32話 ヌメリー先輩引きこもる
「さて、ここだね。」
ヒカルさんが立ち止まった先は、
私の部屋のすぐ下の階。
なんだか嫌な予感しかしない。
「ヌメリー先輩、私の下の階に住んでたんですね。」
「うん、社員寮として貸してるからね。」
ヒカルさんは慣れた足取りでドアの前に立つ。
この建物の空気は静かで、
階段の奥からかすかに風の音がするだけだ。
「そういえば、ここヒカルさんの所有物なんですよね。
さすがですね!」
さすが伯爵家の次男。
言いながらも、私はちょっと尊敬の眼差しを向ける。
「あの…どうして掃除屋を?
あ、言いたくなかったら言わなくてもいいです!」
口に出した瞬間、
“あ、やっちゃった” と心の中で頭を抱える。
「うーん、別に言いたくないわけではないんだよ。
ただ、穢れがみえる体質で困っている人の力に慣れたらと思ったのがきっかけだね。」
「立派ですね。」
「いや、そんなことないよ。」
そう言って笑ったヒカルさんの横顔は、
どこか影が差していて、
言葉にしない何かを抱えているように見えた。
「さて…
ココロさん、はいこれ。」
「ゴミ袋?」
「うん、覚悟してね。」
「え?」
ピンポーン。
静寂。
部屋の中からは物音ひとつしない。
「……。」
「出ないですね。」
「シズク。入るよ。」
ガチャッ。
え、鍵!?
いや、管理してるのヒカルさんだからか。
「あの、私の部屋勝手に入ったら嫌ですよ。」
そう言うと、ヒカルさんはぴたりと動きを止めてこちらを見る。
「入らないよ。
仕事来なくなったら…見に行くかもしれないけど。
なんか、変な想像してないよね?」
じとりとした視線が刺さる。
「え?いや、あのべつに。」
「僕、ココロさんに仕事以外では興味ないから安心して。」
「あ、そうですか。」
ひどい!
冷たい!!
ヒカルさんの後ろをついて部屋に足を踏み入れた瞬間——
空気が変わった。
じっとりと湿った空気が肌にまとわりつき、
部屋全体が薄暗く、重い。
窓はカーテンで閉ざされ、
外の光がほとんど入ってこない。
それにしたって…
「なんだこのゴミ屋敷はーー!!!」
床一面に散らばる空の容器、
脱ぎ捨てられた服、
謎の紙袋、
積み上がった段ボール。
部屋の隅には、なぜかペットボトルの山。
「シズクは、気分落ち込むとゴミを溜める癖があるんだよね。」
「いやいや、掃除屋でしょ!?
自ら汚れを生み出さないでくださいよ!」
「シズク?生きてる?」
ヒカルさんが声をかけると、
布団の山がもぞりと動いた。
「……あ、ひ、ひ、ひ、ヒカルさん?
幻覚?」
布団にくるまったヌメリー先輩が、
じっとりとした目でこちらを見ていた。
「うん、僕だよ。
大丈夫?心配で見にきたよ。」
ヒカルさんがいつもの柔らかい笑みを向ける。
その笑顔だけで、部屋の重たい空気が少しだけ揺れた気がした。
「あ、あ、あ、ありがとうございます。
お、おれなんかのために。あのえっと。」
ヌメリー先輩は布団の中でオロオロと手を動かし、
目だけがこちらを泳いでいる。
「とりあえず片付けようか。」
「は、はい。」
そこからはもう、戦場だった。
私たちは黙々とゴミを拾い集める。
飲みかけのペットボトル、食べかけのお菓子の袋、
謎の紙袋。
きったない。
なんか汁出てるし…。
最悪だ。
カサカサカサカサ。
……まて。
今、何か動いた。
も、も、もしや。
Gー!?それとも穢れ!?
「ココロさんどうかした?」
「Gーか、穢れの気配がします。」
「……あー、両方だな。」
ヒカルさんが冷静に言い放つ。
「りょうほう!?は!?え!?」
「とりあえずゴミをとにかくまとめてからだね。
どんどん捨てるよー。」
「は、はい!」
私は気合を入れ直し、ゴミ袋を握りしめて、
使い終わった割り箸を捨てようとした瞬間、
ヌメリー先輩が布団から手を伸ばして止めてきた。
「ま、まって、ココロさん。そ、それはだめです。」
「え!?なんでですか?
汚いですよ。」
「そ、それコンビニの店員さんが
『お箸つけますよ』って言ってくれたやつで。」
「は?」
「いつも、何も言わずに入れる人ばかりなんですけど…
その人はちゃんと言ってくれて…う、う、うれしくて。」
もじもじしながら言う。
おう、そういう感じか。
いや、気持ちは分かるけども。
「捨てます。」
容赦なくゴミ袋に入れようとすると——
「だ、だめです。
今、お話したじゃないですか?
だだ大事だって。」
「そんなこと言ったら、ゴミだらけになりますよ!
汚いです!臭いです!
その人だって、使って使い終わったら捨ててほしいと思ってます!!
絶対に!何がなんでも!!」
私は力づくで捨てようとするが——
「まって、ココロさん。」
ヒカルさんが私の腕を軽く押さえた。
「ヒカルさん。でも…」
「シズク…確かに物を大切にしようという気持ちは大事だし、
人の好意を受け取れるのはとても良いことだと思うよ。」
「ひ、ヒカルさん。」
ヌメリー先輩が嬉しそうに笑う。
いや、それ好意じゃないから。
仕事だから。
そんなことで好意だと思われたら店員さんが可哀想だ!
「でも、この割り箸はさ。
使い終わったら捨てないと。」
「ど、ど、ど、どうしてもですか?
洗ってもですか?」
「うん、だって…。
割り箸は基本的に“使い捨て”として作られるから表面に凹凸があるんだよ。
洗浄しても内部の汚れが落ちにくくて、
むしろ洗うこと自体がカビを誘発することがある。」
「は、はい。」
「つまり…汚い。ほんとに。やめなさい。」
ヒカルさんが真顔で言い放つ。
「あ、はい、わかりました。」
ヌメリー先輩はしゅんとしながら、
素直に割り箸をゴミ袋へ入れた。
ヒカルさん、すごい!!




