22話 弟 馴染む
ユウキは週二回くらいラボに来るようになった。
最初は緊張していたはずなのに、今ではすっかり馴染んでいる。
まずヒカルさんがまとめていた資料を見るなり、真剣な顔で言う。
「すごいですね。経理すべてヒカルさんがしてたんですね。過去の帳簿もきれいにまとまってます。これに習ってやっていけばいいってことですよね?」
ヒカルさんは椅子を軽く回しながら「うん、よろしくね」と微笑む。
その笑顔は柔らかいのに、どこか“優秀な人材を見つけた”と確信している目をしていて、私は少しだけ背筋が寒くなる。
それから、レイさんの“朝の低血圧ゾンビ状態”から油汚れを落とした後の“完璧美人モード”に変わるまでの一連の流れを目撃したユウキは、しばらく観察したあと、
「…そういう感じですね。」
とだけ言い、空気を読んで極力話しかけないようにしている。
レイさんの機嫌が悪いときは、近くの空気までピリッとするので、判断としては正しい。
ユウキいわく、
女の人って気難しいから余計なことは言わないのがいいらしい。
とのこと。
「ほら。よく“こっちとこっちどっちがいい?”って聞くでしょ?」
「うん」
「姉さんはあまり聞いてこないけどさ。」
「まあ、そもそも同じようなの数着しかないからね!」
……そんな私に
ユウキは悲しそうな目で見ながら続ける。
そんな顔でみないで!
「でも、女の人ってこっちがいいって言っても、“えー、そっちー?”とか言うじゃん。それで“どっちでもいいんじゃない”っていうと、“テキトーに言わないで”って言うでしょ?」
(言う……! めちゃくちゃ言う……!)
私は思わず遠い目になる。
「だから…俺こういうって決めてる。」
「?」
「基本余計なことは言わずに、
“うーん、こっち……いやこっちかな……僕には難しいや。力になれずごめんね”」
そう言って、ユウキは可愛い“迷った表情”を作る。
そのあとすぐ真顔になり、
「これで通す。」
と宣言した。
「なるほど。」
「あと、機嫌悪い時はぜったい話しかけないし、むしろ必要なことがなければ俺から声かけない。」
……お、おう。
うちの弟……私の知らないところで何があったんだろう。
15歳にして悟りを開いている。
それから、ユウキはヌメリー先輩にも普通に話しかけるようになった。
「この前の備品の領収書ありますか?」
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆうゆうゆうきくん。こ、こ、こ、これ……」
ヌメリー先輩はブルブル震えながら、引き出しからくしゃっとした封筒を取り出した。
手が震えすぎて、封筒がカサカサ音を立てている。
「はい。ありがとうございます」
ユウキは落ち着いた声で受け取り、軽く会釈する。
「あ、あ、あ、あ、おそくなっててて、す、す、すみません。」
ヌメリー先輩はさらにどもる。
見ているこっちが心配になるほどだ。
するとユウキが、ふっと優しい声で言った。
「あの、シズさん。」
「え? お、おれのこと?」
「はい。俺のことユキでいいですよ。短い方が呼びやすいですし……俺もシズさんて呼びます。」
「ユ、ユキくん」
「はい。」
にっこり笑うユウキ。
その笑顔は、相手の緊張を溶かすような柔らかさがあった。
「それと、俺年下だからそんなに気を遣わないでください。領収書ももし直接渡しにくければ、ここにボックス作っとくので入れてください。」
「わ、わかった。ありがとう。」
……ヌメリー先輩とコミュニケーション取れてる!?
す、すごい。
あのヌメリー先輩が普通に会話してる。
その横で、シュウさんがライターをカチカチ鳴らしていた。
「あー、ニコチン切れだー、もう火もつかないし。」
カチカチカチカチカチカチ。
うるせー。
完全に禁断症状。
するとユウキが、すっとポケットから何かを差し出す。
「はい、これ使ってください。」
ライターを差し出す。
「わあ、ありがとう。」
シュウさんは素直に受け取る。
「それと、これもどうぞ。」
「これは?」
「タバコ吸いたくなった時に噛むといいらしいです。少しリラックスするとか。」
ガムを差し出すユウキ。
「えーありがとう!」
シュウさんは嬉しそうにガムを受け取り、すぐ噛み始めた。
……いや、順応力やばくない!?
ユウキ、ラボの人間関係に馴染むスピードが異常なんだけど。
この子、私より社会経験あるんじゃないの……。




