34話 ヌメリー先輩引きこもる
ラボに戻ると、
レイさんがユウキに絡んでいるところだった。
「ねぇー、ユウキきいてよ! この前さ、いい感じだと思ってた人がさー。実は既婚者だったの!! しかも奥さん妊婦さんだったのよ!ほんと有り得なくない!?」
頬をふくらませ、机を指でトントン叩きながら怒り心頭。
「うわー、最低ですね。レイさん、これどうぞ。」
ユウキがすっと差し出したのは、湯気の立つハーブティー。
淡い赤色がガラスのカップ越しにきらりと光る。
「これは?」
「ローズヒップティーです。レモンの約20倍とも言われるビタミンCがあって、美肌や免疫力向上、疲労回復にも良いんですよ。」
「へぇ、良い香り。」
レイさんがカップを鼻先に寄せると、ふっと表情が緩む。
その変化を見て、ユウキが柔らかく笑った。
「レイさん綺麗だから、言い寄ってきたんですね。でも、早めに気づけてよかったですね。」
その一言に、レイさんは一瞬だけ目を丸くし、すぐに機嫌良さそうに微笑む。
「そうよね。あー、美味しい〜。」
すっかり美人モードに戻っている。
恐るべし、うちの弟よ。
その横で、ソファに沈み込んでいたシュウさんが、頭を抱えながら呻いていた。
「あー、もう…しんど。あー…なんかもう…無理。タバコ吸いたい。でももう臭い。」
(ならやめればいいのに)
と心の中で突っ込みつつも、ユウキはすぐ動く。
「はい、シュウさんにはこれどうぞ。」
「これは?」
「パッションフラワーのハーブティーです。」
カップを受け取った瞬間、シュウさんの目がぱっと丸くなる。
「わぁー、良い香り。」
やさぐれた雰囲気が一瞬で消え、あざと可愛い表情がのぞく。
「ストレスや不安、不眠の緩和になるんですよ。就寝の1〜2時間前に飲むとよく眠れるみたいなので、これあげますね。」
小袋を差し出すと、シュウさんは両手で包み込むように受け取った。
「わあ!嬉しい。ありがとう〜」
その姿が妙に可愛くて、思わず見入ってしまう。
……すごい。うちのユウキ、優秀すぎる。
そこへ、ヒカルさんと一緒に戻ってきた。
「あ、姉さん、ヒカルさん、おかえりなさい。シズさんはどうでしたか?」
心配そうに覗き込むユウキ。
「明日から来るって…それにしても、ありがとう。すっかりアブラーキさんもシュウも穏やかになって…」
ヒカルさんが胸をなでおろすように笑う。
「いえ、ヒカルさんと姉さんにもハーブティーいれますね。あと、キッチン借りてオレンジケーキも作ったので。」
「ユ、ユウキ…できた弟。」
「なんて…優秀な人材なんだろう。」
ヒカルさんまでこめかみを押さえている。
ちょっと泣いてる?
しばらくして、テーブルにはユウキの作ったオレンジケーキと、香り立つハーブティーが並んだ。
「姉さんとヒカルさんには、ルイボスティーだよ。」
そっと置かれたカップから、甘く落ち着いた香りが広がる。
「良いチョイスだね。」
ヒカルさんが目を細める。
「仕事終わりの心身のケアに、カフェインゼロでミネラルや抗酸化物質が豊富なルイボスティーは最適だと思って…。疲労回復やリラックス効果が期待できるんですよね。って、ヒカルさんならご存知だと思いますけど…。」
頬をかきながら照れるユウキ。
「そんなことないよ。」
ヒカルさんが柔らかく笑う。
朝より顔色が良くなっている気がして、ほっとする。
「ハーブティーの茶葉も経費に落とすから、金額教えてね。」
「え!?いいですよ。僕も飲みたかったから。」
ユウキが慌てて手をぶんぶん振る。
「いいんだよ。君はまだ学生なんだし。遠慮しないでね。本当に助かったから。」
その優しい声に、ユウキが少しだけ目を丸くする。
……あれ?
私よりユウキの方がヒカルさんの好感度高くない?
「じゃあお言葉に甘えて…」
ユウキが少し照れたように笑う。
その笑顔は、どこか子どもっぽさが残っているのに、周囲を安心させる不思議な力がある。
「お菓子の材料とかも買ってきたりしたら、教えてね。遠慮しなくていいから。」
ヒカルさんが、湯気の立つカップを手にしながら穏やかに言う。
その声音には、上司としての気遣いと、個人としての信頼が混ざっていた。
「わかりました。」
ユウキは素直に頷く。
その姿を見て、ヒカルさんの目がふっと細くなる。
「ユウキくんは、経理だけじゃなくて、メンバーのメンタルケアもこなしてくれる…貴重な人材だからね。」
その言葉のあと、ヒカルさんの視線が鋭く光った。
まるで「絶対に手放さない」と宣言しているような、静かな圧。
……これは完全に囲い込みに入っている。
末恐ろしい。
でも、待遇も良いし、給料も良いし、姉弟そろって働くには最高の環境だ。
ユウキが、そっと小皿にのせたオレンジケーキの小さなかけらを摘み上げる。
その指先は、まるで壊れ物を扱うみたいに優しい。
「わたあめも、オレンジケーキ食べる?」
声をかけると、私の肩からわたあめがふわりと揺れる。
その仕草がなんとも言えず愛らしい。
「わあ!ありがとうございます〜ユウキ。」
ユウキが差し出した小さなかけらを、わたあめはもそ…もそ…食べ始める。
「美味しいです!」
(……かわいい。)
ユウキも、わたあめの食べる姿を見て、目尻をゆるませていた。
ラボの空気が、ほんの少しだけ甘くなる。
そして机の端にアメフラシの人形をおく。
「みんな元気になって良かったね。」
そっと指先でツンと触れる。
「これも君のおかげかな?」
そういうと、
レイさんとシュウさんが、私の言葉にすぐさま食いついた。
「ユウキのおかげでしょ?」
「そうそう、ユウキくんのね!」
二人とも身を乗り出す勢いで力説してくる。
その真剣さに、当の本人であるユウキが「え、そんな…」と苦笑いしながら首をすくめた。
「でもこのアメフラシは…なんか見てると和むのよね。なんなのかしら。はじめは変な人形って思ったけど。」
レイさんが腕を組んで、じーっと観察する。
「ねえー俺も。なんか愛着湧いてくる。なんでだろ?」
シュウさんはそう言ってアメフラシの嘆きを引っ張る。
その触り方は愛着持っているやつの触り方じゃないだろ。
もっと優しくして!
「大事にしてくださいよ〜。みんなでお揃いなんですから。」
私がそういうと、
「まあ、確かにこのアメフラシの人形のおかげでシズクも元気になったしね。」
ヒカルさんのデスクの端っこにもちょこんと置かれている。
カップを持ちながら穏やかに言う声は、朝の疲れがすっかり抜けたような軽さがあった。
ラボの空気は、朝よりもずっと明るい。
みんなの表情も、どこか柔らかい。
(よし。明日からも、まだがんばれる。)
そんな気持ちが、自然と湧いてきた。




