廃施設へ
翌朝、日御子たちは目的地のある山へ入っていた。
森は深く、僅かに残っていた獣道も、山へ分け入るにつれて途切れ始める。周囲には似たような木々と岩場が続き、目印になるものもほとんどない。普通に歩けば、方角を見失っていただろう。
しかし、先頭を行くユールに迷う様子はなかった。時折地図を確認しながら、分かれ道でも足を止めず、迷いなく進路を選んでいく。
「地図があるときだけは、本当に頼りになりますの」
「褒められているはずなのに、少し複雑です」
ユールは苦笑し、再び地図へ視線を戻した。
しばらく進んだところで、ユールが足を止める。
「これは困りました」
目の前には深い谷が広がっていた。かつて橋が架かっていたらしいが、中央部分が崩れ、谷底へ落ちている。
「終わりだな。帰るか」
アイザックが踵を返そうとする。
「大丈夫」
もりやんが崩れた橋の前へ進み、地面へ片手をついた。
次の瞬間、低い地鳴りとともに土が盛り上がった。谷の両側から岩と土がせり出し、中央へ向かって伸びていく。
数十秒後、そこには人が渡れる幅の即席の橋が完成していた。
「おお……」
日御子は素直に感嘆の声を漏らした。
「便利ですの」
「便利」
もりやんも満足そうに頷いた。
一行は橋を渡り、さらに山の奥へ進んでいった。
◇
やがて木々の隙間から、巨大な灰色の建造物が姿を現した。
「これが……」
日御子は思わず足を止める。
施設は、山の斜面へ埋め込まれるように建てられていた。窓の多くは割れ、外壁も長い年月によって風化している。それでも、妙な違和感があった。
「妙に綺麗ですの」
ポリアンナも同じことを感じたらしい。
「そうですね。放棄されてから長いはずなのに、荒れ方が不自然です」
周囲には雑草が少なく、出入口へ続く道も完全には埋もれていない。まるで今も、誰かが最低限の手入れを続けているようだった。
「嫌な感じ」
もりやんが施設を見上げながら呟く。
日御子にも、巨大な建物そのものが何かを隠しているように見えた。
「少し待ってほしいですの」
日御子が声を上げると、全員が足を止めた。
「先に中を確認します」
静かに目を伏せる。
「……《王域》」
双眸が淡く輝き、施設の構造が巨大な立体地図となって意識の中へ広がった。
地上区画。廊下。幾つもの部屋。そして、地中へ深く延びる地下区画。
情報を捉えた直後、額の奥を鋭い痛みが貫いた。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
ポリアンナが心配そうに顔を覗き込む。
「いつものことですの」
「異能を使うたびに痛むというのは、珍しいですね。制御に慣れていない子供なら、疲れや違和感を覚えることもありますが……」
「子供の頃は大変だった」
もりやんも頷く。
「成長してから悪化するという話は、聞いたことがありません」
ポリアンナの言葉に、日御子は少し考えてから答えた。
「この痛みは、三年ほど前からですの。それから少しずつ酷くなっています」
ポリアンナが眉をひそめ、もりやんも不思議そうに首を傾げた。
「変」
「そうなんですの?」
アイザックが鼻で笑う。
「お前、まだお子様なんじゃねえの?」
「もう二十歳ですの」
「いや、精神年齢の話な」
「刺しますよ」
「怖っ」
アイザックが素早く一歩下がる。
そのやり取りの傍らで、ポリアンナは考え込んでいた。
(三年前ですか……)
その時期が、妙に引っ掛かった。
日御子は意識を《王域》へ戻し、地下区画にいる人影を確かめる。
「……いましたの」
ポリアンナの表情が変わった。
「何人ですか?」
「地下に約三十人。ただ、そのほとんどは動いていませんの」
咲夜姫が息を呑む。
「失踪者の方たちでしょうか……」
「まだ分かりません。ですが、何人かは地下区画の周囲を巡回していますの」
「巡回?」
「一定の経路を、何度も移動しています」
ポリアンナは小さく息を吐いた。
「動かない人たちを監視している者と考えた方がよさそうですね」
日御子も頷いた。
二十人以上の動かない人間と、その周囲を巡回する者たち。偶然とは思えなかった。
のぶおは施設を見つめ、低く呟いた。
