茶と菓子が並べられていた。


 鬼龍神は居心地が悪そうに座っている。向かいには咲夜姫、その隣には日御子がいた。


「どうぞ」


 咲夜姫から差し出された茶を、鬼龍神が両手で受け取る。


「ありがとうございます」


 カップが受け皿に触れ、カチャカチャと音を立てていた。


「美味しいですか?」


「お、おおお美味しいです」


 声まで上ずっている。


「良かったです」


 咲夜姫が微笑むと、鬼龍神は耳まで赤くして顔を逸らした。


 その間に肩の傷へ応急処置を受けたユールが、静かに席を立つ。


「それでは、私は失礼します」


 日御子が振り返った。


「ユールさんは働きませんの?」


「遠慮しておきます。私には、ほかにやることがありますので」


 ユールは苦笑した。


(それに……)


「また会いましょう」


 咲夜姫に声をかけられ、ユールは穏やかに頷く。


「ええ。またお会いしましょう」


 そう言い残し、食堂を出ていった。


 それからも日御子の勧誘は続いたが、鬼龍神は頑なに断り続けた。


「根比べか?」


 アイザックが笑う。


「多分そう」


 もりやんも苦笑していた。


 鬼龍神は頭を抱えながらも席を立とうとはしない。咲夜姫を無意識に目で追っていた。


(本当に帰りたい)


(でも咲夜姫がいる)


(帰れない)


 そんな感情が頭の中で戦っていた。


「鬼龍神さん」


「はい」


 神速の反応だった。


 アイザックが堪えきれずに吹き出す。


「お前、分かりやすすぎるだろ」


「何の話だ」


 鬼龍神は真顔で押し通した。


「もし良ければ、今後も遊びに来てくださいね」


 咲夜姫の言葉に、鬼龍神が再び固まる。数秒の沈黙を挟み、やがて重い口を開いた。


「……入る」


 日御子が目を瞬いた。


「何ですの?」


「入隊する。世話になる」


 全員が固まり、その意味を理解するまでに数秒を要した。


「やりましたのーーーーー!!」


 日御子が勢いよく立ち上がり、盛大なガッツポーズをする。咲夜姫だけが状況を理解できず、目を瞬いていた。


 アイザックは腹を抱えて笑い出す。


「お前、絶対それ目的だろ!」


「違う」


 鬼龍神は即座に否定したが、その言葉を信じる者は誰もいなかった。



 鬼龍神が正式にNKJへ加わった翌日。


 失踪事件の報酬として、NKJには久しぶりにまとまった金が入った。


 会議室の机には、ずしりと重い革袋が置かれている。


「豪遊ですの!」


 日御子が叫ぶ。


「肉だ! 一番高いやつ!」


 ふるーるも続いた。


「新しい武器が欲しい」


 もりやんが呟く。


 ポリアンナは一人だけ不穏な笑みを浮かべ、何やら想像を膨らませていた。


 そんな中、ふぉろんたいごだけが険しい顔をしている。


「待ってください」


 即座に全員を制止した。


「なぜ、使うことが前提になっているんですか?」


「報酬ですの?」


「報酬です」


「なら、使いますの」


 当然のように返され、ふぉろんたいごは頭を抱えた。


「備蓄費」


 指を一本立てる。


「修繕費」


 二本目。


「医薬品」


 三本目。


「必要な経費は山ほどあります」


 ふぉろんたいごはにっこり笑った。


 いや、目が笑っていない。


「皆さん、使うにしても、まさか全額とは考えていませんよね?」


 全員が目を逸らした。


 図星だった。


 ふぉろんたいごは深くため息を吐く。


「座ってください。いいから、全員座ってください」


「始まったな」


 アイザックが小声で呟く。


「始まったね」


 もりやんも頷いた。二人とも、明らかに聞きたくない顔をしている。


 その時、ポリアンナが静かに口を開いた。


「攻城兵器の設計図ですね」


 笑顔で胸を張るポリアンナに、周囲が静まり返る。


「何と戦う気ですの?」


 日御子が呆れたように尋ねた。


「将来に備えてです」


「何が来る想定なんだよ」


 アイザックが腹を抱えて笑い出す一方で、ふぉろんたいごだけは不安そうに問いかけた。


「一体いくら使うつもりですか?」


「全部です」


 ポリアンナは真顔だった。


「馬鹿ですの!?」


 日御子が勢いよく立ち上がる。


「そんなの、豪遊と変わりませんの!」


「違います」


「違いませんの!」


 再び騒がしくなった会議室で、ふぉろんたいごは静かに天井を見上げた。


「なんでやねん……」


 この組織に財務担当が必要な理由を、改めて実感していた。



【第十七話 その男、迅雷につき】へ続く



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