31話 ヌメリー先輩引きこもる
「おはようございます!!」
勢いよく扉を開けてラボに入る。
朝の空気はひんやりしているのに、部屋の中だけ妙に湿っぽい。
照明はついているのに、どこか薄暗く感じる。
「…おはよう…ココロさん。」
最初に顔を上げたヒカルさんは、椅子に深くもたれかかり、
目の下にくっきりとしたクマをつけていた。
髪も少し乱れていて、いつもの爽やかさが半分くらいになっている。
あれ、ヒカルさん疲れてる?
「…おはよ。ココロ。」
レイさんは机に突っ伏すように座っていて、
ボサボサの髪をひとつにまとめきれず、メガネがずり落ちている。
コーヒーのカップは空で、底に黒い跡だけが残っていた。
そしてベランダでは、
シュウさんが無言で外を見つめながらタバコを吸っている。
灰皿には吸い殻が山のように積まれていて、
朝からその量はおおくない?
ちょっと心配になる。
「なんか、みなさん疲れてますね。」
声をかけると、同時にため息をついた。
「そりゃあ。疲れるわよ…
最近普通の清掃だけじゃなくて穢れ案件も多いしさー。」
レイさんは肩を落とし、机に額をつけたままぼそっと言う。
「そうなんだよね〜
もう仕事する前からクタクタ〜。」
ベランダから戻ってきたシュウさんは、
タバコの匂いを消すためにスプレーを吹きかけながら、
だるそうに首を回している。
「ヒカルさんも…疲れてますね。」
「うん…さすがにね。
穢れ案件が多くて…」
ヒカルさんは苦笑しながら、
手元の書類をぱらぱらとめくるが、
集中できていないのが丸わかりだ。
「っというか、ココロさんは平気なの?」
「私ですか?
元気いっぱいですよ!」
胸を張ると、三人の視線が一斉に集まる。
「すごいわね〜これが若さの違い?」
レイさんが羨ましそうに目を細める。
「穢れに囲まれるとさ、体力だけじゃなくて精神面も削られるんだけどね。
病むというか…。」
ヒカルさんは頬をかきながら、
少しだけ視線をそらした。
「そうそう。
だから、あんまり穢れ案件続くと…
ストレス発散に走っちゃう。」
シュウさんは苦笑しながら肩をすくめる。
「ココロさんは…精神が強いのかもね。
体力もあるし。」
「そうですかね?
まあ、細かいことは気にしないです!
いっぱい食べて、働いて、寝ます!」
「わあー健康的。」
シュウさんがぱちぱちと拍手する。
「姉さんの良いところだよね。
元気なところ。」
いつの間にか来ていたユウキが、
にこにことこちらを見ている。
「まあ、でもココロは偉いわよね〜
ユウキの学費もいままで払ってたんでしょ?」
「ほんとに姉さんには感謝しかないです。」
ユウキが照れくさそうに笑う。
「家族二人姉弟で頑張っててえらいよね…。」
シュウさんがしみじみと頷く。
「え?うちの両親健在ですよ?」
「え、そうなの?
てっきり学費とか払ってたっていってたから。
ごめんね?」
「いえいえ、
うち放任主義なんで、
自分のことは自分でやれ!って感じです。」
両親の顔を思い浮かべる。
明るくて楽しいけど、自由すぎる人たち。
「そうなんです。
夫婦仲良いんですけど、よく旅に出てるんでしばらく会ってないです。
手紙は届きますけどね。
あ、あと変なお土産。」
ユウキがカバンからごそごそと取り出したのは、
茶色い、妙に表情の濃い人形。
頬に手を当てて叫んでいるようなポーズで、
どこか不気味な愛嬌がある。
「なにこれ、こわっ。」
レイさんが眉をひそめる。
「これアメフラシの嘆きみたいです。」
ユウキが淡々と説明する。
「変わった人形だね…。」
ヒカルさんも距離を取りながら覗き込む。
「敵に襲われると雨雲のような紫色の液を出すのと、
いじめると雨が降るという言い伝えからその名前みたいですよ。」
「え、そんな由来なの…?」
レイさんがさらに引く。
「人数分ありますよ!
皆さんにあげます!!
色違いです。」
そう言って私はみんなに配る。
「え、…あ、ありがとう。」
ヒカルさんは困ったように笑いながら、
そっと人形を受け取ったものの、“どう扱えばいいのか分からない” という顔をしている。
「私は別にいらないんだけど…。」
そういうレイさんにも渡す。
「まあまあ、厄除けみたいな意味もあるみたいですよ!
みんなで仲良くお揃いです。」
ふふっと笑ってみせると、
レイさんは「そう…」と曖昧に返し、
人形をつまみながら端に置く。
……汚そうにつまむな!
次にシュウさんへ渡す。
「あ、ありがとう…。
こんなセンスないものはじめてもらった。」
し、失礼だな。
まあ、同意見だけど!
「そうだ!ヌメリー先輩にも!
ってあれ…おやすみですか?」
ラボを見渡すが、いつもいるはずの席がぽっかり空いている。
椅子はきちんと押し込まれたまま、机の上も整頓されていて、逆に不在が際立って見えた。
「うん…たぶん病んでるかな。」
ヒカルさんが困ったように眉を寄せる。
「全く…またか…。面倒なやつなんだから。」
レイさんは頭を抱え、
メガネを外して目元を揉む。
「でも、ココロちゃん来てからだいぶ間空いたよね?
前はよく病んでたけどね。」
シュウさんはアメフラシ人形を
“見なかったことにする” みたいにそっと端へ押しやる。
おい。
嘆いてるぞ、嘆いてるからな!
「そうなんですか…心配ですね。」
胸の奥が少しざわつく。
ヌメリー先輩は繊細だから、
放っておくと本当に深く沈んでしまいそうだ。
「見に行こうか。」
ヒカルさんが立ち上がる。
その動きはゆっくりで、疲労が背中に張り付いているようだった。
「私はパス〜。」
レイさんは即答。
椅子から動く気配すらない。
「俺も〜。」
シュウさんも手をひらひらさせて拒否。
「えーお二人冷たい!」
「いや、、多分いま行ったら私も引っ張られる。
病む。絶対病む。」
レイさんは真顔で言い切る。
「俺も…病んで病んでずっとお酒飲んで…
いや、もう考えるだけでしんどい。
ずっと臭いの辛い。」
シュウさんは頭を抱え、
すでに限界の人みたいになっている。
おう、もう二人相当病んでるじゃん。
「じゃあ、悪いけどココロさん、僕と行ってくれるかな?」
ヒカルさんがこちらを見る。
その目は疲れているけど、
“放っておけない” という優しさがにじんでいた。
「もちろんです!」
勢いよく返事をして立ち上がる。
「僕は経理の仕事しながら、お二人のフォローしときますね。」
ユウキが笑いながら言う。
その笑顔は明るくて、
このラボで一番まともな空気を出している。
できた弟や。
……大人ちゃんとしろ。




