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帝国軍襲来

「帝国軍です!」


 ユールの声が地下へ響き、全員の意識が入口へ向いた。


 エラスムスは、その一瞬を逃さなかった。


「潮時ですね。私は戦闘員ではありませんし、勝てない相手と戦う趣味もありませんので」


 口元の血を拭いながら、床を軽く踏み鳴らす。


 鈍い音とともに壁際の棚が横へ滑り、その奥から人一人が通れるほどの細い通路が現れた。


「逃がすか!」


 アイザックが炎を放つ。だが、通路の奥で重い鉄扉が落ち、紅蓮の炎を遮った。


 轟音が地下を揺らし、鉄扉の表面が赤く焼ける。それでも扉を破るには至らず、奥からエラスムスの気配が遠ざかっていった。


 ポリアンナは小さく息を吐く。


「追跡は後です。まずは外の状況を確認しましょう」



 一行は地下通路を駆け上がった。地上へ近づくにつれ、施設の外から大勢の人間が動く気配や、鎧の擦れ合う音が聞こえてくる。


 地下を出る直前、ユールが一歩、また一歩後退する。


「何してますの?」


 日御子に気づかれ、ユールの肩が跳ねた。


「いや、その……私はここで失礼しようかなと」


「なぜですの?」


 ユールは露骨に目を逸らしたあと、真顔になった。


「私、元帝国兵ですから」


 沈黙が流れる。


「初耳ですの」


「言ってませんでしたからね」


 なぜか少し誇らしげだった。


「脱走兵扱いされたら、捕まるかもしれないんですよ?」


 ユールは即答し、入口へ視線を向けた。その先には帝国軍と、先頭に立つ指揮官の姿がある。


「いやぁ……無理無理」


 小さく呟くなり、ユールは踵を返した。


「じゃあ皆さん、頑張ってください」


「あっ」


 咲夜姫が声を上げたが、もう遅い。ユールは脱兎のごとく森へ消えていった。


「根性ねぇな」


「命を大切にしていると言ってください!」


 遠くから抗議の声だけが返ってきた。


「忙しい人ですの……」


 日御子は呆れたように呟いた。



 施設を出た先には、百を超える帝国兵が整然と並んでいた。


 その中央に、長身の男が立っている。黒髪に飾り気のない軍装、腰には一振りの剣。派手さはないが、その場にいる誰よりも強い存在感を放っていた。


 男は施設から現れた日御子たちを見据えたあと、木陰で休ませている被害者たちへ僅かに視線を向けた。


 すぐに日御子へ視線を戻し、一歩前へ出る。


「私は統天帝国エテルナ軍務局所属、帝国軍第二大隊隊長レオン・クラウゼルと申します」


 落ち着き払った声だった。


「日御子殿。投降してください」


 山中に張り詰めた沈黙が落ちた。


「私はあなたを拘束し、帝都へ連行するよう命じられています」


 日御子はレオンを真っ直ぐに見返す。


「その後は?」


 僅かな沈黙を挟み、レオンは答えた。


「処刑が予定されています」


 空気が凍りつく。


「おい……てめぇ、ふざけてんのか」


 アイザックの目が細くなる。もりやんも無言で弓へ手を伸ばした。咲夜姫とのぶおも日御子を庇える位置へ動く。


「ですが、私はその判断に賛成していません」


 レオンの言葉に、全員の動きが止まった。


「少なくとも、私が調べた限り、あなたは処刑に値する罪を犯していません。帝都へ来ていただければ、私が必ず上層部を説得します」


「それを信用して、捕まれと?」


「いいえ。信用されるとは思っていません」


 レオンは即答した。


「ただ、私はそうするつもりです」


 嘘をついているようには見えなかった。だからといって、自ら処刑台へ近づく理由にはならない。


「お断りですの」


「そうですか」


 レオンの表情は変わらなかった。


 アイザックが一歩前へ出ると、握った拳に熱が集まり始めた。


「話は終わったか?」


 もりやんもその隣へ並び、弓へ手を掛ける。


「戦う?」


 のぶおは何も言わず、日御子を庇うように前へ立って両手を構えた。


 帝国兵たちも一斉に武器へ手を掛け、両者の間に張り詰めた空気が走る。


「待て」


 レオンの一声で、兵士たちの動きが止まった。


「ですが、隊長」


「命令だ」


 短い言葉に、兵士たちは従った。


 レオンは再び被害者たちへ目を向けた。


「その前に、一つ確認したい。この施設と、あちらで保護されている者たちは、どういうことですか?」


「それはこちらが聞きたいですね」


 ポリアンナが施設内から持ち出した資料を差し出す。


「帝国の施設で、周辺の村から攫われた人々が研究対象にされていました」


 レオンは資料を受け取り、ページをめくった。


 被験者の個人情報、共鳴率、実験結果、失敗例、処分記録。読み進めるほど、その表情が険しくなっていく。


「施設番号と管理記録を確認しろ。負傷者の救護も急げ」


 命令を受けた兵士たちが動き出した。



 しばらくして戻ってきた兵士の顔色は悪かった。


