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廃施設へ

 翌朝、日御子たちは目的地のある山へ入っていた。


 森は深く、僅かに残っていた獣道も、山へ分け入るにつれて途切れ始める。周囲には似たような木々と岩場が続き、目印になるものもほとんどない。普通に歩けば、方角を見失っていただろう。


 しかし、先頭を行くユールに迷う様子はなかった。時折地図を確認しながら、分かれ道でも足を止めず、迷いなく進路を選んでいく。


「地図があるときだけは、本当に頼りになりますの」


「褒められているはずなのに、少し複雑です」


 ユールは苦笑し、再び地図へ視線を戻した。


 しばらく進んだところで、ユールが足を止める。


「これは困りました」


 目の前には深い谷が広がっていた。かつて橋が架かっていたらしいが、中央部分が崩れ、谷底へ落ちている。


「終わりだな。帰るか」


 アイザックが踵を返そうとする。


「大丈夫」


 もりやんが崩れた橋の前へ進み、地面へ片手をついた。


 次の瞬間、低い地鳴りとともに土が盛り上がった。谷の両側から岩と土がせり出し、中央へ向かって伸びていく。


 数十秒後、そこには人が渡れる幅の即席の橋が完成していた。


「おお……」


 日御子は素直に感嘆の声を漏らした。


「便利ですの」


「便利」


 もりやんも満足そうに頷いた。


 一行は橋を渡り、さらに山の奥へ進んでいった。



 やがて木々の隙間から、巨大な灰色の建造物が姿を現した。


「これが……」


 日御子は思わず足を止める。


 施設は、山の斜面へ埋め込まれるように建てられていた。窓の多くは割れ、外壁も長い年月によって風化している。それでも、妙な違和感があった。


「妙に綺麗ですの」


 ポリアンナも同じことを感じたらしい。


「そうですね。放棄されてから長いはずなのに、荒れ方が不自然です」


 周囲には雑草が少なく、出入口へ続く道も完全には埋もれていない。まるで今も、誰かが最低限の手入れを続けているようだった。


「嫌な感じ」


 もりやんが施設を見上げながら呟く。


 日御子にも、巨大な建物そのものが何かを隠しているように見えた。


「少し待ってほしいですの」


 日御子が声を上げると、全員が足を止めた。


「先に中を確認します」


 静かに目を伏せる。


「……《王域》」


 双眸が淡く輝き、施設の構造が巨大な立体地図となって意識の中へ広がった。


 地上区画。廊下。幾つもの部屋。そして、地中へ深く延びる地下区画。


 情報を捉えた直後、額の奥を鋭い痛みが貫いた。


「っ……」


「大丈夫ですか?」


 ポリアンナが心配そうに顔を覗き込む。


「いつものことですの」


「異能を使うたびに痛むというのは、珍しいですね。制御に慣れていない子供なら、疲れや違和感を覚えることもありますが……」


「子供の頃は大変だった」


 もりやんも頷く。


「成長してから悪化するという話は、聞いたことがありません」


 ポリアンナの言葉に、日御子は少し考えてから答えた。


「この痛みは、三年ほど前からですの。それから少しずつ酷くなっています」


 ポリアンナが眉をひそめ、もりやんも不思議そうに首を傾げた。


「変」


「そうなんですの?」


 アイザックが鼻で笑う。


「お前、まだお子様なんじゃねえの?」


「もう二十歳ですの」


「いや、精神年齢の話な」


「刺しますよ」


「怖っ」


 アイザックが素早く一歩下がる。


 そのやり取りの傍らで、ポリアンナは考え込んでいた。


(三年前ですか……)


