収容区画
助けを求める声を追い、日御子たちは地下通路を進んだ。
湿った空気に、錆と人の臭いが混じっている。通路の両側にはガラス窓のついた部屋が並び、中には机や書類棚、用途の分からない機材が置かれていた。
「研究施設ですの……?」
咲夜姫が足を止め、机に置かれた資料を数枚手に取った。日御子も隣から覗き込む。
名前、年齢、出生地、血液型。そして、どの資料にも見慣れない項目が記されていた。
「共鳴率?」
日御子は首を傾げた。
「聞いたことがありませんの」
さらに見比べると、記録された者の多くがヒノモト王国の出身だった。
「……妙ですね」
「ええ。偶然にしては多すぎますの」
詳しく調べたいが、今は助けを求めている者たちが先だ。咲夜姫は机の資料をまとめて抱え、一行は声のする方へ急いだ。
◇
通路の先には、鉄格子で区切られた牢が並んでいた。
閉じ込められているのは、老人や女性、子供たちだった。誰もがやつれ、酷く衰弱している。
のぶおが迷わず駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「た、助けに来てくれたのか……」
何人かが涙を流す。のぶおは安心させるように頷いた。
「もう大丈夫です」
咲夜姫が牢の錠を確かめる。
「鍵が必要ですね」
「探しますの」
日御子も救出に加わろうとした、その時だった。
パチ、パチ、パチ。
静かな地下へ拍手が響く。
通路の奥に、白衣のような外套を纏った細身の男が立っていた。その後ろには、五人の武装兵が控えている。
「解放軍NKJの方々ですか。手配書どおりのお顔ですね」
男は日御子たちを見渡し、穏やかに笑った。
「まさか、ここまで辿り着かれるとは。素晴らしい」
日御子は男の白衣と、その背後に並ぶ兵士たちを見据えた。
「あなたは、何者ですの?」
「申し遅れました。私、エラスムスと申します」
「この人たちを攫ったのは、あなたですの?」
エラスムスは心外そうに肩を竦めた。
「攫った、という表現は正確ではありません。私は上から命じられた人間を集め、研究対象として収容しただけです」
「それを人攫いと言うんですの」
「私は研究者であって、倫理担当ではありませんので」
「狂っていますの」
「よく言われます」
ポリアンナが一歩前へ出る。
「彼らを返していただきます」
エラスムスは困ったように笑う。
「私に言われましても」
「研究対象の返却は、私の判断では決められません。ですので、お断りします」
エラスムスの言葉を合図に、兵士たちが剣を抜いた。
ポリアンナの双眸へ淡い光が宿り、《理想国家》が仲間たちの意識を繋ぐ。
アイザックは前衛。もりやんは後方から援護。のぶおは避難者の保護。日御子と咲夜姫は救出。
言葉を交わすことなく、全員へ役割が共有された。
「いつもどおりか」
アイザックは口元を吊り上げ、床を蹴った。
アイザックは横合いから斬りかかった兵士を拳で沈め、続く二人目を蹴りで吹き飛ばした。その勢いのままエラスムスの懐へ飛び込み、胸元へ拳を叩き込む。
確かな手応えがあった。
だが、エラスムスは微動だにしない。
「は?」
次の瞬間、アイザックの身体が弾かれたように吹き飛んだ。
「がっ!?」
壁へ激突し、口から血を吐く。
日御子にも何が起きたのか理解できなかった。殴ったのはアイザックだ。それなのに、傷を負ったのもアイザックだった。
エラスムスは穏やかな微笑みを崩さない。
「どうしました? 続けないのですか?」
アイザックは口元の血を拭い、立ち上がった。
「攻撃を跳ね返す異能か? 面白ぇ」
握られた右拳へ熱が集まり、赤く染まっていく。
《紅蓮》。
「こいつならどうだ!」
炎を纏った拳をエラスムスへ叩き込む。
それでも、エラスムスには傷一つつかない。
「ぐはっ!?」
代わりにアイザックが炎の勢いそのままに吹き飛ばされ、床を転がった。
「アイザックさん!」
咲夜姫が叫ぶ。
しかし、アイザックは苦しげに立ち上がりながらも笑っていた。
「力押しじゃ無理かよ。くっそ面倒くせぇ」
「まだ続けますか?」
エラスムスの表情には、揺るぎない余裕があった。
「じゃあ、次」
もりやんが柱の陰から身を乗り出し、弓を構える。
弦が鋭く鳴った。
放たれた矢はエラスムスの胸を正確に捉えた。だが傷一つ残せず、力を失ったように床へ落ちる。
「がはっ!?」
その直後、傍にいた兵士が胸を押さえ、膝をつく。
「今度は兵士が……」
先ほどは攻撃したアイザックが傷つき、今度はエラスムスの近くにいた兵士が傷ついた。
ポリアンナは三度の攻撃結果を静かに見比べていた。
攻撃方法も立ち位置も異なる。しかし傷を負った者は、攻撃した者ではなく、命中の瞬間にエラスムスのすぐ傍にいた者だった。
「……なるほど」
《理想国家》を通じ、一つの仮説と指示が共有される。
アイザックが距離を取った。兵士が追って剣を振り下ろすが、刃先を紙一重で避ける。その腕を掴み、エラスムスの足元に投げ飛ばした。
「これでも喰らえ!」
アイザックが離れた場所から赤く燃えた拳を振り抜く。
紅蓮の炎が一直線に通路を駆け抜け、エラスムスへ直撃した。
爆炎に呑まれても、やはり本人は無傷だった。