「生きていてくれるといいのですが」
ポリアンナはユールへ視線を向ける。
「ユールさん。あなたは、ここで待機してください」
ユールが目を瞬かせた。
「私も行けますよ?」
「あなたは案内役です。ここから先は、戦闘になる可能性が高い」
穏やかな声だったが、有無を言わせない強さがあった。
「もし私たちに何かあれば、街へ戻って状況を報告してください」
ユールは少し迷ったが、やがて頷いた。
「分かりました」
「お願いします」
ポリアンナは改めて施設へ向き直った。
「それでは、行きましょう」
◇
日御子たちは、慎重に施設へ足を踏み入れた。
建物の中は異様なほど静かで、薄暗い廊下に一行の足音だけが響く。倉庫、居住区、幾つもの部屋を順番に確認していったが、人の姿は見当たらない。
地下に何者かがいることは、《王域》で確認している。どこかに、地下区画へ続く入口があるはずだった。
「おかしいですね」
ポリアンナが廊下の途中で立ち止まった。
「何がですの?」
「これだけの人数を収容できる地下区画があるなら、人や物資を運ぶための出入口が必要です。建物の構造を考えると、この辺りにあるはずなのですが……」
(言われてみれば、不自然ですの)
日御子は先ほど《王域》で捉えた立体地図を思い返す。地下にいる人影へ意識を向けていたため、細かな構造までは確認していなかった。それでも、この付近には壁の厚さと噛み合わない空間があった。
日御子は一枚の壁を指差す。
「ここが怪しいですの」
全員の視線が集まる。見た目には、何の変哲もない石壁だった。
「見つかりましたか?」
「先ほど《王域》で確認した時、この壁の奥に地下へ続く空間がありましたの」
咲夜姫が小さく息を呑んだ。
「入口を、壁で隠しているということですか」
日御子は静かに頷いた。
ポリアンナはすぐに決断した。
「開けてみましょう」
「少し離れてろ」
アイザックが壁の前へ進み、両手を伸ばした。
指先が石へ触れた瞬間、壁の表面が赤く染まり始める。石が溶け、内部に仕込まれていた鉄材が軋んだ。
ジュウゥゥゥという音とともに、赤熱した壁が形を失っていく。日御子は思わず目を見張った。何度見ても、恐ろしいほどの熱量だった。
数十秒後、アイザックが壁から手を離す。
「開いたぞ」
脆くなった壁の一部が崩れ落ち、その奥から冷たい空気が流れ出した。暗い通路の先には、地下へ続く階段がある。
「さすがですの」
日御子が感心すると、アイザックは肩を竦めた。
「人助けなんだろ」
ぶっきらぼうな声だった。
のぶおが開かれた通路の前へ進む。
「私が先行します」
誰も異論を挟まなかった。仲間を守ることに関して、のぶおほど信頼できる者はこの場にいない。
「お願いします」
ポリアンナが頷く。
暗闇へ向かうのぶおの背中は、いつもよりも大きく見えた。
◇
一行は、のぶおを先頭に地下への階段を下りていった。
空気は冷たく湿っており、肌へまとわりつくような不快さがある。下へ進むほど光は届かなくなり、足音の反響だけが大きくなっていく。
やがて、階段の奥から嫌な臭いが漂ってきた。
汗と血、そして長い間閉じ込められた人間の臭い。
ポリアンナの表情が険しくなる。日御子も唇を引き結び、《王域》が示す人影へ意識を向けた。
この先に、大勢の人間がいる。
だが、そのほとんどは動いていない。
階段を下りた先には、暗い通路が続いていた。壁には錆が浮き、床には黒ずんだ汚れがこびりついている。光もほとんど届かず、空気そのものが淀んでいた。
その暗闇の奥から、微かな声が聞こえた。
「……けて……」
全員の足が止まる。
息を殺し、耳を澄ませた。
「たすけて……」
今度は、はっきりと聞こえた。
人の声だった。
(生きていますの!)
日御子の胸が熱くなる。のぶおの表情も僅かに緩んだ。
「良かった……」
心の底から漏れた声だった。
しかし、ポリアンナだけは険しい表情を崩さない。
「急ぎましょう。まだ安心はできません」
少なくとも、生存者はいた。
その事実に気を取られ、誰も気づかなかった。
ここへ踏み込んだ瞬間から、自分たちが狩られる側になっていたことに。
【第十三話 収容区画】へ続く