 その時期が、妙に引っ掛かった。


 日御子は意識を《王域》へ戻し、地下区画にいる人影を確かめる。


「……いましたの」


 ポリアンナの表情が変わった。


「何人ですか?」


「地下に約三十人。ただ、そのほとんどは動いていませんの」


 咲夜姫が息を呑む。


「失踪者の方たちでしょうか……」


「まだ分かりません。ですが、何人かは地下区画の周囲を巡回していますの」


「巡回?」


「一定の経路を、何度も移動しています」


 ポリアンナは小さく息を吐いた。


「動かない人たちを監視している者と考えた方がよさそうですね」


 日御子も頷いた。


 二十人以上の動かない人間と、その周囲を巡回する者たち。偶然とは思えなかった。


 のぶおは施設を見つめ、低く呟いた。


「生きていてくれるといいのですが」


 ポリアンナはユールへ視線を向ける。


「ユールさん。あなたは、ここで待機してください」


 ユールが目を瞬かせた。


「私も行けますよ?」


「あなたは案内役です。ここから先は、戦闘になる可能性が高い」


 穏やかな声だったが、有無を言わせない強さがあった。


「もし私たちに何かあれば、街へ戻って状況を報告してください」


 ユールは少し迷ったが、やがて頷いた。


「分かりました」


「お願いします」


 ポリアンナは改めて施設へ向き直った。


「それでは、行きましょう」



 日御子たちは、慎重に施設へ足を踏み入れた。


 建物の中は異様なほど静かで、薄暗い廊下に一行の足音だけが響く。倉庫、居住区、幾つもの部屋を順番に確認していったが、人の姿は見当たらない。


 地下に何者かがいることは、《王域》で確認している。どこかに、地下区画へ続く入口があるはずだった。


「おかしいですね」


 ポリアンナが廊下の途中で立ち止まった。


「何がですの?」


「これだけの人数を収容できる地下区画があるなら、人や物資を運ぶための出入口が必要です。建物の構造を考えると、この辺りにあるはずなのですが……」


(言われてみれば、不自然ですの)


 日御子は先ほど《王域》で捉えた立体地図を思い返す。地下にいる人影へ意識を向けていたため、細かな構造までは確認していなかった。それでも、この付近には壁の厚さと噛み合わない空間があった。


 日御子は一枚の壁を指差す。


「ここが怪しいですの」


 全員の視線が集まる。見た目には、何の変哲もない石壁だった。


「見つかりましたか?」


「先ほど《王域》で確認した時、この壁の奥に地下へ続く空間がありましたの」


 咲夜姫が小さく息を呑んだ。


「入口を、壁で隠しているということですか」


 日御子は静かに頷いた。


 ポリアンナはすぐに決断した。


「開けてみましょう」


「少し離れてろ」


 アイザックが壁の前へ進み、両手を伸ばした。


 指先が石へ触れた瞬間、壁の表面が赤く染まり始める。石が溶け、内部に仕込まれていた鉄材が軋んだ。


 ジュウゥゥゥという音とともに、赤熱した壁が形を失っていく。日御子は思わず目を見張った。何度見ても、恐ろしいほどの熱量だった。


 数十秒後、アイザックが壁から手を離す。


「開いたぞ」


 脆くなった壁の一部が崩れ落ち、その奥から冷たい空気が流れ出した。暗い通路の先には、地下へ続く階段がある。


「さすがですの」


 日御子が感心すると、アイザックは肩を竦めた。


「人助けなんだろ」


 ぶっきらぼうな声だった。


 のぶおが開かれた通路の前へ進む。


「私が先行します」


 誰も異論を挟まなかった。仲間を守ることに関して、のぶおほど信頼できる者はこの場にいない。


「お願いします」


 ポリアンナが頷く。


 暗闇へ向かうのぶおの背中は、いつもよりも大きく見えた。



 一行は、のぶおを先頭に地下への階段を下りていった。


 空気は冷たく湿っており、肌へまとわりつくような不快さがある。下へ進むほど光は届かなくなり、足音の反響だけが大きくなっていく。


 やがて、階段の奥から嫌な臭いが漂ってきた。


 汗と血、そして長い間閉じ込められた人間の臭い。


 ポリアンナの表情が険しくなる。日御子も唇を引き結び、《王域》が示す人影へ意識を向けた。


 この先に、大勢の人間がいる。


 だが、そのほとんどは動いていない。


 階段を下りた先には、暗い通路が続いていた。壁には錆が浮き、床には黒ずんだ汚れがこびりついている。光もほとんど届かず、空気そのものが淀んでいた。


 その暗闇の奥から、微かな声が聞こえた。


「……けて……」


 全員の足が止まる。


 息を殺し、耳を澄ませた。


「たすけて……」


 今度は、はっきりと聞こえた。


 人の声だった。


(生きていますの!)


 日御子の胸が熱くなる。のぶおの表情も僅かに緩んだ。


「良かった……」


 心の底から漏れた声だった。


 しかし、ポリアンナだけは険しい表情を崩さない。


「急ぎましょう。まだ安心はできません」


 少なくとも、生存者はいた。


 その事実に気を取られ、誰も気づかなかった。


 ここへ踏み込んだ瞬間から、自分たちが狩られる側になっていたことに。



【第十三話 収容区画】へ続く


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