2話 クビになったので掃除屋になります
「実は……メイドをしていたのですが、クビになりまして。」
言葉にすると、胸の奥がじんと痛んだ。
「それはまた、大変でしたね。」
ヒカルさんは、まるで本当に心配してくれているような声で言った。
その優しさが逆に胸に刺さる。
「いえ……私が不甲斐ないばかりに。」
「理由をお聞きしても?」
柔らかく微笑むその表情に、少しだけ勇気をもらう。
「は、はい。
信じてもらえるかわかりませんが……」
「構いませんよ。」
その一言が、背中を押してくれた。
「実は……掃除をしたところが、あっという間に汚れるんです!」
ヒカルさんの瞳が、わずかに細められる。
「……それはまた。どのくらいの時間でですか?」
「掃除をして、私のいない数十分たたないうちに……
部屋が埃や泥だらけになってるんです」
「それはそれは。」
軽く相槌を打つ声は穏やかだが、どこか興味深そうでもあった。
「は、はじめは誰かの仕業かとも思ったのですが……
似たようなことがもう数十回あって……」
言葉が震える。
「いよいよ、クビになってしまいました。」
悔しさと情けなさが込み上げて、
ぎゅっとワンピースの裾を握りしめた。
沈黙が落ちる。
ヒカルさんはしばらく私を見つめ――そして、静かに言った。
「なるほど。わかりました。」
「し、信じてくれるんですか?」
思わず顔を上げる。
涙がにじみそうになるのを必死にこらえながら。
「ええ、信じますよ」
ヒカルさんは迷いなく言った。
「貴女の雰囲気からして、仕事をおざなりにするタイプには見えません。
それに……“掃除をして逆に汚れる”なんて、普通は起こりませんからね。
必ず何かありますよ。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
こんなふうに信じてもらえるなんて、思ってもみなかった。
「……ありがとうございます。」
声が震えた。
涙がこぼれそうになるのを、紅茶の湯気に紛れさせる。
ヒカルさんは優しく微笑んだまま、
しかしその瞳の奥には、別の光が宿っていた。
「それで……メイドとして働き始めて何年ですか?」
ヒカルさんは紅茶を口にしながら、穏やかに問いかけてきた。
「あ、はい。15歳のころからなので……もう3年になります。
でも、この奇妙なことが起き始めたのは半年前ほどで……
それが原因で3回、雇われ先が変わったところになります。」
「なるほど。」
ヒカルさんは顎に手を当て、少し考え込むように目を細めた。
その仕草が妙に絵になっていて、貴族みたいな気品を感じる。
「それでは……まずは実験してみましょうか。」
「じ、実験ですか?」
「はい。」
にっこりと微笑む。
その笑顔は柔らかいのに、どこか“確信めいたもの”を含んでいるように見えた。
なんだろう……胸がざわつく。
ヒカルさんの後に続き、階段を降りる。
地下へ向かう石段はひんやりしていて、空気が少し重い。
やがて、仮眠室のような小さな部屋の前にたどり着いた。
「こちらを掃除してもらえますか?」
部屋の中は、そこまで汚れてはいない。
けれど、隅にうっすらと埃が積もり、砂が散らばっている。
「わかりました。」
「とりあえず、こちらを使ってください。」
渡されたのはホウキとちりとり、そしてはたき。
バケツと雑巾。
どれもよく手入れされていて、使いやすそうだ。
「私は1時間後にまた来ますので、できるところまでお願いします。」
「はい!」
よし、頑張るぞ……!
私は夢中で掃除を始めた。
まずはハタキで上から下にホコリをおとす。
それからホウキを動かし、そなたびに砂が集まる。
雑巾で家具と床を拭き上げる。
やればやるほど部屋が明るくなっていくのがわかる。
「……よし! だいぶ綺麗になった!」
達成感に胸を張ったそのとき――
コンコン、とノックの音。
「入りますね。」
ヒカルさんの声がして、扉が開いた。
「素晴らしいですね。綺麗になっています。」
「ありがとうございます!」
褒められるの、久しぶりだ……。
「それでは、少しお茶でも飲みましょうか。」
「え、は、はい。」
案内されたテーブルには、紅茶と……ケーキまで用意されていた。
え、ケーキ……?
しかもイチゴと生クリームのスポンジ!?
こんな高そうなの、食べていいのかな。
「どうぞ、召し上がってください」
ヒカルさんがにこっと笑う。
その笑顔に押され、お言葉に甘えることにした。
「いただきます……
お、おいしいです!」
口に入れた瞬間、ふわっと甘さが広がる。
こんなケーキ、普段なら絶対に食べられない。
「それは良かったです。」
ヒカルさんはふっと微笑んだ。
その表情は優しいのに……
どこか“観察している”ような気配もあった。
まるで――
私の反応を、一つひとつ確かめているみたいに。
ケーキ美味しかった〜。
そう思っていると、
「そろそろ頃合いですね。行きましょうか。」
「は、はい。」
ヒカルさんの後ろを歩きながら、胸がどきどきする。
階段を上がり、さっき掃除した仮眠室の前に立つ。
扉が開いた瞬間――
「わあ、これはすごい。」
ヒカルさんが感嘆したように声を漏らす。
私は横からそっと覗き込んだ。
「……き、汚い……」
掃除する前よりも荒れ果てていた。
床は砂と泥でぐちゃぐちゃ、
シーツはぐしゃぐしゃに乱れ、
空気まで淀んでいる。
「なるほど……これはこれは。」
ヒカルさんは軽く笑い、私の方を見る。
「あ、あの……」
「大丈夫ですよ。貴女のせいではありません。」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。
ヒカルさんはスッと目を閉じ、
人差し指を前に掲げた。
「迷いし穢れよ。姿を現せ。」
ふっと息を吐くと――
ほわ、ほわ、ほわ……。
灰色の雲のような、
ふわふわしたものが空中に現れた。
「君の仕業かな?」
ヒカルさんが優しく問いかけると、
ふわふわは小さく揺れた。
わたあめみたい。
「……そうなの。
でもね、手伝いたかっただけなの。」
えっ、しゃべった……?
「どういうこと?」
ヒカルさんが促すと、
わたあめは申し訳なさそうに語り始めた。
「ちょうど半年前にね。
私のお家を綺麗にしてくれたから。」
半年前?
「……あ、そういえば。
伯爵家に仕えていたころ、埃まみれの木箱みたいなのがあって……掃除しました!」
「それそれ〜。きれいにしてくれて嬉しかったから……
お礼に、お手伝いしてたの!」
「……そうだったんだ。」
気持ちは嬉しい。
でも――
(あなたのせいで汚れてるんだけどね……
クビになったんだけどね……)
心の中でそっとつぶやく。
「ありがとう。気持ちは嬉しいんだけど……
綺麗というより、汚くなってるんだよね。
だから、えっと……もう私の手伝いはしなくていいんだよ。」
「そ、そうでしたか……
ご迷惑をかけていたのですね……」
しゅん、と小さく縮むわたあめ。
なんだか可愛い。