「報告します。施設番号は確認できませんでした。軍施設一覧にも、管理・補給記録にも該当する施設は存在しません」


「責任者は?」


「不明です。研究員と思われる者も発見できませんでした」


「ほかには?」


 兵士は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


「地下区画で帝国兵五名を発見しました。全員生存していますが、重傷です」


 レオンの眉が僅かに動く。


「研究員は、負傷した兵を残して逃げたのか」


「そのようです」


 レオンは目を閉じ、深く息を吐いた。


「ふざけるな……」


 抑えられた声に、確かな怒りが滲んでいた。


 日御子は意外に思った。冷徹な軍人に見えたが、見捨てられた部下への怒りは本物だった。


 レオンは感情を押し込めるように目を開く。


「まずは被害者と負傷兵の救助を優先する。被害者はこちらで保護し、安全な場所まで移送します」


 ポリアンナの目が細くなった。


「その被害者を、『また』帝国へ引き渡せと?」


 重い沈黙が落ちた。帝国兵たちでさえ何も言えず、レオンはしばらく被害者たちを見つめたあと、苦しげに息を吐く。


「信用できないのは当然です」


 反論も言い訳もせず、ただポリアンナの言葉を認めた。


「しかし、被害者たちをこのままにしておくわけにはいきません」


 それも事実だった。衰弱した彼らには、食料と一刻も早い治療が必要になる。


「では、仕方ありません」


 ポリアンナは静かに息を整えた。


「私たちも同行します。被害者の移送が終わるまで、あなた方を監視させていただきます」


 帝国兵たちがざわついた。だが、レオンは迷うことなく頷く。


「構いません」


 ポリアンナとレオンの合意を受け、両陣営は武器から手を離した。張り詰めていた空気が僅かに緩み、被害者の移送準備が始まる。


 レオンはその様子を確認してから、日御子へ向き直った。


「日御子殿は、今すぐここを離れてください」


「……私だけですの?」


「はい。あなたがいると、話が複雑になりますから」


 合理的な判断でありながら、その声には僅かな後ろめたさが滲んでいた。


「今あなたを拘束しようとすれば戦闘になり、被害者を危険に晒すことになります。ですから、今は追いません」


 アイザックが感心したように口笛を鳴らす。


「意外と話の分かる奴?」


「そうでもありません。任務を放棄したわけではありませんので」


 レオンは即答した。


「次に会えば拘束します」


「真面目かよ」


 アイザックが呆れたように呟く。


 日御子は少し考え、やがて小さく頷いた。


(確かに合理的ですの)


「私は帝国軍の目的ですの。私が残れば、話の中心が被害者ではなく、私を拘束するかどうかになります」


 レオンは黙って聞いている。


「被害者の保護を優先するなら、私がいない方が都合が良いですの」


「はい」


「分かりましたの。私は先に戻ります」


「でしたら、私も一緒に――」


 咲夜姫が申し出るが、日御子は首を振った。


「帝国軍に同行する皆さんの方が危険ですの。咲夜姫さんは、ポリアンナさんたちと一緒にいてください」


「それに《王域》があれば、森で誰かに近づかれても分かりますの」


 咲夜姫は不安そうに日御子を見つめたものの、やがて渋々頷いた。


「……分かりました。くれぐれも気をつけてください」



 帝国軍は被害者の搬送準備を進め、NKJの面々は人数確認と応急処置に追われていた。


 その傍らで、ポリアンナとレオンは同じ資料へ目を通している。


 共鳴率。ヒノモト王国。人体実験。そして、帝国の記録に存在しない施設。


 何者かが意図的に、この研究の痕跡を帝国内部から消していた。


「詳しく調べる必要がありますね」


 ポリアンナの言葉に、レオンも険しい表情で頷いた。


「だが、今は被害者の救助が先です」


 二人は資料を閉じ、それぞれ移送の指揮へ戻った。


 移送の準備が進む中、日御子は一人で帰路につこうとした。


「お気をつけて」


 ポリアンナに声をかけられ、日御子は振り返る。


「分かっていますの」


「お前、迷子になるんじゃねぇぞ」


 アイザックにからかわれ、日御子は不満そうに頬を膨らませた。


「子供ではありませんの」


「そうか?」


 アイザックが笑う。


「焼き芋」


 今度は、もりやんが日御子を呼び止めた。


「戻ったら、残しておく」


「……冷めてしまいますの」


「早く帰ればいい」


 日御子は目を瞬き、やがて小さく笑った。


「分かりましたの」


 皆へ軽く手を振り、一人で森の中へ歩き出した。


 もっとも、その帰り道を一人で歩けたのは、ほんの僅かな間だけだった。



【第十五話 スカウト】へ続く


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