代わりに、最も近くにいた兵士が吹き飛ぶ。
「がぁっ!」
エラスムスの笑みが、僅かに揺らいだ。
『彼の異能は、受けた損傷を最も近くにいる生者へ転嫁するものです』
ポリアンナの確信が、《理想国家》を通じて全員へ伝わった。
「気が付きましたか。さすがですね、革命の設計者」
能力を見抜かれても、エラスムスは余裕を失わなかった。残った兵士たちが、彼を守るように前へ出る。
「ですが、分かったところで何も変わりません。ここには、いくらでも身代わりがいますので」
その言葉に、牢の中の人々が怯えた表情を浮かべた。
日御子の目に怒りが宿る。
「この人たちは、あなたの身代わりではありませんの」
◇
日御子と咲夜姫は牢へ駆け寄った。
咲夜姫は先ほど倒れた兵士の腰から鍵束を奪い、錠へ差し込む。幾つか試したところで鍵が回り、鉄格子の扉が開いた。
「助けに来ましたの。急いでここから出ますよ!」
しかし、怯えた子供たちは戦いの音に身体を震わせ、動こうとしなかった。
日御子は一人の少女の前へしゃがみ込み、そっと手を差し出す。
「もう大丈夫ですの。一緒に帰りましょう」
少女は恐る恐る日御子を見上げ、やがて小さな手で握り返した。それを見た他の者たちも、一人、また一人と立ち上がる。
咲夜姫は衰弱した者へ肩を貸し、幼い子供を抱き上げた。
「慌てなくて大丈夫です。順番に進んでください」
その間に、のぶおが通路の要所へ《絶界守護》を展開する。蒼銀の障壁が、前線と避難者を隔てた。
「必ず守ります。出口へ向かってください」
前線では、もりやんが柱から柱へ位置を変えながら、次々と矢を放っていた。
一本目が兵士の肩を射抜き、剣を取り落とさせる。盾を構えて距離を詰めようとした別の兵士も、二本目に脚を射抜かれて倒れ込んだ。
アイザックも距離を保ったまま炎を放つ。正面からではなく、瓦礫や柱を利用して位置を変え、側面や死角から兵士だけを狙い撃つ。
一人が倒れれば、連携を崩された別の兵士が焦って前へ出る。その隙を、もりやんの矢が逃さず捉えた。
《理想国家》による連携の前に、兵士たちは反撃の機会すら掴めなかった。
「何をしている!?」
エラスムスの余裕が、初めて崩れた。
やがて最後の兵士が倒れ、同時に咲夜姫の声が響く。
「全員、牢から出しました!」
『そのまま地上へ退避を。倒れた兵士たちも生きている以上、まだ彼の異能の対象になり得ます。可能な限り距離を取ってください』
ポリアンナの指示を受け、日御子たちは避難者を連れて階段へ向かった。
全員が離れても、エラスムスの盾はまだ残っていた。
エラスムスは床へ倒れた兵士たちを見回し、再び笑みを浮かべる。
「よく考えましたね。ですが、彼らもまだ生きています」
「分かってるよ」
アイザックが拳を鳴らした。
「だから、お前を引き離すんだろうが」
◇
アイザックが一気に間合いを詰め、エラスムスの胴へ肩からぶつかった。
「な――」
そのまま両腕で身体を抱え込み、通路の奥へ押し込んでいく。
エラスムスの背中が壁や柱へ激突するたび、その衝撃がアイザックへ転嫁された。アイザックの肩や背中へ傷が走り、口元から血が零れる。
「ぐっ……!」
「無駄ですよ。私に何かしても、貴方が傷つくだけです」
「だからって――」
アイザックは腕へ力を込め、逃れようとするエラスムスをさらに強く締め上げた。
「離すわけねーだろ」
エラスムスが腕を振りほどこうとしても、アイザックの両腕が、万力のように身体を捕らえ突き進む。
「離しなさい!」
「嫌だね」
やがて、エラスムスを最奥の壁へ押しつけた。
この場で、彼に近い者はアイザックただ一人だった。
圧縮された炎がアイザックの拳へ集束し、暗い通路を赤く照らす。
エラスムスは荒い息を吐きながら、それでも笑った。
「何度やっても同じです。貴方が私の身代わりになるだけなので」
「そうだな。お前の異能が、俺を傷つけられればな」
「これで終わりだ!」
炎を纏った拳が、その顔面を捉えた。
轟音とともに紅蓮の炎が爆ぜ、エラスムスの異能が損傷をアイザックへ転嫁しようとする。
その刹那、蒼銀の障壁がアイザックを包み込んだ。
離れた場所からのぶおが《絶界守護》を張り、転嫁されようとした損傷を阻む。
「なっ――」
転嫁に失敗した損傷は、エラスムス自身へ残った。
「ぐぁぁぁぁぁぁ!!」
エラスムスが初めて悲鳴を上げ、壁へ叩きつけられた。床を転がり、口から血を吐く。
アイザックが鼻で笑う。
「よかったな。少しは人の痛みを知れたじゃねぇか」
エラスムスは震える手で身体を起こし、不思議そうに自分の血を見つめた。
「痛いですね」
初めて知った感覚を確かめるように呟く。
「なるほど。皆さんが嫌がる理由がよく分かりました」
ポリアンナが静かに前へ出る。
「終わりです」
エラスムスは、その言葉を否定しなかった。
その時、地下入口の方から慌ただしい足音が近づいてきた。
「ポリアンナさん!」
聞き覚えのある声に、全員が振り返る。
現れたのは、外で待機していたユールだった。肩で息をし、顔色を失っている。
「大変です! 外に軍隊が――帝国軍が現れました!」
【第十四話 帝国軍襲来】へ続く




